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帰郷

 初春の風が柔らかく、野に草花が芽吹く頃。

 ランスレイ王国の港マレンには、ちょっとした人だかりができていた。


「叔父様の葬儀を見届け、ブランシュと今後のことを話した後に帰国します」


 旅用のコートを纏ったジャンヌはそう言い、エルバート王子に微笑みかけた。


「大丈夫です。私はもう、殿下と結婚してランスレイの人間となる覚悟ですもの。ブランシュとも、その辺はきっちり話を付けます」

「……もちろんです。あなたの帰りを待っていますよ、僕の天使」


 王太子とその婚約者の愛の劇場を、護衛たちは物言わぬ彫像となって見守っている。職務以上に、二人が人目も憚らずラブラブするのにもはや慣れているからだ。


 此度、ユイレ大公国公女ジャンヌは一時帰国することになった。従姉である公女ブランシュが、ジャンヌと共にユイレの今後を相談したいという書状を送ってきたためである。


 帰国には、大聖堂のシスターであるアリアと護衛のサンドラも同行する。ブランシュからも、アリアとサンドラの顔も見たいとお願いされていたのだ。恩のある公女の頼みを断るという選択肢は、アリアにはなかった。


 ジャンヌ一行の見送り代表はもちろん、エルバート王子である。だがもう一人、別れを心から惜しむ者がいた。


「……ごめんなさい、ファルト様。私の方からあなたの側を離れることになってしまい――」

「謝らないで、アリア。仕方のないことだ」


 ジャンヌとおそろいの旅着姿のアリアは、婚約者ファルトにしかと抱きしめられていた。彼はエルバートの護衛であるため本日鎧姿であり、抱きしめられるとかなり痛い。


(でも、この痛みもしばらくお預けになるんだから――)


 ファルトのプレートメイルに頬を押しつけ、アリアは頷く。


「はい……ブランシュ様とのお話が終われば、私も必ず帰国します」

「ああ。俺はあなたが戻ってくるのを、ここで待っている」

「お願いします。夏が来たら……結婚式ですものね」

「そうだ。……できたら向こうにいる間も、ずっと身につけていて」


 何を、とまで聞かずとも分かる。ファルトに与えられてからは、風呂以外の時にはずっと身につけているおそろいのネックレスだ。ファルトも、風呂や訓練などでどうしても外さなければならないとき以外は身につけてくれているという。


 二人だけの、誓いのネックレス。


「はい……あなたのことを想って、ずっと身につけます」

「ありがとう、アリア。……元気で、行ってらっしゃい」

「はい、行ってきます」


 抱擁が離れ、代わりに顎に手を添えられ上向かされる。

 杏色の目が、アリアを優しく見下ろしている。


(必ず、帰ります)


 誓いを胸に、アリアはファルトの口づけを受けた。














 ランスレイからユイレに向かう道中、ジャンヌはほぼ無言だった。船内にいることは少なく、夜中になるまでのほとんどの時間を甲板で過ごしている。


「……ジャンヌ様、やっぱり思うことがあるのね」


 アリアは船室に籠もり、窓からジャンヌの後ろ姿を見つめていた。ジャンヌの周りにはユイレから迎えに来た護衛もたくさんいるので、安全面では心配はないだろう。


 だが、冬の間共に過ごしたアリアでさえ、今のジャンヌにはうかつに話しかけられない。そんな雰囲気が漂っていた。


 アリアの隣で荷物の整理をしていたサンドラが顔を上げ、苦笑した。


「そのようですね。きっとブランシュ様をお話しなさって今後の方針が決まれば、ジャンヌ様も元気になられるでしょう」

「そうだといいね――」


 振り向いたアリアは、あることに気づいて口をつぐんだ。


「……サンドラ、体調悪いの?」

「え?」

「顔色が悪い気がするわ。船酔い?」


 ひょっとしたら、船内がほの暗いからかもしれない。アリアの気のせいかもしれない。

 サンドラは騎士にしては元々色が白い方だが、今は白を通り越して青白いようにも見えたのだ。


 指摘されたサンドラはぱちぱち瞬きし、すぐにいつもの柔らかい笑みを浮かべた。


「……船には強い方ですが、昨日夜遅くまで起きていたからかもしれませんね」

「それはいけないわ。護衛は他の人もいるんだし、サンドラは奥で休むべきよ」

「ありがとうございます。でも、ユイレまで半日ですし大丈夫です」

「……そう、なの?」

「はい。それにユイレに戻った際には、家族にも会う予定なのです」


 サンドラはオーランシュ子爵家の長女である。ランスレイで世間話をしたとき、幼い弟妹が五人ほどいると言っていた。彼女は弟妹たちの今後のことを思い、手柄を立てるために十代の頃に聖堂騎士に志望したのだという。


「そっか……家族がいらっしゃるのよね」

「はい」

「だったらなおさらよ! しばらくぶりに会った娘やお姉さんが疲れた顔をしているなんて、子爵家の皆様に合わせる顔がないわ」


 アリアが詰め寄ると、サンドラはぎょっとして手に持っていた鞄を取り落とした。


「私は大丈夫だから、休んできて」

「……すみません、お気を遣わせてしまいましたね。では、お言葉に甘えて奥で休んで参ります」

「ええ、ゆっくり休んでね」


 力なく微笑むサンドラを送り出し、アリアはふーっと息をついた。


(サンドラの体調が悪そうなのに、もっと早く気づいてあげればよかった……ランスレイでも、ずっと働きづめだったものね)


 できれば、ジャンヌがユイレに滞在している間くらいはサンドラに暇を与え、家族とゆっくり過ごす時間を与えてやりたいものである。












 山脈地帯を領土に抱えるユイレは、初春になってはいるが地域によってはまだ雪が残っているという。確かに、遠くに微かに見える山脈は、上の方がまだ白い。雪が積もっている証拠である。


「おかえりなさい、ジャンヌ!」

「ただいま、ブランシュ」


 ユイレ大公館の前で、二人の公女が抱き合っていた。どちらも金髪を持つ美しい公女という点では共通しているが、片方は筋骨がしっかりしており片方はほっそりと華奢であるという違いがあった。


 ジャンヌとの抱擁を解いたブランシュは続いて、馬車から降りたアリアを見て空色の目を限界まで見開いた。


「アリア! ああ、あなたも元気そうで何よりよ!」

「ただいま戻りました、ブランシュ様」


 父の死を悼むため、ブランシュは漆黒の喪服用ドレスを着ている。独りぼっちになって寂しかったのだろう、おっとりしたブランシュらしくもなくアリアにも飛びついてきて、ぎゅっと抱きついた。


「会いたかった……アリア、元気にしているのね? ランスレイでは嫌なことはされていない?」


(嫌なこと――)


 瞬時に、ズタズタに切り裂かれた人形が脳裏に蘇る。

 アリアと同じ色の髪、同じ色の目を持つ、血まみれの人形。


 だがアリアは柔らかく微笑み、小柄なブランシュの背中をそっと撫でた。


「はい、ランスレイの皆様には大変よくしてもらっています」

「本当? それならいいのだけれど」


 そう言って抱擁を解いたブランシュは、久しぶりに見ても可憐な美少女だ。


(こんな華奢な方が、ユイレを守っていかなければならないの――?)


 アリアは唇を噛みしめ、大公館へと歩き出した。

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