山中さんの復讐(上)
高校生になって最初にかました一発ギャグ、「納豆を食べるエリマキトカゲ」で盛大に滑った俺はずっとボッチな高校生活を過ごしてきた。いや、12月に入った今でも現在進行形なので、正しくはボッチングである。
そんなクソのような、もしくはウンコのような青春を過ごしていた俺だったが、夏休みに一人だけささやかな知り合いが出来ていた。
ここで正常な人ならナメクジの知り合いなのだから、さぞかしミミズみたいな顔をしているに違いないと考えるだろう。
ところがその知り合い「山中さん」は色白でショートボブの学年で一位二位を争う美人である。
別に俺は嘘を言ってるわけでも、孤独すぎて空想上の友達を作り出したわけでもない。
山中さんに貢いで知り合いになったと言ったら何人か信じてくれる人はいるだろう。
あと山中さんが人前では一切笑わないし、クラスメイト達と会話をしているところさえ殆ど無いし、また「黒魔術部」なる怪しい部活に所属している。そう付け加えれば信じてくれる人はもう少し増えるだろうか。
どうしても夏の思い出が欲しかった当時の俺は、3万円という大金を払って山中さんに1日だけ付き合ってもらったのだ。
まぁそのせいで屈強な男の集団に追いかけられたりゾンビの大群に殺されかけたわけだが、とにかく俺たちは「知り合い」になった。
具体的に今の俺と山中さんがどんな関係かというと、朝顔を合わせたら「おはよう」と言ったり言わなかったり、目があったら互いに目をそらしたり、ごく稀に話をしたと思ったら
「今日の5限は?」
「数学」
で終わる関係だ。決して「友達」とは言い難い。
そんなプールに砂糖を一匙入れただけのような希薄な関係にも関わらず、美人の知り合いが出来た俺は少し有頂天になっていたのかもしれない。
十一月のある日、数人のクラスメイトたちに囲まれた俺は「山中を無視しろ」と脅しをかけられた。入学以来初めてクラスメイトに話しかけれたと思ったらこれである。
もちろん山中さんとの関係が切れる=学校生活終了を意味する俺に彼女を裏切ることは出来ない。男らしくカッコよく
「ん断るうぅ」
と目を泳がせ、どもりながら言ってやったぜ。うん。
これがきっかけとなり次の日から俺と山中さんは一層クラスで浮いた存在となった。
俺と山中さんの相合傘が黒板に描かれていたり、2人の机の上に仲良く花瓶を置かれたりした。
俺だけやられているんならそうでも無かったんだろうが、自分のせいで山中さんまでイジメられている気がして、俺は少しづつ心苦しくなってきた。
***
雲のたれ込めたある日の放課後、教室から出た俺は山中さんに呼び止められた。
教室の外にカバンを持ち佇んでいた彼女は、やや長い前髪からのぞく黒い瞳で、じっと俺の方を見つめてくる。
「君、帰るの?」
山中さんは少し控えめな声で聞いて来た。
「帰るよ。このまま教室にいても消しカスの的になるだけだし」
俺も小声で返す。
「ウチに来て」
「え?」
今なんて言ったんだい山中さん。
「私の家に来て」
そう言う山中さんは相変わらず真顔で、その眼は真っ直ぐ俺を見据えていた。
山中さんと並んで歩きながら俺の心臓はあり得ないほど早く脈を打っていた。たぶん山中さんの家に着くまでに寿命が1年くらい削れたんじゃないんだろうか。
しかし隣を見れば、俺の興奮なんてどこ吹く風と言った感じに山中さんは涼しい顔をしている。もしかして、家に男が来ることに慣れているのだろうか?
「着いたよ」
山中さんが立ち止まった場所は繁華街のすぐ裏手にあるマンションだった。
「へぇ、山中さん家ってお金持ちなんだねぇ」
「別に。私、一人暮らしだし」
……え?
その後、エントランスを歩いている時も、エレベーターに乗っている時も、エレベーターから降りて山中さんの部屋の前に着くまでも、俺の妄想は留まるところを知らなかった。それはもう全ての脳細胞をエロい妄想につぎ込んでいた。
モテない男がいきなり一人暮らしの女子の家に招待されたのだ。冷静になれという方が難しい話である。
リビングでしばらく待った後、山中さんが湯気の立つマグカップを二つお盆に乗せて運んで来た。
「あ、ありがとう。気なんか使わなくて良いのに」
「じゃあ二つとも私が飲もうか」
「いや、そこは飲ませてよ……」
不毛な会話をしながらマグカップを受け取り、口を付けたところで山中さんが再び口を開いた。
「この部屋に来た男はさ、君が初めてだよ」
危うくコーヒーを散布しそうになる。
「そ、っそそそそそれはどういう?」
「別に、そのままの意味だけど」
コーヒーを啜る山中さんの表情は相変わらずそっけない。
そのままの意味……。
そのままの意味!
よろしくお願いします山中さん!
その時山中さんはマグカップを机におろし、言った。
「別にセックスするために君を呼んだわけじゃないよ」
俺は今度こそ鼻からコーヒーを噴出した。
「何それ一発ギャグ?」
俺に箱ごとティッシュを渡しながら眉をひそめる山中さん。
「べ、べ、別に期待してないし! ただほんの少しだけ山中さんとよろしくやりたいとか思ってただけだし!」
「思ってんじゃん」
「違う! よろしくっていうのは決してイヤラシイ意味じゃないんだ!
「あっそう」
山中さんは勢いよく手を振りながら否定する俺から冷ややかに視線を逸らしてコーヒーを啜った。
「……、っていうか俺が気の迷いで山中さんを押し倒したらどうするつもりだったの?」
「だって君に女を押し倒す根性なんて無さそうだし」
おい!
なんだよ、少しは好意を持たれてるのかと期待した俺が馬鹿みたいじゃないか。 ん? じゃあどうして俺はここに呼ばれたんだ? 一緒にスマブラするため? 出来ればベッドの上で大乱闘したいんだけど。
その時、マグカップを机に置いた山中さんの瞳が急に鋭くなった。
「学校じゃ話しづらかったからさ」
声のトーンも今まで聞いたことがないほど低い。
先ほどまで曇っていた空から赤い日が覗き始め、俺たちがいるリビングを眩しく染め始めた。その日差しは山中さんの顔の左半分だけを赤く色付け、右半分を黒く塗りつぶしていた。
「私たち、嫌がらせを受けてるじゃない?」
「ああ、あれ腹立つよな! 俺たちが何をしたって言うんだろうねぇ、山中さん!」
「うん、だからさ、殺そうよ」
世界が、停止する音が聞こえた。
つづく
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