18 サヘ家の女たち、事実を知って驚愕する
「あなた方は行かないんですの?」
ミチャ夫人は正議殿の前で道を譲るサハヤとセンの二人に問い掛けた。
「ええ。我々は任務としてここに居るだけですので」
「そうですか…」
「ミチャ様」
義理の息子がそっちと口を挟んだ。
「何ですか若様」
「一つだけ申し上げます」
夫人は首を傾げた。
「何があっても、驚いたりうろたえたり――― 顔や態度には出さないで下さい」
は?
彼女は問い返そうとした。だがその時彼は既に、母の元へと向かっていた。
謁見にも順番がある。彼等は「サヘ一家」として新しい皇后に謁見することとなるのだが、第一夫人マウジュシュカとその息子の方が、第三夫人のミチャとその娘達より先だった。
マウジュシュカはミチャには一瞥も加えず、大きな体を揺らし、歩いて行く。
順番としては早い方だった。既に家長である将軍は入口近くで待っていた。彼自身は息子と共に、新皇后である娘と度々会っている。今回の謁見は形式的なものに過ぎない。
無言で将軍は家族を率いる。
正議殿は普段は日々の政務が執り行われる場所である。宮城のほぼ中央に位置し、玉座がそこに置かれる。
そして玉座の横はそれまで空席だった。
普段はその場所に、高官から順に皇帝の近くに席を設け行う。
作りそのものは簡素であるため、用途に応じて敷物や垂れ幕を変化させることでその場をあつらえて行く。
もっともサヘ家の女達にとっては、そんなことはどうでも良かった。
ミチャ夫人やセレは、宴の時になら宮城にも来たことがある。
だがそれは今回同様、外で花を愛でながらするものである。正議殿に入ることは、普通の女には滅多に無いことである。
入った瞬間、思わずシャンポンは天井を見上げてしまった。高い、と小さな声が洩れた。しっ、とミチャ夫人は娘をたしなめる。
マドリョンカは横目でちらちらと周囲に配属されている人々を伺う。女官の朱い制服が気になる。単純なのに、どうしてこうも同じ形のものがずらりと並ぶだけで、迫力があるのだろう、と思う。
セレはただその場に恐縮していた。
サヘ家の七人は、家長を筆頭に、皇帝の元に近付いて行く。その時点ではみな顔を伏せたまま、歩いている。
「このたびは誠におめでとうございます」
将軍は玉座に向かい、声を大きく低く、張り上げた。
「面を上げよ」
皇帝の声が彼等の耳に届く。
女達もそれに応じて、ゆっくりと顔を上げ―――
「…?」
すぐには、誰も判らなかった。
特に、マウジュシュカ夫人は背後の女達の表情の変化には興味も無かった。
だが。
「…姉様」
マドリョンカは唇の先でつぶやいた。
「…あれは、誰…?」
妹のつぶやきを耳にしたシャンポンは、目を広げる。誰って。自分達の前に居るのは。
いや。
皇帝の隣に陣取っている女は。
「そなた達はこれからも、家族の一員として、何かと皇后の力になる様に」
「は」
将軍は短く言うと、深く礼をした。女達もそれに従った。
「何かそなた達から皇后に言うことは無いか」
「…よろしいでしょうか」
マドリョンカが声を張り上げた。
「マドリョンカ!」
母夫人が止めようとしたが、遅かった。
「何だ」
「おそれながら皇后様におかれましては、とても斬新な髪型…」
マドリョンカは微妙な口調で問い掛ける。
「私の髪ですか」
返答。その声。
シャンポンはこの声に聞き覚えがある。
「似合わないですか」
「いいえとてもお似合いです」
目の前の皇后は、焦げ茶色の髪を全体的に耳の下で切り揃え、左右一房だけ、細い飾り紐や玉を美しく巻いていた。
女性は長い髪であることが美しさの条件である様な、このあたりでは非常に珍しい―――いや、奇異にも感じる髪型である。
「ではよろしいではないですか」
皇后はふっと笑う。マドリョンカの口元が引き締まる。
「長いも短いも、その人に合う合わないによります。一度こうしてみたかったのです。似合うならこのまま続けましょう」
さらり、と言葉が流れて行く。マドリョンカは唇を噛んだ。
「それでは我々はこれにて」
将軍は娘の言動に特に注意を加えるでもなく、退場を口にした。その間ずっと、ミチャ夫人とセレの胸は音が聞こえる程に高鳴っていた。
シャンポンは何も言わず、女官達の顔ぶれを横目で追っていた。
居た。
玉座に座る、彼女が知っている少女を認めた時、シャンポンは先程の朱い服が誰なのか気付いた。目は映していたのに、頭が認めなていなかった。
「父上」
シャンポンは正議殿から出てから問い掛けようとした。
だがそれを、兄の手が止めた。
「あとで、皆に話がある」
父将軍はそのまま、職務だと言って家族の元を離れて行った。
ざく、と足元の砂利が音を立てた。マドリョンカが踵で強く踏みしめた音だった。
*
「…え、もう帰られるのですか」
「そうだ」
マウジュシュカ夫人はそう言うとミチャ夫人の方を見た。
「そなたはどうします」
「私は…」
ミチャ夫人は娘達をちら、と見る。
「お母様お疲れではありませんか?」
セレが口をはさむ。
「差し出がましい様ですが、私はあの――― 先方様のご家族がいらしていると言うので…」
そう言って頬を赤らめる。ほぉ、とマウジュシュカ夫人は太い眉を上げる。
「そう言えばそなた、婚礼が近かったな」
「はい。おかげさまで」
「母上」
ウリュンはひょい、と母の方へ顔を向けた。
「私が居ます。妹達にとってもこれだけの人が出席している場に居ることは決して悪いことではありません。もしミチャ様もお疲れなら、母上と一緒に帰られては如何でしょうか」
「疲れたのか、そなた」
「…は、…はい」
正直ミチャ夫人は先程の衝撃が抜け切れていなかった。
あそこに居たのはアリカだが、アリカではない。
おそらくその件については夫が今宵説明してくれるだろうが、この動揺した気持ちのまま、宴の席に居るのは。
「では仕方あるまい。帰宅じゃ」
「お前達はどうする?」
ウリュンは妹達に問い掛ける。大人しいセレがわざわざ言い出したということは、おそらく。
「私は居たいですわ、お兄様」
案の定、マドリョンカは強い口調で返してきた。
「シャンポン、お前は?」
「この先宮中に私達が行くことはできますか?」
「それは無論」
「では私も今日は帰りたく思います」
「シャンポン?」
ミチャ夫人は怪訝そうな顔で娘を見る。
「私は不器用ですから」
「けど…」
「シャンポンがそう言うなら、そうすればいいんじゃないの? 私なら大丈夫。セレ姉様とお兄様がついて下さるから」
「…そう… そうね」
「そなたは美しい。今日の女達の中でも群を抜いて美しいからな」
「…奥様」
マウジュシュカ夫人の乾いた声に、ミチャ夫人は次の言葉を失った。
「我等は帰宅するとしよう。ウリュンそれではくれぐれも間違いの無いよう」
「はい母上」
立ち去って行く三人の後ろ姿を見ながら、マドリョンカはふうっ、と大きく息をついた。
「ありがと、お兄様お姉様」
「…何のことだ?」
「判ってるでしょ。私がどれだけここに居残りたかったか!」
ウリュンとセレは顔を見合わせる。確かにそうだ。
「見れば判るさ」
「確かにこれからも宴はあるでしょうし、私が出席する機会はあるわ。だけどこれだけたくさんの人々が一堂に会することは滅多にないのよ!」
「お前、何かむきになっていないか?」
ウリュンは軽く首を傾げる。
「むきに? いいえそんなことは」
「いいえ私にも判りました。マドリョンカ、あなた何か焦っていない?」
マドリョンカはふっと笑った。だがその姉の問いには答えず、彼女は兄の方を向いた。
「お兄様はご存知でしたのね」
二人の入れ替わりを、という言葉は無論省略する。
「ああ」
「何故私達に何一つ?」
「マドリョンカ、大変なことでしょう、それは」
「ええ大変なことかもしれないわ。でも私達もサヘ家の人間よ。女よ。何かの力になれたかもしれないし――― お兄様」
そこまで言って、マドリョンカは言葉を止めた。
「あの二人は――― サハヤ様とセン様はご存知ですか?」
あ、とセレは口を押さえた。いや、とウリュンは首を横に振った。
「あいつ等も知らない。―――いや、もう、今では、あれが、本当のことなんだ。皇后になったのはアリカ。そういうことなんだ」
「じゃあお兄様、皇后様に仕えている、上級女官になった女がサボンということなのね。そうなのね。そうなったのね」
「マドリョンカ、声を」
「ああごめんなさいお姉様。そういうことに、したのね」
「そうだ」
「お父様にとって、私達も、そういうことなのね」
「―――マドリョンカ」
「それは言い過ぎよ、マドリョンカ」
「いいえお姉様」
きっ、とマドリョンカは姉を見据える。
「それはお姉様自身、よくご存知のことでは」
「マドリョンカ!」
ウリュンは妹の言葉を遮る。
「それは言い過ぎだ」
「ごめんなさいお姉様。でもお父様の考えが、それでよく判った気がするわ。お父様にとって、私達って、そういうものなんだわ」
「それは違う、マドリョンカ」
「何処が違うと!」
マドリョンカは鋭い声で問い掛ける。
「少なくとも、当人は納得している」
「当人」
マドリョンカはくす、と笑う。
「ではその本人に会ってみたいものです。会いたいですお兄様。会えますか? 会わせて下さい」
「今日それを言うのは」
「『皇后様』はずっと今謁見の最中でしょう? 私達は家族です。サボンに少しでも会えないなんてことは無いでしょう?」
む、とウリュンは口ごもった。




