5. 我慢していた
ぱち、ぱち、と燃えている木々が弾ける音が静かにしている。
夜、もう戦う事自体も慣れた頃。刃持ちと火を囲みながら、獣は思った。
もう、自分は本当にこの刃持ちを殺す気でいるのだろうかと。
自分のこれまで全ての戦いの中の攻撃の威力は、直撃すれば刃持ちを殺せるものだった。しかし、それが一度たりとも直撃した事は無かった。殺せるような状況になった事も無かった。
もし、止めを刺せる状況になったら、自分はこの刃持ちを殺すのだろうか?
出会った当初なら間違いなく、そうだ、と言えた疑問に対し、乾いた季節と湿った季節が何巡もした今は、分からなかった。
決着が付く事を望んでいるのかすら、分からなかった。
自分が狩った獲物を、刃持ちが適度に焼いて返した。塊の塩ではなく、粉々にした塩も振ってある。
齧り付く。このただ生で食うのとは全く別の味にも慣れてしまった。そしてまだ、自分はこの森に居る。
森の外に出たいと言う欲求は失せる事は当然無かった。しかし、その森から出るタイミングは未だに来なかった。
この刃持ちに出会う以前と比べたら自分は格段に強くなっただろう。それは刃持ちにとっても同じだ。
そして、この刃持ちと同じ種は、皆同じ程度の強さを持っているのか、そうでないのかもまだ分からない、知らないままだ。
けれども、そうではないだろうと思い始めていた。この刃持ちの体は見るからに、自分と戦う為に研ぎ澄まされ、鍛えられたものだった。自分も今となっては同じようなものではあるが、それはただ生活するだけに対しては刃持ちの種にとっても有り余るものである気がした。
肉を食い尽くす頃には、夜の月が高く登り始めている。焚き火を刃持ちと囲み、刃持ちは偶にぽつぽつと、何かを喋っていた。それがどういう意味なのかは未だに分からなかったがそれも、不快なものではなかった。
疲労した筋肉が睡眠を求めていた。もう、互いは互いの視界の中で眠る事さえ特に厭わない事だった。
互いに正々堂々と戦って、どちらかが越える事以外で、終わりは望んでいない事が確信し、そしてそれを信頼出来ていた。
親でも兄姉でもない、そう信頼出来る存在を得たのは獣にとって初めてだった。友という概念が、新しくあった。
戦う日々はとても充実していた。刃持ちが来るまでただひたすらに自分を鍛える事も、その内来ると分かっている今は楽しいものだった。
けれども、外への渇望が無くなった訳ではなかった。寧ろ、日に日にそれは増していた。
この森の外には何があるのか、何が居るのか、戦えば戦う程、その知りたい欲求は増していった。
森の外に出ても、ある程度なら大丈夫だろうと思える力も付いた事も、それを加速させた。
空を鳥が飛んでいる。その視界には何が見えているのか、とても気になった。木を登ろうと思えど、自分の体重を支えられるような頑丈で太い木はこの森には存在していなかった。
二度目、来るまでただ待っている時よりも、欲求は遥かに強い。気付けば、行った事の無い、森の中の川の先を眺めている事さえも多々あった。
その先は自分が居る場所と同じように木々に遮られて見えず、そしてこの森と同じような光景が続いているようにも思えた。
そして、刃持ちが来る方向、ただただ森が続いているその方向にもいつもより歩みを進める事も多くなった。
刃持ちと同じような強さを持つのが多数居るかもしれない、と思うと更にそこから先へは進めなかったが。
雨が降り始める頃、蛙が地中からのっそりと出て来て、煩く鳴き始める頃。
いつもの感覚としては来て良い時期を過ぎていたが、それでも刃持ちは来なかった。焼いた肉の味が少し恋しくなっていた。それ以上に気を抜いたら死ぬ、という緊張のある戦いを待ち望んでもいた。
ただ今はもう、外への渇望の方がそれよりも大きかった。
無いとは思うが、戦いをしに来るのに飽きたのだろうか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。分からなかったが、自分より優先させる何かが出来たのだろうと獣は思った。
都合良く、ではなかった。刃持ちに来て貰っている、という事は理解していた。自分から刃持ちに会いに行こうと思えど、外の未知に恐怖して行けなかったのだから。
そう。都合良く、外へ行く為のきっかけが出来た訳では無かった。ただ、元からあった選択肢が鮮明になっただけだった。
刃持ちを倒すという目標を成し遂げた訳ではない。強くなったとはかなり思えるが、それは刃持ちのように筋力が貧弱であっても、速さと技量で補って追いつける程度の強さだった。
それを確実に越える事は出来ないのかもしれない、とも思うが、その程度の強さである事は事実だった。
池で、出て来たばかりのやせ気味の蛙を捕まえて食べた。予想通り、余り美味しくなかった。
腹が落ち着いてから、立ち上がって寝床へ向かう。
歩くのは自分の意志であるようで、そうでないようにも思えた。自分の渇望がもう、目標を達成するまで、という悠長な生き方に耐えられなくなっていた。
自分の体は、成長をほぼ止めていた。体は安定に入っていた。
これから先はもう、刃持ちのように自分の体の動かし方を高めるしか、強さを求める方法は無さそうに思えた。筋力がこれ以上あろうが、刃持ちと戦う為には必要なさそうだった。
寝床に着いた。地面がやや盛り上がった場所を掘って作った寝床だ。雨の降る時期はじめじめして余り快適ではないが、乾燥している時期はしっとり涼しくて快適な寝床だった。
じっ、とその寝床を眺めた。どの位この寝床で毎夜を過ごしたのか、獣は覚えていなかった。
親と暮らしていた時期の方が長かったのか、それとも短かったのか、多分、同じ位だろうか。
そして行くなら行くと、自分の中で強く決めた方が良いと思っていた。刃持ちはまたここに来るかもしれない。けれどももう、その時自分はここには居ないと示す為に。そして、去るなら去ると、森から出るならもう、ここには戻れない事もあるだろうと思えた。
それをはっきりと自分の中に、思うだけではなく、体に刻み付けるようにしっかりと身に染みさせておきたかった。
腕に力を込める。ゆっくりと、決意を固めるように。ぎり、ぎり、と握られた拳が音を立てた。みし、みし、と剛腕が膨れた。
そして、思い切り、その寝床の入り口を殴りつけた。何度も、何度も、穴が崩れ、原型を留めなくなるまで殴りつけた。
鳥が驚いて飛んで行くのが聞こえた。その豪快な音を聞きつけた獣達が逃げて行くのが聞こえた。
湿った土が、ぼろぼろと寝床を埋めて行く。もう、戻らないと決めたのを、それを見てやっと実感したような気がした。
そして、川へ着いた。雨の降らない時期は干上がる寸前まで行く事もあるが、今は普通に流れている。
行くのは刃持ちがいつも帰る方向とは逆の方向だ。
どの方向に行くかも色々考えたがやはり、刃持ちの種族の全てがとても強いかもしれないという可能性を捨て切る事は出来なかった。だから、その反対の方向に行く事にした。
川に足を踏み入れながら、刃持ちが来たら良いな、と思った。けれどもそれはきっと、現実にはならない。
自分と刃持ちでは、生きている世界が違い過ぎる。分かり切った事だった。自分にここまで合わせる事も無いだろう。
もし、これから先ここに刃持ちが来たらどう思うのか、疑問に思ったが、それは考えない事にした。
がっかりするのか、しないのか、それすらも良く分からなかった。
流れる川面を眺めると、魚が泳いでいた。自分の手では簡単には捕まえられそうになかった。
前を向いて、川を越えた。




