流浪の王子ヴィルヘルム
アリアはヴィルヘルムに椅子を譲ろうと思ったのだが、ちゃんと部下が彼用の椅子を持参してきていた。とはいえ、軍の指揮官用とは思えない質素な木の椅子だ。
「ではまず、この状況から説明しようかな」
ヴィルヘルムは組んだ膝の上で頬杖をつき、アリアとジャンヌを交互に見て切り出した。
「ハインからある程度のことは聞いたかもしれないが、ここはユイレとサンクセリア国境付近の宿場町。我々連合軍本体は現在、ユイレ解放に向けて軍を東へと進めている最中である」
「連合軍……でございますか」
「ああ。……といっても、去年の冬に稼働したばかり。サンクセリア国民を始めとして、我々の理念に賛同した者たちを集めて作っただけの、弱小団体だ。人員は今のところ、五百程度」
ヴィルヘルムの言葉に、アリアとジャンヌは顔を見合わせる。
冬に発足して初春の現在、五百人の連合軍。ヴィルヘルム自身も言うように、軍としては小規模だ。
「連合軍の最終目的は、デューミオン皇帝の討伐ならびに帝国の支配に置かれた諸国の解放だ。そのため、各国を回りながら賛同者を募り、連合軍の増強に努めている最中である」
「なるほど……それでヴィルヘルム様はユイレに?」
「そうだな。ユイレは他の国と比べて狙い目だと判断した。ランスレイも落ちた今、一番早いのは――」
「なっ……!? ランスレイが!?」
思わずアリアは声を上げてしまい、ジャンヌに「アリア!」と叱られてはっと口をつぐむ。
ランスレイが、落ちた。
(そ、それじゃあファルト様は……!?)
衝撃の事実を知ってわなわなと震えるアリアを見、ヴィルヘルムは首を横に振る。
「感情を抑えずともよい。……ジャンヌ公女には既に伝えていたが、シスターにはまだだったな」
「……はい、失礼いたしました」
「構わない。……ランスレイの状況だが、一昨日の朝、ランスレイ国王が帝国軍に投降し、王家は全員捕らえられたという。サンクセリアやエルデと違い、ランスレイ王族は早めに投降して開城し、兵の武装解除も命じたため命までは取られずに済んだそうだ」
「……そう、なのですか」
ということは、少なくともエルバート王子たちは生きているのだ。
安堵の息をつくのはまだ早いと分かっていても、アリアは硬く張りつめた息を吐き出した。
「ああ。だが――分かっての通り、帝国軍は既にユイレを掌握しており、港も軍の支配下に置かれている。今回デューミオンがランスレイ侵略時に利用したのも全てユイレの帆船。報告によると、水夫や航海士もユイレ人を動員しているとのことだ。七隻のうち二隻はランスレイによって沈没させられたそうだから、犠牲になったユイレ人も多い」
淡々としたヴィルヘルムの言葉に、アリアはぎゅっと唇を噛みしめた。
ランスレイの応戦によって、ユイレ人が死んだ。
だが、ランスレイだって致し方なく帆船を攻撃したのみだ。
(それに、大公様が亡くなってユイレの船が使われたことで、既にユイレとランスレイの同盟は破綻してしまっている――)
ユイレは支配され、ランスレイは崩壊した。
同盟も何もあったものではない。
「現在ユイレに留まっているのは、公女ブランシュと帝国皇子テオドール。……そうそう、そなたたちにとっては悲報であるが、現在そなたたちは反逆者として指名手配されている」
「っ……!? 何……?」
「指名手配!?」
これはジャンヌも初耳だったようで飛び起きようとしたので、アリアは慌てて彼女を横たえさせた。
「……どういうことですか!」
「ハインが持って帰った情報によると、ブランシュ公女は従妹のジャンヌ公女が大公位権を、シスターアリアが聖女の就任権を主張し、ブランシュ公女を殺害しようとしたと公言しているという。大公グレゴリー・ユイレの死もジャンヌ公女が命じたためであり、さらに自身はテオドール皇子に命を握られており、孤立無援状態――とな」
「そ、そんなことを――」
無茶苦茶だ、とアリアとジャンヌが目で訴えていると、ヴィルヘルムは静かに頷いた。
「分かっている。そなたたちは大公の死の知らせを受け、今後の相談をしたいからとブランシュ公女に呼び戻されたのだろう。冷静に考えれば、そなたらが大公を殺害しても何の特もない。……二人とも、ランスレイでよい出逢いをしたのだろう? わざわざ幸福を覆すような真似はしないはず、そうだろう?」
「……仰せの通りです」
ヴィルヘルムは返事をしたジャンヌに頷きかけ、アリアへと視線を動かした。
緑色の双眸に射すくめられ、びくっとアリアの体が震える。
「……さて、シスターアリア。そなたの体力と精神が許すのであれば、ハインがそなたを救出した日の夜、何が起きたのかを申せ。ハインからある程度は聞いているが、最初からあの場にいたそなたしか知らぬこともあるだろう」
ハインに救出された日の夜――つまり、礼拝室に呼ばれたときのことだ。
(……ブランシュ様)
信じていた。
頼っていた。
尊敬していた。
十数年間の思いが一瞬で砕け散ったあの夜。
可憐なブランシュの唇から紡がれる罵声の数々。
踏みつぶされたネックレス。
(……言いたくない。思い出したくない)
しかし、それでは何のためにもならない。
ジャンヌのためにも、ヴィルヘルムのためにも、ユイレのためにも。
そして、ランスレイにいる婚約者のためにも。
(越えないと、いけない――)
「アリア……」
ベッドに横になるジャンヌが、気遣わしげに名を呼んでくる。
(……大丈夫)
アリアはジャンヌの手にそっと触れ、ヴィルヘルムの目を真っ直ぐ見返した。
「……かしこまりました。ただ、思い出したことを切れ切れにお伝えすることしかできないと思いますが……ご了承ください」
「それでいい。情報を整理するのはこちらでもできることだ」
ヴィルヘルムがそう言うと、側近がメモ用紙のようなものを取り出した。彼が子細を書き記してくれるのだろう。
アリアは目を閉じて数回呼吸した後、顔を上げた。
「……はい。では、お話しします」
自分でも宣言したように、アリアの説明は理路整然としているわけでも時系列が整っているわけでもない。
だがヴィルヘルムは聞き上手で、ぽつぽつとアリアが語る内容を頷きながら聞き、時には逆に質問をしてアリアの考えを整理させてくれた。
「……なるほど。つまり、ブランシュ公女は父親の考えに反抗しており、一生独身を貫かなければならない聖女の座を嫌っていたのだな」
ヴィルヘルムは筆記係の側近からメモを受け取り、それをしばらく時間をかけて読んだ後、「……よし」とアリアたちに向き直る。
「事の次第は分かった。……では早速、今後のことを検討しよう」
「検討、でございますか」
「ああ。命令ではない。だが、どちらにとってもよい話だと思うがな」
ヴィルヘルムは年に似合わない老獪な笑みを浮かべ、続けた。
「我々はこれから、ユイレ解放に向けて兵を進める。そこに、そなたたちも同行するのだ。現在、帝国軍の大半はランスレイ島に駐屯している。この隙を衝き、春のうちに決着を付ける。倒すべきは、公女ブランシュ。あれは生きていても何の役にも立たん。己の欲望のために故国を差し出す者にくれる温情はない。……よいな」
アリアもジャンヌも一瞬呼吸を止めたが、すぐに頭を垂れる。
「……仰せの通りに」
「そして、ユイレが解放した暁にはジャンヌ公女、そなたに臨時の大公として立ってもらう。そしてシスターアリア、そなたには大聖堂の管理を命ずる」
ヴィルヘルムの言葉に、アリアは目を見開く。
(それって、ブランシュ様が吹聴したとおりになるってこと……?)
アリアの視線を受け、ヴィルヘルムは頷いた。
「……ただブランシュ公女を討つだけではならない。そなたらが指導者としての権利を勝ち取り、国民の支持と理解を受けた上で代理君主となるのだ。ユイレ解放後、公女たちはユイレに残って戦後処理を行い、我々連合軍はランスレイへと兵を進める。大公代理となった公女には、連合軍への資金や資材、食糧の供給を頼む」
アリアたちが連合軍に同行するのはユイレ解放まで。解放後、アリアたちはユイレに留まってユイレの復興と連合軍のバックアップを行うのだ。
「ランスレイ解放戦は、人数的にも我々が圧倒的に不利だろう。だが、ユイレが解放されて公女ジャンヌとシスターアリアが代理君主として立ったと知らせれば、ランスレイ軍も味方に付けることができよう。ランスレイは島国であるから、ユイレの力を得た連合軍と、自国の地理に詳しいランスレイ軍が手を組めば帝国軍の掃討も不可ではない」
「……ユイレの港を封じてしまえば、帝国軍も増援を呼ぶことができなくなるからですね」
「そういうことだ。もうじき季節は夏を迎える。デューミオンからユイレやランスレイに援軍を送ろうとした場合、山脈を避けるならば南部のエルデを通るしかない。あそこの夏はかなり堪える。湿度も高いし食料も腐るしで、遠征には向かない時期だ。よって秋になるまでにランスレイとの決着を付け、秋にはエルデ解放戦へと駒を進める。帝国の支配下に置かれているエルデ軍は強力だが、秋までにこちらの人員を一万近くまで増やせば十分勝機がある。エルデを解放し、あそこの優秀な騎馬兵を味方に付けてサンクセリア解放、そして帝国へ進軍――というのがおおざっぱな流れだ」
ヴィルヘルムが滑らかに語る内容に、ジャンヌが難しい顔になった。
「……現在初春の時点で五百の人員を、秋までに一万まで増やすのですね」
「もちろんアテはある。サンクセリア南方の都市には既に話を付けているし、交戦して叩きのめした帝国兵を取り込むことだってできる」
「まあ……帝国兵を、ですか」
「なにせこちらは人手が少しでも欲しいのでな。使える人間は遠慮なく使わせてもらう。……ということだ」
ヴィルヘルムは体を起こし、ジャンヌへと視線を注いだ。
「よってユイレ解放後、連合軍への援助を要請する。もちろん人員も欲しいところだが、ユイレからは騎士団よりも使用人を借りたい。皇帝の首を取った際には、ジャンヌ公女をユイレ代表として和平会議に招く。ユイレが我々に協力してくれたならば、戦後も相応の対応を取ろうと考えている」
ジャンヌたちが連合軍に同行することで、指揮官ヴィルヘルムの信頼を得る。
ユイレ解放後は連合軍のために援助を行い、戦争終了後には報償を得る。
ユイレと連合軍、どちらにとってもおいしい話だ。
ジャンヌはブランシュの手から故郷を取り返したいし、ヴィルヘルムは帝国軍撃破のための援助を求めたい。
アリアはジャンヌを振り返り見た。
ベッドに横たわるジャンヌは暫し険しい表情をしていたが、やがてぽつっと零す。
「……私、子どもの頃から公女なんて肩書きが嫌で嫌で仕方がなかった。叔父様からは邪険にされるし、じゃじゃ馬娘って馬鹿にされるし。だから、ランスレイに嫁ぐとなって本当に嬉しかった。やっとあの国から解放されるって思って」
「ジャンヌ様……」
「でも……だからといってユイレが嫌いなんじゃない。私はあの国が好き。女神様の教えに従い、慎ましく生きる国民たちが愛おしい。馬を駆って丘に登り、そこから見えるユイレの美しい大地を、愛している」
ジャンヌはそっと、手を伸ばした。
公女の無言の命令を察し、アリアはジャンヌの体に負担が掛からないよう、ゆっくりとその体を起こしてやる。
アリアの支えを借りて上半身を起こしたジャンヌはヴィルヘルムに向き直り、頭を垂れた。
「……お話、お受けします。私たちは連合軍の一員となり、ユイレ解放後は連合軍への協力を惜しまぬことを誓います」
「……そなたの誓い、受け取った。楽にするといい」
ヴィルヘルムは目尻を垂らし、優しく言った。アリアがジャンヌの体を横たえると、続いてヴィルヘルムはアリアへと視線を向ける。
「そなたも……よいな?」
「はい、よろしくお願いいたします」
「……分かった。ではシスターアリア、そなたにはもう一つ、話しておくべきことがあろう」
そしてヴィルヘルムは背後を振り返り、「あの者を、ここへ」と側近に命じた。一旦外に出た側近は、すぐに戻ってきた。
彼が連れてきたのは、縄でぐるぐる巻きになった人物。
それは――
「サンドラ!」
アリアとジャンヌの声が重なった。




