お出かけの準備
お砂糖
本日の天候、晴れ。微風。気温も安定。
絶好のお出かけ日和である。
「話は聞いたわ」
腕を組み、魔王の像のように立ちはだかる美少女。その足下には、ぽかんとした顔のシスターが座り込んでいる。朝のおつとめを終え、朝食を取ったばかりの彼女はまだ黒の修道服姿で、化粧っ気もない。
アリアは口を半開きにして、自分を見下ろす魔王像――もといジャンヌを見上げていた。
「……あ、あの……?」
「アリア、今日のあなたの夕方までの予定は?」
「は、はい。本日受講予定だった講義は全て時間変更していただき、夕方まで――その、ファルト様と街に出かけることになりました……」
「そうね。それはいわゆるデートというものよね?」
「……」
デート。
それは、ユイレ大公館の図書室にあった恋愛小説に書かれていた、親しい男女が連れ立って出かけるというものである。アリアとファルトは婚約者同士なので、二人で街に出かけても何らおかしくはない。
(でも、ジャンヌ様、怒ってらっしゃる……?)
怖々とジャンヌを見つめていると、ジャンヌは豊かな金髪を揺すってフンと鼻を鳴らした。
「……複雑な気持ちではあるけれど、こうなった以上、協力するしかないわ。アリアがマクスウェル侯爵と親身になるよう手助けすることが、友としての私の役目――であれば!」
「はい!?」
「皆、アリアをめいっぱい飾り立てなさい!」
ばっと両手を広げてジャンヌは高々と命じた。
「マクスウェル侯爵がデロッデロに見惚れるような麗しい乙女に仕立てること! ただし、アリア持ち前の魅力を決して損なうことはなきように!」
「はい!」
「ジャンヌ様のご命令通り!」
「わたくしたちの全力で!」
「アリア様を魅力的にお飾りいたします!」
ジャンヌの両脇に二列になって控えていた侍女たちが、ビシィッ! と揃って礼をする。
(……え? 何これ、どういう状況?)
慌ててアリアは、部屋の隅へと視線を向ける。いつもアリアが困ったときにはさりげなく助け船を出してくれるサンドラはしかし、そっと視線を逸らした。
(サンドラに放置された!?)
瞬く間に、アリアは四方を侍女たちに囲まれてしまった。アリアの逃げ道をふさぐかのように迫ってくる侍女たちは、満面の笑みで両手をわきわきさせている。
「うふふ、さあアリア様、まずはお体を清めましょうね」
「わたくしはアリア様のお体を磨きますわ」
「その後、わたくしはアリア様の髪をセットしますわ」
「その後、わたくしはアリア様の爪のお手入れをしますわ」
「……あー……」
逃げられない。
アリアが悟ったとたん、「うふふ」「おほほ」と笑いながら、侍女たちが突進してきた――
アリアとの約束の時間、十分前。
ファルトは悠然と王城の廊下を歩いていた。
歩くたびにきっちりと結われた髪が揺れ、コートの裾が翻る。
彼とすれ違った侍女たちは、丁重にお辞儀をして彼を見送った後、ばっと互いの顔を見合わせた。
「……見た?」
「見ましたわ」
「マクスウェル侯爵が、あんなにめかし込んでらっしゃるなんて……」
「あれですわ、ユイレの婚約者様に会いに行かれるのでしょう」
「でしょうね……びっくりしましたわ」
「わたくしもです」
侍女たちに噂されていることに気づかない――気づいてもさして反応も示さないだろうマクスウェル侯爵本人は、ふと足を止めて窓に映る自分の顔を観察した。
侯爵家の侍女たちの手を借りてきちんと身だしなみは整えたし、エルバートやアステルにもゴーサインをもらった。ちなみにルシアンに聞いても「いいんじゃないか?」しか言わないと予想できるので、彼への確認は省略している。
十秒近くかけて己の姿の最終チェックを行った後、ファルトは再び歩き出す。そうして、婚約者アリアが寝泊まりしている部屋の前まで来て、重厚なドアを上品にノックした。
「はい、どちら様でしょうか」
「ファルト・マクスウェルだ。ロットナー嬢はいらっしゃるか」
「はい、少々お待ちくださいませ」
落ち着いた侍女の声が遠ざかった後、バタバタと淑女らしくない音がここまで響いてくる。
「さ、アリア様! 自信を持って!」
「え、でも……!」
「何をおっしゃいますか! ジャンヌ様もお認めになったのですよ!」
「決心してください、アリア様」
と、侍女やアリアたちのやり取りが聞こえる。
紳士らしく、ファルトはドアの前で待つ。やがて開いたドアから顔を覗かせたのは、紫金髪の美女騎士サンドラだった。
「お待たせいたしました。アリア様の準備が整いましたので、お通しします」
「ああ、ありがとう」
サンドラに促されて、ファルトは入室する。自分らしくもなく、心臓がドクドクと馬鹿でかい音を立てて拍動していた。
ファルトが入室することで、すすっと侍女たちが後退した。冬の柔らかな日差しが降り注ぐ中、窓辺の椅子に座っていた人物が立ち上がって振り返る。
「ファルト様――」
小さな唇がファルトの名を呼ぶ。
とたん、彼女の元へ歩み寄ろうとしたファルトの体がびしっと固まってしまった。
「あら、侯爵が硬直なさってますわ」
「珍しいこと」
「わたくしたちの努力のたまものですわ」
「うふふ」
「おほほ」
と侍女たちが囁き会う中、ファルトはアリアの姿を凝視していた。
ファルトの視線に殺傷能力があったなら、アリアの体は瞬時に蜂の巣になって女神の御許に昇天していたことだろう。自分の目線に物理的攻撃力がなくてよかったとファルトは思った。
アリアはファルトの視線に耐えられなかったのか、ショールをぎゅっと握りしめて体を背ける。
「……その、普段から修道服を着慣れておりますので、似合っていないとは存じております」
「……」
「でも、ファルト様からいただいたアクセサリーを身につけてみたのです……お気に召さなければ、すぐに外しますが――」
「そんっ、なことはない!」
唾液が口内で絡まってしまい、間抜けな声を上げてしまう。
ファルトは大股でアリアの元まで駆け、その両肩にそっと手のひらを載せた。
「……アリア嬢、よく似合っています。冬の日差しに包まれたアリア嬢の姿は神々しくて――女神の化身かと思いました」
「女神様は金髪ですよ?」
艶の少ないアッシュグレーの髪のアリアは不安そうに言う。軽く首を傾げると後れ毛が揺れ、ファルトの喉がごくっと鳴った。
「髪の色なんて関係ない。あなたは、俺にとっての――俺だけの女神です」
「ファルト様……」
アリアの頬がほんのりと赤く染まる。頬紅ではない赤みに気づき、ファルトはそっと微笑んでアリアの右手に唇を寄せた。
「とても美しいです。……では、街へエスコートしても?」
「……はい。お願いします」
アリアは慎ましく目を伏せ、ファルトに身をゆだねてきた。そんな彼女の肩を抱いて、ファルトは振り返る。
侍女たちが満面の笑みで花道を作っている一方、サンドラは複雑そうな目でファルトを見てきている。今日のデートは、マクスウェル侯爵家の騎士や使用人を護衛に呼んでいる。サンドラは部屋で留守番なので、それが不満なのだろう。
アリアと共にドアの前まで来たファルトは、無言でドアを開けたサンドラを見る。
「……アリア嬢は必ずお守りする。どうか俺に任せてくれ、オーランシュ嬢」
「行ってきます、サンドラ」
ファルトとアリアにそう言われ、サンドラの赤茶色の目が丸く見開かれた。そして、己の感情を露わにしてしまったのを悔いているのか、頬をわずかに赤く染めて優雅にお辞儀をした。
「……はい。マクスウェル侯爵、アリア様。どうぞ行ってらっしゃいませ」




