ノスタルジーを越えて
それを何と呼んだものか分らない。
だらけてしまいそうな夏。圧倒的な熱量は不快さしか与えない。一瞬「サウナの中にいると思って」と想像するが服を着て入るサウナは汗がとても気持ち悪い。一向に鳴きやむ気配がない蝉。いつから我慢比べをするような世界になったのかよく分からない。
納涼を感じられる場所は見渡す限り何処にもなく、夏じみた夏の思い出らしいことよりもただ涼しい快適な場所で季節感なく過ごしていたい欲求に駆られる。
「暑い」
そもそも暑さ実況などするものではない。ましてや暑さについて考察するなどもっての外である。だが無理をして、風鈴の鳴る音で涼しいと言い聞かせるよりは即物的に氷菓子とかビールとかエアコンのひんやりした風とか恋しい。だが今居る駅から1.5キロほどある家に着くまでは15分は歩かねばならない。
「地獄だ」
どうしてもネガティブな捉え方になってしまう。ポジティブなのは暑苦しい時があるけれどネガティブもねちっこくて暑苦しい。だからこそ冷静に分析して気持ちだけでもクールにいようと思うのだが、分析した結果で具体的な数字が浮かんでしまう。
「38度はあるな…」
体温より熱いんだから当然そうなる。風邪をひいた時の様な気分の悪さがあってもしょうがないのかもと思っていたりするとますます早く家に帰りたくなる。仕事が午後から休みなのはいいけれど、帰る時が一番暑い時間帯になってしまうのも考えものである。駅近くの途中の店で冷えきっていないビールを買う。さすがに歩きながら飲むわけにはゆかず、喉が渇いているのでついでに昔散々お世話になったメジャーすぎるスポーツドリンクも一本買っていった。500ミリのペットボトルがあっという間に軽くなってしまう。
この分だけ体重が増えたことになるけれど、不思議な事に家に帰る頃にはその水分が失われている。不思議だ、不思議過ぎて何故失われるのか考えないようにしたい。
「シャワー浴びたい…」
既に答えが仄めかされている。『汗』である。<こなちくしょう、汗め、止めどなく出てきやがる>などと考えているうちに何とか中間あたりまでやってきた。その時、爽快に自転車をすっ飛ばすジャージ姿の中学生とすれ違う。しっかり白いヘルメットを被らなければならないのか可哀想だが、きっと彼はこれから部活に行くのだろう。夏休みも本番という時期。あの頃の8月に入ったばかりの充実感と言ったら無かったような気がする。
一瞬過去へのノスタルジーによって頬を撫でてゆく風を感じたのだが、もしかしたら単に自転車が通り過ぎた時の風だったかも知れない。自分があんな風に走って行った時に思い描いていた未来が今この姿なのだと考えと現実とはなんと行き場の限られているところなのだろうと思ってしまう。実際、あの時には見えなかったものが良く見えるようになると、将来も大事だが何といっても「今」この瞬間をどうにかしたいという切実さだけが目立ってくる。
「今…。かぁ」
これだけ「今」という瞬間を意識させる暑さと言うのも強烈である。一瞬を永遠のように長く感じる…と言ってもあまり良くない意味になのだけれど、もしかすると不快な余りに時間が長く感じられ、印象に残り易くなってしまうのが夏なのではないか、と邪推したくなる。「今」はいつか思い出になる。こうやって辛いというのか苦しい思いをした事も、ある時美しく見えたりするのだろうか?
「いや、汗臭さと隣り合わせだ」
冷静に思い出してみる。『美しく見えていた部活で汗を流していた頃』という言葉にすら『汗』が入っている。部活をしていた当時も汗臭さを何とかしようという涙ぐましい努力をしていたような気がする。Tシャツの着替えを何枚も持っていったり、脇汗用のスプレー缶を使ってみたり、ウェットシートを使ってみたり。そういう細部を曖昧にするから美しく見えたりするのではないのだろうか。
「そうか。つまり…」
一つ思いつくことがあった。逆にこの光景を大雑把に捉えればいいのではないだろうか。
夏。一人の男がフライパンの様なアスファルトの上を歩いていた。彼が携えている白い袋の中のビールは順調に熱を帯びていく。家までもうすぐだ。もうすぐで…快適な冷風を浴びれる。
こう捉えてみるがやはりキラキラ輝くものは無い。理由は単純かも知れない。意識している事が「暑さ」しかないのだ。「暑さ」に負けないくらい熱心に追い求めていたもの、欲していたもの。そういうものがあればきっと世界はまたキラキラ輝く。
でもそういうことじゃないような気がする。ただ何となく、そのままの世界が求めさせてくれるような何かを待っているのだろうと思う。そんなものは無いのかも知れない。それは多分、夏に見る幻のようなものなのだろう。
家の庭に近づいた時、静かに風がそよいだ。さらさらと揺れる草花。何気なく空を見上げた。手の届かない夢もまた…