枝葉末節・其の23【けんからぷそでぃ…なんちゃって5】
以下は大正時代のアウトローについての記述が中心になりますが、関連する組織・人物名等はすべて架空(筆者の妄想)であることをお断りしておきます。
真夏の陽射しがようやく傾きはじめた。しかしここ岡山では、日暮れから1~2時間ほど、風が、ぴたり止む。日中、木陰に、生温いけれども微かな涼を届けていた海風と、夜半から流れくる陸風の完全休止。瀬戸内海沿岸地方独特の、凪と呼ばれる現象だ。凪の海はひたすらに鎮まり、粘度を増したように、艶かしくゆるやかに、たゆたうのみ。夕日を写すそのさまは「鏡」とも称される。町家の煮炊きの煙が、一糸乱れず真上に昇る。蒸し暑い。
岡山の商店街、表町の裏通りを、着流しに雪駄の男が往く。右手を懐手にして胸元をわずかに開け、左手でつまんだ裾を腰あたりにひょいと持ち上げ、向こうずねを覗かせ歩く姿が決まっている。小粋だが堅気ではない風情。江戸前に言うなら「鯔背」ということになるのだろう。お店の裏口、小商売の店や町家、長屋が入り交じる通りは、賑わう表通りとは較べようもないが、人の通りが絶えることはない。忙しげに立ち働くお店の手代や丁稚、女衆が男を見つけて、にこやかに挨拶する。「暑ちぃのにご苦労さんですのぉ」男が会釈を返す。見知りの人物、小店の亭主、女房衆から声がかかる。
「しんさん、お疲れさんじゃのぅ」「しんさん、余りもんでわりぃ(悪い)けど、これ持っていきんさい(いきなさい)」「しんさん、こねぇだ(この前)は助かったで、ありがとな」「しんさん、ちいっと寄っていかんか」「しんさん……」「しんさん……」「しんさん……」。
「しょうびゃあ(商売)繁盛か」「おばちゃん、いつもすまんのぉ」「なんぞあったら、いつでも相談のるけぇのぉ」「ありがとさん、こんど寄せてもらうけぇ」……。
方々からかかる声に、律儀に応えながら歩く、「しんさん」と呼ばれる男、柿沼新三郎。年の頃は30前後。背は高からず低からず、がっちりとした体躯が着流しの端々から覗く。床屋帰りかのような毛並みの角刈りに太い眉、ぎょろり人を射るような眼が、町衆の声に緩む。二枚目ではないが、渋い男前と言えなくもない顔立ち。その表情が一気に崩れる。
「しんさん、待っとったで」「しんさん、遊ぼ」「しんさん、今日はなんくれるん(何くれるの)」……。
いつの間にか「しんさん=新三郎」は、裏通りのガキどもに囲まれている。
「待たせて悪かったのぉ」「こんど、パッチン(めんこ)教えちゃるけぇ、待っとれ」「ねだる前に、垂れとる青洟ぁ(を)なんとかせぇ。しょうがねぇのぉ、拭いちゃるけぇ、じっとしとれ」……。
子どもに弱い、らしい、新三郎が振り返り確認する。
「おばちゃん、これ、こいつらにやってえぇか」
「あぁえぇえぇ、やっとくれ」
女房衆からもらった包みには〈まくわ瓜〉が入っていた。
「ぎょうさん(たくさん)あるけぇ、お母ちゃんらに頼んで、ちゃぁんと分けてもらえ。水で冷やすと旨ぇで」
「さすがしんさん、やっぱり大好きじゃ」
本日の獲物を得た歓喜の渦。大人びた〈デジタル〉なお追従の言葉を残し、〈まくわ瓜〉を奪い合いながら走り去る子どもたちを、新三郎は苦笑いして見送る。そして、「めし 酒 吉備屋」と墨書された赤提灯を掲げる小店の縄暖簾をくぐる。
「オヤジ、えぇか」
「……今日は早えぇのぅ。好きなとこ座れ」新三郎の声に振り返った店主が、ぶっきらぼうに答える。
「お疲れさんですのぉ……」先客に声をかけ、新三郎は隅の目立たないいつもの席を確保する。
「なんする(何にする)」
「今日はちいっとえらかった(しんどかった=忙しかった)けぇ、奢ってビールにするか」
「豪勢じゃのぉ。よし、氷でよぉ冷えたヤツ(を)出しちゃる」
大正当時のビールはまだ高級品だった。〈カンカン、シュポッ〉──栓抜きで王冠を軽く叩き、栓を抜く──いまや忘れ去られたビール呑みの儀式=ルーティンを経て、濃茶の肌によく冷やされた証、細かな雫をまとったビール瓶が置かれる。〈コッコッコッ〉──ひんやりとした瓶の心地良さを掌に感じながら粗末なガラスコップにビールを注ぎ、盛り上がる泡とともに一気に喉に流し込む。
(嗚呼ッ……旨ぇ)
「あッ、兄貴、やっぱりここじゃったか」
新三郎の至福の時は、あっけなく崩壊した。現れたのは弟分の政二だった。
「おめぇはほんま(本当に)、まんがわりい(間の悪い)ヤツじゃのぉ……ま、えぇ、ほれ、おめぇも呑め」
「徳田屋の話は、片ぁついたんか」。「ありがてぇ、ありがてぇ」夢中でビールを飲み干す政二に、新三郎が問いかける。
「へぇ、つつがのぅ(恙なく)穏便に……じゃが、旨ぇですなぁビールは……あぁそうじゃった、兄貴、ちぃっと小耳にはさんだんじゃが、しあさっての夜、中学生が奥市のグランド(グラウンド)で果たし合いをやるらしいんですらぁ」
「阿呆ぅ、ガキ連中の遊びなんぞ、勝手にさせとけ」
「それがどうも、兄貴、丑寅がからんどるらしい」
丑寅という名を聴いて、新三郎の表情が曇る。声のトーンが低くなる。
「あの〈あんごう〉(岡山弁で『阿呆』の最上級)、今度はなにをやらかすつもりじゃ」
「さぁ、そりゃぁわかりゃぁせん」
「オヤジ、マサにビール出しちゃってくれ」。「兄貴、ありがとさんにござんす」喜色満面の政二に、新三郎の声がかぶさる。
「マサ、その中学生らと丑寅にどねぇな仔細があるんか、ちいっと探ってくれんか」
「へぇッ、兄貴の頼みならなんなりと」
ビールを愉しんだ政二が町へ飛び出していく。煙草に火を点け一服する新三郎の表情からは、先ほどまでの穏やかさが消えていた。新三郎は、いわゆるヤクザである。かつて川湊として栄えた京橋の仲仕取りまとめにはじまり、時代を経て土木人夫の手配請負、千日前の興行差配でのし上がった「庵戸組」の代貸格。岡山一の繁華街「表町」八カ町の大半は庵戸組の〈シマ内〉(縄張り)だった。
(枝葉末節・其の23【けんからぷそでぃ…なんちゃって5】了)
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