1. 互角だった
剛腕を振るう。しかしそれは生物に当たらない。寸前で身を捩じらせて避けられた。あったのは僅かなその生物の長い頭の毛の感触と、叩きつけた地面の感触だけだった。
生物はその両手に持った鈍色に光る鋭い得物で、そのまま自分の胴を薄く裂いた。裂かれながら、体を回し、生物に自分の体を引っ掛けた。が、傷は同じく浅い。
互いに距離を取ってまた、相対する。
一度だけ、その生物と同種の姿を見た事があった。父親と相打ちになって死んでいた姿だった。
他の獣とは何もかもが違く、毛皮のようなものは頭と顔に僅かしか見える範囲には無い。頭以外の大体の場所には自身の毛皮以外の何かを身に付けていた。
自分と同じく二足歩行ではあるが、体型は自分よりひょろ長い。
筋肉があるのは分かるが、自分のような全身を隈なく覆う筋肉でも無く、そしてまた固い皮膚で覆われている訳でも無く、軽く捻れば折れそうな程の華奢な体だ。
背の高さも、自分の胸の位置までしかなければ、肉を食い千切れそうな鋭さを持つ歯も無い。爪も、自分のよりも役に立たなそうな、惨めなものだ。
尻尾や角が無いのは同じだけれども。
自分の剛腕のような特異な部分さえも無い、強みのある部分も無い。
見た目は、草食獣よりも遥かにか弱そうだった。
しかし、その両手に持った得物を自らの身体の一部のように使い、そこらの肉食獣よりも巨躯且つ剛力な自分を誰よりも攻め立ている。
脇にあった木を両腕でへし折って、ぶん回した。生物は前に転がりながらそれを回避し、そのまま走って向って来る。
木を投げ捨て、また向って来る生物に対して自分の剛腕を向けた。両手に持たれた得物二つが平行を為し、加速を持って自分を切り裂こうとしてくる。
巨躯を誇る獣は、躱すという事を殆どせず今まで生きて来た。亡き父親と戦って鍛えて貰った時、同じく父親は躱さず、全ての攻撃をその剛腕で受け止めていた。草食獣に反撃されようが、角の突きや蹴りを受け止めようが傷一つ付かなかった。肉食獣と戦おうが、牙や爪の攻撃も大した傷にはならなかった。
剛腕に力を込め、その生物の攻撃を受け止めた。しかし、誇る自分の剛腕は容易く切り裂かれた。胴を切られた時と同じく傷は浅いものの、そして剛腕には何度も既に食らっているものの、それはやはり驚きだった。傷は浅くとも、今まで受けた攻撃の何よりも鋭く、強力だった。
そして生物にとってもそれは驚きのようだった。きっと、これですっぱりと切り裂けない物は殆ど無かったのだろう。
じくじくと痛みを感じるその腕で、切り終えた後の生物の体を殴り飛ばす。今度は当たった。しかし、後ろに事前に跳び、体を丸めて的確に防御されていた。
骨を折った感触もしなければ、仕留めた感覚も無かった。
生物はそれでも吹き飛んだ。地面を転がる様を見て、すぐにそれを追った。生物はすぐに立ち上がる。しかし、ふらついている。
足で土を蹴り上げて、生物の視界を邪魔した。生物は伏せて地面を感じ、危うくなった平衡感覚をその大地の重力に身を委ねる事によって補った。
その動作に、剛腕を同じくその生物に振るう事は躊躇われた。当てられないどころか手痛い反撃を食らう自分の様が鮮明に想像出来た。
生物はその隙に立ち上がり、手に持った得物の一つを投げ飛ばしてきた。唐突な事に剛腕で対処するのが一瞬遅れる。防御の硬い剛腕ではなく、手の甲にそれは突き刺さった。
鋭利ではあるものの幅広なそれは手の甲を深く突き刺す事は無かったが、防御の弱い箇所に刺さったその痛みは別物だった。
すぐさま引き抜いた。そして生物が両手に持ち直したもう一つのそれに対処するのも一瞬遅れた。
真下で、刃が自分の脚から腹を切り裂こうとしている。目がそれを捉え、致命傷を負う寸前、体は反射的に動いた。
ずっ、と足にそれが差し込まれ、そのまま切り裂かれながらも、構わず生物を蹴る。
同じく骨を折った感触もしなければ、仕留めた感触もしない。が、手ごたえはあった。しかしそれは自分も同じだった。
足の傷は深く、走るのはもう難しそうだった。
奪った一本の生物の武器を、へし折って投げ捨てた。生物も強く咳き込みながら、もう一本のそれを支えにして立ち上がる。
まだまだ戦える。喉の奥から強く、生物に向けて吼えた。生物は刃を獣に向けた。一呼吸置いた後に、互いに体力が失せつつある中、歩み寄り始めた。
剛腕から、そして全身からだらだらと吐き出される血は辺りを赤黒く染め上げていた。最初はひらひらと待っていた落ち葉も今は血を吸って地面に張り付けられている。
偶に自らの得物としてへし折った木々は既に生命の色を失い始めていた。
血が抜けて体は軽くなっているようで、けれど逆に感覚としては酷く重くなっていた。一つ一つの動作をしようにも、強く意志を持たなければ出来なく、そしてそれでも満足いく動きではなかった。
それが、死が近付いているからだろう。
しかし、戦いは止められなかった。偶然出会った生物は自分という存在に警戒を抱いていたし、自分は、そんな父親と一緒に死んでいた時に居た生物ときっと同種の生物を無視して去るという事は出来なかった。強い生物だとは分かっていた。無視して去る事は逃げるという事と同義だった。
この近辺で頂点に立つ獣としては、それは出来なかった。
こうやって父親も戦ったのだろうか。
同じく生物の動きも鈍っていた。身に纏っていたものはぼろぼろになり、そこら中に自分の攻撃の影響が出ていた。
完全な直撃はさせて貰えてない。が、掠っただけでも、的確に防御されてもその影響は確実に出ていた。
互いに距離を保っている。今、どちらも動かなかった。動けなかった。
きっと、そろそろ終わりが来るだろうと分かっていた。生物も分かっていると、何となく思う。
日は色を赤くし始めている。どの位戦ったのだろう。
自分は血を垂れ流しながら、生物は咳き込んだ時に少々血を吐き出しながら、呼吸を整えようとしていた。
しかし互いに中々上手く整わなかった。気を抜いたら倒れてしまうだろう。そのまま、起き上がれないだろう。
けれども、自棄になってはいけない。死を悟った草食獣のように突っ込んではいけない。
それはただ、無駄に死ぬだけだ。致命傷は負っていない。死ななければまだ、生きられる。
片足を引き摺り、両腕を付きながら歩いた。得物で支えていた体重を足に戻し、そして得物を両手で持ち直して生物も歩いた。
こんな戦いは初めてだった。今まで、肉食獣と戦って来ようともここまで対等に、互いに命を賭して戦った事は無かった。
死が近付いているのに、楽しかった。今まで、自分は本当の戦いというものをしてこなかったのだと言う事に気付いた。
距離が段々と近付いて行く。生物が得物を頭上に掲げて止まった。土を巻き上げて目くらましをするが、生物は微塵たりとも動かなかった。
自分より矮小な、華奢な体なのに、その構えから感じられる殺気はとても強いものだった。
容易には近付けない。何か僅かな事でも間違えれば、致命傷を負うだろう。折れた木を持ち上げる体力さえ、今はあるかどうか分からなかった。持ち上げられたとしても、生物のように自らの得物として使えはしない。
自分の肉体を信じる他無かった。投げられるような手頃な石も無かった。
ぐっ、と力を込めた。様々な場所の血が止まっていた傷がまた開いた。体が一段と重くなった。
視界が霞んだ。
そして、残った力を振り絞り尖らせて、強く跳躍した。切られた足が酷く痛むが関係ない。生物の斜め上から、片腕を身を守る為に前に置き、片腕を攻撃の為に背後に引き絞った。
生物が数歩、後ろへ下がった。
背後へと引き絞った腕はぎりぎり届く距離だった。しかし、殴ろうとも叩き潰そうとも躱されると直感した。
その靭やかな肉体は、この自分の攻撃を躱せると既に肉体が知っていた。
獣は着地しながら地面へ拳を振りぬいた。大量の土葉が周りへと吹き飛んだ。互いの視界がそれで覆われる。
着地し、衝撃を和らげた膝が、がくりと力を失った。ぶしゅぶしゅと切られた部分から血が吐き出された。
地面を蹴って生物へまた跳躍しようと思ったが、出来なかった。
生物が無音で足を一歩、自分の方へ近付けた。しかし、視界が一瞬封じられたからこそ、その一歩は遅れていた。反応出来た。
豪腕を振るう。今度こそ、生物に当たった。めきめき、と生物の胴から骨に罅が入る音がした。咄嗟に守ったもう片方の腕が切り裂かれていく。
堅牢な腕の防御が全くもって意味を為さない。得物は防御を貫き、骨へと届いた。
しかし骨を両断はせず、生物は得物ごと吹っ飛んだ。
生物の骨を折る事は出来なかった。自分の骨も切られる事は無かった。
地面を滑って、生物は止まった。生物は呻き声を上げながらも立つ事は出来なそうだった。自分も出血が酷く、これ以上派手に動けば死んでしまう気がした。
視界がはっきりとしていない。
目の前に小さな虫が居た。口に入れても、不味いだけだった。
結構直してる。




