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大公国のおてんば公女

「見えてきました。あちらがランスレイ王城です」


 窓のカーテンを開いたサンドラに示され、アリアは座席から身を乗り出した。

 ランスレイ王城は、灰色っぽい石造りの城だった。馬上槍のような形状の尖塔がいくつも立ち並び、灰色の空を貫かんばかりに聳えている。見た目よりも機能性を重視しているようで、優美な造りのユイレ大公館や荘厳な大聖堂とは全く違う、堅牢な印象である。


 馬車が停まり、アリアはサンドラの手を借りて下車する。外では馬の手綱を手にしたルシアンが待っており、玄関ホールを手で示した。


「馬車の旅お疲れ様でした。早速城内をご案内いたしますが、よろしいですか」

「はい」


 馬車は結構車体が揺れる。普段華奢で座り心地のいい椅子にしか座ったことのない貴族の令嬢ならば尻が悲鳴を上げているだろうが、アリアにとってはなんてことない。大聖堂の椅子はごつごつした木製だったし、外出時に乗る馬車の座席はそれ以上に固かったのだ。尻の皮の固さだけは令嬢より勝っているという自信がある。


 ルシアン先導、背後にサンドラを控えて、アリアはランスレイ王城に足を踏み入れた。

 厳つい印象を与えるのは外観だけでなかったようで、廊下には等間隔に甲冑が据えられていた。なかなか古めかしい意匠の鎧だと思って眺めていると、甲冑がぎぎっと動いて会釈をしてきたものだから、悲鳴を上げそうになった。ユイレ聖堂騎士の鎧はもっと簡素な造りなので、まさか人間入りだとは思わなかった。サンドラ曰く、ランスレイやエルデはやや古風の鎧を纏うものなのだという。


 まずは、ランスレイ国王夫妻に挨拶に伺う。

 四十代半ばとおぼしき国王と王妃は柔和な笑みでアリアを迎え、侯爵の妻となることを歓迎してくれた。


「あなたが来てくださると聞いて、ジャンヌも喜んでおりましたよ」


 扇子で口元を上品に隠しつつ、王妃がにこやかに言う。まだ王妃とジャンヌは義理親子の関係ではないが、既に王妃はジャンヌを娘として慈しんでいるようでアリアも嬉しくなった。

 ジャンヌは誕生直後に両親を亡くしており、叔父大公からはあまりよい待遇を受けていなかった。国王夫妻なら、ジャンヌのよい義両親になってくれるだろう。


「それに、マクスウェル侯爵も。あなたとの婚約が決まってから、ずっとそわそわしておりましたわ」

「左様でございますか……」

「うむ。この後で会うことになるだろうが……マクスウェル侯爵はよい青年だ。私たちも保証するし、何かあったときには遠慮なく申し出るとよい」


 国王からも有り難い言葉をいただき、アリアは深くその場にひれ伏した。


「はっ……両陛下に心より感謝いたします」

「うむ。それではそなたが本城で生活することに関してだが――」


 そうして、国王夫妻との対談は始終穏やかに進んだため、緊張で凝り固まってしまっていたアリアはだいぶ気持ちをほぐすことができたのだった。







 国王夫妻への挨拶を終えたら、婚約者ファルトに会いに行く――前に。


「アリア! ああ、サンドラもいるわ! 会いたかったのよ!」


 客室にアリアが入るなり歓声を上げたのは、うら若い娘。

 絹糸のごとき艶やかな金髪を背に垂らし、マリンブルーの目を縁取るまつげが瞬く。四肢はしなやかに伸びており、その軽やかな動きから彼女がただの深窓の令嬢でないことが容易に察せられる。


 周囲の侍女が止めるのにも耳を貸さず、美女は大股で歩み寄ってきたかと思うとぴょんっとその場で跳躍した。拍子にスカートがめくれて足首が露わになったため侍女が悲鳴を上げる中、当の本人はお構いなしの様子でアリアに飛び付いてきた。


「ジャンヌさ……んぐっ」

「会いたかったー!」


 自分より身長の高い相手に突撃されて思わずたたらを踏んだアリアだが、背後に控えていたサンドラが素早く背中を支えてくれたので転倒せずに済んだ。

 驚いたのは一瞬だけ。アリアはすぐに笑顔になる。


「はい……ジャンヌ様もお元気そうで何よりです」

「元気よ元気! なんと言っても、元気なのが私の取り柄なんだから!」


 そう言って、美女――ユイレ大公国公女ジャンヌは微笑んだ。

 今年の夏、ランスレイ王国王子エルバートの婚約者として島に渡ったジャンヌは、現大公の姉の娘である。従姉ブランシュと並べ敬愛されており、黙っていれば可憐で愛らしい姫君である。そう、黙って座っていれば。


 ひとたび庭園に放てば力尽きるまで野原を駆け回り、木に登り、川に飛び込み、蟻の巣を探すわ蛇を捕まえるわ泥団子を作るわ――非常に自由気ままに行動する。ジャンヌ付きになった侍女たちは奔放な公女に振り回されまくり、最後には「怪我さえしなければいい」「汚れても大丈夫なドレスを準備すればいい」と悟りの境地に達するようになったという。


 叔父である大公も匙を投げてからは、何を思ったのかジャンヌはサンドラたち女性騎士に交じって剣の稽古をし、騎士としても十分なくらいの力を身につけてしまった。それでいて、大公国の公女として女神信仰の思いは篤く、アリアと一緒に聖堂で祈りを捧げるという敬虔な信者の顔も持っている。


 そんなおてんば公女の結婚相手に選ばれた、ランスレイ王国の王太子であるエルバート王子。ランスレイでの生活はうまくいっているのかと皆はひそかに不安に思っていたが。


「エルバート殿下も、自由にしてくださるのよ。サンドラが帰った頃から、私用の訓練部屋も作ってくださったの」

「……エルバート殿下の苦労が目に浮かぶようです」


 サンドラが遠い眼差しで呟くと、周りの侍女たちも苦笑を零した。とはいえ、彼女らもジャンヌの自由っぷりに手は焼いているようだが、嫌ってはいないみたいだ。きっとエルバート王子も、ジャンヌの底抜けの明るさに惹かれているのではないだろうか。


「アリアはもう、マクスウェル侯爵には会ったの?」


 ジャンヌに勧められてお茶の席に着くと、早速質問された。

 侍女から紅茶のカップを受け取ったアリアは緩く首を横に振る。


「まだです。先にエルバート殿下とジャンヌ様にご挨拶に伺うようにと、陛下から言われまして」

「そうなの? ……ああ、そういえば殿下はお昼頃から、騎士たちと一緒に訓練なさるとおっしゃっていたわ。侯爵も一緒にいるんじゃないかしら」

「では、殿下にも同時にお会いできるでしょうか」

「そうね。着替えを済ませたら戻ってこられるはずだから。……それより」


 そこでジャンヌは表情を改め、眉根を寄せた真剣な眼差しでアリアを見つめてくる。公女の態度を目にし、アリアも自然と姿勢を正した。


「……ブランシュからの手紙を読んだわ。叔父様、あなたやブランシュの意見に耳を貸さずに強引に婚約を決定したって書いていたけれど……本当?」

「……はい」

「……はぁ、本当だったのね。私の時もそうだったわ。遠乗りから帰るなり執務室に呼び出されて、『ランスレイの王太子との婚約を取り付けた』って決定事項を伝えてくるんだもの。エルバート殿下がどんな人なのか、肖像画すら見せてもらえなくて……アリアも同じだった?」

「はい。お名前を伺っただけで、姿は全く」

「……嫌になるわ。私だけならまだ分かったわ。叔父様はずっと、私のことを嫌っていた。お母様が聖女候補だったから、ブランシュを押しのけて私が聖女に選ばれるのではと、ずっとイライラしていたようだからね」


 そんなはずないのにねー、と嘆息するジャンヌに対してアリアは何も言えず、茶菓子をつまんだ。


 突拍子もないことばかりしでかしてくれるジャンヌだが、頭の回転は速いし物わかりもいい。何よりも、自発的にあちこち行動するので国民とふれあう機会も多く、ブランシュとは違う方面で人気者だ。

 そんな彼女は、叔父が自分をどのように思っているのか、なぜ自分が前触れもなしにランスレイに飛ばされたのか、よく分かっている。


「それでも――いずれ駒にするためだとは分かっていても、この年まで育て、生かしてくれたことに感謝はしている。だからいっそ、ユイレでの全部を捨てる覚悟で政略結婚を受け入れたのよ。私さえあの国からいなくなればいいんだろうって」

「滅多なことをおっしゃらないでください、ジャンヌ様」


 そっとサンドラが注意を促すが、ジャンヌは緩く微笑むのみだ。


「いいのよ、それが事実なんだもの。……だからこそ、アリアも同じように政略結婚させられると聞いて、本当に……いろんな場所をちょん切ってやろうとさえ思ったわ」

「ジャンヌ様!」


 周りで侍女たちがうめいている。何をちょん切るのかアリアもなんとなく分かったが、あえて突っ込まないことにした。


「聖女、聖女、聖女……口を開けばそればかり。叔父様は、今大陸がどのような状況にあるのか、分かっている顔をなさっているけれど本当はなーんにも分かっていない。こんなご時世に聖女の位にこだわってどうするの? ブランシュが唯一の跡取りなのに、聖女になったら結婚もできなくなるというのに」

「……その、大公様はそういったことの対処策をお考えなのでは――」

「いや無理でしょ。私たちが生まれる前から私のお母様に劣等感丸出しだったらしいし、大公家を続けることよりも自分の娘を聖女にすることの方を優先させるなんて。ブランシュを聖女にしたいなら、私を国に残した方が便利なのにそれもしない。……はぁ。……ブランシュに全部を押しつけることになるのが、心苦しいわ」

「そう……ですね。ブランシュ様も、私に何度も声を掛けてくださりましたし、お力になれたらと思っていたのです」


 あのまま大聖堂に残っていれば、ブランシュの力になれたかもしれない。

 アリアは聖女の座には全く興味がない。一人のシスターとして、聖魔道士として、皆の役に立てればそれでよかったのに。


「そうね。……でも、私はこんなご時世に嫁ぐことになったからこそ、できることをしようと思うの。アリアもきっと、この国でできることがあるはずよ」


 そう言い、ジャンヌは微笑んだ。


「……きっと女神様も見守ってくださるわ。これから一緒に頑張りましょう、アリア、サンドラ」

「は、はい!」

「かしこまりました、ジャンヌ様」


 ユイレからやってきた娘三人は、決意を新たにした。

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