4. 分かっていた
生物も自分を倒す為に強くなっているだろうと言う当たり前の事に気付いたのは、その二度目の戦いが始まってからすぐの事だった。
それはそうだ。獣は苦笑した。来た事自体、とても嬉しい事だった。冷静に考えれば、態々命の危険を晒てまで自分と戦いに来る何て余程戦いが好きで、命知らずか自信が無い限り、来る筈が無い。
しかし、来るかもしれないという願望を完全には捨てられなかった。
以前戦っている時、自分は単純に楽しんでいた。生物も同じだったと思えた。
そうでなかったらあの時、戦いはどちらかが死ぬまで続いただろう。互いに立ち上がれなくなろうとも、止めを刺すまで戦いは終わらなかっただろう。
とは言え、この戦いがまた、引き分けで終わるとは当然限らない。力量差があれば、負けて死ぬ。それだけは不変だ。
得たしなやかさを生かして、傷を出来るだけ負わずに生物の隙を狙う。
生物は更に動きを洗練させて、自分に四方八方から攻撃を仕掛けて来た。
頭が徐々に生物のみに向って集中していく感覚に身を委ね、自分の体に没頭した。ずっと仮想した生物と戦った成果は確実に出ていた。そしてやはり、その仮想の生物はもう、目の前の生物とは別物だった。
殺せないだろう、と思う。
しかし、殺されないだろう、とも思った。
実力は離れていない。どちらも強くなっている。同じ程度に。
握りを解いて、不意に掴みに行く。生物はそれに対して瞬時に構える。手の平を切り裂かれた挙句に掴めない未来が見えた。
咄嗟に腕を引っ込め、同時に肉薄されないように後ろに下がり、もう片腕を構えた。
傷はどちらも、まだ殆ど負っていなかった。一度目はどうだったろうか。この位の時が経った時には、どの位の血を流していただろうか。
疑問が浮かんだが、考える事はしなかった。生物が走って来た。
……こうなる事を、最初から分かっていた気がする。殺せない、殺されないと思った時から。
傷は受けていたが、前回程ではなかった。もう立っている事すら危うげであったが、それは単純に疲労から来るものだった。
生物も、距離を置いた場所で、得物に体重を預けて頭すらこちらを見ずに下げていた。
腕が上がらない。無理矢理起こそうとしても、構えるだけで精一杯だった。
腹が空腹で鳴り、生物が頭を上げてこちらを見た。
当然、自分がした攻撃は全て直撃すれば生物を殺せるものだった。生物も、自分に隙があれば急所にその刃を向けただろう。
戦いは前と全く同じく、殺し合いだった、とは思う。しかしそれはもう既に、形だけのようなものだった。
敵意も殺意も、あるようで無いと同じだった。指の一本を動かすのさえ、苦労する事だった。初めて会った時から獲物としては見ていなければ、恨みを持つような事もされていなかったからその二つは薄いものだったが、そんな今は完全に失せていた。敵意や殺意がこの状況でも強くあれば、今でも必死に殺そうとしているだろう。でも、そんな気は無かった。
食う食われるでも親子でも兄弟でも無い関係を持った事は今までに無かったが、兄弟に対する感覚とそれは似ていた。
膝を折ってそのまま座ると、生物も崩れた。
疲れたがまだ、緊張まではまだ解かなかった。そこまでの信用はまだ出来なかった。
戦う理由は自分と生物は同じく互いを越える為だと思えても、警戒を解いて近付こうとまでは思えなかった。
空を見上げると、月がもう出ていた。いつの間にかここまで暗くなっていたのか。
生物の方に視線を戻して、思う。
体は碌に動かない。腹はとても減っている。そうであっても、とても良い気分だった。
それが何故だかはっきりと分かりはしなかったが、考えるのは億劫でもう一度空を眺めた。
そのまま、時間が流れた。
体を震わせながらも、歩く程度なら出来るようになった頃、獣は立ち上がった。
戦意は無かったが、生物も一応警戒してか立ち上がった。夜目はある程度効く。遠くに草食獣の何かが居るのが見えた。
落ちていた石を拾う。指先よりもやや大きい程度の石。投げるには少し小さいが、大丈夫だろう。生物は木の陰に隠れた。
流石に体力が尽きている今は、万が一自分の方へ投げられても躱す余裕はないようだった。
草食獣にじっくりと狙いを定める。この距離では体が万全でも必中は出来ない距離だった。けれども当てたい、と強く思う。
雨季の大雨の日に雷が落ちた時、急いで獲物を狩ってその落ちた場所に行って燃えている木の所へ獲物を放り込んで焼いてみたが、大した味の違いは無かった。
焼いて欲しいと思うのは流石に無理だろうか。
そうして、投げた。しかし、投げる瞬間に体がぶるりと震えてしまい、石は草食獣からかなり外れた場所の木にぶつかって、落ちた。
草食獣は驚いて逃げてしまった。
仕方ないか、と思いながら今日は去る事にした。
その時、生物から声を掛けられた。振り向くと、身に付けていた物から何かを取り出して、それを半分に千切って投げ渡してきた。
生物は千切った半分を千切って食べた。
何だ、これは。食べ物のようだが、今まで見た事が無いものだった。果物でも無ければ、肉でも無い何か。外側は茶色く、内側は白い綿のようなものが詰まっている。匂いも今まで嗅いだ事の無いものだ。それに悪い匂いではない。
まあ、毒では無いだろう。初めて会った時に渡されていたら、流石に食えなかったとは思うけれども。
口に入れると、やはりそれは果物でもなく肉でも無い、初めての味と食感だった。
柔らかい部分の肉より、やや柔らかい程度の硬さ。味は余り無いように思えて、噛めば仄かな甘味があった。
旨い。
喉の奥にそれが消えていくのを少し名残惜しく思いながら、この生物という種に関して、何となくではあるが少しずつ分かり始めて来た気がした。
この食べ物もきっと生物が持っている刃と同じく、自分の考えでは及ばない行程を経て作られたものだろう。
生物が身に付けている何もかも全ては、どう見てもそのまま落ちているとは思えないものだったからだ。
生物は、その半分を食い終えて一息吐くと、自分の方に一旦手を振ってから去って行った。手を振る仕草が何を意味するのかは分からなかったが、悪い意味では無いだろう。
背を向けている生物に対して、何となく真似をしてから自分も去る事にした。
これからも、こうして決着が付かずに戦いは続いていくのだろうか。
それはそれで楽しい事だ。
けれども、そうしてずっと戦い続けるだけでは、生物を倒すという目標を達成出来ずに森の外という世界を見る事が叶わないのも事実だった。
それも嫌だった。
ただ、色々考えるのは次の日にしよう。
今日は、疲れた。緊張が解けて来て、空腹が強くなり、眠気も襲って来た。
取り敢えず、寝よう。それから明日、たっぷり食べてから考えよう。




