16 いくときぶりかの宴、さざめく人々の噂
その日、宮中はいつになく華やいでいた。
「何年ぶりでしょう、この様な。ああ、この花の季節でしたのね」
扇で口元を隠した貴婦人は、真白い扇で口元を隠すと、空を仰ぐ。
淡い黄色の、花、花、花。
空を覆わんばかりの、花が、今を盛りとばかりに咲いている。
木の下には高い卓が配置される。
緋色の布が敷かれたその一つ一つに、女官達は杯を、瓶を置いていく。
皿の上には果物が積まれ。
上座にあたる古木の側には、祝い菓子が形と色を考えて配置され、山を為して行く。
「実はいつも義母から耳にしておりましたのよ、宴のおりのあの菓子の味を」
「まあ」
「あの方はいつも、祝い菓子の味には厳しくありましたから」
「それは私とて同じこと。やはり祝い菓子は舌だけではなく、目も楽しませてくれなれば」
「どうしてもあの味が出ない、とよく嘆いておりましたわ」
「甘味の種類は大切なことですわ。それに何と一緒に口にするかも。それにこの花の香り。それもまたきっと太夫人様の記憶の中で一つになってしまわれたのですね」
「何度私も味見をされられたことか。おかげで嫁いだ頃に比べ、こんなに」
「幸せな証拠ですわ」
くすくす、と女達は笑う。
「おかげで若い頃の衣装など、染め返しても着られなくなってしまう始末。娘に着せようかと思っても、嫌がるんですからね。今はそんな形は流行らないのよ母上、とか言って」
「若い頃はそういうものでしょう? 貴女も昔はよく流行りの柄とかで」
「ところが今の娘ときたら。何ですかあの桜好みとかいうものは。首を丸出しにするなどはしたない」
「全く。実はうちの三番目の息子が今度祝言を上げるのですが、その相手のお嬢さんもあれが好きで…」
はあ、と今度は母親としてのため息が洩れる。
「こんなところで非常におそれおおいことだとは思いますけど、桜様ももう少し慎みというものを持ってくださいませんこと?」
「そうですわ。上の息子の嫁など、まるで気質が違うというのに、食べることと着物のことだけは話が合うから…いえ、まあ、仲が良いのは良いことですのよ。嫁に来たとは言え、外で着るのではなし、家の中で話をするくらいなら…」
遠く、大厨房から焼き物の匂いが流れてくる。
ふっ、と一人の女性がつられたのか、視線を人だかりの方へと流す。
「風様ですわ」
「あの方は相変わらずふらふらと」
「あ、今風様に近づいた、武官の方、ご存知ですか?」
「いえ? まだ若いですわね。けど位はなかなか」
宴には無論、警備の武官が配置されている。
だが中には仕事でなく参加している者も居る。
「都城周衛の礼服ですわね」
「颯爽としてますこと」
「風様の護衛かしら」
「要らない、様ですわ。風様ったら」
「ああ、慌てて追いかけて行く…」
彼女達は呆れた様にその光景を見送る。
「そう言えば、十六―――いえ、十七年ですわね、風様の時でしたか、最後にこの様な宴があったのは」
「ええ。もっとも風様自身はお出でにはならず。帝都は政治の都。大人の都。たとえ公主様でも足を踏み入れることは許されず。この様に盛大な宴にはならず」
「長うございましたわね」
「長うございました」
二人はうなづきあう。
「義母は宮中の木々の花を格別褒め称えておりました。満開のウレヒ、暑い盛りの空に映える真っ赤なヒノウ…、池に浮かぶ真っ白な中に、のぞき込んだ時だけ判る、ほの紅さを持つフワレ… 涼しげな風の吹く頃の青い、小さなリゴの花は壁の足元、ぐるりと取り囲む様が実に可愛らしく、そして凍み入る様な冷たさの中でこそ、艶やかに咲くヒワデ… ああどうしても義母の様に、上手く言い表すことができませんわ」
「そう言えばそちらの太夫人様は確か一昨年…」
「ええ。昔は宮中に居たこともある、と… 普段は美味しいお菓子や懐かしい花のこと以外はあまりはっきりとは言わない方だったのに、亡くなる少し前までは、口癖の様に…」
「美しい日々だったのでしょうね」
「ええ、義母にとっては」
「いえいえ、誰にとっても、輝かしいですわ」
ほほほ、と女性達は笑う。
四代帝カヤが位について四十余年の間に、五十六人の女が宮中に入れられてきた。
そのうち公主を産み、正式に「夫人」として宮中に部屋をもらったのは十五人。
現在ではその十五人が十五人、実家なり故郷なりに帰るか、さもなくば副帝都や、病がちのものは郊外に館をもらって暮らしている。
*
四十年前。
まだ「本当に」若い皇帝が位に就くと、すぐにその選定作業は始められた。
冗談じゃない、と青年カヤは言い放った。
先代から一気に受け継いだ「皇帝」という地位と、それに付随する知識や記憶は、「宿屋の息子」にはかなり重いものだった。
その重さを何とか受け止めようとし始めた矢先のことである。
「俺は嫌だ。確かに皇帝陛下が… 確かにあんな形で、俺に… でも、俺はまだ、そんな」
しどろもどろになりながらも彼は断固として否定した。
「少なくとも、もう少し後でもいいじゃないか」
「これは先代の、お父上が我々に常々言い残されたことです。お世継ぎの確保は、何よりも、皇帝としての最大の義務なのです」
「先の陛下が貴方様の母君を見失って以来、どれだけ我々臣下は気を揉まされてきたことか!」
それは父母の勝手だ、と青年カヤは思ったものである。
*
「我が家はかつて、五人も娘を差し出したというのに…」
出席している老高官の一人は、ちっ、と舌打ちをする。
「しかしダウジバルダ・サヘ、あ奴には野心というものは無い」
同じくらいの男がそれにさりげなく意を唱える。
「いやいや、野心というものは、それを手にする機会が訪れてから生まれることもあるという」
そしてまた別の者が。
「いやいやいや」
手を振りながら最初の一人が顔をしかめる。
「野心がありすぎる奴は問題ですがな、あ奴の様な忠義馬鹿も困ったもんですぞ。我々からしてみれば、何処をどう勘ぐっていいやら」
「確かに」
白い髭を持つ一人は深くうなづいた。
「昨年の青海方面への派遣にしてもそうですな。確かに奴が出た方が早く事態をまとめることが出来たのは確かだが、誰かしらの嫌がらせが働いていたことも事実」
「誰ですかな」
「さて」
口元を上げても、目は笑っていない。
「何れにせよ、奴を牽制するに越したことは無いな」
「全くだ」
「そうですな」
派閥の違う宮臣達が、普段とはうって変わった調子で囁き合う。
共通の敵が出来た時、結束が一つ、新たに生まれることがある。「女君懐妊」が誰の目にも明らかになった時点で、サヘ将軍の周囲は変化しつつあった。
生まれるのが皇太子であるならもちろん。
たとえ公主であったとしても、彼には単なる一将軍から、皇帝の縁戚という肩書きが追加される。
「そう言えば、あ奴は珍しく肩書きを利用して北離宮の警護の手を強めさせたというではないか」
公私混同をしないことで彼は有名だった。だが一人が手を振って否定する。
「それは陛下のご命令だとか」
「だが誰を配置するか、は奴に任されたと聞く」
「それでも、息子ではな」
ははは、と笑いが彼等の間に飛ぶ。
サヘ将軍の跡取りアテ・ウリュンは父親の跡を継げる器ではない。傑出した軍人となるには、あまりにも小さくまとまりすぎている。
彼等の間ではよく知られたことだった。
「まあ、あ奴はもっと息子をたくさんつくるべきだったな」
「それでも三人の女を持ち、娘ばかり五人とか。…まあ、それはそれで使い道というものもありましょうしな」
「実際、あ奴は娘を陛下の元に差し出せた訳だし。―――ですが、正直儂は今孫娘を出せと言われたら迷いますな」
「ほぉ、ずいぶんと」
「娘と孫は違いますわい… 儂も歳をとったということですな」
かかか、と老高官は笑う。
「お、その息子と取り巻きですぞ」
玉砂利を踏む音が、彼等の耳に届く。
「―――後ろからはその娘達… なかなかの美貌と聞いておるがの」
「? 確か五人―― ―いや、一人が… だから、娘は四人のはずだが」
確かに。
ウリュン・サヘとその「取り巻き」の後からその場にやってきたのは、将軍の二人の妻と、三人の娘だった。
ただし、二人の妻は決して同じ位置には居ない。たっぶりとした身体を長めの上着で包み、大きな羽根団扇を揺らす女性は、息子達の後に、たった一人で胸を張っていた。
その後ろには細身の女性が娘三人と共に。
「なるほど、するとあれが正妻と側室という訳ですな」
「本当は息子にぴったり付いていたい所だが、同僚がついているからそうもいかない、という顔ですな」
くくく、という忍び笑いが何処からか洩れる。
*
「色々聞こえるな」
「取り巻き」の一人は低い声でつぶやく。
「暇なことだ」
「お前のそういうとこがうらやましいよ」
ウリュンは苦笑する。
「しかしセンの言うことにも一理あるよ。君が聞きたくないなら耳を塞いでいてもいいけど、そうもいかないだろう? ウリュン」
「それはそうだが」
正直、父があれからすぐ、自分と友人二人を「警護役」として北離宮に派遣するとは思ってもいなかった。普段、公私混同を何よりも嫌う父である。
そして彼は思う。本当の娘の方だったら、そこまでしただろうか?
まだこだわっている自分が、そこに居ることを彼は気付いていた。
「それにしても、今日の妹さん達は、格別美しいな」
「そうか?」
センは首をひねる。
「ああ、お前はサボンさんの方がいいだろうからな」
「何のことだ」
「別に」
くすくす、とサハヤは笑う。
そう、ウリュンもまた、気付いていた。本当の妹と、この友人が近しくなっているのではないか、と。
サボンはもう、ウリュンに対して、決して「お兄様」とは呼ばない。現在のアリカに対しても「お嬢様」か「アリカ様」と呼び、それを崩すことはない。
彼女は自分の立場を判っているし、その生活に慣れようとしている。
強い、と彼は思った。
背後でさざめく妹達よりも、上等のお嬢様扱いをされてきた彼女が、自分の召使だった者の下でくるくると働く。決して器用ではなかった妹。
そしてそんな彼女に、この友人は時々声をかけたり、お菓子や本を手渡していることがある。
「いやもう僕はびっくりしたよ」
サハヤは本気で汗をかいていたものだ。
「それでサボンは?」
「いや何と言うか。別に特に、言葉を交わしている訳じゃあないんだよな。ただありがとう、と笑顔を返しているくらいで…」




