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9 ウリュンと友達、四人姉妹に押されつつ帝国衣装事情にげんなりする

「何やってるんだお前等、こんな所で… セレ?」


 ウリュンは問い掛け、ゆるやかなとび色の髪を後ろで編み揃えている女性の方を見た。


「いえ、お客様がいらしていると聞いて」


 ほほほ、とそう言いながらセレと呼ばれた女性は空いた手で肩掛けを掴んだ。


「だいたいセレナルシュ、お前結婚が決まったんだろ! 何で今ここに居るんだ? あっちの屋敷に居なくちゃならんだろ!」

「お姉様はだから、居るんでしょ」


 うふふ、と笑う声が廊下に響く。


「マドリョンカ…」


 はあ、とウリュンはため息をつく。


「結婚なんかしたら、こんな、お兄様のお友達をのぞき見などできないでしょうに」

「やぁね、マドリョンカったら」

「だって本当でしょー?」


 明るい色のふわふわとした髪を二つに振り分け、マドリョンカは大きな薄緑の瞳を広げる。


「ねえお兄様、お父様とのお話はお済みになったんでしょ? あたし達をお友達に紹介して下さってもいいんじゃなくて?」


 くっくっく、と彼女は笑う。


「マドリョンカ、兄上が困ってるじゃないか」


 助け船。と思った彼は再びため息をついた。


「お前… まだそういう格好なのか?」

「何ですか、いけないとでも?」

「いけないも何も、シャンポン…、いやシャンポェラン、お前、自分が二十歳の女性だということ、判ってるのか?」

「よぉく判っております。しかし武術の訓練はこちらに来たとて休む訳にもいかず」

「だから武術の訓練はなあ…」

「兄上、そう目を三角にしないで下さい。マヌェが怖がってます」


 ん、と兄は妹達の方を改めて見た。四人居たはずの彼女達が三人にしか見えない。


「…マヌェ…?」


 その声に、シャンポンの背から、お下げ三つ編みの少女はそっと顔を出した。


「マヌェは大声出されるの嫌だもんねー」


 マドリョンカはそう言いながら、少女の頭を抱えた。ぅん、とマヌェは軽く口をとがらせた。

 その時。


「廊下の声は響く、ウリュン」


 低い声が、廊下にもう一つ響いた。

 判ったもう中に入れ、と兄は妹達を手招いた。



「ミチャ様は最近如何だ?」


 ずらり、と低い卓を挟んだ長椅子に掛けた妹達の、誰ともしれずにウリュンは問い掛ける。


「おかーさま? そうねえ、元気よー」


 マドリョンカが答える。この娘は十六になったばかりだ。


「それにアリカさんのことも心配してたわ。お嬢様大丈夫でしょうか、って」

「アリカのことを」

「不思議なんだよなあ、母上は」


 シャンポンは呑気な口調で言いながら、ちらちら、と兄の両側に座った男達の方へ目をやる。

 ―――いや違う。ウリュンは気付く。この妹の目的は、男達ではなく、男達の前に置かれた酒だろう。

 二十歳になるこの妹は、酒に滅法強い。良家の婦女子としては、全くもって問題のある性質である。

 だが、そもそも彼女に関しては、見た目からして問題がある。行動の一つ一つにいちいち兄は突っ込んでもいられない。

 男勝り。そう言ってしまえば簡単だ。

 シャンポン――― シャンポェランは、まず、武術と作文の才能に恵まれていた。

 もっともそれだけなら構わない。

 きりっとした顔立ちは美人の部類に入る。だがその顔や、引き締まった体を生かす様な、身を飾るということを知らない。知ろうとしていない。いや、むしろ軽蔑しているふしがある。

 「いっそ男に生まれていれば」。

 そんな嘆きが年を追う毎に使用人達のあちこちから洩れる。父将軍も口にしたことがあるとウリュンは聞いている。

 おそらく彼女が男でなかったことを嘆かないのは、たった一人だろう。ウリュンの母親、将軍の第一夫人である。

 彼自身と言えば――― そのあたりは微妙だった。正直、自分以外の男子が居て、将軍家に相応しいなら、そちらが家を継げば良い、と思っているくらいである。 自分が凡庸な人間である、ということは彼自身が一番良く感じていることなのだ。

 やがてシャンポンは予想通り、さりげなく、非常にさりげなく、酒壺に手を伸ばした。


「だーめ」


 ぺん、と音がする。


「何だよマヌェ、いいじゃないか」

「だめよ」


 お下げ髪が揺れる。


「ちぇっ… マヌェに言われちゃあなあ…」


 仕方ないや、とシャンポンは茶に手を伸ばす。


「全くお前は、マヌェには弱いな」

「それじゃあ兄上は強いんですか?」


 そう言いながらシャンポンは、傍らの妹の肩を抱く。む、とウリュンは眉を寄せる。


「…駄目だな」

「駄目でしょう」


 あはは、とシャンポンは笑う。

 しかし笑い事ではない、と兄は思う。

 彼から見て左端に座った妹は、いつまで経っても「少女」にしか見えなかった。

 長い上着。小さな子供に着せられる、動きやすい服。下履きは無い。

 十八にもなる娘が、その格好は無い、と彼は思う。右端に座る、彼女より二つ下のマドリョンカはおしゃれをして、―――色気付いているというのに。


「ねえねえお兄様、これ、どぉ?」

「マドリョンカ、また…」

「セレ姉様も着たいって言ってたじゃない! 『桜好み』」

「その奇天烈な服がか?」


 ぽん、とウリュンの左で声がした。


「あ、それって失礼ですよー、ええと、ツァイ…」

「センで良い。珍しい服だ」

「本当、凄い、失礼っ」

「そうだよ、女性にそういうことを言うのは失礼だ」


 サハヤは穏やかに彼女達に笑い掛ける。


「桜好みというのは、確か旧藩国『桜』の服を真似たものでしたよね」

「そう。よくご存知ね」


 ふふ、とマドリョンカは笑った。

 彼等の上着は基本的に、立てた襟と、左側で幾つかの紐やぼたんで留めるものである。

 長さ、色、模様、材質、筒袖の有無はその用途や立場によって異なる。

 例えば今この時、武術の稽古を欠かさないシャンポンは筒袖の細い内着の上に、袖無しの短い上着、それにゆったりとした下履きをつけている。

 セレの上着は腰の辺りまであり、袖は長く、広い。そして下は巻きスカート。年頃の女性の衣裳として、巻きスカートは欠かせないものである。

 「桜好み」はその上着が異なっているのだ。 


 帝国版図の中央よりやや南東。

 現在は政府直轄領となっている「桜州」はかつて藩国「桜」と言った。

 温暖な気候、豊かな緑に恵まれたその国は、夏は高温で湿気が多く、冬は冷たい風が吹く青天が続き乾燥した。―――四季が存在したのだ。

 人々は、移り変わる季節に応じられる服を作り上げていった。夏には風通しが良く、冬には体温を逃がさない様に。

 現在の帝都付近に住む人々と、何よりも異なるのは胸元だった。

 首の前でざっと合わせただけの襟には、きっちりと留めるためのぼたんも紐も無かった。長い上着を、腰の辺りで帯で留めただけだった。下履きもスカートも無かった。

 単純なつくりだったと言ってもいい。

 だがそれは彼等にとっての完成形だったとも言える。それ以上の形は必要が無かったのだ。

 形の進化が止まれば、意識は自ずと生地に向かう。


「ずいぶんとでこぼことしている」


 センはぽつりと言った。


「失礼な方! これは今一番人気の絞り染めですのよ!」

「む… 昆虫の目の様だ」


 うんうん、とセンは納得した様にうなづく。


「あーもうっ! おにーさまっ!! この方本当に失礼っ!」


 マドリョンカはセンを指さして怒鳴る。ウリュンは頭を抱える。


「まあ言うな。だいたいお前、僕等にそれを言っても無駄だって判ってるだろうが」

「綺麗か綺麗じゃないかだけ言ってくれればいいのよっ! まぁったく、男ってのは無粋なんだから」

「そりゃあそうでしょう」


 セレは口元に手を当て、くすくす、と笑う。


「殿方はそれで宜しいのですわ。一生懸命お仕事に取り組んでらっしゃるんですから」

「あーあ、うらやましい」


 シャンポンはそう言いながら椅子にもたれた。


「私も本当、男だったら良かったのになあ。武芸も学問も、面白いけど何の役にも立たない!」

「だったら役に立つことをすればいいだろうが」

「兄上は私に姉上の様にひなが刺繍をしたり菓子作りをしろとでも?」

「できない訳ではないだろう」


 ウリュンは眉を寄せる。

 そう、確かこの妹は、決してそういう家庭的なことができない訳ではないのだ。

 がさつな行動が「好き」だが、令嬢一般のたしなみは一応こなすことができる。―――好きでないだけで。


「シャンポンに言っても無駄ーっ、お兄様。せーっかくおかーさまがこのひとに似合う流行の服とか選んでも『動きにくい』のひとことでどれだけ箱詰めになってることか!」


 ひらひら、とマドリョンカは手を振り、ふんっ、と胸を張る。


「女は美しく装うべきなのよっ」

「まあそれは否定しませんね」


 ふふ、とサハヤは笑う。


「サハヤ様は話が判る方ね」

「いえまあ、何と言うか」


 彼は苦笑する。


「それにしても、ミチャ様はアリカのことを心配されていたのか?」

「ええ」


 セレはうなづく。


「そんな心配だったら、私を送り込んでくれれば良かったのにねー」

「そういう訳にはいかないでしょう。でももしアリカ様が… その、駄目、だったら、シャンポンかあなたが行くことになるでしょうね」

「私が行くわよ! そうしたら」


 マドリョンカは姉のほうにぐい、と身を乗り出す。


「ねえそうでしょ? おにーさま。アリカ様も私も、同じ歳だもの。若くて元気よ」

「順番というものがある、マドリョンカ」


 シャンポンはとん、と杯を置いた。


「判ってるわよ」


 マドリョンカは口をとがらせる。客人二人の方をじっと見る。


「つまりねー、私達のおかーさまってのは、おにーさまの母上様よりも、アリカ様の母上様よりも、ずっとずっとずーっと、身分が低いの」

「む」


 センは軽く眉を上げた。


「母御のことをそういうものではない」

「でも事実よ。だから年齢がどうあれ、私の気持ちがどうあれ、おとーさまはまずアリカを宮中に入れたんだわ! 私あれだけ私にして私にして、ってお願いしたのに!」

「お前… そんなことしてたのか」

「だって宮中よ!」


 マドリョンカはどん、と両の拳で卓を叩いた。


「皇后さまになんかなれなくてもいいの。宮中だったら、いっそ女官でもいいわ。…ああでも駄目ね、女官だと制服になってしまうもの。おにーさまご存知? 桜の公主様」

「い、いや…」

「『最後の三公主』のお一方のことかな」


 サハヤが口をはさむ。


「何だそれは」

「まあ何って言うか、女性の間で広まっている呼び名だよ」

「そうなのか?」


 ええ、とウリュンの問いに妹達は一斉にうなづいた。


「現在降嫁先がお決まりになっていないのは、アマダルシュ様とイースリャイ様とイムファシリャ様のお三方だ」

「その中で、一番美しく、衣装選びに長けていると言われているのがアマダルシュ様。『桜好み』もあの方が言い出されたことだわ」

「そうなのか?」


 ウリュンは友人に問い掛ける。そうらしい、とサハヤはうなづく。


「イースリャイ様とイムファシリャ様は同い歳。イースリャイ様は幼い頃地方暮らしで、自由に過ごされたせいか、帝都に入られてからも、時々ふらりと城下に行ってしまわれて周りが大変だと。自由に飛び回る『鳥の公主』と呼ばれてます」


 セレが説明を引き継ぐ。


「イムファシリャ様は?」


 四姉妹は顔を見合わせた。やがてマヌェがぽつりと口にした。


「『緑の公主』さま」


 緑の。ウリュンの眉が寄った。


「一番末のかたなんですが… 何と言うか、その…」

「構わない、言ってくれ。どういう噂が立っているんだ?」

「わかんないの」


 マヌェがぽつりと言う。


「あのかた、わからないひとなの」

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