ユイレの天明
「最初に宣言したとおり、物事を進めさせてもらおう」
「かしこまりました」
場所は、ユイレ大公館の応接間。
豪奢な椅子に腰掛けて目の前を見据えているのは、質素ながらも気品に溢れるドレスを纏った公女ジャンヌ。流れるような金髪を結い上げている彼女は、もう馬に乗って暴走するじゃじゃ馬公女の面持ちはしていない。
ジャンヌの背後に控えるアリアは、公女と対面しているヴィルヘルムの方へと視線を向ける。彼は客人用のソファに腰を下ろし、ジャンヌに負けない落ち着いた雰囲気で話を切り出した。
「公女ブランシュは死亡し、ユイレの政権は大公家の血を唯一引き継ぐジャンヌ公女に委ねられることとなった。大聖堂については――シスターアリア?」
ヴィルヘルムに視線を向けられ、アリアは腹の底から声を出す。
「はい。地下牢に捕らわれていらっしゃった聖女アグネス様から、事の次第を伺いました。アグネス様は幽閉生活によって体力が衰えてらっしゃり、元々ご高齢だったこともあり、大聖堂の権限はひとまずヴィルヘルム様のご意志に従うとのことです。書類はこちらに」
アリアが差し出した書類を、ヴィルヘルムの隣に立っていたシャルロットが受け取る。彼女から書類を受け取ったヴィルヘルムは内容を一読した後、大きく頷いた。
「……アグネス殿がご無事で何よりだ。ではアグネス殿の許可も得られたことだ。当初の予定通り、大公家としての采配を振るうのはジャンヌ公女、そしてアグネス殿に代わって大聖堂の管理はシスターアリアに託そう」
ヴィルヘルムの言葉に、アリアは静かに頭を垂れた。
最初にヴィルヘルムから提案を持ちかけられた通りになったのだ。
(私が大聖堂の管理をするなんて……)
聖魔道士の素質を持っているとはいえ、大聖堂におけるアリアの立ち位置はただのシスターだったのだ。それがいきなり大聖堂の頂点に立てと言われると、覚悟はしていても不安で胸が押しつぶされそうになる。
(……でも、怯えている場合じゃない)
気苦労しているのはアリアだけではない。
ジャンヌは聖堂だけではなく、一つの国を背負っているのだ。
(それに……まだ戦乱のさなかで生きている方もいらっしゃる)
東の島国ランスレイ。
アリアの婚約者ファルトたちは、帝国軍の圧政に敷かれる日々を送っているのだ。
(私たちが頑張れば、連合軍の力になる。そうすれば、ランスレイも解放される――)
ヴィルヘルムは約束を違えない。
自分の歩むべき道を確実に進めば、ファルトともきっと再会できる。
「……これより我々連合軍は、ユイレの港よりランスレイへと向かう。ランスレイへの窓口として最も便利がよいのは、やはりプレールだろうか」
「はい。わたくしやアリアがランスレイに行く際も、プレール・マレン間の航路を使いました」
「プレールの住民はかなり気が立っていたな……先日と同じく、先にユイレ軍を説得に向かわせた方がよさそうだな。ユイレ軍は、プレールまで先行するだけの体力はありそうか?」
「今日一日休めば大丈夫だと思います」
ヴィルヘルムのつぶやきを脇のテーブルで書き留めていたフィーネの賛同も得て、ヴィルヘルムは胸の前で腕を組んだ。
「プレールの住民から理解を得られたならば、いよいよ我々はランスレイへ向かうことになるため、ユイレに人間と物資の援助を申し出る。備蓄はどのようだったか?」
「はい。現在の春という気候のおかげもあり、幸いにも備蓄は足りそうです。食料、武具、その他消耗品をかき集め、現在リストを製作しております」
「有り難い。木材などは予備があるだろうか」
「……国内南部の資材庫で保管していた材木の多くは焼けておりました。しかし北部の丘陵地帯の倉庫は無事だったようです。耐水性の強い樹木も揃えているので、ランスレイへ向かう帆船の修理や補強にも利用できそうです。それでも不足がありましたら、まだ若木ではありますが利用できそうな樹林をご案内します」
ユイレは昔から造船業に秀でている。大陸の東海岸一帯を領土に構えているという条件に加え、大公国内には造船に適した樹木が多く自生している。子どもの頃からあちこち冒険していたジャンヌは、どこにどのような種類の木が生えているのかも把握しているのだ。
ヴィルヘルムは満足そうに笑い、「後で倉庫と樹林の場所を教えてくれ」と言った。
「物資に加えて、人手だな。ランスレイとの行き来を船で行うため、船だけでなく水夫も借りたい。ユイレ軍からも数部隊派遣するように」
「かしこまりました」
「……ユイレとランスレイを味方にできれば、心強い。両国の解放は、エルデやサンクセリアへ兵を進めるための重要な足がかりだ。存分に活用させてもらう」
ヴィルヘルムは、アリアよりも年下とは思えない大人びた笑みを浮かべて言った。
帆船の影が遠のいていく。
アリアはジャンヌの隣に立ち、東の海へと出航していった帆船の群れを静かに見守っていた。
「……行ってしまわれましたね」
「そうね」
ジャンヌはアリアの方に視線を寄越さず答えた。
準備を整えた連合軍は本日、ランスレイ解放戦に向けてプレールの港を出発した。
ユイレからは、軍から三部隊、そして水夫たちを中心とした使用人を送り込んだ。戦力としては心許ないが、ヴィルヘルムが言うには「優秀な水夫は連合軍ではどうにもまかなえないし、ユイレ軍は海上で戦闘になった際にも心強い。それに大量の物資を提供されたのだから、文句はない」とのことだった。
尊大な物言いをすることの多い少年指揮官だが、その言葉には思いやりに溢れている。そこが彼の魅力なのだろうとアリアは考えている。
「――ジャンヌ様、アリア様」
凛とした女性の声に、二人は振り返った。
護衛として連れてきた騎士たちの中から、背の高い女性騎士が歩み出てきた。ショートボブになった紫金髪を潮風に靡かせる彼女は、二人の前に跪く。
「……サンドラ・オーランシュ、戻りました」
「……ご苦労様。ご家族の皆様の葬儀は終わった?」
「はい。子爵領の領地に埋葬しました」
サンドラは面を伏せたまま答える。
連合軍がユイレ国内で体勢を整えている間、サンドラは暇を出されて家族の葬儀を行っていた。
ブランシュの卑劣な手段によって処刑されたサンドラの両親ときょうだいたちは、オーランシュ子爵領の小高い丘の上の墓地で眠っているそうだ。
アリアはジャンヌと視線を交わした。
ジャンヌが進み出て、サンドラの肩に触れる。
「……あなたはまだ、私たちについてきてくれる?」
「ジャンヌ様……」
「ヴィルヘルム様の前で宣言したでしょう? 私やアリアに忠誠を誓うって」
ジャンヌの指先が、サンドラの耳の横の何もない空間をついと撫でる。一月ほど前までは、豊かな巻き毛が揺れていた箇所だ。
「これから、私は大公代理として、アリアは――いわゆる聖女代理として大公国を守っていかなければならない。それがヴィルヘルム様たち連合軍との約束であるし――海の向こうにいる、私たちの未来の旦那様と再会するための礎でもあるの」
ジャンヌの言葉に、サンドラだけでなくアリアもはっと息を呑んだ。
ジャンヌは微笑み、とんとんとサンドラの肩を優しく叩く。
「でも、私たちだけじゃ厳しいこともたくさんあるわ。叔父様やブランシュの影響は案外大きかったみたいで、国のあちこちで問題が起きているし、その間も連合軍への支援を欠かすこともできない。それに、いくら険しい山脈に守られているしこれから夏になるから援軍が送られる可能性は低いとはいえ、デューミオンが奇襲を仕掛けてくることも十分考えられるからね、国内の警備も怠ることはできない。……ほら、もういっぱいいっぱいなのよ」
だからね、とジャンヌは白い歯を見せてにっこりと笑う。
「サンドラ、あなたも手を貸しなさい」
「ジャンヌ様……その、わたくしは」
「ああ、まどろっこしい! あのね、私もアリアもあなたと協力して色々やっていきたいの! それに、できることならもっと肩の力を抜いてお喋りしたい! これからユイレは夜明けを迎えるのだから、みんなで一緒に頑張っていきたいの!」
ジャンヌは実際にサンドラの肩を控えめに掴んだようで、サンドラは困惑したように、赤茶色の目を自分の左肩に向けている。
「こうなったら最後まで付き合ってもらうからね。……サンドラ・オーランシュ。私についてきなさい」
最初に言った「ついてきてくれる?」ではなくて、「ついてきなさい」。
(ああ、なんともジャンヌ様らしいわ)
思わずアリアがぷっと笑うと、サンドラは困惑の眼差しをアリアにも向けてきた。
「……わたくしをお許しくださるのですか、アリア様」
「何を言っているの、サンドラ。あなたもやむを得ない事情があったし、その結果ご家族を亡くしてしまった。私があなたの脅しに従わなかったから、ね」
「そ、それはアリア様のせいでは――」
「分かってる。だから……サンドラの方こそ踏ん切りがついたのなら、前みたいに三人で頑張っていきたいの」
去年の冬、不安な気持ちでいっぱいのアリアはランスレイへと渡った。
先んじてランスレイに向かっていたジャンヌと、アリアと、護衛騎士のサンドラ。
ランスレイでの日々はあっという間だったけれど、ユイレから来た者同士で日々頑張っていった。
(そう、これからも頑張っていきたい)
アリアは微笑む。
サンドラはしばらくの間、惚けたようにアリアとジャンヌの顔を交互に見ていた。だがやがて彼女もふふっと笑い、立ち上がった。
「……かしこまりました、ジャンヌ様、アリア様。このサンドラ・オーランシュ、どこまでもあなた方について参ります」
短くなった髪を振るってそう宣言するサンドラはの顔は、どこまでも美しかった。




