公都への進軍
夜になると、宿の周辺で騒いでいた国民たちの勢いも衰える。昼間から騒いでいた上、彼らの生活していた港町は半壊している。いつまでも連合軍に喧嘩を売っている場合ではないのだ。
アリアたち連合軍は、負傷して聖魔道士の治療を受けていた兵士たちの体力が回復したのを確認すると、すぐさま出発した。途中、数名の国民がたいまつを持って追いかけてきたが馬を駆らせて撒いた。
普通、夜の進軍は危険きわまりないので避けられる。月の光とランタンくらいしか光源がない上、盗賊も出没しやすくなるからだ。
だが今回、ヴィルヘルムは深夜の進軍を決行した。その背景には、ジャンヌたちがユイレの特徴を指摘したというものがある。
「港町からユイレ公都シャルヴェまでの道のりの大半は、緩やかな丘陵地帯です。地の利を考慮するならば早めに丘を上がり、丘を下って突撃できるようにするのがよろしいでしょう」
出発前の会議で、地図上の路程を指でなぞりながらジャンヌはそう言った。
「南側の方がここからの距離としては近いのですが、公都に入るために丘を登ることになります」
「確かに、丘を登っている最中に弓兵の攻撃を受けかねないな」
ヴィルヘルムが同意の声を上げたので、ジャンヌは頷いてシャルヴェの街を東側からぐるりと迂回するルートを示した。
「ですので、夜のうちに公都北側まで回り丘を登るのです。ユイレも夜戦への対策は練っておりますが、あくまでも市街地防衛戦となった場合のみです」
「ユイレの戦闘スタイルを考えれば、軍が夜中に公都を離れて丘陵地帯で戦闘を仕掛けるというのは考えにくいというのですね」
シャルロットに続き、ヴィルヘルムの側近騎士の一人も発言する。
「ジャンヌ公女のおっしゃるとおりでしょう。ただ、デューミオン軍は国の立地上、昔から山岳地帯での戦闘に特化しております。ユイレ軍を抑えることはできても、デューミオン軍との夜戦を避けるのは難しいかと」
「はい。ですので丘陵地帯での夜戦に突入しても少しでも我が軍が有利に動けるために、丘は早めに上るのです」
公女でありながら愛馬で丘陵地帯を駆けて成長してきたジャンヌは、それぞれの丘陵の高低も把握していた。
彼女のほっそりした指は迷いなく道筋を辿っていく。
「真夜中までに丘を登り、後はシャルヴェ一帯よりも海抜の高いルートを確保しながら北側まで回るのです。ちょうど、大公館や大聖堂もシャルヴェの北側に位置します。市街地戦を回避する手だてにもなるかと」
そうしてジャンヌの意見を踏まえ、ヴィルヘルムは作戦を立てた。
まずは囮となる先行部隊が夜のうちに公都南側まで進み、帝国・ユイレ軍の注意を引き付ける。その間にヴィルヘルム率いる本隊が東側から公都北側まで回り、大公館ならびに大聖堂を襲撃する。
連合軍の目的は、ブランシュとデューミオン皇子テオドールの討伐だ。この二人を抑え、ユイレ軍に降伏を求める。
先行部隊を率いるのは、サンドラ。彼女はヴィルヘルムの作戦を聞き、真っ先に切り込み隊長に志願したのだという。
囮となる先行部隊の先陣を切るというのはつまり、シャルヴェに駐屯するを誘き寄せる際には連合軍の先頭に立ち、撤退する際にはしんがりを務めるのだ。常に敵の間近に立つことになるこの任務の重さを、サンドラはしっかりと把握していた。把握しているからこそ、自ら切り込み隊長に名乗り出たのだ。
ヴィルヘルムはその意志を尊重し、なおかつ地理にも詳しいということでサンドラを先行部隊隊長に据えた。アリアとジャンヌの所属は本隊である。
深夜、アリアたちは作戦通り丘陵を上り、公都の東側を進軍していた。
ジャンヌの指摘したようにここらはシャルヴェよりも海抜が高いので、馬車の窓から都の灯りを見下ろすことができた。
(……あそこに、ブランシュ様がいる)
幌をめくって丘陵の麓に広がる公都を遠目に見ていたアリアは、つきんと痛む胸に手をやった。
(ううん、もう躊躇ってはだめ。ブランシュ様が私たちを駒としか思っていないことは、もうはっきりしているのだから)
プレール港解放戦が終わるまでは、「ひょっとしたら……」というわずかな思いがまだ残っていた。あんなに酷い扱いを受けたのに、と叱られてもおかしくはないと分かっていた。
それでも、大聖堂のシスター時代にブランシュから優しくしてもらった思い出はしつこくアリアの中に残っていた。そして、大聖堂でブランシュが打ち明けた本音がアリアの胸を痛めていたのだ。
だが、解放戦後。
国民たちから罵倒を受けてから、アリアも目が覚めたのだ。
もう、アリアの慕っていたブランシュはいない――いや、いなくなったのではなく、最初からそんな人はいなかったのだと、はっきりと分かった。
「……ねえ、大丈夫なの、あんた」
背後から遠慮がちな声が掛かり、アリアは幌を戻して振り返った。
薄暗い馬車の中では、毛布を敷いた上で幼い聖魔道士たちが眠っている。そんな彼らのために不寝番をしていたシェイリーが、馬車の隅の暗がりからアリアを見つめていた。
「さっきから、そわそわしている」
「大丈夫ですよ、シェイリー。シェイリーも少し眠ったらどうですか?」
「子ども扱いしないで。私はもう大人なんだから、眠くない」
シェイリーは子ども扱いされたのが相当嫌だったらしく、唇の端を曲げてつんとそっぽを向く。だが、顔を背けがてらあくびをかみ殺したことに、アリアはちゃんと気づいていた。
(……でも、だからといって眠らせたらシェイリーの誇りを傷つけるわね)
フィーネに率いられる連合軍の聖魔道士たちは、シェイリーが最年長だ。彼女は世話係としてずっと気を張っているのだ。むしろ、こうして不寝番をすることが自分の役目だと思っているのだろう。
分かった、とアリアは頷き、揺れる馬車の中でうまくバランスを取りながら膝立ちでシェイリーの隣に向かう。
「それじゃあ、少し話でもしませんか。ほら、馬車の揺れる音が結構うるさいし、この子たちも起きませんよ」
「……じゃあ、質問していい?」
てっきりすげなく断られると思っていたのに、シェリーは存外素直に乗ってきた。
彼女は深緑色の目を瞬かせ、ほんの少しだけアリアの方に近づいてくる。
「あんたはどうして、こんなに必死になって戦っているの?」
「どうしてって……どうして?」
シェイリーの質問が意外だったのでつい間抜けに問い返してしまったが、シェイリーは真面目な顔で続ける。
「あんた、聖魔道士でしょ。しかも今まで大事にされてきたって感じがする。違う?」
「大事に……ですか。確かに、子どもの頃からつい最近まで、ずっと大聖堂で暮らしてきましたからね」
「でしょう。だったらさ、こんな血腥い場所なんて嫌じゃないの? なんというか、私は慣れちゃったんだけどね、ろくな育ち方をしてきてないし」
シェイリーは、衝撃的なことをあっさりと教えてくれた。
「ろくな育ち方をしていない」――それが意味するのは、何なのだろうか。
アリアの反応は気にせず、シェイリーは続ける。
「でもさっきの港解放戦でも、あんたは真っ青な顔になりながらも負傷者の治療をした。私ね、あんたが逃げると思ってたんだ。私じゃどうしようもないくらい深手を負った人がいて、あんたに助けを求めた。でも、たぶん怖じ気ついて逃げるだろうって」
「そう、だったのですか……」
「でも、あんたは逃げなかった。……ねえ、どうしてそんなに必死になれるの? そんなにこの国のことが好きなの?」
シェイリーは真面目な眼差しで聞いてくる。アリアをからかおうと思っているのではなく、本当に不思議なのだろう。
彼女の深緑色の目は、暗がりの中にいるせいでほぼ漆黒に見えた。
アリアは自分とそっくりなその色を見、思案に浸る。
(私が必死になる理由)
シェイリーの言うとおり、ユイレが好きというのもあるだろう。
母の故郷で、子どもの頃から暮らしている国。
女神様の御許で心清らかに過ごし、海の奏でる音色に包まれる温かな故郷。
そんな愛する故郷が今、他国からの侵略を受け、国民たちの心の拠り所であるはずの公女は民を騙し、裏切っている。
祖国を魔の手から救いたいという気持ちは確かに強い。
(でも、それ以上に――)
「……約束したの」
会いたい人。
再会を約束した人。
結婚を誓った人。
「再会を、約束した人がいるの。海の向こう……ランスレイに」
「ランスレイ? それってアリアの恋人とか?」
シェイリーはアリアたちの詳細な背景までは聞いていないらしく、きょとんとして問うてきた。
「恋人――というか、婚約者ね」
「……へえ、そうなんだ。いいじゃない、幸せで――あっ」
最初はどこか拗ねたように言っていたシェイリーだが、現在のランスレイの状況を思い出したのだろう。
彼女がおそるおそるといった様子でこちらを窺ってくるので、アリアはついつい噴き出してしまった。
「あ、ひ、ひどい! せっかく心配してあげたのに!」
「ふふ、ごめんなさいね。あなたがあまりにも慌てるものだから」
「な、なによ! 婚約者が心配じゃないの!?」
つい声を上げてしまったからか、近くで眠ってた少年聖魔道士がううん、と唸って寝返りを打つ。
アリアとシェイリーははっとして自分たちの口をふさいだが、すぐに少年は再び夢の世界に戻っていった。
「……ええ、心配です。でも、きっと会えると信じているのです」
先ほどより声量を抑えてアリアが言うと、シェイリーは眉間に皺を刻んで首を捻る。
「……その人のこと、そんなに好きなんだ?」
「……そうですね。好きになりました」
ランスレイで彼と共に過ごしたのは、冬から春にかけてのほんのわずかな間。
だがその間に、彼の色々な面を見ることができた。
政略結婚ということで相手のことをほぼ何も知らないままランスレイに向かったアリアを迎え入れ、心を通わせ、未来を誓い合ってくれた。
(ファルト様、あなたに会うために)
アリアはそのまま目を閉じ、女神に祈りを捧げる。
(どうか、ファルト様が――ランスレイの皆が、無事でいますように)
シェイリーは、そんなアリアを見つめていた。
最初は疑わしそうな色を浮かべていた目つきは次第に穏やかになり、そしていつしか、痛みを堪えるかのように口元を歪め――
「……どういうことだ!?」
馬車の外から響いてきた男性の声に、二人ははっとして顔を上げた。




