初めから忘れさせた事と後から忘れさせた事
遅くなりました。
無数の銃弾と砲弾が飛び交う戦場。僕はその中にいる。
前方から飛んでくる銃弾やフラググレネード。それらを無視して、僕は溝へと向かっていく。
この体はもう痛みや傷を受け付けなくなった。別に実際に体が固くなっている訳じゃない。物理的な法則を無視しているのだ。これが魂の力。今になって、そう思った。
溝まで辿り着く。目の前の兵士達は何かを叫びながら、僕に弾を浴びせる。僕にはその言葉の意味は分からない。いや、意味なんて無いだろう。恐怖、絶望、嫌悪、そんな負の感情を込めた、ただの叫び。
僕はナイフを使って、容赦なく、一撃で、殺していく。このずっと遠くまで続く溝には、人が並んでいる。進んでは、殺し、殺し、殺す。その度に僕の中の何かが満たされていく気が、僕が強くなっていく気がした。
二度目の世界大戦が始まった。そして、軍に入って、二年。僕は、小隊長を務めていた。
「靈さん、どうしたら戸惑いなく、殺せるんですか?」
新人が、声を震わせながら僕に尋ねた。こいつは今日初めて、人を撃った。それだけでこんなんになっている。同時に入ってきた三人はもう慣れてるのに。
「そもそも、こんなおもちゃを使うのは殺すとは言わないよ。殺して、取り込んでそれが本当に殺すって言うんだよ」
そして、戸惑うって事は、決意ができてないんでしょ。国のためっていうのは、本心じゃないんでしょ。
そんな状態じゃ、意味もなく、ただ流されて人を殺してるのと同じ。つまり、お前は悪だ。
僕は、心の中でそう告げた後、相手の胸を手で貫く。
「はぁ、もうここには居られないか。居たくも無いけど」
視点を変えて、戦争を見るためにも軍に入った。やっぱり今の戦争は駄目だ。
利益とかを求めて戦争させる奴も、本当の意味も無く人を殺す奴も皆死んでしまえ。僕の存在を証明するために。
大戦が終わって、何十年も経ったが、各地で戦いは続いている。この世界は変わらない。生きるための戦争なら止めて、協力し合えば良い。私利私欲のための戦争は止めさせたって、力を持っている限りは、発生するだろう。
生きているだけで、この世界にいれるだけで、なんで満足できないんだよ。
ともかく、あいつの言った通り、ここは腐りきった世界だ。だから、もうどうすることもできないんだ。新しい世界を作るしかないんだ。そして、僕が導けばいい。
俺と靈は模擬戦を終え、休憩をとっていた。
「ねぇ、そういえばさぁ」
「なんだよ」
どうせ、明日の事だろう。明日、戦いが終わるんだからそれについて話そうとしているのだろう。こんな場面なら、今までの苦労について語り合うのかもしれない。だが、靈は全く別の事を聞いてきた。
「零固はなんで精神まで捕喰しないのかな?」
俺は戸惑って、すぐに答えることができなかった。その質問はとても簡単だ。ただ、靈が答えを求めた事が、困惑の原因だった。
古城靈ならばそんな質問はしないはずだ。そもそも、必要があるのはお前だけだから。
「逆になんで、古城靈はそうしたんだ?」
その答えを、知らない訳じゃない。確かめなければいけない、そんな使命感からの問いかけ。
「それは、僕が僕らしく生きるためだよ」
それは模範解答とも呼べる返答。だが、違うんだ。俺が、古城靈の記憶を持つ、古城靈であったものじゃなければ、古城靈の全てを理解したものでなければ、この間違いなんて見逃しただろう。
いや、今まで目を背けてきたんだ。ただ、死んでほしくないから、意識しないでいたんだ。
「お前は、自分が、なんのために生きてきたか、分かるか?」
古城靈であり続ける為、古城靈として生き続ける為だ。しかし、それが最終的な願いじゃない。
「僕は僕だよ」
「思い出す事から逃げるなよ。考えろ、考えて、思い出せないって事を思い出して!」
「僕の精神を縛る物、それのせいで思い出せないんだよ。考えてもどうしようもないでしょ」
いや、思い出せる。お前が思い出そうと思えば。自分自身で掛けた鍵は、すぐに開けられるはずだ。お前は、こんなにも古城靈でいたいと願ってる。古城靈であることを諦めた古城靈とは違って。
それをしないなら、俺が抉じ開ける。俺が、古城靈に戻す。
「逃げるな、古城靈でいたいんだろ。振り解けよ」
俺がそう言っても、目の前の人物は俯いて黙っているだけだ。
「僕は………古城靈だって……言ってるだろ!」
静寂を破るその叫びと魂が撒き散らされる。破裂し、蓄えた物を飛び散らすように。そして、俺の魂に入り込もうとする。
「害を通すな」
それに対して俺は、距離を取りながら、結界を張り、漂う魂との繋がりを断ち切る。
杭剣を抜いた彼は、地を蹴った勢いを乗せた、突きを放つ。防がれても、間を空けずに下から剣を振り上げる。それが弾かれても、今度は右から、次は上から、と攻撃は途切れない。向こう見ずで、型を無視したなげやりな連撃によって、結界に罅が入り、段々と大きくなる。
「お前は! 僕を! 否定! するから!」
振り下ろされた杭剣によって、ついに結界が割られる。隔てる物がなくなり、無防備となった俺の上に彼は跨がった。
肉体を強化するスキルは、彼の方が多く積んでいる。そのためか抜け出す事ができない。
「喉が潰れたらさぁ……」
それに続く言葉がすぐに思い浮かんだ。回避しようと抗うが、動く事ができない。
彼の手が僕の首を貫き、詠唱を遮った。喉の奥から血が吐き出され、塩気が口に広がる。
「喋れないし、詠唱もできない」
僕の首に手を突っ込んだままそう言った。
詠唱はできない。でも、魔法を発動するのに本当に必要なのは、イメージ。つまり、それさえあれば何かをトリガーにしなくてもいいんだよ。
俺が今、ここで、使うべき魔法は―――結界。
「何がしたいの?」
俺達を覆う、先程の四倍の厚さがある結界は、意味の無い物に見えるだろう。だが意味はある。殺されかけている状況では変だが、彼を閉じ込めるためだ。
後は、記憶を覆い隠す物を、取り払うだけだ。
覚悟を決め、彼の魂中に入っていく。人間としての感覚が消え、元々の魂だけの感覚が残る。
彼の魂に溶け込むように、沈み込むように、奥へと進んでいく。
妨害もなく、彼の精神に辿り着く事が出来た。だが、目の前には古城靈がいる。
精神に取り付いていた何かが、人の形を取る。気付けば、自分も黒く影のような体を得ていた。そして、感覚も再現したようだ。
「お前を戻しに来た」
その言葉に、靈はわざとらしく、肩を落として、ため息をつくような身振りをした。
「その前に、今の僕をどう思う?」
古城靈には魂を補喰する義務がある。彼はその義務を、怠る事なく果たしている。むしろ、喜んでやっている。自分が望んでいる事のように、当たり前のように、疑念も持たず。そして、ただ生きるために、自分が覚えている古城靈でい続ける為に。これも一つの古城靈のあり方だ。
「でも、前の方が良い。今のは人形みたいだ」
「その通りだよ。古城靈ってのは、名前だけ。今の僕は本当に、あれの研究通りの現象だからね」
「じゃあ、何で……」
「今から、君の知らない僕の話をしてあげるよ」
やっと殺してくれた。最後まで、古城靈として生き続け、死ぬ事ができた。もう解放されるんだ。そう思っていた。
「はじめまして、こんにちわ、私は転生神のエリアといいます。あなたの世界は滅び、あなたも死んでしまいました」
目の前には、自分が神だと言う白い少女。僕の体は古城靈の体。そんなことよりも、重要な事は世界が滅びた事。それは世界に刻んだ僕の存在は跡形もなくなったと言うこと事。失敗と言われた事に対して意地を張って、そうではないと証明した苦労は水の泡だ。抵抗を乗り越えて、誤魔化して、人を殺すことに耐えてきたのも意味の無い事になってしまった。
それでも、僕は自暴自棄にならないで、冷静さを保った。もう一回やれば良いと自分に言い聞かせた。だが、もう人を殺すのは疲れたと納得しない自分がいつまでもここにいる。
僕が出した結論は今の僕を作る事。僕の精神を二つに分け、もう一つの自分を作り、ある程度の人格を形成するために、記憶を入れた。そうして今の殺すことに何も感じない古城靈ができた。
最初は精神が不安定で、発言と行動に矛盾もあったが、今では、いろんな細工があり、安定している。特に大幅に調整したのは、あれが現れた時だと思う。あの時は、初めてこっちに来てからの記憶を抜いたし、思考の制限もした。あと、トキちゃんを眠りにつかせたのも僕。トキちゃんがいると、作られた方の僕が乱れるかもしれないからね。
正式に転生神として戦場に出た時は、殺されかけてて、焦った。自分が出ていってやろうかと思ったぐらい。思い止まり、冷静に考えて、零固を産み出す事にした。僕のシナリオの中で必要不可欠な役も空いてたから。
こんな感じにいろいろあって今に至る。
一応両方に思考の制限は付けていたんだけど、それで油断したら、この事故が発生してしまった。そろそろ潮時だったし、良いんだけどね。
「こんな感じで終わり! 閉廷!」
その声の、清々しさは奇妙だった。こんなにも明るいのはきっと、あと少しで古城靈としてこの世界に存在を残せるから。そして、古城靈であることから解放されるから。解放、それは死……哀しいな、こんなのは。幸せに暮らしてみようとか思わないのかな。
「それじゃ、現実へ戻ろうか」
「待てよ。古城靈じゃない存在として生きてみようとは思わないのか?」
彼は首をかしげて、フッ、と小さく笑う。
「お前がもういるでしょ。だからだよ、零固」
これ以上は、言おうとは思わなかった。俺には、彼の生き方を決める権利は無い。俺は確かに俺であって、古城靈ではないのだから。
「そういえば……零固の体、死んでるかも……しれない」
「ケテルの魔法を使えば、何体でも」
「そうだったね」
こんな事でも、本当の古城靈とゆっくり話せるのは、これが最初で最後かもしれない。