枝葉末節・其の21【けんからぷそでぃ…なんちゃって3】
堀割・柳並木の西川沿いを南に下る。瓦橋で道を東にとり、大雲寺から千日前の興行街にさしかかる。ここはかつて、天瀬可真町(*1)と呼ばれた、武家屋敷が並ぶ土地だった。明治以来、帝国館、金馬館、若玉館といった活動写真館(映画館)が進出し、いまは岡山を代表する歓楽街になっている。
ちゃらチャラ、ちゃらチャラ……。KN造は、雪駄の裏革に打たれた尻鉄が道を擦る、リズミカルな音に身を任せながら、千日前の南、天瀬の町に入っていく。
(この辺のはずじゃが……)
町家の一角にそれはあった。臨済宗法林寺。小体だが歴史を感じさせる寺の門前に立つ。KN造は生来、抹香臭いこと、場所が大嫌いだった。家の宗旨、日蓮宗不受不施派の熱烈な信徒(*2)である、父ST郎の信心のありようを、ただ斜めに眺めていた。冷静沈着なリアリストであるはずの、事業家の父が、こと寺や坊主のこととなると一変した。
(坊主なんぞにへえこらして、なにを考えとるんじゃ、親父は)
不信心者の、そんな感慨はともかくとして、KN造は本堂脇の、庫裡に声をかける。
「こんにちは」
反応がない。もう一度、今度は少し強めに「こんにちは」と声にする。と、奥から絽の法衣を纏った大柄な坊主が現れた。
「どなたかな」
穏やかだが威厳を感じさせる坊主だった。だが、KN造にとっては、しょせん坊主は坊主だった。ただ、喧嘩を売る気はないので、ひとまずは丁寧に挨拶。
「こんにちは、岡山二中の、ヨシユキ言います(*3)」
「おぉ〈りゅうこう〉のお友だち。庫裡の横の、竹林を抜けたとこに離れがありますけぇ。そこが〈りゅうこう〉の部屋じゃ。ささ、お通りんさい……今日はなんかあるんかのぉ……」
一礼して、竹林の細道を抜ける。
(〈りゅうこう〉か。あの人たらし、料治〈隆光〉も坊主になるんか!? 人たらしの軟派坊主。ヤツには似合いかもしれん。じゃが、あの、[料治の親父らしき坊主が呟いた]「今日は……」いうんは、なんじゃ)
竹林が途切れたところに、古文の教師が説明していた……ような気がする、草庵を彷彿させる離れがあった。
「おぉヨシユキ、待っとったで。さぁ入れはいれ」半ば開かれた障子戸の先に料治がいた。部屋前の沓脱ぎ石に、下駄が三足、靴が二足置かれている。
(ほかに、誰ぞおるんか……)
料治の部屋には先客が4人いた。「お主が学校で信用しとるヤツはだれじゃ。もちろんワシを除いてじゃが」と、昨日料治に訊かれ、しばし考えたKN造が列挙したヤツらだった。
「おぅッ」ぶっきらぼうな、互いの挨拶。六畳ほどの離れに男の子が6人。彼らは自然と車座になる。大正末年も、日本の夏は暑かった。しかしそれは、摂氏30度を超えると騒ぎになる程度の穏やかなもの。草庵の、開け放たれた障子・窓から、竹林の風が吹き抜ける。
武政小太郎。抜群の運動神経を誇る優等生。だが、校内では「ひねくれ者」という悪評にさらされている。それは、汲々として上級学校を目指すしかない、凡百の、上っ面だけの優等生=点取り虫とは一線を画している、いや、一切交わろうとしないから。
「ワシは帝大に行く。じゃが立身出世なんぞどうでもえぇ。漢詩唐詩をもっともっと識りたい、それだけじゃ」。──(七面倒くせぇもんを目指しとるが……)赤点スレスレのKN造だったが、その気分は、なんとなく共感できた。
小倉一。茫洋として捉えどころがない大男。口数少なく、しかし、「人」を冷徹に観察していることは、なんとなく推量された。時折発せられる、穏やかだが寸鉄人を刺す言葉は傾聴に値すると、KN造を含めた、一部の生徒たちの間では認識されていた。学内では「変わり者の毒舌家」として浮き上がった存在。
「先生、生徒の成れの果ていうが(前述の「と」抜き表現。以下と補足)、威丈高なん(なヤツ)が多いんは、自分の教師によほどの恨みがあったか、なんも勉強せんかったとしか思えん」。──「そのとおりじゃ」KN造は、小倉の、そのひと言に快哉を叫んだ。
瀬野時直。入学直後に拳を交わした男。愚直な激突のありようと、やめ時の判断、引き際の潔さが気持ちよかった。それ以来、互いに一目置く存在だった。ラグビー部のフォワードの猛者だが、チーム内では煙たがられている。
「ラグビーは、ノーサイド《と》いう精神が肝いうんは、ようわかっとる。じゃが、試合は勝つんが大事なんじゃ。『善戦したんじゃから、それでえぇ』《と》いう、あいつら(チームメイト)の根性が許せん。やるからにゃあ、勝たんと意味がねぇ」──それは、KN造もまったく同感だった。
安藤雄二郎。KN造の合わせ鏡のような、喧嘩上等小僧。ヤツもまた、一匹狼だった。一触即発のにらみ合いもあったが、まだ、どちらも手を出していない。──(こいつとやる前に、潰さにゃおえん阿呆ぅどもが、ようけ[たくさん]おるけぇのぉ)そんな気分だった。
こころの裡で身構えながら、目を合わさず、安藤と言葉を交わすことがあった。「則武をやった[潰した]いうて、えぇ気んなるな。手下のワルふたり、ワシなら、間髪入れずあいつらを叩く」。今回の〈果たし状〉騒動の発端となった、KN造の突撃武闘(本稿・其の15をご参照ください)を聴いた安藤のひと言。
「お前ぇに、とやこう言われる筋合いはねぇ」。応酬したKN造だったが、半年近く、その秋を待つことになる意味を、その時点では考えていなかった。安藤は、喧嘩上等にして、KN造の対極にある戦略家としての一面を持つ男だった。
(枝葉末節・其の21【けんからぷそでぃ…なんちゃって3】了)
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【脚注】
*1 天瀬可真町:「あませかしんちょう」と表記している資料もあります。どちらが正解か不明です。
*2 日蓮宗不受不施派の熱烈な信徒:ヨシユキの故地である御津郡金川(現・岡山市北区御津金川)に、日蓮宗不受不施派の総本山・妙覚寺があります。江戸時代を通じて禁教とされた不受不施派が、明治期に復興を許されて建立した寺です。その本堂の、大人の僕が抱えようとしても、手が足りないほどの大柱・6本を寄進したのがST郎でした。2003年(平成15)火災で、本堂の一部が焼失するという災禍に見舞われたものの、その後再建。「ヨシユキさんが寄進してくださった大柱があったから、本堂が守られたんです」。最近のことです。法事の相談で、僧侶のひとりと話すことのあった兄が聞かされた話です。それまで、兄も僕も、そんな祖父ST郎の事蹟についてはまったく知りませんでした(母からも聴いた覚えがありません)。自分の実績・功績について、ことさらに語ることを善しとしなかったST郎の、面目躍如たる話です。
*3 ヨシユキ言います:標準語なら「ヨシユキと言います」。岡山弁の特徴のひとつとして「~と~」の「と」が省略される傾向があります。(一例を転載します)「早く起きようと思った」は、岡山弁では「ハヨーオキヨーオモータ」。(出典:大好き!晴れの国おかやま─『おかやま弁』のあれこれ http://www.miryoku-harenokuni-okayama.jp/data/okayama-ben.html )




