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8 小将軍、父に意見するが引き下がる―――そして四人の妹

「つまり」


 将軍は息子に向かって言う。


「―――結局、お前の不満はどちらだ?」

「え」


 ウリュンは胸の奥で飛び跳ねるものを感じる。


「アリカを宮中に送り込んだことか、それとも―――」


 ざざ、と両肩の毛が逆立つのを感じる。


「サボンを身代わりにしたことか?」


 ぐっ、とウリュンは唇を噛んだ。


「…なあ」

「何だ」

「遅いよな、ウリュンの奴」

「ああ」

「僕等には楽にしていてくれ、と言ったけど、なあ…」


 客人用の部屋。その寝台の一つの上で、サハヤはぐるりと辺りを見渡す。


「…お前 …楽にしすぎ」

「何がだ」


 センは言いながらサハヤに視線を移す。その両手には、手近にあった椅子。


「幾ら客人として呼ばれたとは言え、一日の鍛錬を欠かすのは以ての外」

「いやそれはいいんだが…」


 せめて椅子はよせ、とサハヤは内心つぶやく。だがこの友人に言っても詮無いことも、彼は良く知っていた。

 手にした椅子は決して軽くは無い。目の詰んだ硬い木材を使い、どっしりとした安定感のある肘掛け椅子だ。

 それを片手に一つづつ持っては、センは膝の屈伸を何十回と繰り返す。


「どうした?」


 センはその体勢のまま問い掛ける。


「長いな、と思ってね」

「仕方なかろう」

「まあ確かにね」


 サハヤは思う。あの友人から休暇後に「父に会った」という話を聞いたことは滅多に無い。話してくれるのは大概、うるさい母親と、可愛い妹達の話ばかりだ。


「確かウリュンの母君は第一夫人だったよなあ…」

「そうだったか?」

「お前に聞いても仕方ないな。だった、と思うよ。で、確か、今度宮中に入ったという妹さんが第二夫人腹で、第三夫人腹で四人の妹さん達が居るってことだけど…」


 その第三夫人が現在同じ屋根の下に居る。


「マドリョンカ―――マドリョレシナ、って言ってたな、奴。その子が一番年下かな。今年十六ってことは。あ、でも確か宮中に入ったって子もそのくらいじゃ…」

「そうだったか?」

「だからそこで律儀に返さなくてもいいって…」



「ええ、その通りです。俺は、俺の知らぬ間にアリカが宮中に入ってしまったことを怒ってるんじゃない。サボンが身代わりになっていることを―――」


 目を伏せる。


「怒っているのでは、無いのです」

「では何だ」


 将軍は静かに問い掛ける。

 ゆらゆらと、卓に乗せられた燈火が揺れる。


「判りません。怒っていると言えば怒っている… けどもう、過ぎてしまったことに、どうこう感じても仕方が無い。でも―――」

「お前は」


 将軍は息子の言葉を遮った。


「結局はサボンが欲しかっただけなのだ」

「…そうかもしれません」


 そう。ウリュンはかつて自分が軍務に就くために帝都に向かう際、サボンを付けて欲しい、と父親に願ったのだ。

 その時父親は言った。女のことを気にしている暇があるのか、と。

 彼は父の言葉にその時は納得した。確かにまだ早い、と。だがいつかは、と期待していた。

 ウリュンはサボンを気に入っていた。小さい頃からだ。彼等が十になるかならずかの頃から、三人で転げ回って遊んだものだった。

 第一夫人であるウリュンの母は、同じ屋根の下に暮らす第三夫人のことは明らかに厭っていた。

 将軍家に対し相応の家柄の出身の彼女は、市井の酌妓の出である第三夫人の存在自体をできる限り無視している。しようとしている。その娘達にしても同様である。

 だがアリカに対しては違った。

 アリカの母親である第二夫人は、最初から政略結婚だった第一夫人と違い、将軍と何らかの恋愛感情が先に立っている。

 ただ身体が決して強くはなかった第二夫人は、将軍が止めるのも聞かず、第三夫人の末娘とそう変わらない時期に、アリカを産んだ。そして彼女は命を落とした。

 結果、将軍はこの娘を他の子供達よりも可愛がることとなるが、さすがにそれに対し、第一夫人は文句をつけることはできなかった。

 いや、文句をつける程のことも無いと思ったのかもしれない。第二夫人の出は決して悪くは無い。だが後ろ盾になる程でも無い。

 父親の庇護無しでは何もできない、とるに足らない子供。それが第一夫人にとってのアリカだった。

 それ故に彼女はアリカが息子の遊び相手であることに対し、表立っての反対はしなかった。

 ただ彼女にとって誤算だったのは、アリカでなく、そのお付きであるサボンだった。

 アリカが彼にとって一番近しい妹である以上、サボンとも接する機会は多い。華やかな美女ではないが、妹よりずっと賢いこの少女を、彼は面白いと思っていた。

 やがてその「面白い」が育つにつれ「好き」に変わった。欲しくなった。自分のものにしておきたくなった。

 彼は父将軍に頼んだ。答えは「否」だった。


「だから怒っているのでは無いのです。ただ、はっきりさせたいのです。父上」

「はっきり。どんなことだ」

「アリカは自分達が勝手に言いだしたことだ、と言ってました。ですがそれは本当ですか?」

「本人がそう言ったのなら、そうなのだろう」

「そうではなく」


 苛立たしげにウリュンは両手を広げた。


「あの二人が自分から入れ替わることを、父上は初めから予想されていたのではありませんか?」

「何故そう思う?」


 将軍は問い掛ける。息子は押し黙る。啖呵を切ったはいいが、次の言葉が見つからない。

 煮え切らない態度。悪い癖だ、と将軍は思う。


「まあいい。確かに儂はほのめかした。二人が入れ替わりたいならすればいい、と」


 ウリュンは父親の顔をにらみつける。


「大した問題では無い」

「大した問題では、無いですと?」

「あれがアリカであれサボンであれ、我が家から出た娘であることに間違いはあるまい」


 それは、とウリュンは言葉を切る。

 確かにそうだ。世襲貴族の家には、娘が無くて同族の貧しい家から養女にした上で宮中に入れた例も幾つかある。


「立場を選んだのはあの娘達だ。アリカは自分の名とサヘ家と一族を捨ててでも無事に生き延びることを選び、サボンはそんなアリカに同意した―――か、それをアリカに持ちかけた。それだけのことだ」

「では―――父上が、アリカの命を惜しんで、ということでは無いのですね」

「皇帝陛下にお世継ぎが誕生する方が先決だ。気の進まぬ娘から良い子は生まれぬ」

「しかしサボンの気持ちというものは」

「あれは儂が拾った娘だ」


 ぐっ、とウリュンは言葉に詰まる。それは事実だ。


「あれがまだ部族自身に囚われていたのを解放した娘だ。あれは、儂がどう使おうと構わんと言った。それはあれが三つの頃だ。度胸がある。それに頭もいい」

「頭が?」


 それは初耳だった。

 いや、聞いても、耳を素通りしていたかもしれない。


「アリカより、お前より、いや、お前の自慢する友人、そう、今来ていると言ったろう」

「サハヤのことですか」

「そう。ネカスチャ・サハヤ・クセチャは評判の秀才だそうだな」

「……はい」

「軍でお前と同じ暮らしをしているというのに、兵法や様々な部族の言葉だけでなく、文芸にも通じているというではないか」

「そうです」

「そう言えばもう一人、今日は来ていると言ったな。何と言ったか。あの『姓無き部族』の青年は」

「センですか。ツェイ・ツ・リュアイ・リョセン」


 上官はよく、彼の名を皮肉を込めて一度に呼ぶ。

 ツァイツリュアイリョセン、と。よく舌を噛まないものだ、とサハヤはその都度感心している。ウリュンも同様だった。だから名前の最後だけを取り、センと呼ぶ。呼ばれている当人は、どう呼ばれているかにはさほど関心も無い様である。

 彼はこの帝国臣民の大半が名前の上に持つ母姓も、下に置く父姓も持たない。

 いや、彼の部族がそうなのだ、とウリュンは聞いている。

 彼等は実の父母を明らかにされない。子供は皆の子供であり、部族の皆が親である。そのせいだろうか、彼等の名はひどく長いことが多い。

 意味が長いのだ、と無口な友人はぽつりぽつりとウリュンに説明したことがある。


「彼は彼で、素晴らしい武人だということだが」

「…はい」

「お前は彼等の友人として、恥ずかしくない振る舞いをすべきだ」


 つまりそれは。ウリュンは内心思う。こんな、妹や、女のことでうだうだと悩むな、ということだろうか。


「判ったら行け。お前は友人達を待たせているのだろう。本日の客人だ。客人は充分にもてなしてやるがいい」

「…はい」


 それ以外、ウリュンには何も言えなかった。


 扉が閉まると、将軍はふう、と息をつく。

 長男は、跡取りの息子は、彼にとっては悩みの種だった。

 無論最初の子であり、たった一人の男子であり、跡取り息子である。大切な、息子である。

 だが、どうしても、自分の跡取りとしては、凡庸すぎた。

 これが代々文官を勤める家や、世襲貴族、さもなくばいっそ、市井の商家にでも生まれれば良かったかもしれない。

 ―――が、あいにく彼が生まれてしまったのは、将軍の家なのだ。

 サヘ将軍とていつかは引退するだろう。

 その時息子はやはり武官としてある程度の位置にあって欲しいと彼は願う。

 これまで彼が築き上げてきたものを、受け継いで欲しい、と思う。武官の家が、文官として出世するというのは難しい。その武官でも、世襲貴族でない、いわゆる「成り上がり」の場合は―――


 あきらめろ。


 様々な意味を込めて、将軍は内心、息子に呼びかける。


 一方、息子はため息をつきながら、友人達の待つ部屋へ行こうとし―――

 扉の前に、華やかな山を見つけた。


「…やめてよ、痛いってば!」

「だって見えないじゃない、…もうっ」

「…だから、止めましょうって、…あの…」

「あーもう。無駄無駄、こいつ等に言ったって」


 戸から漏れる光。のぞき見。彼は苦笑する。


「…こらお前等、はしたないぞ」


 ふわり、ととりどりの色のりぼんが跳ね上がる。


「…お兄様っ!」


 四人の妹達は兄の方を一斉に向いた。

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