10 サヘ家の第三夫人とその四姉妹
「わからない…ひと?」
「ああ…」
マヌェの言葉にサハヤは目を伏せた。
「うん、まあ、それは―――あまり、口に出さない方がいいね」
「そうよマヌェ」
セレも口をはさむ。
「…あまりそれは、不用意に言ってはいけないことよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
ぽんぽん、とシャンポンも軽く頭をはたく。
ああ、とウリュンはうなづき、友人にちら、と視線を移した。
「鳥様も緑様も別にどうだっていいわ」
ぽん、と焼き菓子を口に放り込みながら、マドリョンカは肩をすくめる。
「ともかく宮中に入れば、桜様とお近づきになれるじゃないの。たとえ――― ほら、上手くいかなかったとしても、それでもよほどのことがなければ宮中から追い出すことは無いんじゃないの?」
「それはどうかしらね…」
セレは苦笑する。
「あなたが知らないだけかもしれないし…」
「居続けようとすれば何とかなるわ」
「あなたってひとは…」
ふう、とセレは頬に手を当て、ため息をつく。
「いけない?」
「向上心があるのは良いと思う」
「あら」
マドリョンカはセンの方を向いた。
「堅そうな方に思えたのですけど?」
「宮中が衣装が、そのあたりは俺には判らぬ。ただ貴女がひどく前向きということだけは判る。人は前向きの方が良い」
「あら、いいこと言うじゃないですか」
くすっ、とマドリョンカは笑った。
卓に置かれた菓子が無くなる頃、戸を叩く音がした。
「お母様…」
「ミチャ様」
彼女は部屋を見渡すと、はあ、と大きなため息をついた。
「あなた達ったら… 何処探しても居ないと思ったら…すみません若様…それにお客様も。この子達が失礼なことを」
早口でそれだけ言うと、将軍の第三夫人ト・ミチャは四人を慌てて連れだした。
「また来て下さいな」
「マドリョンカ!」
あはは、と末娘の笑いが廊下に響いた。そしてそれを叱る母親の声も。
五人の足音が遠ざかるにつれて、ウリュンの部屋は一気に静かになった。
ふう、と男達は息をつき、座る位置を移った。
やがて誰ともなく、残された酒をそれぞれの杯に注ぎだした。
「結婚が決まった、と言ってたな…」
ぽつん、とサハヤがつぶやいた。
「え?」
ウリュンは顔を上げた。
「いや、めでたいことだと思って」
「ああ、セレか… 正直、かなり嫁き遅れなんだよな」
確かにそうだった。自分より年下であることには違いないが、二十二という歳は初婚にしてはひどく遅い部類に入った。
「僕等の地方ではさほどに歳のことは言われないが…」
「俺の方もだ」
「うん、…そうかもな」
そうかもしれない、と彼も思う。嫁ぐ年齢というのは、あくまでこの地方の習慣に過ぎないのだ。
それでもこの地に住み、人の噂が気になる名家の一つに加えられている以上、無視できないことだった。
「この辺じゃ、アリカやマドリョンカの歳で結婚が決まるのが普通なんだ。…正直、シャンポンだってかなり遅れている方って言われてる」
友人達は黙ってうなづいた。
「ただまあ… うちの場合、シャンポンはあの通りだし――― まあ、な。あれは男勝りだけど、馬鹿じゃあないんだ。頭はいいし。だから、父上が決めたなら、それに逆らいはしないと思う」
「そうか?」
センは驚いた様に問い掛けた。
「そうだろ。結局はシャンポンだって、自分が女だってことは良く判ってるんだ」
「そうか」
「そうだよ」
「あの子は? マヌェ――― ちゃんは」
「あれでもマドリョンカより二つ上なんだけどな」
「嘘だろ」
咄嗟にサハヤはそう問い返していた。卓に乗りだした勢いで、眼鏡がずれた。
「十八だよ、あれでも。あれだって普通だったら、嫁ぎ先が決まっていてもいいんだが…」
ウリュンは目を伏せる。
緑の公主の話が出た時に、正直、サハヤが口をはさんでくれて良かった、と彼は思った。
「病弱でね。それに、そう、何って言うか… いつまでたっても、子供なんだ」
「…そうか」
「なるほど」
友人達は短く答えた。
「嫁がせるのは酷だろう。たぶん、一生この家に居ることになるだろうな。ただ」
ただ? とサハヤはウリュンの顔をのぞき込む。
「そうすると、シャンポンまで結婚しない、と言いかねないんだよな…」
はあ、とウリュンはため息をついた。
「シャンポンさんは閣下のご命令なら聞く、と言っていなかったか?」
「だから最終的にはするだろうが… その時に、下手すると、妹を一緒に連れて行きかねない勢いなんだよなあ…」
はああ、と先程より更に大きなため息をつく。
「彼女は心配なのだな」
「心配? まあ、そうだろうな」
病弱、いつまでも子供。身体だけではない。
心も、頭も―――
「大変だな、お前」
サハヤはしみじみとつぶやいた。
*
「…全く …はしたないったらありゃしない」
将軍の第三夫人ト・ミチャはこめかみに指を付いた。
「だって、おにーさまのお友達がいらっしゃるなんてぇ、滅多に無いことじゃあなくって?」
マドリョンカはそう言いながら両手を広げた。
「そんな滅多に無い機会を逃すなんて、阿呆のすることだって、おかーさまいつもおっしゃってるじゃあないですか」
「まあそうですがね」
ミチャ夫人はふいっと顔を上げた。そこには義理の息子に対するやや萎縮した態度は何処にも無かった。
「お友達って言ったって、色々あるでしょう!」
「ふーん?」
にやりと笑い、マドリョンカは腕を組む。
「それは、出世頭か、ってことかしらん? おかーさま」
「そうです」
ミチャ夫人はきっぱりと言った。目が座っている。
「出世ですかー… まあ、あまりしそうにはないですね」
シャンポンは反対向きの椅子にまたいで座ると、黄色い林檎を一つ取った。そして内心思う。彼等は出世とか考えるには、人が良すぎる。
だがそれは口には出さない。代わりに林檎にがぶりと食いつく。白い歯が噛み砕く。しゃくしゃく。
「何ですかシャンポン、お行儀が悪い」
「そうよ姉さん、このままじゃあ絶対に行き先は無いわよー」
しゃくしゃく。
黙ってかじりながらシャンポンは眉を寄せる。
ああ全くこのひと達は何ってそっくりなんだろう。
「ともかくマドリョンカ、誰彼構わず秋波を送るというのは、利口ではありません。お姉さんを見習いなさい」
「いいえ別に私は何も」
ほほほ、とセレは笑う。穏やかな笑み。
「たまたま、お母様に連れられて行った宴会の場に、あの方がいらっしゃったのです。それだけですわ」
結婚が決まった長女は、あくまで穏やかに言う。きっちりと結われた髪、ごくごくありきたりの服、色合い、絵に描いた様な「上品な令嬢」。
シャンポンは苦笑する。
「姉様のお上品さは地だよ。あなたは生まれつきの貴婦人だ」
「嫌ぁね、おだてるものじゃあないわ」
そう言うと、ではお休みなさい、とばかりに長女は自室へと立ち去った。
「マヌェもねむいー」
「ああそうだね、一緒に寝る?」
わーい、とばかりにマヌェはシャンポンの手を取り、やはりその部屋から退場する。
残されたのは、似たもの母娘だけだった。
「で、シャンポンの言う通りなの?」
「あらおかーさま、シャンポンは信用できなくって?」
マドリョンカは母の足元にぺたりと腰を下ろす。膝に腕を乗せる。
「あの子とあなたの見方は違うでしょう?」
まあね、とマドリョンカはうなづき、ふふ、と笑う。
その笑みを見ながら母夫人はしみじみ思う。この子が自分に一番似ている、と。
そしてその一方で、見上げるその瞳の強さは将軍のそれだ、と感じてしまう。まだ若かった頃の、何かを追う様な目。
夫人は娘ばかりを四人産んだ。娘で良かった、と思っている。
将軍は男子が欲しかったと言う。シャンポンは自分が男だったら、とぼやく。「若様」ウリュンも同様だ。
だがもし自分が男の子を産んでいたら。それを考えると怖ろしい。
特に自分は、第二夫人を差し置いて子供を次々に産むことができたから。身体が弱かった第二夫人と違い、多産系だったから。
娘をたくさん。そう願い、そう産んだ。
セレは最初の子供で――― 将軍の子であるかは疑わしい。
当時のト・ミチャは、芸妓として名が売れ出した頃だった。芸妓の宿命として、幾人もの男と関係を持っていた。
サヘ将軍もそれは承知だった。彼女を第三夫人にすると決めた時、既に彼女の中にはセレが居た。将軍の子かどうかは判らない、とト・ミチャはきっぱりと言い放っていた。
正直、成人したセレを見て彼女は思う。自分と将軍の子にしては、あまりにも素直で穏やか過ぎる。だからこそ、武人ではなく、文人の名家に嫁がせることを望んだ。母なりの努力もした。結果、彼女は望みの嫁ぎ先を手に入れた。
それに対し、シャンポンには明らかに将軍の血が出ていた。面差しも感じ取れたが、何より武芸に対しての勘が良い。
口ではうるさく言ってはいるが、母夫人としては、シャンポンはあれで良い、と思っている。
実のところ、彼女はシャンポンを外に嫁がせるつもりはなかった。
理由は――― その下の娘にあった。
マヌェ。彼女はいつまでも子供だ。そしてこの先も子供だろう。嫁がせるのは無理だ。
彼女をこの屋敷で一人にはできない。誰か、側で守る人間が欲しい。乳母は居る。だが乳母に実権は無い。それに彼女より長生きするとは限らない。
幸いマヌェはすぐ上の姉が大好きだし、シャンポンも彼女を可愛がっている。守ってやる気でいる。
だったらそうさせよう。彼女はそう思った。
元々がこの家にとって他人である自分より、将軍の血を引いているシャンポンに任せた方が安心できる。自分にもしものことがあっても。
武芸が立つ女のまま、ありのままの彼女を好いてくれる誰かが婿に来てくれれば、言うことは無い。
そして末の娘は。
マドリョンカは最後の子供だ。
彼女がそう決めた。第二夫人がアリカを身ごもった時に、そう決めた。自分はこの子と同じ歳の子供を産んで打ち止めにしよう、と。
四人も居れば充分だ。将軍の三番目の妻として、たとえ身分が低くとも、この家でそれなりの地位を築きあげることができた。
ト・ミチャは最初から知っていた。自分が第二夫人の「身代わりの女体」でしかないことを。




