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枝葉末節・其の19【けんからぷそでぃ…なんちゃって】

 KN造は掘割の、柳の木陰の石垣に座り、果たし状を見るともなく考えていた。西に傾く夏の陽射しは強烈だったが、木陰にはときおり、なま温い川風が吹き抜けた。


「おい、こんなとこでなんしょんなら(何してるんだ)」


 ふいに背後から声がかかる。慌てて果たし状をポケットにねじ込み振り返る。二中の同級生、料治隆光だった。


「なんもしょおらん(何もしてない)、あちい(暑い)から川風にあたりょぉった(当たっていた)だけじゃ」


「あやしいのぉ、お主、なんか手紙みてぇなもんを一心に読んどったじゃろ。読んじゃぁ目線をそらして、もの思いに耽る風情じゃったで」


「阿呆ぅ、そんなことはしとらん」


「ははぁん、ついにお主も色気づいたか。どこぞの女学生から付けラブレターでももろうたな。どれ、ワシに見せてみぃ。どんな女か見定めちゃる。ついでに女の扱い方も教えちゃるけえ」


 料治は、好き嫌いが極端なKN造の、数少ない友人のひとりだった。同級生の中では頭抜けて大人びた男。軟派生徒の代表格だった。〈性徴〉著しい、というか、思春期のもやもやに忠実なさばけた女学生や、軀の芯の疼きを抑えきれない有閑婦人との広範深淵な交遊はもとより、すでにして「中島遊廓」の常連でもあった。


「違う言ぅとろうが」


「怒ったんか、すまんすまん、許せ」


 阿弥陀にかぶった角帽の下に、いつもの、人をそらさぬ、愛嬌ある料治の笑顔があった。KN造の怒りの矛先が緩む。


(……人たらしめ)


 硬派一直線のKN造と軟派道まっしぐらの料治。水と油とも思えるふたりは、入学当初から気が合った。頭の回転が速く、教師たちはもちろん、なにより、女たちの歓心を買うすべを熟知した要領のいい男だった。しかしKN造は料治の別の一面を知っていた。めったにあることではないが、馬鹿者ども=ワル連中の理不尽な矛先が自分に向かうや、にこり、不敵ともいえる笑みを浮かべながら、鉄拳をふるって撃退する。「おめぇは国定忠次(*1)か」。現場に遭遇したことのあるKN造も舌を巻く鮮やかさだった。なにより、衆に組しない、人に干渉しない態度が好ましかった。その料治が、今日はKN造に干渉した。


「ほれ、読んどったのは、これじゃ」


(喧嘩はワシの問題じゃが、料治なら、ま、えぇか……)


 KN造は料治の「人たらし」魔術にはまった。ポケットから差し出した果たし状。くしゃくしゃの奉書紙を読む料治が笑った。


「大仰な。度し難い阿呆ぅじゃのう、春日井は。なにが義烈団じゃ、やっとることは〈下劣団〉じゃねぇか。じゃが、あやしいのぉ、これは」


「ワシもそう思う。玉出が糸を引いとる」


「あぁ間違いねぇ、黒幕はヤツじゃ。春日井は天下に隠れもねぇ阿呆ぅじゃが、一本気なところがある。じゃが玉出は……」


「……陰険な男じゃ」。


「あぁ、しかも悪賢い。どうせ行くんじゃろうから止めはせんが、騙し討ちに合うのは業腹じゃのぉ……えぇで、ワシが、ここに書いてある立会人になっちゃる」


「お前ぇも巻き添え食うで」


「阿呆ぅ、誰がただやられるか。まだ日がある。お主は春日井と勝負する策を考えぇ。謂ぅとくが、ヤツは強ぇで」


「わかっとる。一対一なら負けん」


「お主らしいのぉ。まぁ、骨は拾うちゃるけぇやれるだけやれ。ここんとこ〈これ〉らとくんずほぐれつやっとたから、軀が鈍っとったんじゃ」


 右手の小指をかざして料治が微笑む。喧嘩は情事の調味料とでも言いたげな、いつもの笑顔だった。


「ついでに訊いとこう」料治が言葉を継ぐ。


「お主が学校で信用しとるヤツはだれじゃ。もちろんワシを除いてじゃが」


 しばし考えたKN造が列挙した名前。


「4人か。じゃがさすがじゃのぉ、ワシも同感じゃ。戦力になりそうなんはふたり……みんな独立独歩じゃが、なんとかなる」


「なんするつもりじゃ」


「加勢を頼むに決まっとろうが」


「笑わせるな、どこの阿呆ぅがワシの喧嘩に加勢する」


「その阿呆ぅのひとりが、ここにおるじゃろう」


「誰の助けも借りとぉねぇ。これはワシの喧嘩じゃ。すまん、気の迷いじゃ。変なものを見せてしもうた、忘れてくれ」


「知るかそんなこと。見てしもうたもんはどうしようもねぇ、じゃろ。義を見てせざるはなんとやら……じゃ」


 KN造は、あらためて料治の顔を見る。ふたりの視線が合った。


「数を頼んでやりてぇほぉでゃあ(放題)。そんだけでも気色悪りぃのに、ワシにちょっかい出しおって。許せんのじゃ、ああいう〈やっちもねぇ〉(くだらない)ヤツらは」


「そのとおりじゃのぉ。哀しいことに世間は、あんな阿呆ぅどもばかりじゃ。ま、ワシはそういうヤツらはえぇ加減な間合いでやりすごしとるけぇ、そねぇに(そんなに)実害はねぇが、近ごらぁ少々目に余る思うとった。えぇ機会じゃ」


「新入生を入れて10人ぐりゃぁ(程度)か。まぁ半分以上は有象無象じゃ。春日井と玉出はワシがやるけぇ、お前ぇはほかの阿呆ぅどもを相手してくれ」


「玉出はたぶん、相当卑怯な手を考えとるじゃろうから油断はできん。おぃ、ちょっとつきあえ。ブラジルでコーヒーでもすすりながら話さんか」


 ふたりが向かったブラジルとは「カフェ・ブラジル」のこと。1918年(大正7)に開店した喫茶店。1922年(大正11)5月1日(*2)、メーデーで2階の大広間に集まっていた社会主義者、自由主義者約40名を、武装した右翼が襲って多数の負傷者を出すという騒動が起こり、マスコミを通じて全国的にその名を知られることになった店でもある。警備に当たっていた官憲(警察)は、遠巻きに暴挙を眺めるだけで、まったく干渉しなかったという。ひどい話だ。繁盛を極めたその様子を『岡山文庫 岡山の表町』(岡山を語る会 編/P-82~83 高見賢二 筆/日本文教出版 刊)から転載する。


 ──(以下転載/前略)

 カフェ・ブラジルは、岡山の大正文化のシンボル的な存在だった。

 ブラジルは神戸の同社の本店がコーヒーの販売を広げようと、

 大正7年自由舎の裏、溝の傍らに開店した。

 ややくすんだ白い木造2階建てで、

 岡山のちょっとしゃれた町の新物食いが出入りした。


 マント姿の六高マン、着流しの表町の若旦那たちが常連であった。

 「安くて砂糖は使い放題、店の中が広々としてこせこせしていなかったなど、

 当時はとても魅力的だった」と、井汲さん(*3)の言葉である。


 店内は当時岡山では珍しく大広間で、ところどころに丸い柱が建ち、

 数人がけの四角のテーブルが並べられていた。

 天井にはシャンデリアが輝き、すべての空間の意匠が、しゃれていたらしい。


 コーヒーのほか、カレーライス、ハヤシライス、チキンライスなどの軽食も出た。

 コーヒーは、真っ白で重量感のある肉厚で、

 カフェ・ブラジルの頭文字CBの字が描かれたカップ。

 ライスカレーも同様の肉厚の皿でテーブルに並べられた。


 サービスは、ウエイトレスではなく、

 白いダブルに金ボタンのユニフォーム姿のウエイターがあたったことも、

 なにか斬新であった。

 2階には両側から階段があり、同窓会など宴会の会場となっていた。

 米1升19銭、ニシキ館の傍らの源平うどんが5銭当時、

 ブラジルのコーヒーは5銭、ライスカレーは20銭だった。


 それは決して高い値段ではなく、

 肉厚のコーヒーカップの庶民的な味わいとともに、

 当時としては時代を先取りした新しい経営であったかもしれない。

 (後略/転載終わり)──


 常連の大人たち、六高生に交じって中学生がふたり、カフェ・ブラジルのテーブルで話しこむ。なにやら楽しそうだ。金ボタンのユニフォーム姿のウェイターが、恭しく純白肉厚のコーヒーカップをふたりの手もとにサーブする。


「何個入れる」


「ワシは2つじゃ」


「ほぅか、ワシは3個にしとこう」


 シュガーポットから、料治が互いのコーヒーカップに角砂糖を投入する。話は続く。


「こんなとこ見つかったら停学もんじゃけどのぉ」


「誘うたんはおめぇじゃねぇか。どうでもえぇ、停学、それもまた一興じゃ」


「それはそうと……」料治が話を変える。


「春日井の阿呆ぅは、士官学校を目指しとるらしいで、知っとるか」


「あいつが軍人になるんか……そんなんで、えぇんか」


「受かるかどうかは、神のみぞ知る、いうやつじゃがのぉ」


「あんな阿呆ぅに命令される兵隊は、たまったもんじゃねぇぞ」


「突撃一本槍。『死して護国の鬼となれ』か。確かに、兵隊がなんぼおっても足りんじゃろうなぁ」


 窓越しに夕闇が迫る。談笑するふたりの肩をつかみ、話しかける男がいた。


「なんしょんなら(何してるんだ)、ふたり揃ぅて」


(わッ〈クマ〉……いや、くッ、熊谷先生……)


 驚いたふたりは二の句が継げない。男は、岡山二中の英語教師、熊谷三郎だった。校内の馬鹿者ども=ワル連中が畏れ、また一目も二目も置くタフガイ。料治が大きく息して、なんとか言葉を口にする。


「こ、こんなとこで、なにしとられるんですか」


「阿呆ぅコーヒーを飲んどるに決まっとろうが。ワシは学生時分から大のコーヒー党じゃ。しかし、なんやら楽しそうに、謀議、密議を繰り広げとったようじゃなぁ、おめぇら」


「そんなことはしとらん。立ち聞きはおえん(いかん)ですよ、先生」


 KN造がぶっきらぼうにつぶやく。


「誰が立ち聞きなんぞするか。静かにコーヒーを楽しんどったら、聞き覚えのある声が耳に入っただけじゃ。春日井の話が出とったような気がしたが……またあの連中から因縁でもつけられとるんか、ヨシユキ」


 慌て料治が口を挟む。


「なぁんもねぇです、のぅヨシユキ。そねぇな(そんな)ことより先生、バイロンの詩について教えてもれぇてぇことがあるんで、近々お宅へ伺ぅてもえぇですか。『快楽は罪。そして時として罪は快楽である』……えぇですなぁ、バイロンは」


「料治、おめぇいうヤツは、まったく」


 炸裂する料治節に、熊谷は苦笑いするしかない。


「わかった、もぅえぇ、お前ぇらがここにおったことは忘れちゃる。ついでにコーヒー奢っちゃるけぇ、早ぅいね(帰れ)」


「さすが熊谷先生、人物ができとる。ごちになります。さ、行くぞヨシユキ」


 KN造をせき立てて去ろうとする料治を、熊谷が呼び戻して耳打ちする。


「ヨシユキは頭に血が上ると見境がのうなるところがるけぇ、お前ぇ、そのへんを気にかけちゃれよ。なんかあったらワシに……」


「I understand it, sir.」人を食ってはいるが、なぜか憎めない料治の物言いがかぶさる。ウィンクしそうな勢いだ。熊谷は言葉を呑み込んだ。


(……お前ぇらにそねぇなこと言うても無駄か……さぁ行け)


 外はすでに街灯がともっている。夕涼みの人の群れが、掘割沿いをそぞろ歩く。


「いや、まいったまいった。ここで〈クマ〉に遭遇するとはのぅ」


「お前ぇはほんま、ようあんな口からでまかせが言えるもんじゃ。じゃが〈クマ〉は勘働きが鋭ぇとこがあるけぇ、油断ならんな」


 料治がふと立ち止まり、KN造に提案する。


「明日ワシの家へ来んか、ちいっと、かんげぇ(考え)があるけぇ」


「おぉ、えぇが、何を企んどるんじゃ」


「えぇから、えぇから、ま、話は明日いうことにしようや」


(枝葉末節・其の19【けんからぷそでぃ…なんちゃって】了)


―――――――――――――――――――――――

【脚注】


*1 国定忠次:(資料を基に筆者が編集・記述しています)江戸時代後期の博徒。「国定」は生地である上野国(上州/群馬県)佐位郡国定村に由来し、本名は長岡忠次郎。豪農の生まれだが、後に博徒となって上州から信州一帯で活動。その縄張りは赤城四周に及び、「盗区」と称された。そう名付けたのは幕府の役人で、忠治が仕切る土地が支配領主からの自立圏であることを意味していた。天保の大飢饉で農民を救済した「侠客=ヒーロー」として脚色され、講談や映画、新国劇などの演劇の題材となった。「国定忠治は鬼より怖い、にっこり笑って人を斬る」と謳われたその姿をKN造は料治に重ねあわせたわけです。(参考資料【1】「松岡正剛の千夜千冊」0810夜「走れ国定忠治」http://1000ya.isis.ne.jp/0810.html /参考資料【2】ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典「国定忠次」最終更新 2017年2月10日 (金) 09:38 https://ja.wikipedia.org/wiki/国定忠治)


*2 1922年(大正11)5月1日:騒動の様子は、「倉敷珈琲物語」第48話「岡山メーデー事件 in カッフェー・ブラジル!」http://www.y-21gp.com/coffee/STORY/storyAW.htm を参考にしました。


*3 井汲さん:筆者の高見さんが「カフェ・ブラジル」について取材した表町生まれ、表町育ちの古老のおひとりのようです。詳細は不明です。

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