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7 小将軍とその友人達

「いけません、いけません、若様!」

「五月蠅い、息子が父親に会いに来て何が悪い!」

「ここではあなたは…」


 下官は肩を掴もうとする。すり抜ける。ああもう、と言いながらまた腕を伸ばす。掴まらない。

 将軍の跡取りとして鍛えられた足はそれなりに速い。アテ・ウリュン・サヘはさくさくと廊下を歩いて行く。

 妹の顔を見てからすぐ、彼は父将軍の行方を求めた。

 大軍営本庁ではなく、内衛庁の方へ出向いていると知ったのは、中天より四半天も経った頃だろうか。

 本庁は広い。建物も広いが、その中に所属する機関もそれなりの数である。

 ウリュンはその中でも都城周衛に所属している。

 だが彼はまだその中の一武官に過ぎない。

 小将軍、と呼ばれることもある。が、それはあくまで周囲の期待か皮肉を込めた呼び名に過ぎない。

周囲だ。

 父親は彼を周囲と同列に扱う。ただの一武官、若手の武官として。

 そこに「有能な」がつくかどうかも判らない。

 十三で軍務について以来、特別扱いは、無い。

 従ってこの日、サヘ将軍の動静を知ることができたのは「有能な」友人のおかげであると言える。


「東海の遠征の件については、既に陛下にご報告済みだそうだよ」

「そりゃあそうだろうさ。あれからもう結構な時間が経っている」

「ただそれについて、陛下も相変わらずのご様子だったらしいけどね」


 丸い眼鏡の角度を変えながら、すらりとした長身の友人は彼に言った。


「新しい女君が入ったから、ということらしいが」

「…」


 ちら、と友人はウリュンを見た。


「君の妹、らしいね、ウリュン・サヘ」


 ちっ、とウリュンは舌打ちをした。


「何処からその情報を手に入れた」

「それは言わない約束」


 いろいろあるんだよ、と後ろに流した髪を撫でつける。

 自分の跳ねっ返りな髪とは大違いだ。鬱陶しくて、ウリュンは癖も立たない程に短く短く髪を刈っている。

 放浪僧の様だ情けない、と将軍の第一夫人である母親は嘆く。軍人に外見など、とウリュンは一言で押さえたが、母親のその時の表情はひどく苦々しいものだった。思い出すたびに胸が塞がる。

 そんな気持ちに気付いているのかどうなのか、友人は続ける。


「あのさ、今の君の問題は僕のことじゃあないだろう?」

「…まあね」

「皇帝陛下がそちらの方を何よりも御優先させるのはもう数十年来の周知の事実」

「ああ」

「今回の、東海の件の処理より大切さ」

「…今回の件よりも!」


 そう、と友人は静かにうなづく。


「『閉じた海』に消えた我らが軍勢の件も、お世継ぎ問題のためには据え置きになっている。本日のサヘ将軍閣下も、その新しい女君のために、後宮の警備を強化する件について内衛庁に籠もっているのだろう」

「内衛庁か…」

「ここ数日、詰め切りだ、ということだよ。その理由は定かではないけれど、急にそうなったらしい。さてどういうことだろうな」

「君は判っているんじゃないか? サハヤ」


 さあて、とサハヤは笑った。


 そうして内衛庁へやって来たウリュンだったが、直接将軍に会うことは拒絶された。

 一武官が私用でわざわざ職務中の将軍に会うには、幾つかの手続きが必要である。

 だがそんなことを言っていられない。彼は上官の上官の上官としての将軍ではなく、父親に用事があるのだ。


「困ります! 私どもが…」

「叱責は全て私が受ける」


 そう言って彼は扉を開けた。執務室には斜め横に副官の姿があった。


「父上」

「―――ここで取り次ぎをせずにやって来る者に話は無い」

「急ぎの用なのです、アリカの―――」

「ウリュン!」


 鋭い声が息子を叱責する。


「…今宵は家に戻る。不用意なことは口にするな」

「申し訳ございません、閣下」


 開けられたばかりの扉を閉じ、彼はちっ、と舌打ちする。

 アリカの名前一つ出しただけであれだ。だがそれだけだ。うろたえている様子は無い。

 大股で内衛庁から出る。自分も家に今夜は戻らないといけない。彼は自分の持ち場へと足を進めた。

 その途中、覚えのある声を聞いた。


「せーっ!!」


 よく通る声。練武広場の方だった。

 土埃を上げ、大地を駆ける音。

 かぁぁん、と長棒と長棒の交差する、乾いた音。

 あれは、とウリュンは足を止める。

 かんかんかんかん、音が幾度も響く。かんかんかんかん。

 かん。

 音が止まる。

 だがそれは勝負がついたからではない。


「貴様それはっ!」


 上官の止める声。ああまだだ、とウリュンはぱん、と額に手を当てる。長棒が一つ、投げ出され。

 次の瞬間、大地に一人が横たわっていた。

 その手には長棒は握りしめられ。大丈夫か、傷は無いか、とその場に居た者達が駆け寄る。


「…これは練武だと幾度繰り返せば貴様は覚えるのだ!」

「すみません」


 低い声。ひとことぼそり、と勝った方は頭を垂れる。

 先程相手を大地に横たえたその大きな手を彼は何度か結んで開かれる。

 ウリュンには遠目でも展開は良く判っていた。幾度となく、自分の目の前で繰り返された光景。

 ああまあちょうどいい、と彼は勝利者を怒る上官に向かって駆け出した。


「副左官どの!」

「お? …貴様、練武をさぼって何処に行っておった!」

「申し訳ございません、サゴン副左官どの。実は父に少々用事があり…」


 父。その言葉に上官は眉を寄せる。


「…む… それなら仕方あるまい」

「それで本日は、実家の方に戻らねばならないことになりましたことをお許しいただきたく」

「仕方あるまい。実家の事情と言うなら」


 は、と同僚達が白けた顔で肩をすくめるのがウリュンの視界にも飛び込む。慣れた光景。

 たった一人をのぞいて。


「お前はうちへ帰るのか?」


 低い声が、彼に訊ねた。


「ちょっとな。…何だったら、お前も来るか? セン」

「いやまだ練武が残っている」


 冗談じゃあない、と周囲はざわめいた。

 この日、既にこの男の速さと手刀により、どれだけの武官が倒されたことか。


「あー… 貴様はいい、ツェイツリュアイリョセン! いい機会だ、将軍閣下にご挨拶の一つもして来い!」

「はい」


 低い声。そしてあくまで表情は固く。

 ウリュンのもう一人の友人は、そう返事した。



「若様!」


 やあ、とウリュンは扉を開けた使用人に、やや苦笑する。


「お帰りになるのが判っておりましたら、…」


 彼の後に続く二人の青年に、使用人は目を走らす。


「友人だ。今夜は泊まる。部屋の用意を」

「はい」


 足早に使用人は下がる。奥ではやがてざわざわと声がし始める。


「…とりあえず食事と寝るところくらいは提供できると思うよ」

「食事と寝るところって、君」


 サハヤは眼鏡の位置を直す。先程から彼の視線は止まるところを知らない。


「いや、でも、こっちの家は狭い方だし」

「だからそれは君の感覚だよウリュン。僕なんかからしたら、この部屋一つ… いや」


 腕を広げる。高い天井を見上げてはあ、とサハヤは息をつく。


「…この長椅子一つ取っても、寝台より豪華じゃあないか」


 彼等は入ってすぐの間に並べられた椅子に掛けていた。文様の入った、ざっくりとした荒い目の布地が張られた椅子。官舎の、麻縄ががっしりと巻かれたそれより遙かに上等であることは間違いない。


「でも椅子には違いないだろ。副帝都の本宅に来てくれたら、君をずいぶん驚かせることができるだろうな」

「いつかご招待してくれ」


 はあ、とサハヤは眉間を押さえた。

 将軍の官宅ということで、興味があった。豪華だろう、と予想はある程度していた。

 だが結局、予想は予想に過ぎない、ということが彼には実感できた。彼の認識では、これは「家」じゃない。少なくとも、彼の知る「家」とは全く違った「建物」だった。

 一方、もう一人の客人は、と言えば。


「…そんなに叩いてもほこりが立つだけだぞ、セン」


 ぽんぽんと椅子のあちこちをはたく友人に、ウリュンは再び苦笑する。うむ、とセンは表情一つ変えることなくうなづく。


「いい椅子だ」

「君がそういうとは思わなかった!」

「丈夫だ」


 低い声でそう言うと、センは黒に近い色によく磨かれた肘掛けを今度は叩いた。

 やがて使用人が彼等の前に小振りな卓を運んで来る。その上には茶器と、軽いふわふわとした焼き菓子が置かれる。

 ウリュンは淡い黄色のそれを一つつまみ、口の中でふしゅんと溶かす。


「食事の支度はしばらくできないのか?」

「軽いものでしたらすぐにでも用意致しますが」


 使用人はさらりと答える。


「皆様だけでしょうか? それでしたら若様のお部屋へお持ち致しますか? それとも…」

「父上は?」


 言葉を遮ってウリュンは問い掛ける。

 不在ということは無いだろう。帰りを暗に示したのは、他ならぬ父自身なのだ。


「はい、お帰りです」

「父上と食事を一緒にできるだろうか? 彼等を紹介したい」


 そうですね、と使用人は少し考え込む表情となる。


「少々遅くなりますが。旦那様は只今お客様と」

「判った。話は色々あるのだな。じゃあ頼む。もう少し腹にたまるものをくれないか。これじゃあ、妹達のお茶の時間の様だ… と、」


 顔を上げた。もしや。


「誰か、来ているのか? 母上か?」


 彼は慌てて問い掛ける。


「いえ」


 即答する。微妙に彼の口の端は上がっていた。


「奥様ではございません。第三様が、お嬢様方としばらく滞在する、とのことで…」

「いやまて、マドリョンカはまだ十五じゃなかったか?」

「いえいえ若様」


 ぱっ、と使用人の表情が明るくなる。


「マドリョレシナお嬢様は先日、十六のお誕生日をお迎えになりました」

「そ、そうだったか?」


 仕方ありませんね、と微妙に笑みを浮かべつつ、使用人は再び下がって行った。

 その姿が見えなくなると同時に。


「何だ、君、妹さんの誕生日を忘れていたのか?」


 サハヤは横に座る友人に問い掛けた。


「…あー… 五人もいるからな、つい…」

「五人… それは多いな… いや、五人だろうが六人だろうが! 姉妹の誕生日を忘れるなんて!」

「サハヤは誕生日をいちいち覚えているのか?」


 低い声がウリュンの向こう側から問い掛ける。


「…ふっ。君は覚えていないだろうね」

「誕生など、新年に祝えばいい。俺の故郷ではそうだった」

「ツェイ・ツ・リュアイ・リョセン、君の故郷ではそうだったかもしれないがね、僕の故郷でそれをしたら、女達にしばらく相手をされなくなるよ」

「別にされなくても良いじゃないか」

「困る! 困るんだ!」


 サハヤは即座に声を張り上げた。


「君は僕等の故郷を知らないからそんなことを言えるんだ…」

「知っている。南東海府のテ島だろう。あそこは海草が美味い」

「ああ、だったら俺はいつか行ってみたいな」


 ウリュンはやっとそこで口を挟む。この二人の会話に飛び込むのはなかなかに難しいものがある。


「そうだね、いつか来るといい」

「俺の方にも来るといい」


 センもまた、真ん中に座るウリュンにさらりと言う。


「何も無い。だが夜の星の数と、乳茶は自慢できる」

「上等」


 にやり、とウリュンは笑う。

 そう、いつか行ってみたいものだ。南東海府のテ島も、センの故郷の草原の地も―――

 いつか。


「お食事の用意ができました」


 三人がそう呼ばれたのは、それから半時程してからだった。

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