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シスターの婚約

 青い青い海。


 淡い水色の空が、水平線で海と交じり合う。


 あの海の向こうに、私が行くべき国がある。


 あの海の向こうで――私の未来の旦那様が、待っている。









 ――暦七〇七年、冬。

 ユイレ大公国は、うっすらとした雪に包まれていた。


 南北に細長く伸びた国土を持つユイレ大公国は、西側を険しい山脈に、東側を穏やかな海に挟まれている。南部は盆地が広がり東海岸に点在する港が栄えており、公都シャルヴェを含む北側には丘陵地帯が広がっていた。


 シャルヴェの街が冬の色に染まる中、街北部に位置する大聖堂もまた、きれいに整えられた芝生と年代を感じさせる外観を白く彩っていた。









「ねえ……本当にいいの? 無理はしていない?」


 しんと冷えきった礼拝室。

 大理石を削って作られた女神像の足下では、二人の娘たちが手を握り合っていた。どちらも纏っているのは黒を基調とした地味な修道服であることから、大聖堂に仕えるシスターであることが分かる。


 片方は、緩くうねる金髪を持つ美女。女神像の前に立つ彼女は、女神様の化身であるかのように神々しく、儚い。年齢は十代後半に差し掛かっているものの、あどけない表情と可憐な顔立ちは子どもの頃からいっこうに変化の様子を見せなかった。


 彼女に対するのは、さらりとしたアッシュグレーの髪に若草色の目を持つ娘。金髪の美少女の前では霞んでしまうが、眼差しは理知的で真面目。シスターにふさわしい、澄んだ美しさの漂う顔立ちをしている。


「アリア、わたくし、何もできない自分が悔しくてたまらないの」


 そう訴える金髪の美女は、秋の青空を切り取ったかのような澄んだ目いっぱいに涙を浮かべ、緑色の目のシスターを見つめている。


「でも、まだ間に合うはず。わたくしも、お父様に掛け合うわ。アリアが嫌がるなら、政略結婚なんてさせるべきじゃないもの」

「ブランシュ様……お気遣いくださり、ありがとうございます」


 アリアは若草色の目を細めて微笑み、金髪のシスター・ブランシュの小さな手をそっと握った。同じシスターでありながら、時には力仕事をするアリアと違いブランシュの手は小さくて、白い。


「しかし、これもきっと女神様のお導きでしょう。私は大丈夫です」

「何を言っているの。こんな状況で大丈夫だなんて……そんな、自信をもって言うものではないわ」


 ブランシュが心を込めて諭してくるので、だんだんとアリアの胸にも罪悪感が芽生えてきた。


 ブランシュは、一般市民でしかないアリアに目を掛けてくれた。両親と死に別れ、孤児として聖堂に引き取られたアリアの先輩となり、シスターとして生きるすべを教えてくれた。アリアが何かできるようになったら、「アリアはすごい!」と褒めてくれたし、辛いときには親身になって相談にも乗ってくれた。


 ずっと、ブランシュたちと共に大聖堂で生きていくのだと思っていた。


 女神のしもべとして清貧を心懸け、恋愛や結婚とは無縁の一生を送るのだと、十代の前半の頃から覚悟していた。


 だというのに、アリアは此度、ブランシュの父親である大公の命令を受けて海の向こうの国へと嫁ぐことになったのである。










 結婚を命じられたのは、先月のこと。

 いきなり大公の執務室に呼ばれておっかなびっくり状態のアリアに、大公は言った。


『ランスレイ王国の貴族とおまえの縁談が決まった。相手は、若きマクスウェル侯爵だ』


 アリアはぽかんとした後、「ランスレイ王国……」と呟く。


 ランスレイは、ユイレ東方の海に浮かぶ島国だ。領土が細長い形をしたユイレと違い、ランスレイは潰したパンのような楕円形をしている。ユイレの港からもランスレイ行きの定期船が出ており、両国の勢力差としてはユイレの方が若干上回っている程度である。


『……とても有り難いお申し出に存じます。が、私のような者で務まるのでしょうか……?』

『務まるも何も、これはランスレイへのとどめに過ぎん。王太子妃の座は射止めた。後は、王太子の側近として重用されている侯爵の妻の座をおまえが占めるのだ』


 最初は訳が分からず胸をどきどきさせていたアリアだが、大公のもくろみが見えてくると一気に気持ちが落ち着いた。


(……とどめ、ね)


 大公は既に、政略結婚の駒として自分の姪であるジャンヌをランスレイ王太子の婚約者の座に据えている。アリアは一時、公女ジャンヌの遊び相手として王城に呼ばれていたこともあり、彼女とも顔見知りだった。そんなジャンヌが嫁ぐことになり、涙ながらに別れの抱擁を交わしたのが今年の夏のこと。

 今、ジャンヌはランスレイに渡って未来の王太子妃として生活している。結婚はまだ先なのだが、大公は早いうちにジャンヌを送り込んでランスレイを掌握するつもりだったのだろう。


 そしてアリアもまた、彼女らの後を追ってランスレイへと嫁ぐ。

 それも相手は、王太子の側近である侯爵。


『おまえは確かに平民だが、聖堂では皆の信頼を集めている。ブランシュからも、おまえならば次期聖女になれるだろうと聞いているし、適任であろう』


 大公の言葉に、アリアは唾を飲み込んだ。


 大公は、愛娘であるブランシュを次期「聖女」にと望んでいる。


 ユイレ大公国は、女神信仰の総本山である。国を治めるのは大公であるが、国民の心の拠り所は大聖堂。そしてその頂点に立つ聖女にある。

 現在の聖女は既に高齢で、次期聖女を誰にするのか、巷でも噂されていた。


 候補は二人。大公の娘であるブランシュと、一般市民出のアリア。

 大公家の一人娘であるブランシュはともかく、なぜ平民のアリアが聖女候補なのかというと――


『しかも、おまえはただのシスターではない。癒しの聖女……たいそうな名で呼ばれているものだな、アリア・ロットナー』


 アリアは何も言えず、唇を噛んだ。

 アリアが「癒しの聖女」なんて呼ばれている理由。その理由が、大公は気に入らないのだ。


 アリアは亡き母から特別な力を受け継いだ。世界中でもごく一部の者のみがその素質を持って生まれ、しかも才能を開花させられるのはほんの一握りだという、聖なる治癒力――聖魔法。


 薬などでは比べものにならない早さで傷を癒し、呪いを打ち払い、心の乱れを凪がせる力。それが、アリアが身に宿している能力である。


 聖堂には他にも聖魔道士の力を持ったシスターもいるのだが、その中でも能力が抜きんでているのがアリアだ。母譲りの聖魔法があったからこそ、アリアは実力を伸ばし、公女ジャンヌの護衛にも選ばれ、大公からは疎まれ、そして――此度の政略結婚の駒に選ばれたのである。




 ――回想から戻ってきたアリアは嘆息し、ブランシュの目を見つめた。


 昔からアリアを鬱陶しそうに見てきた大公の娘であるのに、全く輝きの違うその目が、アリアはずっと好きだった。


「大丈夫です。ランスレイにはジャンヌ様もいらっしゃいます。それに護衛も付けてくださるのでしょう? 独りぼっちではありません」

「……そう、なの。アリアがそこまで言うなら……分かったわ」

「ブランシュ様……」


 ブランシュは長いまつげを瞬かせた。涙の粒が転げ落ち、ブランシュの纏う修道服に濃い染みを作る。


「……アリア。わたくし、あなたが羨ましいわ」

「え……?」

「……いいえ、何でもないわ。……結婚おめでとう、アリア。幸せにね」


 ブランシュの精一杯の笑顔に、アリアは泣き笑いの笑顔で頷いた。

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