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22. 生きていた

 山を登るのはもう慣れた事だった。久々だったからか、自分の重い体を持ち上げるのに、白青混じりと居た時よりも疲労を感じるが、それでも初めて登った時よりは感じていなかったし、どうやって登ったら良いのかと悩んで立ち止まったりする事も余り無かった。

 刃持ちも、後ろから付いてくる。自分の体で草木が掻き分けられた後を通るのは結構楽だろうとも思うが、刃持ちが前に行く事は無い。あくまで、きっとだが、刃持ちは自分に付いてきただけなのだ。

 何故付いてきたかは未だにはっきりとは分からない。刃持ちが発する声が完全に理解出来るようにならなければ、ずっとそうなのだろう。

 けれど分かっている事もある。刃持ちは、殆ど自分に行き先を任せている、という事だ。

 だから、こんな山の中でも率先して先に行こうとは思わないだろう。


 腹がすぐに減ってきた。

 大きめの岩を見つけて、その上に座った。刃持ちは近くの大木にもたれ掛かって、息を吐いた。

 とく、とく、と静かに強く、心臓が動いていた。体が熱くなっていた。きっとそれは刃持ちも同じだろう。

 白青混じりが住んでいた山よりこの山は結構高い。

 空を見上げれば、もうもうと、切れる事なく出続けている煙が見える。そこまで行くのに、流石にこの日の太陽が沈むまでに行く事は難しそうだった。

 行こうと思えばきっと行けるが、その時は疲れ果ててぐっすり眠りたくなっているだろう。

 急ぐ必要はない。そこに何があるのか凄く興味はあるが、急ぐ必要はない。

 手頃な石を見つけて、軽く握った。生えていた木の実を千切って幾つか食った。

 何かを狩って食いたい所だが、草木の密度が高いここでは石を投げるのも余り役に立ちそうに無ければ、獲物に忍び寄るのも難しい。

 仕方なく、木の実で一時の空腹を紛らわす事にする。余り甘くなく、酸っぱいが、不味くはない。

 種は吐きだした方が食い心地は良かった。吐きだしたら刃持ちの前に落ちた。

 木の実を刃持ちの方に投げると、少しだけ囓って何かを確かめてから、食べ始めた。

 結局、その木に生えていた木の実の大半が腹に収まった。


 暗くなって来る前に大岩の下で休む事にした。動かそうとしてみるが、全力で引っ張ってみても全く動かない。大丈夫だろう。

 獣の気配は、余り感じない。全く居ないような不自然さは無いが、どうにもやはり、草木を掻き分けながら登れば、目立つのは当たり前だし、先に逃げられてしまうのだろう。

 月明かりは今日も僅かにあるだろう。じっとここで待っていれば、石を握っていれば、狩れる時は来るだろうか。

 今日食えなかったら、明日は今日と同じようには登れない気がした。

 足と腕、そして全身の疲労が溜まっている。まだまだ、先は長い。明日には登り切れると思うが、疲れは取っておきたい。何か食っておきたい。

 刃持ちは隣で何かを噛んでいる。それは美味いものだろうが、自分の腹には全く溜まらないものだ。

 指先に刃持ちがそれを置いてきた。乾いた肉なのに、やっぱり美味い。けれど、本当に少ない。

 困ったものだ。


 夜中、鳥の泣き声が聞こえる。一風変わった声だったが、大きくない鳥だと何となく思う。

 赤い鳥じゃない事は確かだ。そう言えば、赤い鳥に関しては鳴き声も聞いてない事を今思った。

 目を閉じて、ただまどろんでいる。耳にだけ集中して、座って背中を岩肌に預ける。意識せずとも鼻息がゆっくりと上下する。

 疲労が失せていくのが感じられる。自分の肉体がまた、元通りになろうとしている。幾度となく切られても傷跡さえ殆ど残らずに消えた。刃持ちと初めて戦った時に受けた腕と足の深い傷も、今は薄らと跡線が残っている程度だ。

 眠りの心地よさが、ただ耳で世界を感じてぼうっとしている感覚が、心身共に癒してくれている。

 ただ、忍び寄って来る空腹が僅かにそれを邪魔している。

 体が揺れる。呼吸に合わせてか、また揺れた。

 背中を預けている岩からも振動を感じた。

 ……?

 目が覚めた。

 ずづずづ、と地面が揺れている。何だこれ。

 小刻みに、体が震えている。何だ、これ。

 岩の下に居るのが無性に怖くなった。岩が崩れてくるんじゃないか。起き上がってすぐに岩の下から出た。刃持ちが何か言っていた。

 酷く呑気な声で、岩の下から出ようともしていなかった。

 ……そんな安心出来るような事なのか、これは?

 強い揺れが一回起きて、思わず身を縮こめた。そして、揺れは収まった。

 暫くの間、動けなかった。

 大岩に触れてみるが、最初と同じく、全くと言って良い程動かなかった。

 今のは何だったんだ……? 地面が揺れた。それは分かるが、何故?

 考えても分からないだろう事は何となく分かっていたが、今まで地面が揺れる経験何てした事が無かった身としては考えずには居られなかった。

 その時、草を掻き分ける音がして即座にその方向に石を拾って投げた。

 僅かな悲鳴が聞こえ、そして倒れる音が聞こえた。当たった、か。運が良い。

 ……まあ、いいか。食おう。


 朝になっても煙は山頂から吐き出されていた。あれは止む事は無いのか?

 そう思うとより一層山頂まで行きたくなる気持ちが沸いてくる。

 腹は膨らんだ。疲れも取れた。まだ、先は長いが今日には頂上まで行ける。

 歩き始めよう。

 刃持ちも、同じく後ろから付いてきた。


 木々が失せてくると、変な臭いが微妙にしてきた。卵が腐ったような臭いだ。

 我慢できない程でもないが、余り、嗅いでいて良い気持ちになる臭いではない。

 歩き続けると、木々が全くなくなる。白青混じりが居た山は、生えなくなった場所になっても草木は少々生えていたりもしたのだが、ここでは全く生えていなかった。そして、岩だらけなのは変わらないが、その岩も何か白っぽいものから黄色っぽいものがくっついていたりする。舐めてみると変にしょっぱい感じがした。

 歩いていくと、地面から煙が湧き出ている所さえある。

 手をかざしてみると凄く熱く、すぐに引っ込めた。そのままかざしていたら、手が焼けてしまう。

 水が沸いている場所もあり、少し触れてみようとすると、刃持ちが腕を掴んだ。

 刃持ちが自分の腕を掴もうとも、無視して触れる事も出来たが、刃持ちの表情は困っているものだった。

 何で止める? そう思っていると、刃持ちが石をそこに投げ入れた。そこに入った石は、ぶくぶくと音を立てた。

 ……水、じゃないのか? これは。

 ともかく、触るのは止しておいた方が良さそうだった。

 そもそも地面から熱が湧き出ているようだった。足裏から感じられる熱は、温かい位のものだが、この光景を見て、そして体で感じると、この下に何か凄いものがあると確信出来る。

 ここから見る空は、半分以上が煙で覆われていた。もう、頂上は近い。


 臭いは一層強くなったが、それでもまだ我慢出来た。刃持ちも付いて来ていた。

 煙がたっぷり湧き出る、でかい穴がそこにはあるようだった。

 底は見えないが、崖のようではなく、急な斜面程度で降りようと思えば降りれそうだった。

 ごぽ、ごぽと音が聞こえる。もうもうと湧き出ている煙はここから見える空の大半を覆っていた。

 若干の緊張があった。少しの疲労と呼吸のし辛さもあって、何だか落ち着かない。立ち止まっていると、刃持ちが隣に来た。

 布を鼻と口の周りに巻き付けて呼吸していた。きっと臭いとかが少し減るんだろう。

 欲しいとも思ったけれど、自分の鼻と口を布で巻き付けるには、刃持ちの身につけている布を全部剥がなければ足りない。

 我慢出来る事だし、素直に我慢しておこう。

 前を向き直して、その穴に近付いて行く。次第に穴の底が見えて来た。

 そして、半ば恐る恐る、半ばわくわくとしながら、ゆっくりと覗き込んだ。

 穴の底で、水の色とは思えない綺麗な色をした水が、音を立てながら泡を吐き出していた。

 水の底から、そしてこの大きな穴の至る所から煙が噴き出してきている。

 驚きや恐怖、喜びに似た何か。そんな感情が色々と湧き上がって来て、気付けば放心していた。

 この強く蔓延している臭いすら忘れていた気がする。

 そして、気付けば地面が揺れたのに納得していた。

 地面、いや、大地……自分や刃持ち、他の生物全てが生きている場所全ての大地は、生きている。

 どうやってかは分からないし、自分が立っているこの大地が一体どのような形をしているのかも分からないが、生きているのだ。

 生きているのだから、動いたりもするだろう。

 何故、自分が元々住んでいた所で動かなかったのか、それは分からないが、とにかく、動く所は動くのだ。

 そう、思えた。

 一歩引いて、先へ行く事にする。

 見ていた時間はそんなに長い時間ではなかったが、はっきりと脳裏にその光景は焼き付いている。忘れる事も無いだろう。

 大地が生きている、それがはっきりと知れた、初めてのその場所。

 あの森の中でただ過ごしていただけではそんな事、知れやしなかっただろう。

 ここまで歩いて来た価値があった。砂の暑く、寒い大地をずっとつまらなく思いながらも歩いて来た価値があった。

 何だか、凄く満足していた。

 刃持ちも、後ろから付いて来た。珍しく何も喋らなかったが、それも分かる気がした。

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