枝葉末節・其の14【岡山の不良・其の2】
「表八カ町」(僕たちは雑駁に「表町」と呼んでいた)。路面電車・城下停留所から南に続き、東西にクロスする部分を含む商店街。岡山市の商業の中心地である。八カ町とは、北から上之町・中之町・下之町・栄町・紙屋町と筋違いの千日前、そして東西に伸びる西大寺町・新西大寺町を加えた区域を指す。南北約1km、東西約350mのアーケード街。下之町に鎮座する岡山のランドマーク=「天満屋デパート」をフラッグシップとして、1988年(昭和63)のピーク時には7900もの店舗(*1)がひしめきあっていたといわれる「表八カ町」は、いま曲がり角に差しかかって……というか、勢いを失っている。再開発による大規模商業施設・ナショナルブランド店舗のあいつぐ進出と、それに伴う中小店舗の充実で、地下街を含めた岡山駅周辺に人の流れが奪われているからだ。
「負けるな、表町」なんてことを、僕は思ったりもする。おめかしさせられ、親に連れられた、ハレの日のお出かけ先は「表町」しか考えられなかった世代なので、そんな思いにとらわれるわけだ。ま、それはそれとして……。浪人だったか、それとも大学に入ったばかりのころだったか、記憶は定かではない。コーヒーサイフォンだったかコーヒーミルだったか、ともかくその周辺の物を買うために「ちょっと、つきあえ」と、父=黒めがね・KN造に誘われてふたりで出かけた。「表町」のめぼしい店をひやかしながら南から北へ歩いた。
「おめぇは、人に遭わんヤツじゃのぅ……」と、唐突に父が呟いた。
(そんなん、ふつうのことじゃろう)
なんて僕の思いをよそに、父は言葉を続ける。
「ワシがおめぇのころ(年頃)は、この辺を歩きゃあ、いろぉんなヤツに出くわしたもんじゃ」
喧嘩上等小僧として鳴らした黒めがね・KN造と、へたれ息子の僕とでは様相はまったく違う。(第一、あなたの時代と人口が全然違うじゃん)なんてことを考えながら、結局「天満屋」でしかるべき物を買って帰ろうとしたとき、
「ヨシユキさん」と呼び止められた。
「お久しぶりです、お元気ですか」
高校の部活の後輩の、女の子だった。へたれの僕がなぜか、部活は体育会系だった。先輩に対しては直立不動。そんな、刷り込まれた上下関係そのままに、「おぅ、まぁな」と、とり繕ってその場をやりすごした。
「捨てたもんじゃねぇのぅ。嬉しそうじゃったで、あの娘。おめぇを見る目がちごぅとった(違っていた)」
黒めがね・KN造が、にやり笑いながら発した言葉がよみがえる。確かに、小柄な〝可愛らし系〟の後輩だった。黒めがねが誇る、喧嘩レーダーに並ぶ女レーダーの鋭敏な索敵に引っかかったのだと思う。
「表八カ町」。そういえば高校生のころ、おバカ仲間のKBが、自業自得の、ダブルどころかトリプルブッキングの「表町デート」などいうクライシスを招き、絶妙というか背に腹は代えられない距離を設定した、3軒の喫茶店をアタフタと駆けずり回っていた、なんて、笑うしかない、どうでもいい話を思い出す。で、またまた『けんかえれじい』から転載。
──(以下転載/前略)
麒六は何かすっとん狂なことをやり、度胸をつけなければならなかった。
度胸をつけるのは場数である。
そしてすっとん狂な自己顕示が最短コースに考えられた。
校則により禁止されている下駄ばきスタイルで上之町から下之町まで、
体重を踵にかけて歩いてみた。
校則を手当たり次第破ることにした。
(後略/転載終わり)──
『けんかえれじい』の主人公・南部麒六(=作者・鈴木隆)がやったことは、8歳年長である黒めがね・KN造が当然先んじていたはずだ。
西大寺町で電車を降りる。学校帰り。岡山二中の名うての不良ヨシユキKN造が表町を往く。白線の入った角帽、5つボタンの制服に革靴、キャンバス地のカバンを斜めにかけて、なぜか、頭が右肩にやや傾き、微かな、下から見上げる瞳だけが何気に左右の人波を追っている。行き交う人びとに呑まれるように見えてなお、KN造の喧嘩レーダーは精密に作動する。声をかけてくるヤツがいる。数は少ないが気の合うヤツ。拳を交わして力を認めあったヤツ。いずれ決着をつけなければならないヤツ。目をそらして人ごみにまぎれようとするヤツは論外だが、目が合って、瞬時互いに値踏みして、すれ違うヤツがいる。
(えぇ度胸しとるのぉ、いつでもけぇ[来い]、相手になってやる)
示威行動。街を往くのは、「ワシはここにおるぞ」という不良たちの存在証明。家並を撫でる風が秋の到来を告げようとしている頃。二中の制服はズボンにポケットがなかった。ポケットに手を突っ込むこと──不良防止策、いや、男子不善をなすことへの防御策、だったかどうかはわからない。なにか、ビクトリア朝時代のイギリスの、男子の性徴をことさらに規制しようとした狂騒の残骸が、日本の岡山の中学校で発露した感じ。滑稽だけれども、秋風は身にしみる。
栄町から下之町の天満屋にさしかかったとき、細謹舎(*2)からひとりの中学生が姿を現した。白線のない角帽、7つボタンの制服に革靴、キャンバス地のカバンを斜めにかけて、大事そうに本の包みを抱えている。
(ん、ありゃあ[小学校の]同級生=級長=OK村HR道じゃねぇか、久しいのぉ)
白線のない角帽、7つボタンの制服に革靴。それは二中のライバル、乙にすましたエリート岡山一中のシンボルだった。第一、ヤツらのズボンにはポケットが許されていた。そんな感慨はともかくとして、KN造の喧嘩レーダーが、次の動きを捕捉した。OK村の後ろを、武闘派で鳴らすK商業のワルふたりが、つかず離れず歩いていた。下之町から上之町へ。商店街を抜けた電車道に差しかかって、その距離は次第に縮まっている。後を往くKN造は、こころ躍る予感に抗えない。
(おもしろそうじゃ)
城下の電車道を渡り、天神山の県庁下の緑地に差しかかったとき、人気がないのを確認したK商業連がOK村に因縁をつけたように見てとれた。
(しめた、やっぱり)
ヤツらの姿が消えた木立のすき間が見通せる場所に、KN造は急ぎ駆け上がった。木の陰から高みの見物を決め込んだ。西に傾く秋の陽射しが、木々の間にぽっかりあいた空間の、3人の少年を赤く照らし出す。風が梢を揺らす。
(どうする、OK村)
ふたりのワルに対峙するOK村は、子どものころと同じ、誰に対しても変わらない、ニュートラルな態度で彼らの口上=因縁を聞き流しているようだ。姿勢を崩すことなくワルどもから目をそらさない。おびえている様子は感じられない。と、ひとりがOK村が抱えていた本の包みを奪い、投げ捨て、蹴った。
「なにするか」
OK村の鋭い声を合図に、向かい合っていた3人の輪がほどけた。
「おどりゃぁ」
もうひとりが叫声をあげてOK村に殴りかかる。しかし拳の先にOK村はいない。わずかに軀を揺らして相手の懐に入った背負い投げ一閃。もんどりうったワルは受け身もとれず、背中から地面に叩きつけられる。かぶったままのOK村の角帽はまったく乱れていない。
(あの間合いじゃ、ワシがやられたんは。剣道をやっとるのは知っとったが、柔道もやっとったんか……)
本の包みを蹴ったヤツが、闇雲にOK村に襲いかかろうとするのを眺めながら、KN造は、小学生時代の相撲対決の苦い敗戦を思い出す。結果はあきらかだった。見事なすくい投げ。木々の間を転がる少年が落ち葉の舞を巻き起こす。OK村が投げ捨てられ蹴られた本の包みを拾おうと、ワルどもに背を向けた。背負い投げを浴びた少年が立ち上がる。棍棒のような太い枯れ枝を手にして、OK村の背後に襲いかかる。
(おえん[いかん])
と思ういとまもあればこそ。KN造は小坂を駆け下り、枯れ枝を振りかざす少年に体当たりした。そして、ふいをつかれて慌てふためくところへ渾身の得意技・頭突き一発。もんどりうって倒れる相手を確認し、戦意喪失して後ずさりするもうひとりを蹴り上げ胸ぐらつかんで拳を振り上げる。
「もうえぇ、ヨシユキ」
穏やかだが傑然としたOK村の声に、相手の胸ぐらをつかんだままKN造が振り返る。
「なんでじゃ。こういうやっちもねぇ(くだらない)ヤツは、一発くらわしたほうがえぇ」
「ワシはなんともねぇから、そいつを離しちゃれ」
「勘違いすな、おめぇを助けたわけじゃねぇ。ワシはこういう阿呆ぅどもが気にくわんのじゃ」
「えぇから離せ」
「なにッ」
気色ばむKN造の視線の先に、拍子抜けするほど穏やかな表情のOK村がいた。
(調子くるうのぉ……力が抜ける。はいはい級長様、相撲とチョコレート(*3)で痛み分けじゃが、今日はひとつおめぇの顔を立てるとするか)
腰を抜かした風情のワルがへたれこむ。
「おいッ、あいつの鼻血拭いちゃれ。ワシは二中のヨシユキじゃ、よぅ覚えとれ。おめぇらの頭目はよう知っとる。やるならいつでもけぇ(来い)言うとけ」
「お・べ・ぇ……ちょれ……(覚えてろ)」
朋輩の肩に抱えられその場を去ろうとする、鼻血小僧の精一杯の捨て台詞を、KN造は特段の感慨もなく聞き流す。何年ぶりかでOK村と肩を並べて歩く。
「おめぇみてぇな優等生が、なんであんな連中につきまとわれるんじゃ」
「あぁ確か、天満屋裏で県商(岡山県商業学校=現・岡山東商業高等学校)の生徒があいつらに因縁つけられとるんを助けたことがあってのぉ」
「そんときも、やったんか、あれ(武闘)を」
「阿呆ぅ、街中でそんなことができるか。どうしょう思うたけど『警察が来たぞ』いうて叫んだら、蜘蛛の子を散らすように逃げよった。あんときにワシの顔を覚えたんじゃろうなぁ」
「そりゃあ、おもしれぇ……その大事そうな包みはでゃぁじょうぶ(大丈夫)か」
「あぁ、やっとこうた(買った)『善の研究』(*4)じゃ。投げ捨てるんはともかく、蹴りよったのは我慢ならなんだ」
「ぜ・ん・の・けんきゅー? 相変わらず小難しそうなもんを読んどるんじゃのう。本のためなら、おめぇが変わるんをワシははっきり見たで。柔道もやっとんたんか」
「柔道じゃねぇ、柔術じゃ。剣がのうなった(失った)ときでも相手の懐に飛び込んで負けんための、親父に教わった昔の体術じゃ。あんときも、軀が自然に動いた」
「覚えとったか。ワシの頭突きをかわしたんは、おめぇだけじゃ。ま、ええ、今日は貸しにしといちゃる」
「おぉ、えぇで。助かった。正直どうしょう、思うとったんじゃ」
「そんなら、またな」
踵を返して電車道に向かうKN造。OK村HR道は、『善の研究』の包みの綻びを指で撫でながら家路についた。
……妄想に次ぐ妄想編になってしまいました。まだまだ話は続きます。どうか、これからも「なんちゃって妄想話」をご愛顧くださいますよう、一重に一重にお願い申し上げます。
(枝葉末節・其の14【岡山の不良・其の2】了)
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【脚注】
*1 7900もの店舗:「表八カ町」に関する記述は「表町商店街ホームページ」http://omotecho.or.jp を参考にしています。
*2 細謹舎:明治創業の、かつては出版社でもあった岡山最大の書店でした。紀伊國屋・丸善などの大規模書店の進出のあおりを受け、経営が悪化し閉店。
*3 相撲とチョコレート:本稿其の9【級長のチョコレート】をご参照ください。
*4『善の研究』:(以下転載)『善の研究』は、日本の哲学者である西田幾多郎が著した哲学書。1911年(明治44年)刊。西田哲学の最初期のもので、日本初の独創的な哲学体系。 当初は『純粋経験と実在』という題名のもとに構想されていたが、出版社の弘道館が反対したため、この名に改題された。 観念論と唯物論の対立などの哲学上の根本問題の解決を純粋経験に求め、主客合一などを説いて、知識・道徳・宗教の一切を基礎づけようとした。 イマヌエル・カントの『純粋理性批判』と並び、戦前の日本では学生の必読書とされた。(以下略)(出典:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典「善の研究」最終更新 2016年4月12日 (火) 20:12 https://ja.wikipedia.org/wiki/善の研究)