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Answer1・扉と領域

 そろそろ夏の暑さが厳しさを増してくるだろう七月初めの夕方。

 花嵐恋からんこえ学園の屋上。そこにあるフェンス越しにようやく赤く染まり始めた太陽を眺めつつ、楽しそうにしながら校門を出て行く学生達を見送っていた。


「私はいったい誰なんだろう……」


 そんな光景を眺めつつ、私は思い出そうとしていた。自分という存在を。

 人は誰でも、一度は死という逃れられない人生の終着駅について考えた事があると思う。人はその逃れられない終着駅へと、生まれた瞬間から休む事無く進んでいる。

 その終着駅へと着く早さは個人差こそあるけど、いつかは誰であっても、望む望まないに限らず、例外無く辿り着いてしまう場所。

 ほとんどの記憶を失っている私の中にこんな記憶がある。

 それは小さい頃の深夜、ふと死について考えていた時の事だ。私は死というものについて考えれば考えるほど、分からない事や疑問ばかりが頭に浮かんできて怖くなり、泣きながら布団の中で震えていた。

 その時に感じた恐怖をどう説明したらいいのかは分からないけど、ただひたすらに恐いという感情だけが心の中にあった事だけは覚えている。

 人には恐怖心というものがあるけど、分からない事、確かめようがない事への恐怖心というのは尋常ではない。おそらくどれだけ人の世の科学が発達しようと、解明する事も証明する事もできないのが死後の世界の存在だと思う。

 そもそもそんな世界が存在するのか、それは誰にも分からない。天国とか生まれ変わりとか、それは誰にも分からない死後の世界への恐怖心を紛らわせる為に、人間が作り出した妄想だとも言える。

 もしも本当に死後の世界などというものが有るなら、それを本当に認識するには死ぬしかない。でも、仮にそんな世界があったとして、その時に私は自分の死を認識できるだろうか。それを受け入れる事ができるだろうか。


「……そろそろ帰らなくちゃね」


 これは自分について考えていた私の、答え探しの物語。


「――あっ、お帰りなさい」

「ただいま、海美うみちゃん」


 私は一年半くらい前から住んでいる今の自宅へと戻った。

 鍵も無い扉のドアノブを回して中へと入った私を出迎えてくれたのは、今から二週間くらい前に出会った朝陽海美あさひうみちゃんと言う九歳の女の子。


「お姉ちゃん、今日は見つかった?」


 その言葉を聞いた私は、思わず視線を沈ませた。

 しかし、どんな嘘や誤魔化しをしようと、真実を捻じ曲げる事は難しい。だから私は、海見ちゃんの問いかけに素直に答える。


「ごめんね、海美ちゃん。今日も見つからなかったの」

「そっか……」


 海美ちゃんは今にも泣きだしそうな表情を浮かべて顔を俯かせた。そんな様子を見ているだけで、私の心は締めつけられて苦しくなる。


「もう少し我慢してね。お姉ちゃんがきっと見つけるから」

「……うん。我慢する」


 その言葉を聞いた私は、海美ちゃんの頭をよしよしと優しく撫でる。

 すると零れ落ちそうな涙を手で一生懸命に拭い、海美ちゃんはにこっと笑顔を向けてくれた。


「偉いね、海美ちゃん。それじゃあお姉ちゃん、少しだけ眠るね」

「お姉ちゃん、私も一緒に寝ていい?」

「うん、いいよ。一緒に寝よっか」


 六畳の間取りの部屋にある押入から布団を出して敷き、そのまま海美ちゃんと一緒に毛布を被って少しの眠りにつく。

 本来ならこうして睡眠をとる必要すら無いんだけど、どうしても現世そとへ長時間出ていると激しい疲れが全身にのしかかってくる。通常は放っておいても二日くらいでその疲労感も治るんだけど、こうして眠るとその時間が数時間程に短縮されるので、わりと急いでいる時にはこうして眠るようになった。

 そして海美ちゃんと一緒に布団へ入ってから数時間後。

 目覚めた私は隣で眠る海美ちゃんを起こさないように布団を抜け出し、再び現世へと向かった。

 ちなみに今更かもしれないけど、私は現世においては既に故人となっている――らしい。

 なぜらしいという言葉を使ったのかと言えば、自分が死んだという事を自分自身が納得していないからだ。なにせ私は自分が死んだ原因はおろか、名前も家族の事すらも覚えていないのだから。

 今から約一年半前。

 私は何か大事な用事があって家を出たのは覚えている。でも、その後で気付いた時には、私はこの妙ちきりんな世界に居た。対岸へと架かる長い吊り橋と、その向こうに大きな扉があるこの世界に。

 ここへ来た当初は、かなり混乱したのを覚えている。だって気が付いたら知らない場所に居て、近くに居る人に『ここはどこですか?』と聞いたら、『ここは死後の世界、領域りょういきだよ』と言うんだから。

 もちろんそんな話を信じられなかった私は、自分がやれる限りの範囲で色々な事を調べて回った。

 そしてその結果的、私は何となく自分が死んでしまったのだろうという事を理解し始めた。なぜなら食事をしなくてもまったくお腹は空かなかったし、トイレにも行きたくならなかったから。

 そうなってくるとここが死後の世界だという信憑性は出てくるけど、ただ単に長い夢を見ているだけという可能性も捨てきれなかった私は、何となく死んだという事を理解はしながらも、納得はしていなかった。


「うーん、なかなか見つからないなあ……」


 私はこの二週間、人を捜していた。それは海美ちゃんの家族。

 二週間前の夕方頃に海美ちゃんは領域へと来たらしく、そこで泣いていた海美ちゃんに声をかけた事からこの家族捜しは始まった。

 領域に来た人が記憶を失っているというのは多々あるらしいけど、海美ちゃんも案の定、色々な記憶を失くしていた。でも、私のように名前まで忘れていなかったのは救いだったのかもしれない。

 だから一度だけ海美ちゃんを連れて現世へ行った事があったけど、海美ちゃんは自宅の位置を覚えてはいなかった。まあ、記憶が断片的にしかないのだから、あまり期待をしていたわけではなかったけど。


「朝陽さんの奥さん、まだ塞ぎ込んでるらしいわね」

「仕方ないわよ。あんなに可愛がっていた娘さんを亡くしたんですもの……」


 海美ちゃんの家族を捜して街を彷徨っている途中、たまたま道端で会話をしている二人の主婦らしき人達の声が聞こえて私は足を止めた。


「それにしたって可哀想よね。約束してた場所へ向かう途中で酔っ払い運転の車にかれちゃうなんて……」

「しかも信号無視でしょ? 信じられないわよね」

「朝陽さん、『私が一緒に居れば』って自分を責めてたけど、ちゃんと立ち直れるのかしら……」


 片方の主婦がそう言うと、どちらからともなく二人はある家を見つめた。その話が気になった私は、二人が見つめた家の方へと向かった。

 目前にした家は見える場所全ての窓にカーテンがされていて、中の様子をうかがい知る事はできなかった。それを見た私は、ちょっとした躊躇ちゅうちょを感じながらも玄関の扉をすり抜けて家の中へと入る。


「お邪魔します」


 誰に聞こえるわけでもないけど、一応礼儀としてそう言いながら家の中へと入った。

 入った家の中はシーンと静まり返っていて、誰かが居るような気配を感じない。


「――ちゃん……」


 誰も居ないのか確認する為に玄関から奥の部屋へと続く廊下を歩いていると、奥の部屋からか小さく何かを呟く声が聞こえてきた。

 私は聞こえてくるそのか細い声を頼りに、その声が聞こえてくる方向へと歩いて行く。


「海美ちゃん……ごめんね……」


 辿り着いた部屋の奥に居たのは、仏壇の前で正座をしたまま飾られた写真をじっと見つめる三十代前半程の女性。

 私はその仏壇へと近付き、彼女が見つめている写真を覗き見る。するとそこには可愛らしい笑顔で写る海美ちゃんの写真があった。

 本来なら海美ちゃんの家族を見つけた事を喜ぶべきだろうけど、写真を見つめながら涙を流す母親を前にして、そんな喜びは湧いてこない。

 それに海美ちゃんにこの事実を伝えるという事は、彼女が死んでしまった事を認めなければいけないという事。それは同時に、私も死んでいるのだという事を改めて証明してしまう事にもなる。

 まあ、こういった事は一度や二度ではないので、それも今更な気もするけど、やはり気分の良いものではない。


「海美ちゃんに伝えなきゃね……」


 私はすすり泣く海美ちゃんの母親に背を向け、領域へと戻る事にした。

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