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婚約者とお出かけ1

 視線を感じる。


 馬車に乗っている間、アリアは窓の外に意識を向けていた。

 その理由は、二つある。


 まず一つ。マクスウェル侯爵家の旗が立った立派な馬車が往来を走っているからか、道行く人たちからの視線を感じるのだ。窓には繊細なレースのカーテンが掛かっているので実際に見えているわけではないのだが、通行人の興味津々な視線がなんとなく感じられるのだ。


(悪い意味じゃないんだろうけど……)


 マクスウェル侯爵家の若き当主であるファルトが婚約者を迎えたことは、国民にも既に告知されている。だから街の人たちも、ある程度のことを察していてこちらに注視しているのだろう。


 そして、もう一つの理由。それは目の前に座る見目麗しい青年にある。

 すらりと長い脚を組み、じっとこちらを見つめてくるファルト・マクスウェル侯爵。彼の視線が、熱い。通行人の視線なんて目ではないくらい、熱を孕んでいるのがよく分かる。


(女神様……こういうとき、どうすればいいのでしょうか? 視線を逸らしてばかりではダメだと分かっております。かといって、どう行動を起こせばいいのか……)


 神頼みしても無駄だと分かっていても、ついついいつもの癖で女神に相談してしまう。


 緊張で身を縮めながら胸の前で手を組んで女神に祈るアリアを見、ファルトの喉仏が上下したことに当の本人は気づいていない。


 そんなファルトの服装はというと。ダークグリーンのロングコートに、同色のズボン。のど元まできっちりボタンを閉めたシャツはきれいに鏝が掛かっており、よく見るとシャツのボタンとコートのカフスには同じような模様が彫られている。アリアは細部まで詳しいわけではないが、この馬車の旗と同じ、マクスウェル家の紋章ではないだろうか。


 地味なアッシュグレーのアリアの髪と真逆の艶やかな金髪は、リボンを使って首筋で結わえている。ちらっと見えたリボンは、明るい緑色をしていた。


「……緑が、お好きなのですか?」


 思ったことをおずおずと問うてみると、ファルトは瞬きした後うーん、と小さく唸る。


「以前は、普通でしたね。今では好きな色の一つです」

「まあ……何か、好きになったきっかけでも?」

「おや、分かりませんか?」


 ファルトはからかうように言い、ぱちっとウインクを飛ばしてきた。何のことかと首を傾げるアリアを見、ファルトは己の口元に人差し指をかざす。


「そうですね……ではヒントをひとつ。あなたは無意識かもしれませんが、実は今の俺とあなたは全く同じ状況なのですよ」

「私が?」


 彼に頷かれ、アリアは視線を落とす。

 侍女たちが鼻息荒く選んでくれたのは、明るいオレンジ色のドレス。「これならマクスウェル侯爵もお喜びになりますよ、うふふ」とのことだったのでアリアも承諾したのだが。


 そういえば、ファルトが贈ってくれるドレスや宝飾品は、暖色系のものが多い気がする。それも、オレンジ系の――


「……あ」


 ひょっとして、とアリアは視線を上げる。にこやかに自分を見つめてくるファルトの目は――柔らかな杏色だ。


「……目の色、ですか?」

「ご名答。ランスレイでは、男性から女性に贈り物をする際、自分の目と同じ系統の色のものを選ぶと想いが伝わりやすいと言われています。そして女性とデートに行く際は、相手の女性の目と同じ色の衣服を纏う。……おかげで緑色が好きになりましたよ」


 そう言い、ファルトはコートの袖口に手を伸ばし、そっと布地を撫でた。


(……っ!)


 とたん、びりっと体中に弱い衝撃が走ってアリアは瞠目する。

 ファルトは自分のコートに触れただけだ。それなのに――


(ファルト様に撫でられたように、感じてしまった……)


 顔が熱い。

 けろっとして、「どうしましたか、アリア嬢?」と問うてくるファルトを見ていると、悔しくなる。


 アリアはほんの少し潤む目尻をつり上げ、左腕を持ち上げた。アリアのすんなりとした左の手首に嵌るのは、銀のブレスレット。細い鎖を編んで作ったブレスレットには一粒だけ、球形にカットされたオレンジ色のオパールがある。


 ファルトの目と同じ色の宝石。


 アリアの意図を察したのか、ファルトが驚いたように目を見開く。アリアは挑戦的に微笑み、ブレスレットのオパールに口付けた。


(お返しよ!)


 アリアの行動に、ファルトは一瞬だけ言葉を失う。やがて彼は破顔し、「やられたなぁ」とソファに深く身を沈めた。


「俺の未来の花嫁は、負けず嫌いのようですね」

「あら、シスターはやられっぱなしでも耐えなければならない、なんて戒律はございませんのよ?」


 負けじとアリアが笑顔で返すと、ファルトはくすくす笑い、「そんなところも素敵だよ」と囁くのであった。









 城下町の繁華街に降りる頃には、既に正午を回っていた。


「まずは昼食を取りましょうか」


 ファルトが言うので、アリアはゆっくり頷く。


「はい。……そういえば、ファルト様と食事をご一緒するのはこれが初めてですね」

「そうですね。ティータイムは共に過ごすことが多かったですが、いわゆる食事は別々でしたね。……あ、そういえばアリア嬢、苦手な食べ物などはありませんか」


 問われたアリアは、少し考えた後答える。


「……お肉の塊や、油っぽいものは苦手です。あときついお酒も、すぐに酔ってしまうので――」

「確かに、肉や油もの、強力なワインは聖堂では召し上がらなかったでしょう」

「はい……」

「分かりました。行きつけの店で、ハーブ料理が売りのところがあります。いかがでしょうか」

「ハーブなら大丈夫です」


 アリアの了解も得て、ファルトが御者に店の方角へ進むよう指示する。

 カーテンをめくって馬車の外を覗いてみると、馬車と併走する騎士の姿が目に入った。マクスウェル侯爵家の紋章入り軍服姿の彼は同僚と何か話していたようだが、アリアの視線を受けてこちらを向いた。そして礼儀正しく会釈すると、たっと馬を駆ってアリアの視界から消えていく。


(……そうだ、サンドラにはお留守番を押しつけてしまったのだから、何かおみやげに買って帰ろうかしら)


 ジャンヌがエルバート王子と外出したときには、菓子などを買ってきてくれていた。アリアにも、少しではあるが自分用の金がある。次期王太子妃であるジャンヌや子爵家令嬢であるサンドラからするとしれたものしか買えないだろうが、何か買って帰ると喜ばれるかもしれない。


 やがて馬車は、おしゃれな料理店の前で停車した。昼食の時刻だからか店の前には短めの行列ができている。

 少し待たなければならないだろうか、と思っていると、店の前に立っていた従業員が駆け寄ってきて、恭しく礼をした。


「マクスウェル侯爵閣下ですね。お待ちしておりました」

「出迎え感謝する。こちらのレディと二人席、あと護衛を連れて入りたいのだが」

「もちろん、席をお取りしております」

「え?」


 アリアはきょとんとしてファルトを見る。従業員が店内に戻っていくのを見送っていたファルトは、アリアの視線を受けて振り返り微笑んだ。


「さっきの間にうちの騎士を走らせて、予約を取ってもらったんですよ」

「で、でも……それで長時間待たされる方が――」


 言いかけて、アリアははっと口を閉ざす。

 ついつい自分がシスターの立場である前提で話していたが、そうはいかない。


 ファルトはマクスウェル侯爵。飛び入りになるとはいえ、王太子の側近も勤める侯爵が来店したのだから、彼より身分の低い者たちは順番を譲らなくてはならないのだ。


 アリアの表情を見たファルトは、少しだけ困ったように笑う。


「……あなたならそう言うとは思ってました。無理に順番にねじ込んだのは確かですが、先客を追い払うことはしていませんよ。空いている席ができたら、優先して確保してほしいと指示を出したのです」

「……はい」


 侯爵家として育った彼なら、むしろ当然の権利だろう。それどころか、現在食事中の客を追い払って特等席を確保することだってできた。


 ファルトに手を引かれ、アリアは馬車から降りた。二人の姿を見て、店の前で順番待ちしていた客たちがじっと視線を寄越してくる。

 見たところ、他の客もそれなりに立派な装いをした貴族だろう。だが彼らは何も言わず、さっとアリアたちのために道を空けた。マクスウェル侯爵よりも格上の者はいないのだ。


(……それが、当然の権利)


 分かっている。

 侯爵とその婚約者のために道を空けるのは、当然のこと。


 それでも。


(……女神様、私は私が信じる行いをいたします)


 胸に手を当てて女神に祈った後、アリアは顔を上げた。目線の先には、大きな帽子を被った若い婦人が。彼女の隣には夫らしき男性と、まだ十にも満たないだろう子どもが三人いる。


 アリアは彼らの前を通る際、会釈して言った。


「……お譲りくださりありがとうございます。失礼します」

「……え?」


 はっと婦人が顔を上げる。とっさに隣にいた男性が妻の肩を押さえるが、アリアはゆっくり首を横に振った後、足を進めた。


 アリアと並んで歩くファルトは一瞬だけ戸惑ったようだが、すぐに元の笑みを浮かべてアリアと同じように、列に並んでいた壮年の夫婦に会釈した。


「お先に失礼します」

「……い、いえ」


 客たちは慌てているが、アリアたちは気にせずに順に会釈して進み、店内に入る。

 店内もほぼ満席状態で、客たちは会話を止めてマクスウェル侯爵一行を凝視している。無邪気な女の子が「あの人だーれ?」と両親に問い、慌てて口をふさがれた。


 今度はアリアが何かを言う前に、ファルトが動いた。彼は帽子を取って胸の前に当て、面を真ん丸にする先ほどの子どもにウインクを飛ばす。


「こんにちは、小さなレディ。俺は、最愛の恋人と一緒に食事をしに来た者だよ」

「こいびと?」

「そう。俺たちは俺たちで食事をしたいからね、レディも俺たちのことは気にせず、おいしいものをたくさん食べなさい」

「うん、分かった!」


 女の子が元気に返事をして、食事に戻った。女の子の両親らしき二人はあわあわしているが、そんな彼らにもファルトは笑顔を向ける。


「こんにちは、アッカーソン男爵。ご家族とごゆっくりなさりますように」

「マクスウェル侯爵……。……はい、かしこまりました」


 ファルトの意志を汲んだ男爵はゆっくり頷き、食事を再開する。彼らの様子を見て、周りの客たちもためらいつつ、自分たちの食事に戻った。アリアたちが従業員に案内されて窓際の席に着く頃には、店内はそれなりのにぎやかさを取り戻していた。


「……やっぱり、皆に傅かれるのには慣れていない?」


 料理を注文した後、ファルトに問われてアリアはうつむく。


「……はい。すみません、出しゃばったまねを――」

「何を言っている。俺が本当に君のことを出しゃばりだと思うなら、君と一緒に会釈をして回ったりはしないだろう?」


 ファルトの言葉に、アリアは顔を上げる。

 ファルトは変わらない笑みを浮かべ、アリアを見つめていた。


「……実を言いますとね、俺もきっちりかっちりした店で食事するのはあまり慣れていないんです」

「ファルト様も?」

「はい。俺はまあなんというか、昔は普通のガキでしたし、騎士団に入ってからもルシアンとかと一緒に安いバーで酒盛りなんかして馬鹿騒ぎする方が性に合ってたんです。だから、俺を侯爵と思わないで周りの人たちに接してもらった方が、楽なんですよ」

「……そうなのですか」

「今日店を急に予約したのだって、別に俺一人なら何時間待とうと構わないけれど、あなたを待たせるのが忍びないから慣れないことをしたばかりです。……逆に気を遣わせてしまったようですけど」

「滅相もございません! ファルト様のご配慮に感謝しております!」


 アリアが慌てて言ったところで、コース料理のサラダが運ばれてきた。ハーブ料理が得意とだけあり、葉野菜以外にもカラフルなハーブが添えられている。大聖堂ではハーブを育てていたのである程度の種類は見ただけで分かるのだが、何種類かは見覚えのないものもあった。ランスレイでしか育たない品種なのかもしれない。


「それではいただきましょうか」

「……はい。……女神様、今日の糧をお与えくださり、ありがとうございます」


 アリアはいつものように、食前の祈りを捧げる。アリアだけでなく、公女のジャンヌや聖堂騎士のサンドラも、三食の前には女神に祈るよう習慣付いているのだ。


 一生懸命祈るアリアの姿を、ファルトはどこか眩しそうに見つめる。

 それは他の客たちも同じで、皆一旦食事の手を止め、厳かに祈るアリアの姿をじっと見つめていた。

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