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ふたりの公女

 当然ではあるが、大聖堂内は馬の乗り入れ厳禁である。

 だが、今はそのようなことにこだわっている場合ではない。どう考えても馬に乗った方が速いのだから。


 大聖堂突撃までは隊長が先頭を走っていたのだが、窓ガラスを破壊して侵入した後はジャンヌの道案内が必要だ。

 大聖堂はやたら広く、しかも廊下も中庭も似たような造りばかりなので慣れない者は瞬時に迷い込んでしまうのだ。


「礼拝室はこっち! あの窓を破壊して!」


 ジャンヌが叫ぶと、男たちが気合いの声を上げて窓ガラスを破壊する。天上の神々の晩餐会の様子を描いたステンドグラスが木っ端微塵になる様子に、ジャンヌはついつい苦笑を零した。


 女神は怒るかもしれないが、ステンドグラスの破壊を指示したのはジャンヌだ。たとえ女神の怒りを受けて地獄に堕ちるにしても、ジャンヌ一人ならなんてことない。


 繊細なステンドグラスの破片が舞い散る中、ジャンヌは礼拝室へと馬を進めた。


 大理石でできた女神像。整然と並ぶ長椅子。床には深紅の絨毯が敷かれ、先ほど破壊されたステンドグラスの破片が散り、きらきら輝いていた。


 ジャンヌは馬を下り、後から続いてきた兵士に手綱を託す。そして剣を抜き、女神像の前に跪く女性の元へと足を進めた。


「……ブランシュ」

「……朝から騒がしいのね、あなたは」


 女神像の前にいた女性が、ゆっくり振り返る。普段この礼拝室で祈りを捧げる際には清楚な修道服を着るものだが、今の彼女は礼拝室の空気にそぐわない派手なピンク色のドレスを着ていた。


 そういえば、彼女は子どもの頃からピンク色に憧れていたのだったな――と思い出しつつ、ジャンヌは剣の先を従姉と向ける。


「ええ、おはよう。気持ちのいい朝ね」

「……はっ、言葉と動作が一致していないんじゃなくって?」

「あなたこそ、女神様の御前でそのような格好をするのはどうかと思うけれど」


 礼拝室のステンドグラスを破壊して馬で乗り込んできた自分も大概だとは思うが、ジャンヌはそれについては口にせず一歩、ブランシュとの距離を詰める。


「……観念なさい、ブランシュ。あなたの企んでいたことは全てアリアから聞いている」

「アリア? ……ああ、そう。やっぱりおまえのところに逃げて帰ったのね、あの役立たずは」

「アリアを物扱いするんじゃない」


 長椅子を迂回し、ブランシュへと近づく。


「デューミオン軍は逃走した。港は既に連合軍が抑えている。……あなたの負けよ、ブランシュ」

「負け?」


 きょとんとした様子でブランシュがオウム返しに呟く。

 まさか今の状況が分かっていないのか……とジャンヌは眉根を寄せたが、突然ブランシュは狂ったように笑いだした。


「あ、あはははははは! そう、そうね! おまえは、おまえはいつだって自由でいられた! わたくしはいつだって、おまえに勝てなかった!」


 弓弦の音を耳にし、ジャンヌは顔をしかめたまま背後を振り返る。石弓を構えていた連合軍の兵士を視線で制し、従姉へと向き直った。


「……ブランシュ、あなたは国民を捨ててでも、テオドール皇子の愛がほしかったのね」

「……ふん、おまえには分からないでしょうよ! おまえはなーんにも考えなくて、頭が空っぽで丘陵を駆け回るだけの馬鹿公女。わたくしはいつか報われると信じてひたすら祈りを捧げる敬虔な公女。それなのに、おまえが全てを持っていくのだからね! ランスレイ王太子婚約者の椅子の座り心地は、どう!? おまえもアリアも、わたくしをあざ笑い、一人の女として幸せになれて、嬉しいでしょう、ねぇ!?」

「それは違う、ブランシュ。私もアリアも、あなたをあざ笑ってなんかいない」


 ジャンヌは確固とした意志を持って言い返す。


 ジャンヌは、二つ年上のブランシュを尊敬していた。勉強が嫌いなジャンヌと違い、ブランシュは賢かった。誰にでも優しいし、毎日のおつとめも一生懸命こなす。


 アリアも、目を掛けてくれたブランシュを尊敬していた。彼女がブランシュを大切に思っていたというのはジャンヌだってよく分かっていた。


 そんなブランシュだから、今回彼女がジャンヌやアリアを裏切り者だと吹聴した際、国民たちはこれを信じたのだ。


 ブランシュは、皆から信頼され、愛されてきたのだ。


「叔父様はあんな方だったから、あなたも苦労してきたのは分かっている。だからこそ、他国へ嫁ぐ私やアリアは精一杯幸せになろうと――」

「幸せ! あ、はは! そうよね、幸せよね!」


 ブランシュは目をぎらつかせ、「……羨ましい」と、噛みしめた歯の隙間から唸った。


「どうして、いつだってわたくしだけ!? わたくしは我慢させられ、おまえたちは自由を手にして! わたくしは、幸せになりたかった! 一人の女として、幸せに! それなのに……ああ、わたくしはテオドール様に捨てられて、ひとりぼっち! 幸せになんてなれっこない!」

「ブランシュ……」

「わたくしを幸せにしてくれない女神なんて、信じない! わたくしを犠牲にして幸せになる者たちなんて、どうなったっていい! ユイレなんてどうでもいい! 滅べば! 滅べばいいのに! 滅べばいいのよ、こんな腐りきった国はっ!」


 じゃり、とジャンヌのブーツがステンドグラスの破片を踏みしめる。


 ぎゃあぎゃあわめきながら、「滅べ!」を連呼するブランシュ。


 ジャンヌは静かに、剣を振り上げた。








 ――いつのことだっただろうか。


 いつもお転婆でふらふらしていたジャンヌが、偶然街で人助けをしたことがあった。ジャンヌはたいそう感謝され、「さすが公女様だ」と尊敬された。


 それが嬉しくて誇らしくて、いつもなら疎遠になっている叔父にもついつい報告してしまった。ひょっとしたら、叔父も褒めてくれるかもしれないという淡い期待を抱いて。「よくやった、ジャンヌ」と言ってくれるかもしれないと思って。


 だがジャンヌを迎えたのは、叔父による杖の一撃だった。叔父は床に倒れたジャンヌを睥睨し、「ブランシュの立場を脅かす真似は、二度とするな!」と吐き捨てていったのだ。


 大公館の使用人たちは基本的にジャンヌにも優しかったが、怒り狂う大公を前にして怯えてしまっていた。

 誰にも助け起こしてもらえず、一人でえぐえぐ泣いていたジャンヌに真っ先に手を差し伸べたのは、ブランシュだった。


『だいじょうぶよ、ジャンヌ。ジャンヌはいい子、いい子よ』


 そう言ってブランシュはジャンヌの頭を撫でてくれた。

 ジャンヌがブランシュに抱きついて大泣きし、服をぐちゃぐちゃにしてしまってもブランシュは文句一つ言わなかった。


『ジャンヌは、だいじょうぶ。いい子だから、だいじょうぶよ』


 十歳程度のブランシュが笑っている。






 ――ああ。


 あの時は、涙で前が見えなかった。


 今は、真っ赤に視界が染まるから、あなたの顔を見ることができない。


「――ブランシュ」


 ジャンヌは静かに名を呼んだ。


 ぴとん、と剣の先から血液が滴る音が応えるだけだった。












 公女ジャンヌによってブランシュが討ち取られた後、ヴィルヘルムはユイレ軍に投降を呼びかけた。

 港の時のように皆の反発が起こるかと思われたが、連合軍の危惧に反してユイレ軍は素早く剣を収めた。どうやら、昨夜テオドール皇子たちが逃亡したと知ったブランシュは半狂乱になったらしく、彼女が吐き出した言葉を耳にしていたユイレ兵たちは公女への信頼をすっかり失っていたのだという。


 投降したユイレ軍が住民たちの元へ事情説明に向かい、皆の興奮が静まってからヴィルヘルムが広場に進み出る。


 ユイレ兵たちによる説得とヴィルヘルムが冷静に語った内容に、民たちは驚き、涙し、公女ジャンヌたちを自分たちが追いつめたことを知った。


 こうして連合軍によるユイレ解放戦は収束を迎え、慌ただしく戦後処理が行われることになった。

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