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30. 休んだ

 潮の匂いを辿って歩き続けた。

 ただ、自分だけの草を掻き分ける音しか聞こえない。後ろからついて来る足音も、草を掻き分ける音も、話し声も何も聞こえない。

 自分が最初に森を出て、そして刃持ちと再会するまでと一緒だった。

 戻っただけだった。上辺は。見た目は。

 片手には、捨てられなかった、置いていけなかった二本の刃が握られている。

 寂しさは、とても強かった。虚しささえもあった。

 結局、刃持ちも自分を殺そうと思えば殺せたのだろうか。……戦友から、ただの友になろうと言ったのは、単純に刃持ちが自分に負けていたと思ったからなのだろうか、それとも、刃持ちも自分と同じく、殺すのに躊躇いを覚えていたからなのか。

 今となってはもう、分からない。

 夜に空を見上げれば、星が見える。刃持ちの話す言葉がまだ分からなかった時の、砂漠で焚火を囲みながら立ち上がる煙と星を見上げた記憶が思い出される。

 山の温泉で傷を癒しながら、アルトスタとも一緒に、湯煙と星を見上げた記憶が思い出される。

 その記憶は、とても鮮明だった。時間が経とうとも、はっきりと思い出せた。

 もう、焚火を囲む事も無い。話を聞く事も無い。今、握り締めている刃を身に受ける事も無い。その生きている姿を見る事も無い。

 置いて来たのではない。もう、刃持ちは死んだ。再会する事は無い。

 最後に我儘をして、けれど他の刃持ち達と同じようにあっさりと死んだ。

 木の枝が、深く突き刺さった。それだけで。

 とても脆いその種族が、自分と対等に戦えた。ただ両手に持ったこの刃だけで。最終的に自分は勝った。けれど、それまで何度も等しく戦って来た。

 それがどれだけ凄い事か。

 最初と最後以外、自分の攻撃は当たらなかった。石を当てれば、拳で叩き潰せば簡単に殺せる種族なのに、自分と戦って来て、付いて来た。


 ざぁ、ざぁ、と音が聞こえて来た。水の音だった。

 にゃあにゃあ、と鳴く鳥の声が聞こえて来た。

 刃持ちは、その音を、その鳥を形容する言葉を知っているだろう。

 もう、それを教えてはくれない。

 握っている、この二本の刃を自分に向けて対等に戦ってくれる刃持ちはもう居ない。

 潮の匂いは濃密に漂っていた。風は体に纏わりつくような湿度があった。地面はさらさらとした砂が多くなっていた。

 穴だらけになっている枯れた木が転がっている。妙な草が生えている。中が空洞の、妙な石が転がっている。地面を小さい変な虫が走り回っている。

 空を、普通の鳥に交ってメニクスタが飛んでいた。

 風がより一層強く吹いた。元気の無さそうな木々とひょろひょろと伸びている草の先の光景が一瞬見えた。砂が目に入って、思わず顔を伏せた。

 風が収まってから、草を掻き分けて、先の光景が見える所まで一気に歩いた。

 視界は、一気に開けた。

 …………。

 池、ではなかった。この視界の先まで広がっている水の大地を、何て呼ぶのか自分は知らなかった。

 草木の全く無い砂の大地に波が何度も打ち寄せ、そして戻って行く。

 地平線の先から届いて来る風が、何度も自分を撫でて去って行く。

 曇り空が自分の後ろへと走って行く。数匹の魚が水の中から跳んで、そして水の中へ戻って行った。

 どく、どく、と静かに自分の鼓動が聞こえた。

 胸から、体の隅々から熱いものがこみ上げて来て、吼えた。

 何度も、吼えた。

 持っていた刃を地面に突き立て、地面を何度も殴った。吼えながら、殴った。

 木を折った。とても軟弱で、一回殴っただけで簡単に折れた。折れた木を、何度も殴った。

 もう、刃持ちは自分の後ろを歩く事は無い。もう、刃持ちとどこかへ行く事は出来ない。

 この広大な水の景色を、一緒に見る事は出来ない。

 見たかった。一緒に。

 突き立てた刃の一本が、ぱたりと倒れた。刃を握り締め、額に当てた。傷が痛んだ。

 寂しい。虚しい。

 体が震えていた。疲れている訳じゃないのに呼吸が荒くなっていた。

 この感情をどうしたら良いのか分からなかった。とても苦しかった。どうにかなってしまいそうだった。

 だからと言って、捨てたくも無かった。

 吼え続けても、殴り続けても、その寂しさも虚しさも消えなかった。もう刃持ちは死んだのだという事実だけが、自分の中で強く在り続けた。

 こんな悲しさを、虚しさを、捨てられもしないどうにもならない感情が待っていたのならば、会わない方が良かったのか。いや、それは違った。

 森を抜けて広がっていた草原も、白青混じりと会ったのも、山も砂の大地も、何もかも、そしてこの水の景色もとても素晴らしかった。そう、美しかった。

 あそこで、ただ親から離れて生きていただけの自分は、他のただの獣と大して変わらなかった。それを変えたのは、刃持ちだった。

 刃持ちと会った事、それ自体は良い、という事ではとても表せない程に凄い事だった。

 死んで欲しくなかった。ちゃんと、刃持ち達を殺しておけば良かった。

 あった石を、壊れて弾け飛ぶ程に強く握り締めて、水へと投げた。飛沫を上げて、それっきりだった。

 自分がどうなろうと、刃持ちが死のうと、他は何も変わらなかった。それは当たり前だった。

 自分が死のうとも何も変わらないのだろう。けれど、自分まで死のうとは思わなかった。

 普通の獣を殺して食らい、その親や子を悲しませ、そして自分はこれからも生きて行くだろう。

 誰しもが、そうやって誰かに悲しみを与えて生きている。それが、自分に来ただけの事だった。


 太陽が沈んでいく。大地と水の境界で、太陽は赤く輝いていた。

 ……その内、立ち上がらなければいけないと思った。悲しさも、虚しさも、何も変わっていないけれども、また、歩き始めなければいけないと思った。

 悲しみは、誰しもが背負うものであるけれど、誰しもがそのまま背負って終わる訳じゃない。

 そうだったら、命なんていうものは繋がっていない。どこかで途切れてしまっているだろう。

 ただ、自分がその背負った悲しみを、刃持ちを喪った事実をどうするのか、それは全く分からなかった。

 父を唐突に喪った時と同じようになるとは全く思えなかった。自分が殺した獣の子や親のようになるとも思えなかった。

 今は、取り敢えず休みたかった。

 ただ何もしない時間が欲しかった。

 赤い夕日の後ろを見ると、黒い空と、光り始めた星があった。

 夜が来ていた。

読んで下さってありがとうございました。

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