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ジャンヌの決意

 隊の前方で誰かが号令を掛けたらしく、馬車がゆっくりと停車する。

 アリアとシェイリーは互いの顔を見合わせた後、幌をめくって馬車の外に上半身を乗り出した。


「何かありましたか」

「ああ、シェイリーか」


 ちょうど馬車の横を騎乗していた兵士が振り返り、公都の方を手で示した。


「今、偵察に出ていたジャンヌ公女たちから連絡があったそうだが――デューミオン軍がシャルヴェから撤退しているそうだ」

「えっ!?」

「なんで!?」


 アリアとシェイリーは同時に声を上げ、慌てて馬車から飛び降りる。

 連合軍本隊は号令を受けて全員停止しており、馬車に乗っていた他の者もアリアたちと同様に馬車から降り、眼下に広がるシャルヴェの街並みを眺めていた。


 アリアもシェイリーと並んで丘に立ち、あっと声を上げた。たいまつの群れらしき一群が公都から西へと相当な速度で去っていっているのだ。


「あれが……デューミオン軍?」

「ジャンヌ公女がデューミオンの国旗を確認したそうです」


 アリアの呟きに、兵士が答えた。

 同時に兵士たちのざわめきの中、シャルロットとフィーネを伴ったヴィルヘルムがやって来る。


「デューミオン軍は、ユイレを見捨てて逃亡したのだな。おおよそ、ユイレ西の山脈を越えてサンクセリアに渡り、そこからデューミオンに戻るのだろう」

「東の海に出てランスレイに向かうのではなく、デューミオンに戻る……のですか」


 フィーネが呟くと、ヴィルヘルムは難しい顔で頷いた。


「……形勢不利だと悟ったのか、最初からユイレを切り捨てるつもりでいたのか。案外、両方かもしれないな」

「テオドール皇子は最初から、ブランシュ公女を切り捨てるつもりで言いくるめていたと?」

「十分考えられるだろう。ランスレイに援軍を送るのではなく、エルデやサンクセリアの防衛に努めることにしたのだろうな」

「ブランシュ公女は? 公女は共に逃亡したのですか?」

「いや……どうやら公女は置いて行かれたそうだ」


 ヴィルヘルムたちの会話をぼんやり聞きつつ、アリアは西へ西へと逃げてゆく帝国軍の姿を見やっていた。


『テオドール様はね、わたくしに自由をくださるのよ。こんなかびくさい場所から連れ出してくれて、あの方の妃にしてくださると、そうおっしゃったの』


 心から幸せそうな眼差しでそう語っていたブランシュ。

 テオドール皇子の妃になれると信じて、これっぽっちも疑っていなかった。


 ブランシュは自分が見つけた愛のために国民を嵌め、皆を裏切った。

 ――その自分が皇子に騙されているなんて、思ってもいなかった。


(ブランシュ様……)


 ぽんぽんと肩を叩かれた。ゆっくり隣を見ると、神妙な顔をしたシェイリーが。


「……辛い?」


 ぽつんと短く問われたが、アリアは彼女の問いに、何とも答えることができなかった。











 帝国軍が退いていったのを見た時は、まさか、と思った。

 だが、ジャンヌの視力は狩人並みに優れている。あの特徴的な形の旗は、デューミオンのものだ。また、ユイレ軍ならば慣れているだろう丘陵の進軍に手間取っている様子からも、公都から故郷へと逃げるデューミオン軍だという確信が持てた。


「ジャンヌ公女、本隊へ連絡を向けました」

「……ええ、ありがとう」


 ジャンヌに同行して偵察に出ていた女性兵士に応じた後、ジャンヌは夜風を浴びてなびく己の金髪を掻き上げる。


 従姉のブランシュがテオドール皇子に好意を向けているということは、アリアの報告で知った。テオドール皇子と面識があるわけではないが、武人ではあるがなかなかの美男子だという噂は聞いたことがあった。


 なるほど、とジャンヌは唸る。

 ブランシュは幼少期から、父親である大公によって聖女になるべく教育を施されてきた。娘が色気づいては困ると、神官であっても男性が近寄ることをよしとしていなかった。今回、そんな大公のもくろみが裏目に出てしまったのだろう。


 箱入りのブランシュは、恋に憧れていた。幼少期から男性と会うことすら滅多になかった彼女は、恋愛や結婚に強い憧れを抱いていたのだ。


 だからきっと、テオドール皇子に話を持ちかけられた時に、あっさりと落ちてしまったのだろう。彼女からすればテオドールは、自分を助けに来てくれた白馬の王子様。彼が自分を嵌めようとしているなんて、思ってもいなかったのだ。


 ジャンヌのように適度に男性と接してきていたのならば、これほどまで極端な行動に走らなかったのかもしれない。

 ブランシュは二十年近く、我慢を強いられてきた。その反動がこのような形になって返ってきてしまったのだろう。


「……私がもっと早く気づいていれば――」


 こうはならなかったのかもしれない。

 もっとちゃんと話をしていれば。


 だが、思案の途中でジャンヌは頭を振るう。一瞬だけ金糸が乱れるが、どれほどしっかり鏝をかけても翌日には元通り直毛になる彼女の髪は、すぐに元の滑らかさを取り戻してさらりと首筋を流れていった。


「もしかしたら」を考えてもきりがない。

 ブランシュは事実、過ちを犯した。

 恋に生きたいという想いが女性として当然の願望だったとしても、皇子の甘言に乗ってジャンヌやアリア、サンドラを嵌め、国民たちを足蹴にしたのは彼女の罪である


「……戦うことで、あなたの罪を終わらせられるなら」


 ジャンヌは腰に下げていた剣をゆっくりと鞘から抜く。

 雲間から覗くわずかな月光が銀の刃を照らし、磨かれた表面にジャンヌの顔が映っていた。


「それが、私にできることなら……」


 風が吹く。

 子どもの頃から慣れ親しんできていたユイレを吹き抜ける風が、ジャンヌの髪を優しく撫でていった。













 ヴィルヘルムの指揮によって、急遽作戦変更が為された。

 サンドラたち囮部隊はそのまま正面から突撃し、大公館と大聖堂の守りを手薄にする。


 当初の予定ではユイレ軍だけでなく帝国軍も相手にするはずだった。だが敵に戦力が減っただけでなく、夜逃げ状態でデューミオン軍が去っていったことにユイレ軍は動揺していた。


 朝、号令ののろしによってサンドラたちが公都シャルヴェの正門を突破した。丘の上から動向を偵察し、ユイレ軍がシャルヴェ南側に流れていったのを確認して本隊が北から突撃するのだ。兵の動きからして、ブランシュが現在いるのは大聖堂の方だ。


 公都の北側は他よりも傾斜がきつく、馬で駆け下りれば相当な速度で突撃できることをジャンヌは知っていた。昔から、遠乗りの帰りにはこうして馬を全力で駆って大公館に戻っていたからだ。


「全軍、公都の北門を突破せよ!」


 突撃隊隊長の号令を受け、ジャンヌたちは馬を北門へと走らせる。

 普段この門は内側から鍵を掛けているのだが、今朝早くにハインが侵入し、解錠しておいたのだ。扉まで開いてしまうとブランシュたちに感づかれるので、ハインには直前まで門の手前で待機させておき――


「ほいほい、開門ー!」


 よいしょ、とハインは外から内側へと扉を開いた。すぐさま彼は引っ込み、突撃部隊たちが馬を駆って突進する勢いで門を叩き開ける。


 門の前には門兵もいたが、ただでさえ市街地は混乱を極めており、かんぬきが外されていることにも気づいていなかったようだ。

 ぎょっとした彼らは迫り来る馬の大群を前に、敗走するしかなかった。


 なだれ込むように市街地に突入したジャンヌは、さっと辺りに視線を走らせる。


(……兵たちは大聖堂に駆け込んでいる。ということは、やはりブランシュは大聖堂にいる。しかも、国民たちにいい顔をするために演じているのならば――)


「ジャンヌ公女。ブランシュ公女はどこへ?」


 突撃隊の隊長に問われたジャンヌは、左手前方に聳える白亜の大聖堂を手で示す。


「あそこが大聖堂。今はおそらくおつとめの時間だから、礼拝室にいるはず。突入するなら、西側の窓ガラスを破壊するのが手っ取り早い」


 ジャンヌの指示を受け、石弓を持った兵たちが駆っていく。ユイレ軍たちはジャンヌの姿を認めたようで、あちこちから「ジャンヌ様だ!」「公女様が戻ってきたぞ!」とあわてふためいた様子で叫んでいた。


(ジャンヌ……様、か。デューミオンの逃亡を受けて、ブランシュの信頼も揺らいでいる……?)


 ジャンヌはさっと後方に視線を走らせた。今や大きく開け放たれた北門から、騎兵に続いてアリアたちを乗せた馬車も入ってきていた。


「……アリア、あなたには見せられないわね」


 ジャンヌの呟きに被せるように、バリンバリンとガラスが砕ける音が響く。

 ジャンヌの指示を受けた石弓隊が、繊細なだけで強度はからっきしのガラスを砕き、大聖堂への侵入経路を確保していた。


 ……行くしかない。


 ジャンヌは唇を引き結び、馬を走らせた。

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