右も左も分からぬ
「小春―、起きてる?」
部屋のドアをノックする音と共に、籠った女の声が聞こえてきた。小春はベッドから飛び降り、腰に携えている宝剣へと手を伸ばす。
しかし、その手は虚空を掴むのみであった。
『お主の剣はきれいさっぱり、消滅したぞ』
「な……なんだって!?」
共に戦ってきた、いわば戦友でもある宝剣「ダークブレイク」。幾度となく強敵を葬り、最強の武器と恐れられた。そんな戦友のあっけない死に、小春はショックを禁じ得なかった。
「ねえ、誰かいるの? 小春―?」
ドアの向こうから心配するような声が聞こえる。
『安心せい。この声の主は敵ではない』
今は何を信用していいのか分からない状況であるため、小春は取りあえずとして神の言うことには信じてみようと決めた。
「ああ……大丈夫。起きてる」
ドアの向こうの誰かに話しかける。
「そう? それなら早く降りてらっしゃい。朝ごはん冷めちゃうから」
その言葉の後に、パタパタと足音が遠ざかっていく。静かになった部屋の中、窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。
小春はどう行動したらいいか皆目見当がつかず、ただ立ち止まったままでいた。
「……なあ、俺はどうすればいい?」
神が乗っ取った、携帯電話に話しかける。信じると決めた以上、こいつを有効活用してやろうと小春は思った。
『制服に着替えるのだ」
「制服?」
『言ったであろう、学校に通っておると。その学校指定の服装である。取りあえず、寝巻を脱ぐのだ』
ああ、そういうことかと、小春は視線を落とす。すると、以前の体にはなかったものが真っ先に目についた。
「おい……こりゃあ、まさか……」
『乳房である』
すっぱりと言い切った。
『なあに、少し前に重心が傾くだけだ。まあ、この世界の平均よりは大きめにしといたがの』
神は軽く言ったが、小春にとっては重大な事案であった。この寝巻を脱ぐには、たわわな胸にかかったボタンを外さなければならない。そうする以上、乳房に触れることが必要不可欠になってくるのだ。
まさに死活問題。
小春は深呼吸して心を落ち着かせる。その緊張感と言ったら、魔王と対峙するどころではない。
試しに自身の胸を指先で突いてみる。ふにっとした感触が伝わってくる。どこまでも沈んでいきそうな柔らかさであった。
「……くっそ」
小春は赤面する。今まで生きてきて、女性の乳房など触れる機会がなかった。まさか初めてが自分自身になろうとは――何とも言えない気持ちの小春は下唇を噛む。
『この世界の女は、特殊な下着を着用するものでな。着付けも分からぬお主に、一から説明してやろう』
神と名乗る美女――もとい携帯電話が初めて、神らしく見えてきた。新しい世界へと飛ばし、少女の体へと作り直した当事者ではあるが。
「よろしく……お願いします……」
不本意であれ、小春はぺこりと頭を垂れた。