連合軍拠点にて
連合軍編開始です
『人殺し』
(違う、私は人殺しじゃない)
『かわいそうなアリア。お馬鹿なアリア』
(私は、私は――)
『どうしておまえだけ!? どうして!?』
(分からない。分かりません、ブランシュ様)
『役立たず』
(……私は――)
かちゃかちゃと、器と器がこすれる音がする。
鼻孔を擽るこの匂いは――ハーブだ。
『行きつけの店で、ハーブ料理が売りのところがあるのです』
そう言って微笑んだ、愛しい人。
(ファルト様――)
アリアはぎゅっと体を縮め、イモムシのように丸くなった。
止めようと思っても、こぼれる涙はどうしようもない。
(ファルト様、ファルト様――!)
「……あ、起きたのか? って……おいおい! なんで泣いてるの!?」
慌てたような声と、がちゃんと乱暴に器が置かれる音。
丸くなっていたアリアの肩が揺すぶられ、頭がぐらんぐらんと揺れた。
「なあ、どこか痛いのか? 頭? 腹? 胸……は、俺じゃどうにもならないな、ごめん」
「うっ……うぐぅっ……」
「あーもう、ほらほら泣くな泣くな!」
毛布にくるまってイヤイヤするアリアの頭を、優しい手のひらが撫でる。
ファルトとよく似ている固さだが、彼よりも小さめの手。
「辛かったんだな? 泣くな――いや、だめだな。泣きたいんなら、今のうちに泣いておけ」
「うっ……うえぇぇぇぇ……」
「泣いておけ」と許されると、我慢しようという気さえ失せてしまった。
毛布が涙と鼻水まみれになってしまうが、どうしようもない。
「ファルトさまぁ……うううぅぅぅぅ……」
「あー……悪ぃ。俺ファルト様じゃないけど、ほらほーら、いい子いい子」
やや困り気味の声と、優しい手のひら。
(ファルト様……)
アリアの意識が、すうっと遠のく。
夢の中でアリアは、微笑むファルトに頭を撫でられていた。
次に目を覚ましたときは、アリアもだいぶ意識がはっきりしていた。
ベッドからむっくり体を起こし――とたん、背中にビキッと痛みが走って目の前が真っ白に光ったため、うめいてベッドのシーツに突っ伏してしまう。
「……ここは?」
背中の痛みが引いてから、ゆっくりと慎重に体を起こす。
壁も天井も白い、殺風景な部屋だった。ベッドと反対側の壁には木製のドアがあり、その脇に小振りのクローゼットが据えられている。
何気なく横の方に手を伸ばすと、指先が何かに当たった。そちらを見ると、ベッド脇のサイドテーブルに小さめの両手鍋が置かれていた。
鍋とテーブルの間に挟まれたカードには、「目が覚めたら食べなよ」との雑な字が書かれている。蓋を開けると、薄緑色のパン粥がアリアに挨拶した。先ほどぼんやりとした意識の中でハーブの匂いがしたのは、これが原因だろう。
食欲はあまりない。だが、何か食べないとまずいと本能が訴えている。
(毒……なんて、心配するのも億劫だわ)
「……女神様、今日の糧をお与えくださり……ありがとうございます」
食前の祈りを捧げ、のろのろとスプーンを手に取る。パン粥にハーブを入れたものはアリアも初体験だが、思ったよりも薬草臭くなくて、おいしい。
『いくら祈っても、女神は何も答えない! わたくしの願いを叶えてくれない!』
ブランシュの絶叫が耳に蘇り、アリアの喉がぐぐっと鳴った。
(……女神様に祈るのは、意味のないことなの――?)
目尻がじわっと熱くなる。先ほどからどうも涙腺が緩くなってしまっているようだ。
急いでパン粥を掻き込んでいると、ドアが控えめにノックされた。
「ちっす。俺だけど――って、名乗ってないか。入ってもいいかな、シスター?」
「……あ、はい。どうぞ」
明るい少年の声。
(これって、礼拝室で聞いた――)
ドアが開き、布の塊を小脇に抱えた少年が入ってきた。
ぴんぴんと自由気ままに撥ねた髪は、柔らかな茶色。黒褐色の大きな目には愛嬌があり、身長が低いこともあって彼の年齢をぼやかしているようだが、十代半ばくらいだろう。
少年はアリアが粥を食べているのを見、にっこりと微笑む。
「あ、それ食べてくれたんだ。俺が作ったんだけど、味はどう?」
「……おいしい、です。ちょっとすうすうするけれど」
「よかった! 味見しなかったから、ちょっと不安だったんだよなー!」
味見はしてほしかったと思うのは、さすがに自分勝手だろうか。
アリアが黙って粥を食べる間、少年は持ってきた布の塊をサイドテーブルに置き、うーんと伸びをしていた。
「……ごちそうさまです。あなたと女神様に、感謝いたします」
「どうも。……そっか、お姉さんってシスターなんだよな」
「……はい」
少年はアリアから受け取った食器を床に置き、サイドテーブルに置いている布を手で示した。
「色々言いたいことはあるんだけど、まずは着替えてくれよ。これ、うちのお姉さんたちが準備してくれたの。着替えたらうちのリーダーから話があるからね。俺は廊下で待っているから、仕度ができたら呼んでよ」
「……分かりました」
こちらこそ色々聞きたいことがあるが、せっせと世話を焼いてくれる少年を無理に問いつめようとは思わない。そもそも、今のアリアにはそんな気力もなかった。
アリアが素直に着替えを受け取ったのを見、食器を持ち上げた少年は「あ、そうだ」と思い出したように言う。
「ひとまず、ここがどこかだけ言っておくね」
そして片手でドアを開け、少年は言った。
「ここは、連合軍の拠点の一つ。お姉さんにはこれから、ヴィルヘルム様に会ってもらうからね」
アリアはぼんやりとしていた。
よって、少年が口にした「連合軍」の意味も、「ヴィルヘルム様」がどこの誰なのかも分からないまま、ぼーっと着替えをする。ちょっと考えれば分かったかもしれないが、今はとにかく考えるのも億劫なのだ。
(ヴィルヘルム――サンクセリア風の名前ね。誰なのかしら)
ぼんやりしたまま服を脱ぐ。ついつい意識が飛んで、下着姿でベッドに逆戻りしそうになったので、のろのろと新しい服に袖を通す。
少年が持ってきてくれた服は、アリアにとって安心できることに修道服に近いローブだった。ただ、大聖堂でアリアが着ていたものと違い、こちらは白一色だ。デザインも微妙に異なるので、他の聖堂で利用されている修道服なのかもしれない。
「……着替え、できました」
「はいはい。……あー、よかった。丈もぴったりみたいだね」
入ってきた少年はベッドに座るアリアを上から下までチェックした後、「よし」と大きく頷く。
「夜のうちに、うちのお姉さんたちで顔や髪は拭かせてもらったからね。まだべたべたするなら水を用意するけど、大丈夫?」
「……はい」
「それじゃ、まずは公女さんたちに会いに行こうかな」
「……こうじょさん?」
「そ、ジャンヌ様だっけ? ユイレの公女だよ」
ジャンヌ様。
とたん、覚醒したアリアはくわっと目を見開いて飛び起きる。
「ジャ、ジャンヌ様もご無事なのね!?」
「うおっ、そ、そうだよ。今別室で待たせているけど――」
「行く! 行きますので、案内してください!」
「お、おう」
少年に連れられ――アリアの方が少年をせかしながら、部屋を出た。
ここはどうやら宿屋のような場所らしく、調度品など何も置かれていない廊下には、アリアが休んでいた部屋と同じようなドアがいくつも並んでいる。
少年はやがて、廊下の突き当たりにある部屋へとアリアを案内した。見た感じ、他の部屋のドアと違いはない。
「ハイン・クラッセルです。シスターのお姉さんをお連れしました」
「はい、どうぞ」
中から、若い女性の声が返ってきた。少なくともジャンヌではない。
ハインと名乗った少年がドアを開ける。室内も思った通りアリアがいた部屋と同じ造りで、窓際にベッドが一つ置かれていた。
ベッドサイドの椅子に、全身白のローブ姿の人物が座っていた。ぱっと見たところ、ローブのデザインはアリアが借りたものと同じである。
その人はアリアが入ってくると同時に立ち上がり、振り返った。
「ジャンヌ様の治療は終わりました。まだ少し体はだるいと思うので、お話しする間も無理に起こしたりなさらないでくださいね」
「分かった。ありがとう、フィーネ様」
「こちらこそ」
フィーネ様と呼ばれた女性は傍らに置いていた箱――薬箱だろうか――を持ち上げた。アリアの隣を通るとき、彼女はふと立ち止まってアリアを見つめてくる。
思ったよりも小柄だ。身長はアリアの鼻先くらいまでしかなく、フードの隙間から灰色の双眸が覗いている。
「……あなた」
「は、はい?」
「聖魔道士ですか? 気配を感じます」
女性に問われ、アリアは驚く。
「えっ……分かりますか?」
「はい。私も聖魔道士ですので、同じ力を持つ方は何となく」
そして女性はアリアに向き直り、薬箱を両手に持ち直して軽く会釈してきた。
「私、フィーネ・トラウトと申します。ジャンヌ様の一通りの治療はいたしましたが、何かあればあなたの方でも公女様の様子を見ていただけたらと思います」
「は、はい。どうもありがとうございました」
「いいえ。では、失礼します」
フィーネはそう言い、部屋を出て行った。
アリアは小柄な聖魔道士を見送った後、ハインに手を引かれて窓際のベッドへと歩み寄る。
柔らかな春の日差しの中、金髪の美少女が微睡んでいた。体が辛いのか目は半分しか開いていないが、アリアが近くによると瞼を開き、「アリア」と掠れた声を上げる。
「……よかった、無事だったのね」
「ジャンヌ様――」
「ん……ごめん、体がだるくって。このままで失礼するわ」
「とんでもないです! ジャンヌ様がご無事で、私は本当に……」
感極まったアリアは、シーツの上に重ねられたジャンヌの両手を握る。
(ジャンヌ様が、ご無事だった……)
それだけでも十分、ささくれ立っていた心が癒やされる。
ジャンヌはしばしアリアの手のひらを撫でていたが、やがて顔の向きを変え、ドアの前に立っていたハインを見やった。
「……アリアが目を覚ましたら、話を伺うことになっていると聞いたわ」
「はい。ヴィルヘルム様も用事を終えられたので、今からこちらにいらっしゃいます」
「そう……ごめんなさい。本当なら、私たちの方が出向くべきなのに」
「いえ、ヴィルヘルム様がそのようにしろと仰せになったのです。ジャンヌ様はもちろん、シスターだってまだ長時間は歩けないでしょうからね」
ジャンヌとハインの会話からして、彼らはアリアが到着するまでの間にある程度の話はできていたようだ。
そして、かなり遅れてアリアは気づいた。
(……ん? ヴィルヘルム様って――)
もしや、とアリアがさっと青ざめたその時、ドアがノックされた。
「ヴィルヘルム様がいらっしゃいました。お通しします」
「はい、どうぞ」
ハインが答え、ドアを開けた。
戸口に立っていたのは、十代半ばとおぼしき少年だった。さらさらの金髪に、吸い込まれそうなくらい澄んだ緑の目。着ているのは一般兵が纏うような臙脂色の軍服だが、全身から溢れる気品と自信、そして相手を威圧するオーラが彼がただ者ではないことを示している。
少年はアリアとジャンヌを見、どことなく意地悪ささえ伺われるような、企みのある笑みを浮かべる。
「お初にお目に掛かる。連合軍指揮官のヴィルヘルムだ。そなたたちに、交渉を持ちかけに来た」
サンクセリア王家の生き残り、ヴィルヘルム王子。
彼は驚くアリアをちらと見、薄く微笑んだ。




