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私割と鼻は利くんだよ?

 「あ。やべ、道わかんねーな」

 とりあえず奥へ奥へと走りながら黒須は呟く。ここに来れば奴に会える、と漠然と思ってきたけれど、思いの外屋敷は広い。闇雲に走っていても、到底目的の人物に会えそうになかった。

 「そうでしょうねえ」

 独り言のつもりだったのに、返事が返ってきて驚いた。見渡しても、姿は見えない。

 「誰?」

 「さくらさんのお友達です。粗忽者そこつものの弟の道案内をしてやってくれ、と頼まれました」

 「姉ちゃんの友人関係謎だ……」

 「ちなみに同僚がさくらさんを案内して裏口から既に中へ。千倉さんは自分が保護しておくから心配するなとのことです」

 「俺から王子様の役とんなよ!」

 突っ込んで、はーと息を吐く。

 「やっぱり家で大人しくしててくれるタイプじゃなかったか」

 「いかにもじゃないですか」 

 そうだよな、と同意して、それから黒須は気を取り直す。

 「ところで姿が見えないんだけど」

 「そういう生き物ですから」

 「いちおう生きてはいるんだ」

 「さて」

 「で。姿見えないならどうやって道案内してくれるって?」

 「何か憑依できるものお持ちですか? 硬貨とか、人形とか」

 「えー……財布置いてきたしなあ。携帯?」

 「硬貨とかボールなら転がって動かせますし、人形なら歩けますけど、携帯は自分で動けないので案内できないですよ」

 「あとはライターとか。……俺ストラップとかもつけないしなあ」

 困りきって、とりあえず硬貨のひとつでも落ちていないかとポケットを探る。

 「あ。あった」

 ポケットから出したのは、春樹から預かったネズミのオモチャだ。

 「ナイスです」

 声が聞こえたと思ったら、手の中からネズミが飛び出した。走り出すそれに、慌ててついていく。

 たくさんの角を曲がって、庭を抜けて、離れのような建物に直行する。

 「ちょ……早い早い」

 黒須は庭木や花壇を避けて通るのに、ネズミはちょろちょろと小回りが効くのでどんどん先に行ってしまう。

 「いい若い者が情けないですよ。根性です」

 「さすが姉ちゃんの友達。スパルタめ」

 恨み言を言いながらもなんとかついていく。池の脇を通りぬけ、しんと静まり返った離れの……離れとは言えどもそこはかなり広い、その建物に接近する。ネズミは当然のようにその壁をよじ登って窓を指し示す。黒須は呆れながら窓を開けて、よいしょと乗り越えて建物の中に入った。靴の底に感じる畳の柔らかい感触。整った調度品。部屋の真ん中には四角く枠があって、穴があいている。

 「茶室か」

 部屋の中には人影はなかった。そろそろと足を踏み出して、小さな戸口からそこを這い出す。

 いったん外に出て、すぐ側の建物にネズミに促されるまま走る。ネズミが障子の前で立ち止まったので、障子を開けるとその隙間からネズミは素早く中に入った。黒須も不法侵入にも大分慣れた調子で気楽に中に入る。入ってすぐに、その足を止めた。

 体が一瞬硬直した。覚悟していたはずなのに、息が止まりそうになった。薄暗い部屋の中、その姿は明瞭には見えなかった。ただ、着流し姿の長身の人影が、その骨ばった白く浮くような手でネズミの尻尾を親指と人差し指で吊り下げるように持って立っていた。

 「兄さん……?」

 人影はゆっくりと静かに黒須の方に近づいてくる。黒須は身を硬くするが、人影はまるで気づかないかのように黒須の脇を通りすぎて部屋の入口まで歩き、庭に向けてネズミを放り投げた。軽いネズミは中庭を通り過ぎてどこか遠くの方まで投げ飛ばされてしまったようだった。黒須は息を詰めるようにして相手の行動を伺っていた。襲い掛かられたらいつでも応戦できるように体全体の神経を張って。

 「久しぶりだね陣衛門」

 静かな声だった。庭に目を向けたまま、すっと背筋を伸ばして立ったまま。

 「会うのは220年ちょっとぶり?」

 黒須は返事をしなかった。ただ、唇を噛んで黙って相手を見据える。

 「すっかり成長して。……もう、成長は止まったんだね? 立派な吸血鬼になったようだ」

 相手が黒須の方を振り向く。その顔が、正面からはっきりと見える。

 (……変わってない)

 黒須の兄だった時から、何一つ変わっていない。たくさん人を殺したはずなのに、恐怖すべき対象のはずなのに。ただその顔から表情が抜け落ちている他は何一つ変わっていないのだ。

 父も母も殺した男だというのに、それでもこの男は自分の兄だと、そう思う。

 「兄さん、もうこんな事やめてくれ」

 気づいたら、そう呼びかけていた。

 「もう充分だろ? もう兄さんは充分敵かたきをとったろ?」

 「敵? 何言ってるんだか分からないな。私は捕食しているだけだよ」

 「捕食するだけなら殺さなくてもいい。今は他にいい方法だって……」

 「でも、我慢できないんだよ。彼らが食べ物がなくなって我慢できなくなったように、私も我慢できないんだ」

 「嘘だよ。兄さんは昔それで全然満足してた」

 「できなくなったんだ。する必要がないと分かったときから」

 「我慢してくれないと、俺は力ずくで止めなきゃいけなくなる」

 苦しくて苦しくて、低く絞り出すような声で言ったら、兄はふ、と笑った。

 「始めから、そのつもりで来たんだろう?」

 言葉に詰まる黒須に優しく微笑んで。

 「でも、できるかな? 父さんも母さんも、そのつもりで来たのに。最後の最後でできなかった。私の血を全部吸い尽くしてやるといいながら、最後の一口がどうしてもできなかった。挙句、自分たちが放った炎から、殺すつもりだった私を庇って自分達の方が死んで行った」

 やっぱり、と黒須は苦々しく思う。二人は兄を殺してくると言って帰ってこなかった。優しい人たちだったから、出来なかったのだろうと、黒須はなんとなく思っていた。それが自分たちの義務だと分かっていても尚、愛する息子の命を奪う事はできず、血の殆どを抜き取って動きを止めるのが精一杯だったのだ。血が足りなくて気を失っている息子をどこかに運び込み、自分は炎に巻かれて死んで行ったのだろう。

 「……大丈夫だ。俺は兄さんの親ではないし。他に守りたいものもあるから。そんな情けはかけないよ」

 「へえ。……でも、陣衛門はその前に、私に勝てるのかな? 私は弟でも容赦しないよ?」

 にっこりと笑った顔がぶれたと思ったら、兄の顔がすぐ目の前に来ていた。腹に容赦ない激痛が走って、自分が吹っ飛んだ事で初めて蹴られたのだと気づいた。

 「弱いよね。当たり前だ。良い血を飲んでない証拠だ」

 言いながら、兄はふらりと近づいてくるので、黒須は慌てて身を起こして、後ずさりをする。

 「逃げちゃ駄目だよ?」

 言うや否や、横っ腹に激痛が走る。踏みつけられた肋骨がみし、と音を立てるのが分かった。

 危機を感じて、慌ててその足を両手で掴むと、兄はにやにやとしながら足を持ち上げる。

 「父さんたちだって、もうちょっと骨があったのに。陣衛門、今ので一回死んだよ?」

 黒須はごほ、と咳き込みながらその足を逃れて立ち上がった。声は同じなのに。顔は同じなのに。それでも目の前の人があの優しかった兄だというのが、信じられない。まるで違う。容赦がない。

 「あの子の血、飲んだんじゃないの? 彼女だっけ? 不味そうだったけれど、新鮮そうじゃない」

 黒須が睨むと、兄はにっこりと笑う。

 「陣衛門が死んだら、私も味見してみようかな? 栄養くらいにはなるかもしれない」

 カッと頭に血が上る。それは、絶対あってはならないことだ。守らなければいけない。絶対に。

 黒須はゆっくりと立ち上がる。ポケットからライターを取り出すと、傍らにあった障子にそれを近づけた。じり、と白い紙に炎がつく。それは瞬く間に、大きな炎となって広がった。

 兄の顔から微笑が消えて無表情となっているのを黒須はみとめる。

 「やっぱり、炎が嫌いなんだな。だから、母さんも父さんも炎の中で戦った」

 結局、それが原因で最後は自分たちまで焼け死んだのだろうけれど。

 「……でも、彼らはお前よりも強かった」

 ひやりとする声だった。震えを隠して、黒須は青白い兄の顔を見つめる。

 「知ってるよ」

 「そして、こんなことをしたらお前ももう逃げられないな。炎は浄化するものだ。不死身の吸血鬼にとっても作用は有効」

 「それも、知ってる」

 炎は、みるみるうちに広がっていく。部屋の周囲を取り囲むように。家具や柱を焼く。あの日のように、熱く肌を焼く。

 「兄さんと相打ちで死ぬのも良いかと思ったんだ」

 にやりと笑って、黒須は兄に向かって飛び掛った。

 


 「なんか焦げ臭くないですか?」

 千倉の言葉にさくらは暢気に「そうか?」と首をかしげた。

 「表でやってる戦闘で銃とか使ってるからそのせいかもな。硝煙が届いてるんだろ」

 「はっ!? 戦闘!? 銃!?」

 自分の生きる世界と別世界のような単語に、千倉は目を白黒させて動揺する。

 「お前、ここをどこだと思ってるんだよ」

 呆れて言うさくらの横から、雪姫が割って入ってくる。

 「戦闘!? ってことは、ウチの組が来てるって事!?」

 「君が龍川組のお嬢さんなんだとしたら、そうだよ」

 「じゃあ、わざわざあんたたちについていく事ないじゃない。組の者のところに行くわ」

 「組の者のところには、同じだけ虎岩のヤツラもいるのに? 隠し扉から逃がしてくれるっていうんだから、大人しく従っておきな」

 さくらは、ちらりと廊下に転がり続ける五円玉を目で追いながら続けた。

 「ここは敵の内部だ。君が姿を現すのは危険すぎるだろ。仲間に余計な心配をかけるな」

 意見を聞くのは面白くないが、雪姫とて馬鹿ではない。さくらのいうことが正しい事くらい分かるのだろう。

 渋々言葉に従ってまた歩き出そうとしたとき、ぽとんと雪姫の目の前に何かが落ちて来た。何気なく目をやって、それが何か気づいて驚愕する。

 「ね、ネズミー!!」

 「は!?」

 「え?」

 さくらと千倉が振り向いた時は時既に遅し。雪姫は一目散に逃げ出していた。

 「いけない! あちらは戦闘の真っ只中だ」

 どこからともなく、聞いた事のない男の声がする。千倉が驚いているのをわき目に、さくらは「ちっ」と舌打ちをした。

 「厄介だな。連れ戻してくる。千倉、ここで待ってろ」

 さくらが叫んで駆け出したあとを、千倉は呆然と見送る。

 (何が何やら……)

 その時、ふとやはり焦げ臭い臭いを感じた。

 (本当に、鉄砲の臭いかな?)

 鉄砲なんて使った事は勿論、持ったこともないから分からない。言われて見ればそうなんだろう、と頷くしかない。

 (にしても、なんか外明るくない?)

 廊下の脇の障子の向こう、おそらく庭に面しているであろうそこが明るいのはどうしたことだろう? 今は夜じゃないのだろうか? なんだこの明るさ。

 そっと障子に手をかけて細い隙間を開けてみて、仰天した。庭を挟んで向こう側にある建物がめらめらと、それはもう勢い良く燃えていた。

 「火事だ!」

 大変だ。さくらに知らせて一刻も早く逃げなくては。

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