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枝葉末節・其の3【強面、だけど】

 東海道本線。1964年(昭和39)に東海道新幹線が開業するまで東京・大阪間を結んでいた、当時最速のビジネス特急「こだま」(一部は東京・神戸間で運行)。不可能と言われていた東京・大阪の日帰りを実現した電車特急。国鉄(現JR)初のボンネットスタイル、クリーム色と赤色の2トーンカラーの車体、冷暖房、固定窓、クッションのきいた2人掛けのロマンスシートと、日本の鉄道のシンボルとしての設備とステイタスを誇る列車が疾駆する(*1)。


 予約するのが困難といわれた車両は、ビジネス客、観光客で満席だ。食堂車へでも向かうのだろうか、二等車(現在のグリーン席)の通路を肩で風切る風情の男たちが歩いてくる。歩きながら何気に左右に視線ガンを飛ばす。素人でないことは一目瞭然。彼らに気づいた乗客たちは慌て目をそらす。触らぬ神になんとやら、だ。先導役はポマードで固めたリーゼントにレイバン風のサングラス、派手なアロハシャツにジャケットを肩に羽織った若い衆。続くのは兄貴分と思われる年長者。仕立てのいい背広を着ているが、威圧感は並大抵ではない。その後ろにはさらにふたりの若い衆。と、先導の若い衆が振り返り、兄貴分に耳打ちする。


「アニキ、あれ、あそこ……」


 車両の先のシートに目をやった兄貴分は、瞬時立ち止まって若い衆たちに小声で指図した。


「オレのやる通りにしろ。目を合わせんじゃねぇぞ、いいな! おぃッ、サングラス外せ! 

上着の袖通せ!」


 兄貴分が先導役を押しのける。なぜか緊張感を孕んだ行軍再開。斜に構えていたはずの歩みが補正されている。若い衆が見つけたシート前。


「お疲れさまです。失礼します」


 兄貴分が早口で挨拶、会釈して、そそくさとその場を離脱する。見ていた若い衆も右へならへ。同じ言葉を発し、ぎこちなく頭を下げてアタフタと付き従う。


 食堂車前のデッキ。


「どこぞの親分さんですか? アニキ」


「バカ野郎、知るかそんなこと! いいか、ああいうのに出くわしたら、さっきみてぇに〈したで〉に出ときゃあそれで丸く納まるんだ。触らぬ神になんとやら、だ。覚えとけ!」


(あの人は何者!?)


 怖い人たちが去った二等車内は、好気の目であふれていた。


(阿呆ぅどもが。ワシを〈スジもん[筋者]〉と勘違いしおって)


 乗客たちの視線の先にいた人物。50がらみの着流しに黒めがねの男は、袂から取り出した煙草に火をつけ、にやり笑う。父「黒めがね」KN造の逸話(実話です)。


 黒めがねは、ここぞというときは着物でキメていました。冠婚葬祭用の紋付袴はもちろん、外出用の羽織袴も季節ごとに複数揃える着道楽でしたが、なにより好きだったのは、若い頃から変わらない着流しでした。ふらり東京などへ遊びに出かけるときも着流しに小さなボストンバッグというスタイルが多かった。身長は170cm弱。肥満というほどではない腹の突き出た、いわゆる恰幅がいいと形容されるその体型は着物との親和性は抜群。派手ではないけれども凝った襦袢をちらりのぞかせる、わずかに着くずした〈粋な〉着こなしが、黒めがねの本領でした。


〈粋な〉着こなし。どう説明すればいいのか。そうだ、例がカッコよすぎかもしれませんが、映画『昭和残侠伝(*2)』の池辺良(*3)のイメージが近いのかなぁ……。しかもしかも、鼈甲縁の黒めがね。日常の彼を知らない人たちから「素人ではない」と断じられてもいたしかたない。そんな男でした。


 逸話をもうひとつ。


 岡山市三番町・ヨシユキ組。寝静まった深夜。けたたましく鳴る電話に母・TM子が応対する。僕の実家は土木業者です。あってはならないことですが、不慮の事故は避けるすべがない。夜を徹した工事現場で事故が起こったという報せ。


「タクシーを呼べ!」


 起きだして身支度をすませた黒めがねが母に命じます。


「なんしょんなら(何しんんだ)!」


 来ないタクシーに苛立つ黒めがね。それが不幸のはじまりでした。ようやく到着したタクシー。前回書きました。黒めがねは、岡山のタクシー運転手の間で「あの人を知らんヤツはモグリじゃ」とウワサされた男でした。しかしたまたま、当夜配車されたクルマの担当は新人だった。岡山市街から20~30km先の目的地。昭和30年代(1955~1965ころ)の話です。苛立つ黒めがねに指図されるまま走らせるクルマは、街灯も途切れた果てしない闇の中、山道を突き進んでいく。


 運転手がルームミラーをしきりに気にする。ハンドルさばきがおぼつかない。


(もう辛抱たまらん!)


 急ブレーキをかけた運転手が懇願する。


「だ、旦那さん、どうか命だけは助けてくださいまし!」


 一刻も速く事故現場に到着したい父の当夜の出で立ち。現場の寒さを勘案したボア付きの革ジャン。そして、いつもと変わらぬ「黒めがね」が、初めて彼とまみえた運転手をパニックに陥れた。


「阿呆う! 誰がおめぇ(お前)なんか殺すか! さっさと行かんか!!」


 運転手は半泣きでアクセルを踏み、タクシーはまた進みはじめる。


「ワシはそんなにガラ〈柄〉が悪りぃかのぅ」


 黒めがねがこの顛末を笑いながら話していたことを覚えています。こんな逸話ばかりだと、ほんと黒めがねはただの柄の悪い土建屋のオヤジと思われますよね。父親だから擁護するわけではありませんが、けっしてそんなことはなかった。


 黒めがねに手を引かれて大通りを歩く。幼稚園に入るか入らないかのころ。夏でした。黒めがねは白のポロシャツにグレーのスラックス。夏定番の、お気に入りのパナマ帽をかぶっていた。僕も日除けのバケットハットをかぶらされていた記憶がある。このときは「ダシ」ではなかったように思います。


 僕たちの向かう先から、麻の背広をびしっと着こなした老紳士が歩いてくる。


「これはこれは○○さん、ご無沙汰いたしまして」


「おぉヨシユキさん、ご壮健で。そちらはお孫さんかな?」


「いえ、おそぅに(遅くに)できた下の息子でございます。さぁご挨拶せんか」


「こんにちは」


(挨拶させられる僕)


「おぉ、ようできた。はい、こんにちは」


(後はふたりで、なんじゃらもんじゃら……退屈なひととき)


「それではまた。ご無礼します」


 脱いだパナマ帽を胸に当て会釈する黒めがねの所作がキマっていた。大切な人と邂逅してしばし談笑し再会を約する別れまでの、作法に則った、しかし格式張らない澱みない流れ。


(パパ、いつもと違う……)


 いまはほとんど見られなくなった大人の男の礼式・礼法。巧まずしてそれができる。なぜか強い記憶として残っているシーンです。


 黒めがねは、瞬間湯沸かし器というか、感情の振れ幅が極端・激烈な人でした。いったん感情に火が点くと、もう誰も止められない。声がまたデカいので怒鳴り声をあげた瞬間は、ギャグ漫画のように軀がピョンと跳ね上げられるような気さえしたものです。少年期から青年期にかけて、親も教師も匙を投げる乱暴者として鳴らした男ですからその迫力は半端なかった。ただし、家族に手を挙げることはなかった。「素人(?)に手ぇ出すなんぞ、もってのほか!」とでも思っていたのかもしれません。黒めがねの武勇伝については改めて書きます。


 強面、そして傍若無人、さらに我儘勝手。ところが「蝉の羽根」に代表される、自分の身の周りの物は「そこまでやるか!」と思うほどに繊細なホンモノを好みました。まぁ、ややこしい男でした。そんな男でしたから、彼を苦手とする人たちはあまたいました。反面、数は限られているけれども、黒めがねのことが大好きな人たちも確かに存在していました。なかでも女たちには人気があった。


 以前書いたコメントの再録。「KN造さんは姿も気性も、ぜぇんぶ型がよかった(カッコよかった)。えぇ男じゃったなぁ」(若いころのKN造を知る同級生のお祖母さん)。「ヨシユキのKN造さんの息子さん!? お父さんはお元気かなぁ? あの方はなぁ、岡山の夜の街で初めて『パパ』いうて呼ばれた人なんよ。ほんま(女には)よぅモテたんよ」(かつて水商売をやっていた老婦人)。笑うほど評判がいい。


 黒めがねが実の娘のように愛した、姪で女優のKZ子のコメントも忘れられません。


「叔父ちゃんはこころが細やかで繊細で、本当にチャーミングだったわ」


 無軌道な女道楽に苦しんだ母・TM子も、遠い目をして思いを馳せる。


「パパにはずいぶん苛められた……でもなぁ……やっぱり……好きじゃった……」


 男冥利に尽きる讃辞、死んでなお続く「モテキ」。書いててなんか〈いやんなって〉きました。人は誰しも二面性を持っている。明と暗、正と邪、ホンネとタテマエ。黒めがねの場合はなんと表現したらいいのか。既出の文章を転載します。くやしいけれどあまりに端的すぎて、あれこれ僕が書き連ねるのはムダと判断しました。黒めがねが最もこころを通じ合わせた男、甥・JNN介が、彼の死に際して週刊誌に発表したエッセイ。ポイントは、「帰郷」と題されたその冒頭の一節に集約されている。


 ──(以下転載)


 【帰 郷】


 もう二十年くらい前のことになってしまったが、安岡章太郎が

 岡山に取材旅行に出かけるというので、市内の鮨屋を推薦した。

 

 安岡がその店に行き、背の高い椅子に座って酒を注文してから、

 自分がなぜ来ることになったかの経緯を主人に説明した。


 和服の着流しに黒眼鏡をかけた男が、隅の席にいて酒を飲んでいる。

 安岡のほうを見てニヤニヤニタニタと笑っているので、

 不気味な気分でいると、


 「ヨシユキさんなら、叔父さんがあそこにおられます」

 その黒眼鏡の男のことを教えてくれて、挨拶を交わしたそうだ。


 「なんともガラが悪そうだったけど、おもしろそうな人物だった」

 と、安岡がシンパシーを表明してくれた。


 たしかにその言葉のとおり、ガラは悪いのだが、ヒンは悪くない。

 「柄」と「品」とどう違うか、いささか禅問答風になるが、

 それぞれの漢字を見ていれば、なにか分かってくるだろう。

 くわしくは省略。


 (後略/転載終わり)──(出典:エッセイ集『日日すれすれ』)


「ガラ(柄)とヒン(品)」。なるほどなぁ、そういうことだよなぁ……と思いつつ、この話続きます。


(枝葉末節・其の3【強面、だけど】了)


―――――――――――――――――――――――

【脚注】


*1 疾駆する:1958年(昭和33)開業の、国鉄(現JR)が当時世界に誇ったビジネス特急「こだま」の最高時速は110Km/h。東京・大阪間を6時間40分かけて結んでいました。東海道新幹線の「のぞみ」は最高時速270Km/h(同区間2時間25分)。隔世の感がある話ですね。


*2 昭和残侠伝:1965年(昭和40)から1972年(昭和47)にかけて全9作が公開された東映の大ヒットヤクザ映画シリーズ。主演の高倉健が歌う主題歌『唐獅子牡丹』、「死んで貰います」という名科白でも有名です。


*3 池辺良:戦後の映画界に輝いた二枚目俳優(1918年[大正7]~2010年[平成22])。名エッセイストとしても知られる。『昭和残侠伝』シリーズでは主役の高倉健を助け、悪党どもの非道な仕打ちに堪えに堪えたあげく、健さんとふたりだけで悪党のもとへ斬り込んで死ぬという、カッコいい役どころ。第7作の『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970年[昭和45]公開/マキノ雅弘 監督)では、クライマックスで健さんに番傘をさしかけながらキメる科白「ご一緒、願います」が流行語となった。ちなみに彼は黒めがねの大学の後輩にあたります。(参考資料:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典「池辺良」最終更新 2016年11月3日 (木) 10:18 https://ja.wikipedia.org/wiki/池部良)

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