ファルトの考え
「お帰りなさいませ、アリア様!」
その日の夕方。
冬の太陽が沈む頃、アリアは王城の部屋に戻った。
アリアが帰ってくるまでそわそわしながら待っていたサンドラが一番に駆けつけ、入室してきたアリアとファルトを出迎えてくれた。
「マクスウェル侯爵も、お帰りなさいませ」
「ああ。今日はありがとう。アリアと一緒に楽しめた」
「それはようございました。お茶になさいますか?」
「ありがとう、だが俺はこれから仕事に行く。ルシアンに代わってもらっているからな」
そう真面目なことを話す侯爵。だが彼はずっときらきらの笑顔で、しかも話している間アリアの腰をがっちりガードしたままだった。彼に拘束されるアリアは、どことなくぎこちない笑顔でサンドラに手を振っている。
「……ただいま、サンドラ。お土産あるわよ」
「ありがとうございます、アリア様。……侯爵、そろそろアリア様を放していただけませんか? お茶のお席にご案内できません」
「ああ、そうだな」
サンドラに指摘されたファルトは、案外あっさりアリアを解放する。が、すかさず距離を取ろうとしたアリアの肩をとらえ、自分の方を向かせた。
「……今日は色々連れ回したから疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」
「……はい」
「注文した品はまた後日俺の屋敷に届くはずだから、その時にはあなたの元に持っていく。それまで、いい子で待っているんだよ?」
「……は、はい……」
「うん、いい返事だね」
うつむいてしまったアリアを心底愛おしそうに見つめたファルトは、最後にひとつ、アリアの額にキスを落とすと体を離した。とたんにぐらつくアリアの体をサンドラがさっと支えると、ファルトは眩しい笑顔で手を挙げる。
「それでは、俺は失礼する。……アリア、また明日」
「ぐぅっ……はい、また明日です……」
サンドラの胸の中でアリアが苦しそうに返事をした。
ファルトが元気いっぱいに去ってから、サンドラはおそるおそるといった手つきでアリアを助け起こす。
「その、なんと申しますか――とても発展なさったのですね?」
「……です」
「……今、ジャンヌ様も休憩時間です。一緒にお茶にいたしませんか?」
「……します」
まだ、アリアの魂は半分くらい女神様の元を彷徨っているようだ。
「……ああ、帰ったか」
「ん、今日は悪かったな、ルシアン」
「気にするな。おまえだってたまにはそういう時間を持つべきだろう――ん?」
「どうした?」
詰め所に戻ってきたファルトが上着を脱ぐと、ルシアンが鼻に皺を寄せて辺りの匂いに意識を向ける。
「何か匂うな……おまえ、甘いものでも食べたか?」
「いや、俺は特に」
「そうか? でもおまえが入ってきたとたん、花のような甘い匂いがしたんだが」
「……あー、それ、アリアの匂いだ」
「む?」
解せぬ、と言いたそうな顔のルシアン。
対するファルトはその時のことを思い出したために、ついつい頬を緩めてしまった。
「馬車の中でさんざん抱きしめたからな、匂いが移ったのかも」
「う、うん?」
「アリアの匂い、か……俺、今日風呂」
「入れ」
「……はいはい」
軽口をたたき合った後、ふと思い出したようにルシアンは体をねじってファルトを振り返り見た。
「……そういえば今日、そのロットナー嬢に宛てて色々な贈り物が届いた」
「ふーん、俺の可愛い人は人気者なんだな」
「……。……侍女たちが一旦開封して中身をあらためているようだが、中には物騒なものもあったそうだ」
「物騒――?」
「一番多かったのは、おまえが過去に付き合っていた女たちからの呪詛の籠もった手紙だな」
さらりと為された衝撃発言に、テーブルに置いていた菓子を何気なく摘もうとしていたファルトは甘く崩れた顔を瞬時に引き締めて顔を上げる。弾みでクッキーが落下し、乾いた音を立てた。
「はぁ!? どこのどいつだ!?」
「落ち着け。……巧妙に送り主名をころころ変えているが、筆跡が同じだから丸わかりだ。それらはまとめているとのことだから、後で自分の目で確かめてみろ」
「っ……分かった」
苦い顔で頷いた後、ファルトは乱暴にソファに座って「くそっ」と毒づく。
「……どこの誰だ、一体」
「おまえが侯爵になって女関係を潔斎してから、静かになったと思ったのだがな」
「……といっても、当時関係していた者たちは全員結婚しているはずだ」
「夫との仲に冷めたんじゃないか? それか、今の今までおまえのことをすっぱり忘れていたけれど、シスターがおまえの婚約者としてやって来たことで再び火がついたとか」
ルシアンの推測を聞いたファルトはやってられない、と呟いて険しい眼差しで天井を睨みつける。
十代の頃は、そこそこ遊んでいた。遊んでいたといっても、貴族の子息としての範疇を越えない程度だ。ファルトの仲間には、もっとひどい遊びをしていた者だってたくさんいる。その時遊んでいた令嬢たちも、今は全員結婚しているので、お互い過去のことは水に流したつもりだった。
だが、ユイレからアリアが来たことが呼び水となったのだろう。もしかするとルシアンが指摘したように夫婦仲がうまくいっておらず、苛立ちをぶつけるためにアリアに呪いの手紙を送ったのかもしれない。
筆跡が同じだった、ということは夫人自ら筆を執った可能性が高い。普通なら侍女に代筆させるものだろうが、侍女に知られたくないほど下劣な内容だったか、自分の憂さ晴らしをするために直筆にしたかったからなのか。何にしても幼稚な発想だ。
「……なあ、ルシアン」
「今のおまえ、かなり悪い顔をしている」
「アリアを安心して迎えるために――ちょっと無茶をしてもいいよな?」
ルシアンはわずかに顔をしかめて、隣に座る同僚へと視線を注ぐ。
ソファに背もたれに後頭部を預けていたファルトは、目線だけルシアンに寄越している。その眼差しは相変わらず険悪だ。
「無茶――とは?」
「そうだな……言い方を変えると、結婚前の大掃除?」
「一応陛下や殿下にも報告しておけ。まあ、許可は下りるだろうがな」
「了解。……このこと、アリアやジャンヌ公女には教えるなよ」
「教えたら最後、おまえはロットナー嬢には泣かれ、公女には八つ裂きにされるだろうな」
「ははっ……そりゃあ怖いな」
ファルトは笑うが、その笑い声は乾ききっていた。




