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2. 信頼していた

 夜が近付いて来ていた。

 血は大体止まり始めていたが、体に虚ろな感覚がしていた。今、自分は死にかけているのだろう。

 倒れたまま、動こうとは思わなかった。慎重に動かなければまた血が噴き出して今度こそ死んでしまう気がした。それに、動けばまた、この状態で生物も立ち上がって戦い続けなければいけない気がした。

 この生物と戦うのはとても楽しかった。けれども、死ぬのは嫌だった。

 もう、十分だった。どちらかが死ぬまで戦おうとはもう思えなかった。そうしようとすれば両方とも死んでしまう。勝者の居ない戦い何て、する意味が無い。

 生物もそう思っているのだろうか。呻き声も立ち上がろうとする音も聞こえなくなった生物の方を見ると、目が合った。

 同じ、だろうか。

 目を見ても良く分からなかった。立ち上がれなくてただそうしているのか、自分と同じなのか。目を合わせたまま、どちらも動かなかった。動けなかった。

 僅かな挙動の一つさえもが、また自分と生物を戦いに戻してしまう、寸前にある死へと進めてしまう気がした。

 鳥の声が聞こえた。いつもならもう食事も終えて眠りに入ろうかとしている時だった。

 肉を食いたい。それも腹がはち切れんばかりまで。動けなくなる程。そう、強く思った。

 沢山食えば治りも早くなるだろうし、そうなればまた万全に動けるようになる。それに、こんな時に食う肉はとても美味いだろう。

 しかし、死にかけとは言え、この自分を好き好んで獲物として狙おうとする、近寄って来る獣はこの近辺には居なかった。

 けれども、生物に対してはそうでなかった。

 自分が撒き散らした血の匂い。自分を仕留めるつもりは無いとしても、肉食獣は寄って来ていた。そして、見た目は草食獣よりも華奢な体の倒れている、その生物を見つけた。

 一匹の狼だった。群れで狩りをしているのを良く見かけるが、倒れている生物を見て、一人占め出来るとでも思っているのか、仲間を呼ぼうとはしていなかった。

 暗くなりつつある視界の、未だに握られているその得物が微かに動いたのが見えた。当然、生物は死ぬつもりは無いようだ。

 生物の視線はいつの間にか自分から外れていた。自分を警戒しながらも、倒れている絶好の獲物を食らおうとしている肉食獣に既に集中していた。

 今の自分でさえ、あの肉食獣が近寄って来たら仕留められる自信はある。自分と互角に戦ったあの生物が負ける事は無い。

 つまらない事で終わる事は無い。

 そして獣は、生物が自分以外の手で死んで欲しくないと思っている事に気付いた。

 回復したらまた、戦いたいと思っている自分が居る事に気付いた。今はもう戦いたくないというのは変わらないが、これで終わる事を望んでいない。

 生物も起き上がろうとすればもう、起き上がれそうだった。

 狼は自分が動けなそうな事を察すると、生物に近付いた。自分をここまでしたのがあの生物だと気付いていないのだろうか。

 そう思うと、何故か自分まで侮辱されたような気がした。

 血がまた噴き出さないように、慎重に力を込めた。距離はそう遠くは無い。

 音を立てないようにして、慎重に体を起こした。狼は気付いていない。

 いつもの狩りと同じだ。ゆっくりと近寄って、叩き潰す。生物が起き上がった自分に気付いたが、すぐに狙いが同じ狼である事にも気付いたようだった。

 しかし、それが見せかけである、狼を狙うと見せかけて、自身を狙っているかもしれないとも生物は思っているだろう。

 そしてまた、この体で自分が狼に攻撃した瞬間、生物が自分に攻撃を仕掛ければ、避けられないだろう。

 狼を攻撃すると言う単純な事は、生物を信頼すると言う事と等しかった。生物も自分を信頼していなければ、不意打ちを仕掛けて来ないと信頼しなければ、自分が近付く前に立ち上がるだろう。

 そうなれば、狼を仕留める事は出来ない。その脚力に追いつく事は、どちらも出来ない。

 獣は、互いが信頼している事に賭けて良いと思った。

 生物は起き上がろうとすれば、もう起き上がれそうだった。なのに、起き上がらなかった。

 それは自分と同じく、これ以上の戦いを、これ以上死へと近付くのを嫌っているからだと確信に近い思いが出来た。

 そして、狼に向けて走った。狼が気付き、自分の方を向いてから、焦って逃げようとした。

 生物が身を起こし、逃げる狼の足を裂いた。悲鳴が上げながら狼は転んだ。

 そこに、拳を振り抜いた。


 後両足と頭を食い千切ってから生物に軽く投げ渡した。

 どの位の肉をその体が必要としているかは知らないが、それだけあれば十分だろう。すると、生物は前足の一本だけを切って投げて返した。

 それだけで良いのか。

 食っている量は段違いなのに、自分と互角に戦える事に何か敗北感を感じた。

 頭蓋を叩き割って中身をほじくり出して食べながら、座った。少しの距離を置いて生物も座っていた。

 互いに警戒心を解く事は無かった。けれども、もう戦っていた時のように張り詰めてはいなかった。

 生物は何かを取り出して火を起こし、それに皮を剥いだ狼の肉を炙った。

 火を見るのは初めてではなかったが、そうやって使うのを見るのは初めてで、興味深かった。

 生で食うより旨そうだと思いながらも、近付く事はしない。

 この距離感が狭まってはいけなかった。互いに警戒心を強めてしまうような事は一切してはいけなかった。狼を仕留める為に互いに信頼したとは言え、ただそれだけで警戒を解ける訳が無かった。

 頭を食い終え、壊した頭蓋を捨てて足を食う。体が少しずつ、満ち足りて行くような感覚がしてきた。

 これだけの重傷を負っても、鱈腹食い、時間を待てばいつも通り動けるようになると体は知っていた。

 隠れていた疲れが押し寄せて来る。それを感じながら、また、戦う事になるのだろうか、と生物を見て思った。

 次戦う事があったとしたら、その時どうなるかは全く分からなかった。血を飲み、骨を舐めながら、戦いを反芻した。

 どちらも死なず、そしてどちらも負けず、勝たずに終わった事はとても珍しい事だろう。少なくとも、今まで自分が戦ってきて、そして他の獣が戦っているのを見て、そう終わった事は無かった。

 どちらが間違った動きをしてもその隙に仕留める事が出来なかった。運の良し悪しがあろうとも、それが決着に繋がる事が無かった。

 そして、自分は戦いを楽しんでいた。生物はどうだっただろうか。同じだったのだろうか。

 今まで見て知って来た獣とは様々な点が違う、獣という範疇に入るかすら分からない生物の表情は分からなかった。初めて、生きた姿で見ているからだ。

 一息吐く。大体を食い終えたが、生物はまだ食べている最中だった。岩塩を振りかけて食べていた。今度真似しようと思った。

 自分からもう去っても良いだろう。待つ必要も無い。仕留められなかったとは言え、骨に皹は確実に入れたのだ。追って来るような事も無いだろう。

 ゆっくりと、寝たかった。

 立ち上がり、生物も一瞬遅れて立ち上がる。目を離さないまま距離を取り、それから体の向きを変えて歩いた。

 生物が追って来る気配は無かった。

 ……また、会う事はあるだろうか。あっても無くても良い気がした。

 命を懸けて戦う事は避けるべきでもあるのは分かっていたし、そういう生物と出会っても争わずにひっそりと暮らしていれば子を為して危なげなく生を全う出来るだろう事も知っていた。

 しかし、楽しみが無いのも嫌だった。

 圧し掛かって来る疲労と痛みを堪えながら、獣はゆっくりと歩き続けた。寝床はもうすぐだった。

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