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13 皇帝、アリカのもとで自身の過去を口に出す

「何だと?」


 皇帝が内侍長からその知らせを受け取ったのは、明け方頃だった。


「それは確かか?」

「…確かと申しますか…」


 内侍長は言葉を濁した。


「侍医長のホルバ・ケドによりますと、女君自身がそう口にしたとの…」

「ふぅん…」


 皇帝は顎を一撫ですると、大きくあくびをした。寝台から飛び降りると、寝台に掛けたままの上着と下履きを身につける。


「ちょっと出てくるぞ」

「へ、陛下、女君の方は―――」


 慌てて内侍長は声を掛ける。


「その女の方へちょっとお散歩してくるのさ」

「それなら我々も…」

「一人で良い。それと」


 は、と内侍長は顔を上げた。


「サヘ将軍宅へ使いを出せ。すぐに北離宮に来る様にと」

「は」


 内侍長は頭を下げる。

 再び上げた時には、皇帝の姿は何処にも無かった。

 ふう、と内侍長ケレンフトはため息をついた。



 北離宮の厨房は明け方から大忙しだった。


「…まだ糧庫院の方も開いていないというのにさ。ろくなに材料もありゃしない。ああそっちの鍋の煮込みの方が先だよ」


 タボーは近くを歩いていた雑人女を捕まえると、者も言わせず食事の用意を手伝わせた。


「タボーさぁん… 私厨房雑人じゃあないんですが~うちの仕事もあるんですが~」

「うるさいね、後で私が縫製方に言ってやるよ。とにかくこの時間じゃああんたしか見つからなかったから仕方ないだろう、エモイ?」

「そーですが~」

「ともかく、今! 早く食事の用意をしなきゃならないんだ。しかもたくさん!」

「たくさんですかあ~はあ~」


 はあ、と気の抜けた様な返事をしつつも、エモイは腕まくりをし、煮込み料理を始めた。

 言われた通りの野菜を切り、肉を取り出しぶつ切りにする。手際は良い。


「焼き物はすぐできる。サボンさんあんたはとりあえず水菓子を持って行っておくれよ」


 手が足りない、ということでサボンもまた、かり出されていた。

 もっとも彼女が厨房でろくな作業もできない、ということはタボーもこの十日程のうちでよく判っていた。だから彼女には簡単なことだけを指示する。

 サボンもまた、言われたことをともかく忠実にやろう、とそれだけで今は頭が一杯になっていた。

 厨房の菜庫に置かれた果物の中から、皮をむきやすいものをざっと選び、ざるに移す。外の水場でそれを綺麗に洗い、それから皿に盛りつけて女君には渡す、と。

 それでも。


「ああああ」


 ざるに移す際にころころと幾つか大きめの蜜柑が転がる。

 何してるんだ、とタボーも言いたい気にかられるが、あえて言わない。彼女にとってはまず目の前で仕上がりつつある焼き物が先だ。


「けど本当に大丈夫なんですかあ?」


 エモイが首を傾げる。サボンよりも一つ二つ年下だが、手際は格段に良い。


「何が」


 タボーは素っ気なく答える。


「だって女君は、起きられたばっかりなんでしょー? こんなに食べて大丈夫なんですかねえ」

「私もそれは思ったんだけどねえ」


 びたん、と焼き物をひっくり返しながら、タボーは口を歪める。


「侍医のセンセイも構わないと言ったからねえ。そもそもあのジイさんも首を傾げてたが」


 びたん。


「とは言えあのジイさんがここの方々のお身体に悪いことは言わないだろ。女君に大丈夫と言うなら」

「…なら?」


 小動物の様な目で、エモイはタボーを見つめる。


「…たぶん、大丈夫なんだろ」

「たぶんですかー?」

「うるさいね、煮込みはどうだいっ! 噴いてるじゃないかっ!!」


 …などとけたたましい会話を背に、水場でサボンは果物を洗う。水場は井戸の側に作られた洗い物のための作業場だ。

 汲み上げた水を台の上に置いて、一つ一つを丁寧に洗う。ごしごし。だけど手加減は必要。ごしごし。最初に林檎を洗った時、洗いすぎて皮までむきかけて、タボーから呆れられた。


「食材はねえ、大切なものだから、丁寧に扱うんですよ。一つ一つが、食べられるために用意されてる。食べられないものにしてしまうことは食材に対しても、作ったひとに対しても、失礼だ」


 だからその日の夕食は、自分の失敗した食材の処理だった。むきすぎた林檎が一つと、生焼けのパンが二つ。茶ではなく、水。それ以外口にできなかった。

 無論後で空腹になった。なかなか眠れなかった。

 家では、気分がすぐれなくて食事を取らないことはあったが、食事が満足に食べられなくて気分が悪くなったことは無かった。


「あんたが今までどういう暮らしをしてきたか私には判らないが、今のあんたはあの女君の世話をしなくちゃあならないんですよ」


 タボーはサボンの手をじっと見て、そう言った。

 身代わりとまでは思わなかっただろうが、厨房仕事も掃除もしたことの無い家の娘の手だということはすぐに見抜いただろう。


「できそうなことを言うよ。あんたがここに居るうちは。言われたことはやる。それだけだ」


 タボーはそう言った。だからサボンはそれにうなづいた。

 ごしごし。背後でエモイがさっさっ、とタボーに言われた作業をこなしている。胸が痛くなる。悔しい、と彼女は思った。唇を噛んだ。


「洗ったら持って行って下さいよ」


 はぁい、とサボンはつとめて大きな声を出した。


「とりあえず水菓子を…」


 そう言いながらサボンは寝室へと入ろうとし。

 ―――もう少しで皿を取り落としそうになった。


「…へ、陛下…」


 窓から、皇帝そのひとが入ろうとしていた。


「ああいい、いい。そのままで」


 慌てて皿を持ち直し、頭を下げようとするサボンを、皇帝は手で制した。


「忍びでな」

「は、…はい」

「ダウジバルダ・サヘ将軍が来る前に、そなたの主人と話をしておきたくてな」

「は、はい」

「…主人、でいいのだな」

「あ、はい、勿論…」


 そうだ、自分達の入れ替わりは知れているのだ。サボンは思い出した。


「そなたはそれを置いて、少々席を外していてくれ」


 判りました、とサボンは言われるままに果物を卓の上に置くと、部屋から出た。そしてまた洗い場へ戻る。


「おやサボンさん、手が空いたなら、頼むよ、そこの豆を剥いてくれないかい?」

「はい、どうやって…」



「せっかくの水菓子が来たことだ。空腹だろう。食べるがいい」


 皇帝は足音一つ立てずに窓から降りると、寝台脇に立ち、卓を寄せた。


「では失礼して」


 アリカは卓の上の鮮やかな色の一つに手を伸ばす。何とかつぶさずに、爪を立て、ざばざばと皮を剥き、ひょいひょいと口に放り込む。


「相変わらず物怖じという言葉を知らぬ女だな」

「捨てて惜しいものもございませんので」

「それにしても、見事な食いっぷりだな」

「育ちが育ちでありますので」

「ではこれからは化けるがいい」


 アリカは手を止める。


「陛下、私は」

「…居るのだろう? そこに、私の世継ぎが」


 皇帝はアリカの下腹を指さした。アリカは大きくうなづいた。


「はい」

「判るのだな?」

「はい」


 皇帝は寝台に腰を下ろした。


「それで、正気を保っているとはな。大したものだ。その昔、俺はしばらく混乱したぞ。ただの田舎の宿屋の小倅だった俺はな」


 その話は聞いたことがある、とサボンは思った。

 今上の皇帝は、先代帝が「桜」の戦乱の時に自ら乗り込んだ先で儲けられた方だ、と。

 ところが戦場で行方不明になり、それまでずっと、旧藩国「桜」、現帝都直轄地である桜州の州境付近の宿屋で義理の母親に育てられたのだ、と。


「だから、出や育ちなぞ大した問題ではない。皇帝の器足り得る身体であるかどうか、の方が大事だ。サヘはよく判っている」

「将軍様はあのことを判っておられると?」

「いや」


 皇帝は首を横に振った。


「知っているのは俺とそなたと、あと二人だけだ」

「お二人」

「母上。それに、祖后様」


 アリカはそれを聞き、ふっと天井を見上げた。その様子を見て、寝台に腰を下ろした。


「そなたは何処まで理解できた? この十日足らずで」

「理解まではまだ」

「しかし受け入れることはできたのだろう? なだれ込んでくるあれを」


 アリカはうなづいた。


「正直、実のところ俺は未だに理解ができん。四十年経って、この様だ」


 両手を組んで、皇帝はにやりと笑った。アリカは目を伏せた。


「全て、にわかには信じがたいことばかりでございます」

「だろうな」

「ただ信じがたいこととは言っても、自分の中からあれほど一連の、系統だった妄想が生まれて来るとは考えにくいですから、陛下を通した、外部からの情報として、それはそれと受け止めております。理解するには時間が必要です。ただ」

「ただ?」

「身体の調整が――― 力の具合がまだ上手くはできません」


 言いながらアリカは両手を閉じたり開いたりする。


「ふむ。どうなった?」


 失礼します、と言ってアリカは皿を運んだ盆を親指と人差し指で摘んだ。

 ぴし。

 音がした次の瞬間、盆は半分に折れていた。


「この程度には」

「なるほど」


 皇帝はうなづいた。


「先程も杯を持とうとして失敗しました」

「なるほどそれで蜜柑か。皮のせいですぐにはつぶれまい。むくのも細かい作業ではないな。だが実はそなた、林檎を丸かじりしたいのではないか?」

「ええ」


 サボンは微かに笑った。


「構いませんでしょうか」

「構わないさ。俺も一つもらおう」


 そう言うと、皇帝は林檎を二つ取り、一つをアリカに渡し、もう一つに歯を当てた。しゃり、と音がする。


「近いうちに、正式に皇后の地位が与えられるだろう」


 アリカはそっと林檎を持つと、黙ってかじった。


「これはそいつを守るための力だ」


 皇帝はアリカの腹を指す。彼女はしゃり、と黙って林檎をかじる。


「だが生まれてからその力を、そなたに与えられた情報を使うも使わないも、そなたの自由」


 しゃり。


「俺はそれには関与しない。よほどのことが無い限り、そなたはこの帝国で最も強い権力を持つことができるだろう」

「それは」


 アリカは言葉に詰まった。


「と、やれやれ、そなたの『親父』が到着したようだ。今俺が居たことは、将軍に告げたければそうすればいい。そなたの自由だ」

「自由」

「そう、自由」


 言いながら皇帝は窓辺へと飛び上がる。


「一番厄介な、代物だ」

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