輪廻系人外恋愛のすゝめ
度重なる紛争と環境汚染の末、もはや自らの正常な姿かたちさえ忘却の彼方に、ことごとく異形と化した生命はびこる、最果ての惑星があった。
恵みをもたらすはずの太陽は汚泥のごとき暗雲に隠され、そこから降り注ぐ酸の雨が無情に大地を削り続けている。
早々にスペースコロニーへと逃避を果たしたごく一部の特権階級の者たちを除き、荒廃世界に生きることを余儀なくされた星の住民たちは、そのほとんどが地下に生活の場を移して、僅かな恵みを頼りに細々と生を繋いでいた。
そんな地中移民の子孫であるダラナントゥイアは、異形化人類の中でもほとんど最強と名高い種として誕生した。
見目を分かりやすく例えるならば、某シリーズ映画に登場する地球外寄生生物の、後頭部が短く尾のない姿といったものが適当だろう。
高い身体能力に、強酸による攻撃手段、不可視化の特殊技能を持っているところなど、まさしくといった風情だが、あくまで人間の末裔である彼は、単性生殖でもなければ、理知的かつ理論的な思考を持たぬわけでもない。
地下世界の中でも徹底的に環境管理された上級都市に生まれたダラナントゥイアは、正常な動植物を摂取し、何不自由なく健やかに育っていた。
当然ながら、そのような環境に生まれる者は稀で、一般には、野生の異常化動植物を、正しく命がけで狩り集めなければならない。
しかし、彼は成人を迎えると共に自らの血族の反対を押し切り、数少ない安全域である故郷を離れ、世界中をあてどなく流離う旅人となる。
とはいえ、仮にも最強種に連なる男であるからして、弱肉強食が常の貧民層に赴いたところで苦労という苦労もろくにせず、気ままなばかりの道程となった。
やがて、流浪の時を十年ばかり過ぎる頃には、高額賞金の手配される残虐な犯罪者や凶悪指定生物を相手に日銭を稼ぐバウンティハンターとして、荒事を生業とする者たちの間で広く名を知られる存在と化していく。
これは、そんな彼に訪れたひとつの転機の物語。
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ダラナントゥイアは、群れを作ることに対し忌避感はなくとも、家畜のように怠惰に飼い慣らされることには否定的な男だった。
安寧とした日々を厭っているわけではないが、さりとて種の存在意義すら見失うような堕落を受け入れるほど達観してはいない。
このような終末を待つばかりの世にあって、なんのための強者かと、彼は常に憤っていた。
さりとて、ダラナントゥイアは己の身内に対し、呆れの感情は抱いていても特に嫌っているわけでもない。
ゆえに、彼が彼らの元を飛び出した上で二度と帰郷の心積もりがないからといって、そこに決別の意味は含まれなかった。
要は、ダラナントゥイアには都市を離れなければならない理由があったのだ。
といっても、彼自身でさえ己の求めるものを明確に察せていないのが現状である。
時折、前触れなく記憶域に火花のように浮かんでは消える、青き正常世界の映像。
ダラナントゥイアはソレが脳へ焼き付けられるたびに、たまらぬ焦燥感に襲われた。
何をかは分からない、ただ、探せと、失ったと、ひたすら心が叫び出すのだ。
ひとたび慟哭に支配されれば、もはや彼が一つ所に留まることはできなかった。
そんな、ある日のこと。
常のように、暗き地上を経由し、新たな地下洞穴へと足を踏み入れたダラナントゥイア。
ちなみに、地上に降り続く酸雨を直に浴びるのは、弱種であれば早々に落命しかねない危険行為である。
世界中に点在する地下都市が必ずしも繋がり合う空間に存在しないため、全てを踏覇しようと思えば、彼のようにリスクを承知で酸にさらされるしかない。
また、時を重ねるごとに過酷化する地下環境において、被害の最たる貧民が特定地域に集うことで、暴動に発展する可能性を危ぶみ、敢えて通路を塞ぐ選択に到った都市もあった。
とはいえ、強靭すぎる肉体を保有するダラナントゥイアには、酸の雨など濡れて鬱陶しい程度の事柄でしかないのだが……。
高速移動で水気を飛ばしつつ、地上からすぐの凶暴な異形化動植物の蔓延る未開地層を進む。
当然、明かりになるようなものは何もないのだが、彼には完全な闇の中ですらも明瞭に見通すことのできる特殊な視界があった。
進行の最中、ふと、人種などいるはずのない空間に、か細い悲鳴が響いたような気がして、ダラナントゥイアは足を止める。
獣の鳴き声を誤認したかとも考えたが、聴覚をかすめたソレと同一音域を発する生物には思い当たりがなく、一応でも見定めておくべきだろうと、彼は即座に周辺の捜索を開始した。
新たに進化した異形化生物でもいるのならば、危険度を測るためにも狩っておくにこしたことはない。
強種である己が放置を選ぶことで、一帯の弱者が滅びる可能性もある。
それは、ダラナントゥイアにとって、なんとも寝覚めの悪い話だった。
そして、調査の末、彼は一体の生物を発見する。
もはや伝承にのみ生きる、遥か過去の彼らの祖先……人間という星殺しの原罪種を。
存在するはずのない「彼女」を視認した瞬間、ダラナントゥイアの記憶域は爆発した。
これまで意味もなく点滅を繰り返すばかりであった青き正常世界が彼の精神を飲み込み侵す。
数秒ののち、彼は知った。
己の過去を、焦燥の意味を、彼女の正体を。
今、ダラナントゥイアの目の前で、地にへたり込み息を荒げている人間は、彼がこの世に転生する以前の世界で行方不明となった、かなり親しい間柄にある女性だった。
突如消失した彼女を探して、探して、探し回って、その末に衰弱死してしまったのが前世の彼だ。
なぜこんな場所にいるのかという根本的な疑問を覚えるも、それ以上に、歓喜の感情がダラナントゥイアを支配する。
脆弱な人間である彼女には、光なき現状、数歩先に立つ男の姿を認識することも適わない。
懐かしさに喉の奥を震わせながら、ダラナントゥイアは全身を徐々に発光させていく。
周囲数メートルを薄緑色に照らしたところで、唐突な異形との邂逅にあんぐりと口を開け固まる女性へ、彼はためらいなく言葉を投げかけた。
「……コノミ」
「うえぇ!?」
コノミ、というのは彼女の名だ。
物語の中にしか存在しないはずの化け物が眼前に現れただけでも随分な衝撃であるというのに、更にその生物が初対面の己の名を呼んできたというのだから、これで驚かない人間もいないだろう。
「コノミ、生キテタ……良カッタ」
「どっ、どど、どな、ど、どなた様」
混乱と恐怖の最中にありながら、なお現状把握に努めようする発言が出るあたり、なかなかに剛の心臓を持つ女性だった。
とはいえ、自身の口が紡いだ音をまともに理解しているのかは怪しいところだが……。
「コノミ、サリュー、呼ンデタ」
「さ…………………………えっ?」
瞬間、目を見開いて彼を指差した状態で動きを止めるコノミ。
「さ、サリュエルっ!?」
「ソウ」
ゆっくりと頷いてみせるダラナントゥイアを見上げながら、彼女は音を出さずに唇を開閉させた。
そのままたっぷり十秒以上の時間をかけ、ようやく意味が脳に浸透したらしいコノミが、言葉にならない声を響かせる。
「……なんっ、か、そっ、どええっ!?」
「サリュー、死ンダ。マタ、生マレタ。
イマ、ナマエ、ダラナントゥイア」
彼の発言を理解するためか、再び全身の動きを止めるコノミ。
段々と眉が上がり、目が、口が、最大と思われる範囲まで開いていく。
「……っなんつーもんに生まれ変わっちゃってんのおおおおおおお!?」
数秒後、絶叫しつつ、彼女は頭を抱えて地に蹲った。
かの国とは似ても似つかない終末地下世界へと迷い込んでしまった現状、気にするべき事柄は他にいくらでもあるはずなのだが、パニック状態にあるコノミに冷静に思考するだけの精神的余裕は戻っていない。
小さく丸まる彼女の後頭部へ向かい、ダラナントゥイアは更に言を紡ぐ。
「コノミ、イナクナッタ。サリュー、探シタ。見ツカラナカッタ。
ダカラ、会エタ。嬉シイ」
「……………………うぅ」
呻くコノミ。
直視したくない現実から逃れるように瞼を固く瞑るも、元サリュエルがそれを許してくれない。
過去の姿と比べれば、微塵も面影のない異形の化け物だが、不思議と彼女は彼の言葉を疑おうとは思わなかった。
あるいは、およそ有り得ないはずの現象に翻弄される中、少しでも安心できる材料を、縋るものを欲していたからかもしれない。
転生を果たしたダラナントゥイアには十年単位の日々が過ぎ去っているが、コノミの立場で考えれば、神隠しにあった直後の話なのである。
常日頃から異世界トリップを夢見る若者でもなければ、早々状況把握など出来るわけもない。
ちなみに、彼女は職場からの帰り道、自宅へ続く最後の路地を曲がった瞬間、暗闇の中にいた、という体験をしている。
戸惑いの声を上げ、周囲へ呼びかけてみるも反応はなく、耳をすませば遠くにコウモリの鳴声のようなキィキィと甲高い音が届いて、コノミは恐怖から腰を抜かし、荒れた土の上に座り込んだ。
その少し後に現れたのが、某映画の寄生系地球外生命体に酷似した見目のダラナントゥイアだ。
気を失わず会話できているだけでも、年若い女性としては充分にすぎる対応だろう。
「あっ、あの、さ……そもそも、何でカラスだったサリューが日本語をしゃべれてるの?」
膝に顔を埋めたまま、コノミが上擦った声で呟くように問いかける。
寸前の言葉に出た通り、ダラナントゥイアの前世はごく一般的な野鳥のカラスだった。
ある日、ツバサを怪我して難儀していたところ、動物好きの彼女に拾われ手当てを受けたのだ。
完治し、再び空に還された後も、彼は度々コノミに会いに行き、彼女もまた、己にのみ懐くカラスの来訪を心から歓迎した。
「キオク、残ッテル。思イ出シテ、少シ、覚エタ」
「天才か」
「コノミ、サリュー、助ケタ。仲良シ、ナッタ。
ダカラ、今度、強イ、ダラナントゥイア、コノミ、守ル」
「サリュー……ぉぽぅ」
ツルならぬカラスの恩返しだ、と、可愛がっていた野鳥の言葉に感激したコノミが膝から顔を離した瞬間、改めて怪物の全貌が視界に入り、咄嗟に変な声を出してしまう。
そんな彼女の様子を疑問に思うこともなく、ダラナントゥイアは錆付いた扉のようなギィギィという音を喉から零しながら、ご機嫌にセリフを続けた。
「嬉シイ。ダラナントゥイア、ヒト、ナッタ。
今度ハ、コノミ、イッショ、結婚デキル」
「けゴッホェホォっ!?」
驚愕に叫びかけるも、おもいきり咽て失敗するコノミ。
カラスがそのような想いを抱いていたことも、どう見ても化け物の彼が自身を人と認識していることも、明らかな種族違いの彼女と平気で婚姻を結ぼうとしていることも、全てが青天の霹靂だった。
純粋な親しみの心からくる言葉なら、右も左も分からない身であるコノミにとって、同じ日本の記憶を共有する彼の申し出はありがたいばかりだったが、そこに女としての役割を求められるとなれば、途端に話は変わってくる。
人語を解するだけの知性はあるが、某地球外寄生生物に酷似した全く未知の生態の怪物の花嫁となるなど、ごく一般的な日本人女性である彼女には想像すらつくものではない。
体内からせり上がってくるおぞましさに、コノミは息を荒くし、全身を小刻みに震わせた。
「っひぃ……ぁ……ぅあ……」
もはや、まともに言葉すら発っすることの出来なくなった彼女へ、ダラナントゥイアはゆっくりと頭部を上下させる。
「コノミ、困ル、分カル。サリュー、ヒト、違ッタ。
ダカラ、ダラナントゥイア、待ツ」
「……え」
「コノミ、結婚デキル、思ウ、待ツ。
ダラナントゥイア、雄トシテ、雌ニ、アピール。
無理ヤリ、手、出サナイ。誓ウ」
「あ、はい」
彼は真摯で紳士だった。
サリューと呼ばれていた頃は、コノミの肩に止まってクチバシや頭を摺り寄せたり、膝の上で寛いだりといったことをしていたダラナントゥイアだが、彼は自身の姿が大きく変わったことと、それによって彼女が抱くであろう感情を正確に理解していた。
過酷化する世界と共に異形へと到った人種の誰よりも、原罪種である人間は弱い。
カラスという小さな存在だった彼が、コノミ以外の人族に恐怖や警戒心を覚えずにはいられなかったことから、逆の立場となった彼女の脅えには、ある程度の予測が立った。
だからこそ、寄り添いたいと思う衝動を堪えて、彼女を怖がらせないように触れることはもちろん、立っている場所から一歩も動かず、言葉を投げかけるに徹しているのだ。
こうして、話をしてくれるだけでも、彼をサリュエルだと信じてくれるだけでも、ダラナントゥイアはどれほど幸運なことか知っている。
パニックに陥り、がむしゃらに暴れ、自ら傷付き没す小鳥のように、コノミが儚くなってしまう事態だけは避けたかった。
とはいえ、守ると言ったダラナントゥイアに、一瞬でも喜色を見せた彼女に対して、返る反応を正しく想像しながらも、下心を隠して連れ歩くなど不誠実だと考え口を開いてしまう辺りなど、なかなか不器用な男でもある。
「コノミ、ココ、町、遠イ。
運ブ、イイ? 触ル、デキル?」
「んんっふ!?」
彼の言い様に、コノミはここにきてようやく、目の前の化け物が自身に遠慮している事実を把握することとなる。
だが、たとえ殊勝な態度を見せられたところで、根源的な恐怖がすぐに拭えるかといったら、それは全くの別問題であった。
たじろく彼女に、再びダラナントゥイアが語りかける。
「コノミ、知リタイ、イッパイ、アル、思ウ。
デモ、ココ、危ナイ。移動、シタイ。
コノミ、足、小サイ。ズット、町、ツカナイ。逃ゲル、デキナイ。
運ブ、イイ? 触ル、デキル?」
「うううっ」
説明と共に、彼は同じ文句を繰り返す。
聞けば、なるほど正論と思える理屈を述べる怪物だったが、未だ混乱の最中にある彼女の思考回路で本能を抑え込み理性を勝たせるのは難しい。
それでも、危険と告げられた場所に長居したいとも思わないので、コノミはなけなしの勇気を振り絞って、摺り足で少しずつ化け物の元へと近付いていった。
「ううううう、ごごごごめん、本当はサリューのこと怖がるなんてすごく失礼で可哀相なことだとは思うんだけど、でも、その、う、動かないで、お願い、動かないで、今、わた、私から触ってみるから、まだ動かないでぇぇぇっ」
悲鳴にも似た懇願を受けて、了承の代わりに黙り込むダラナントゥイア。
互いに真逆の理由で心臓の鼓動を最大級に早めながら、接触の瞬間を迎えようと時を刻む。
「あああああ怖い怖い怖い怖い怖いうああああああああッ」
激しく叫び涙目になりつつも、コノミはヤケクソのようにジリジリノロノロと進める足を止めない。
そうして、開始から数分後、ついに、二人はその手と腕を触れ合わせるに至る。
「ひぃぇあぁあああああああ研磨された硬質な宝石のようなツルリとした触り心地でありながらどこか卵を落しても割れない衝撃吸収マットのような弾力も感じられ更に熱くも冷たくもないという中途半端な体温が絶妙に脳を困惑させてとても生き物とは認識できない知覚がそれを生き物と知っている前提と噛み合わずに別に感触としては嫌悪感もない程度のものなのにやたらと全身鳥肌立って気持ち悪い状態ぁああぁあああああああああああ」
これがテレビに出演するタレントなら、大いにプロ根性を讃えられそうな細かな雄叫び解説だった。
無駄に声を張り、及び腰で背を仰け反らせつつも、ダラナントゥイアの腕に乗せた手は離さない。
臆病なのか、豪胆なのか、非常に判断のつきにくい女性であった。
「ひぃぃひぃぃえぁあぁあ待ってサリュエル待って慣れるからもう片方の手もいくから待ってまだ動かないでぅおおおおおおぉほぉおおおおうはぅぁあああぁあああ」
今、あえて動くように指示されたところで、ダラナントゥイアがそれを叶えることは出来なかっただろう。
カラス時代には見ることのなかった極限状態のコノミの姿に、彼の思考と肉体は完全に停止してしまっていたのだから。
「ああーーーーー逃げたい逃げたい逃げたいコワイ恐い怖いこわいあぁああぁあああああいっけぇえええええええええええぇ私の左ぃぃぃぬぐあぁああああエイドリアぁーーーーーーーーン」
未開地層に最弱種の奇声が響き渡る。
それから数時間を経て、ようやく互いに慣れたらしいコノミとダラナントゥイアは、おぼつかないながらも抱き上げに成功し、そのまますんなりと町へ到った。
安全な高級宿の一室で元カラスを自称する怪物から情報を得た迷子の地球人は、表向き、真偽を確かめるため、また帰郷の手がかりを求めるためとして、しばらくの間、彼との二人旅を決意する。
人々から知識としてすら失われつつある世界唯一の原罪種である彼女の存在は、良くも悪くも多くの問題を引き寄せた。
されど、通常、上級都市にのみ生息する強種であるダラナントゥイアが力の限りを尽くすことで、その全てを退けることに成功する。
そうした忙しない日々を送る内、彼の献身的な態度に徐々に絆されたコノミは、やがて、心から彼の愛に応えたいと想うようになり、花嫁となることを承諾する。
かくして、結婚の手続きのため、また、安全な場所での暮らしを求めて、ダラナントゥイアは愛しい恋人を連れ、再び故郷の上級都市へと足を踏み入れた。
姿形は置いて、知的で穏やかな彼の家族に大いに歓迎されながら、間もなく、二人は慎ましやかな挙式を上げた。
その後、彼らは時に終末世界ゆえの苦労に見舞われながら、なお互いの命の尽きるまで、睦まじく幸せに暮らしたのだという。
THE END
おまけ
旅開始から一週間後
「コノミ、惚レタ?」
「無理っ」
一ヵ月後
「コノミ、惚レタ?」
「惚れないってば」
三ヵ月後
「コノミ、惚レタ?」
「ま、まだ」
半年後
「コノミ、惚レタ?」
「う、も、もうちょっと待って」
一年後
「コノミ、惚レタ?」
「………………ハイ」