幸せな日々と、波乱を告げる手紙
厳しい冬が終わり、新しい年を迎える。
暦七〇八年、春。
「――というわけで、宝飾店の職人が頑張ってくれたみたいでね。ディスプレイされていたものでもよかったんだけど、どうしても一から作らせてくれと言われて」
ある日、アリアの部屋にやってきたファルトはそう言い、テーブルに小さな箱を載せた。
「早速身につけてもらえたらと思うんだけど……大丈夫かな?」
「はい、もちろんです!」
アリアは笑顔で小箱を開けた。
――冬の終わりに贈り物事件が起きてからというものの、アリアは大きめの箱を見ると貧血になったかのように立ちくらみしてしまうようになっていた。そのためアリアへの贈り物は小さめの箱か、花束など箱が必要のないものに限られている。あれから警備も強化し、そういった事件は起きなくなってはいるが、前回の犯人もまだ見つかっていない。
そんな時期ではあるが、ファルトが喜ばしい知らせを持ってきた。注文していたネックレスが届いたのだ。
台座に載る銀のネックレスを見、アリアはほうっと息をついた。
「素敵……! どうしてでしょうか。お店で見たものよりもずっと、きれいに思えるのです」
「きっと職人が真心を込めて作ってくれたからだろうね」
ファルトも微笑み、もう一つの小箱を開けた。そちらには同じデザインで、鎖の太さと長さが違うネックレスが収まっている。どちらにもアリアの希望通り百合を模した宝石細工が付いており、ファルトの希望通りチェーンの留め金部分にはメッセージが彫られていた。
「こっちがアリア用。……プレートの文字、読んでくれる?」
「……そういえば、何か注文していましたね」
あいにく、その時のアリアは放心状態だったのでファルトがどんな文字を注文したのか見ていないし、そのことも忘れていた。
アリア用の、鎖が細くて長さも短い方。
手に取ると、鎖がしゃらりと涼しげな音を立ててアリアの手に流れる。
プレートは小指の爪ほどの大きさの板で、表面には何度も見たことのあるマクスウェル侯爵家の家紋が彫られている。
その裏側に刻まれている文字は――
「……アリアへ、永久の愛を」
「……はは、自分で注文したくせに、なんだかちょっとだけ恥ずかしいかも」
「い、いえ! そんなことは! ……それより、ファルト様の方には何と彫っているのですか?」
テーブル越しに身を乗り出すと、ほんの少し頬を赤らめたファルトが自分用のネックレスを差し出してくれた。
書かれている文字は、「あなたを永久に愛する者、ファルト」であった。
「男性から女性にメッセージ入りのペアものを贈るときは、女性のものには愛の言葉を、自分のものには誓いの言葉を刻んでもらうんだ」
ファルトはそう言って立ち上がり、テーブルとソファを回ってアリアの背後に立つ。
ファルトの意図を察したアリアは、彼に自分のネックレスを差し出した。
ファルトの指先が首筋に触れ、下ろしたままの髪を掻き上げる。そのままではやりにくいだろうと、アリアは自分の髪を軽く手でまとめ、持ち上げた。
「……白くてきれいな首筋。痕を付けたくなるかも」
「あと?」
「いや、なんでも」
背後でファルトが笑っている。そうして、彼の腕がアリアの胸元を回ってネックレスを掛け、ぱちっと音を立てて留めてくれた。
「はい、できた。……うん、似合っているよ」
「ありがとうございます、ファルト様。よろしかった私もファルト様にお付けしますよ」
「いいのか? 俺、ごついから腕を回すの大変だと思うけど?」
「はい、私がしたいのです」
今度はファルトをソファに戻らせ、アリアが彼の背後に回る。
自分でも言っていたように、ファルトは体も分厚いし肩幅も広い。よく彼と一緒にいるルシアンやアステルが大柄なのでファルトは細く見えるのだが、それでも彼は成人男性。おまけに軍所属の騎士。ごつくて当然である。
先ほどファルトがしたように、彼の胸の前に腕を回してネックレスを掛け、首の後ろで留める。今日の彼は長めの髪を横向きに括っているので、髪を掻き上げる必要がなかった。
「はい、できました」
「ありがとう。……なんだか、もう結婚したみたいだな」
「え?」
ソファに戻ろうとしていたアリアは振り返る。
ファルトは自分の首の後ろをとんとんと指で叩き、どこか色気のにじむ笑みを浮かべた。
「ほら、新婚の奥さんがコートを掛けてくれたりするだろう。そんな感じかなぁ、って思ってみたりして」
「……まあ! では夏になって結婚したら、ファルト様のお支度を手伝いますね」
「そうだね、それじゃあ頼むよ、奥さん」
「っ……まだ婚約者です!」
「そうだっけ?」
ファルトにくすくす笑われ、アリアは頬を膨らませてソファに座る。
(こんな日が続けば)
何事もなく夏を迎えることができれば、いいのに。
「……マクスウェル侯爵とも、順調に交際を進めてらっしゃいますね」
ファルトが去った後。
閉まったドアを見つめてサンドラがしみじみと言うものだから、アリアは思わず頬を染めてしまう。
「え、ええ。……結婚式まで半年もないし、それまでにファルト様ともっともっと仲良くなっておきたいから」
「……アリア様はもう、ユイレに戻られるつもりはないのですね」
サンドラの言葉にアリアは顔を上げる。
侍女たちがファルトの茶器を片づける中、壁際に立つサンドラはどこか憂いの籠もった眼差しでアリアを見ていた。
その目はほんの少し潤んでいるように感じられて――
(……サンドラ、悲しそう?)
「…………ええ、陛下の命でもない限り、ないわ」
「……左様ですか。いえ、出過ぎたことを申しました」
「そんなことないわ」
アリアはすぐさま否定する。
(冬の間、サンドラはずっと側で私を励ましてくれた)
贈り物事件からアリアは引きこもりになってしまい、礼拝室へ向かうのにも五日、別の階に移動するのにさらに数日、庭園に出るのには冬の月丸々かかってしまった。サンドラやジャンヌはアリアに寄り添い、外出できそうなときにはすぐさま駆けつけて同行してくれた。
先日も、春の花のつぼみがきれいだと侍女に教えてもらったので、三人で庭園に出てみたばかりだ。二人やファルトがいなければ、アリアは今も寝室に引きこもっていたかもしれない。
そんなサンドラが神経質になっているのは当然のこと。今だって、アリアが大きな箱を見て怯えることのないよう、調度品や贈り物、廊下にあるオブジェなど細かなところまで気を配ってくれている。アリアの部屋の家具が全体的に丸いものに取り替えられたのも、サンドラの指示があってのことだ。
「私なら、だいぶ元通りになったわ。きっと夏の結婚式も大丈夫」
「アリア様――」
「いつも気遣ってくれてありがとう、サンドラ。……サンドラがランスレイにいてくれるのは夏までよね? 私、サンドラが安心できるよう、頑張るから」
サンドラの赤茶色の目が潤む。
彼女はどこか切なさのにじむ笑みを口元に浮かべ、その場で深く頭を下げた。
「はい。……アリア様のおっしゃるとおりに」
穏やかな時期は、長くは続かない。
初春、ランスレイ王国に一通の書状が届いた。
ユイレ大公家の印が捺され、ユイレ大使によって届けられた書簡。
何も口にしない大使の表情からその意図は読み取れず、公女ジャンヌとシスターアリアの結婚についてのことか、もしくは帝国との戦況についてかと王族は予測していた。
――その場に同席していたエルバート王子は、書状の内容を目にして愕然とした。
書状に記されていたのは、「ユイレ大公国大公グレゴリー・ユイレ死去」という、予想だにしていなかった言葉であったからであった。




