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なんかシリアスだ

 屋敷の中は混乱を極めていた。飛交う銃弾と刃物と人の怒号。それに加えて蝙蝠蝙蝠カラスカラス。一般的な家庭より大分広いとはいえ、狭い屋内をカラスが猛スピードで飛び交う様はなかなか迫力があるものだった。直線的に風を切って飛んで、顔を狙ってくるのだから、狙われた方の恐怖は結構なものだ。思わず銃を取り落として目玉を覆う虎岩組の組員たちを横目に、なるほど百人力だと黒須は納得する。もっとも、魔守が攻撃できるのはあくまでも『人ではない相手』に限られるから、人間の相手は龍川組の人間たちに任せるしかないのだけれど。魔守たちはあくまでも人間に干渉できない。

 いつの間にか春樹とははぐれていたけれど、春樹のいる場所は割と分かる。進んで行った方向にキレイに倒れた人の道ができている。

 (活き活きしてんじゃねえか)

 呆れて思いながら、自分が向かうのはとりあえず屋敷の奥へ奥へ、だ。きっとそこにあいつはいる。人間同士の争いは人間に任せておいて、その他の雑魚は魔守に任せて。とにかく、自分はヤツと決着をつけるのだ。

 ちらちらと昔の面影が胸で疼いて息が苦しい。この期に及んでまだこの胸は痛むのかとそこを片手で軽く押さえる。

 思い出す。思い出したくなくとも思い出してしまう。

 優しい兄だった。いつだって穏やかで、静かな声で色々な話をしてくれた。まだ幼く成長途中だった頃、容姿のせいで周囲に虐められた時はさりげなく守ってくれた。いつだって守ってくれた。陣衛門は兄が大好きだった。

 兄が豹変してしまったあの時までは。

 兄と陣衛門はその時、小さな村の中の小さな家に住んでいた。兄は医術を齧っていたから、近隣の人の病気を診てやりながら生計を立てていたけれど、それとは別に近所の子供らを集めて読み書きや算術などを教えてやっていた。さらに、特に注意が必要な病人や身寄りのない子供たちは家に引き取って面倒を見てやっていたから、家の中はいつも人で溢れていた。兄は特に子供が好きだった。子供の血は絶対に吸わなかった。家に出入りする子供たちもみんな兄を慕っていて、家の中はいつも、子供たちの笑い声で溢れていた。

 状況が変わってきたのは、いつからだったのか。よく雨が降る年だった。北の方の村だった事もあるのだけれど、寒い日が続いた。段々と大人たちの顔が曇って行って、村人たちの顔が浮かない顔になって行った。事情を聞いた陣衛門に兄は、天気の良くない日が続くせいで作物が不作なのだと教えた。そんなさ中にどこかの山が噴火した。近くの山ではないので炎は見えなかったけれど、灰が飛んできた。濃い灰色の重い色をした厚い雲のようなそれが空を覆って、空が密閉された。昼間でも毎日が薄暗かった。太陽の光が差し込まないせいで、地上はますます寒くなった。人々の顔も、ますます陰鬱になって行った。

 その年の収穫は、散々のものだったらしい。始めのうちは、腹を減らした子供の泣き声が、村のそこかしこから聞こえてきたけれど、時が過ぎるうちにそんな元気もなくなったのか、その泣く子供自体が死んでしまったのか、静かになった。村全体が死んでしまったような静かさに覆われた。周囲の食べられるものは全て食べつくされて、村人たちは骨と皮ばかりだった。優しかった人も、愉快だった人も、目だけをぎょろぎょろと光らせて、別の生き物のようだった。

 陣衛門と兄は両親が地方大名に奉公していたから、定期的な食料を得る事ができた。兄は、それでなんとか病人たちの命を繋いでいた。だけど、村人たちはその不公平を許さなかった。自分たちが食べるものがなくて喘いでいる中で、何故一番の役立たずの病人たちだけが食物にありつけるのか。

 身も凍りつくような寒い日だった。物音で陣衛門が目を醒ますと、家が燃えていた。部屋の中は、炎に取り囲まれて赤々と輝いていた。慌てて跳ね起きると、自分の顔の脇を何か温かい液体が流れているのを感じた。触ってみて、それが血だと気づく。不死身の自分はもう傷がふさがっているけれど頭を誰かに殴られた跡……? 不審を感じながらも、流石に不死身の自分でも炎に焼き尽くされれば身も危険だと逃げようとして、足元に倒れる数々の人影に気がつく。それは、一緒に暮らしていた病人や子供たちだった。みんな、頭から血を流して倒れている。陣衛門は叫んでそれに駆け寄った。一人一人名前を呼んで体を揺すった。だけど、誰一人として息のある者はいなかった。じり、と部屋が燃える熱が肌を焦がす。こんな大人数、運び出す事も適わないから陣衛門は目をそむけて部屋を出た。

 一刻も早くこんな家逃げ出したかった。だけど、他の部屋にいる者たちはどうなったろう? 彼らは病人だ。もし息があっても自分では逃げ出せないかもしれない。素足で踏む床さえ熱を持って熱い。床の木も炎を反射して映して、きらきらと輝いている。それでも捨て置けなくて、陣衛門は他の二つの部屋の様子を伺う。一つ目の部屋は自分のいた部屋と全く一緒だった。最後の一つ。兄の仕事場として使っている部屋を覗いて、緊急の場合だというのに陣衛門は硬直したように足を止めた。

 柱に兄が手と足を縛り付けられていた。 兄は叫んでいた。それは、咆哮と言っても良かった。心臓の潰れるような悲痛な、獣のように荒々しい叫びだった。兄の両目からは涙がいつ枯れるともなく流れ落ちていた。振り乱した髪は乱れに乱れていた。手足を縛った縄は兄自身の血で赤黒く染まっていた。兄の視線の先には横になってぴくりとも動かない子供たちがいた。部屋の畳の上のそこかしこに、倒れていた。その柔らかい腕や足の肌を、劫火は容赦なく焦がしていた。

 「兄さん」

 陣衛門は叫んで慌てて部屋に入る。熱気を我慢して壁の箪笥たんすに駆け寄ると、小刀を取り出して兄の手足を縛り付けてあった縄を切り落とした。

 「大丈夫?」

 陣衛門が尋ねたのと、兄の大きな手が陣衛門の頭に触れて一度だけくしゃりと撫でるのは同時だった。兄はそのまま、振り向きもせずに駆け抜けて行った。陣衛門は慌てて後を追う。そうだ、逃げなくては。

 熱い炎のトンネルを潜り抜け、戸口に走る。もう少しで戸口、というところで玄関先に倒れている女を見つけた。

 「姉ちゃん」

 それは、家に随分昔から病人として住んでいる女だった。さばけた性格で、陣衛門も軽口をよく叩き合っていた仲だった。

 どうせもう駄目だろうと思いながらも、それでも陣衛門は立ち止まってその口元に耳を近づける。そして、驚きにちょっと動きを止めた。

 (……生きてる)

 ほんの微かにだけど、息遣いの音が聞こえる。今にも途切れそうなそれは、だけどもまだ最後の一線を保っている。自分の心臓がどくりと跳ねた気がした。

 人とは違う身に生まれて、人の中に生活して、両親に親族たちの数々の話を聞いて育って、陣衛門は自分の存在についてよく考えていた。考えて、自分は人に血を与える事はしないだろうと漠然と考えていた。するとしても、よく考えて、本人の意思を確認した上でないとしない事にしよう、と。それなのに。

 目の前には今にも事切れそうな人がいる。その人の命を救う方法を、自分は一つだけ知っている。早くしないとこの人は死んでしまうし、自分だって炎に囲まれて身が危うい。こんな場所で、こんな状況で決断しなければいけないなんて。

 喉が詰まって息苦しい感じがして、浅い呼吸を何度も繰り返した。女の身を抱き上げた手が感触を失っているようだった。彼女は怒るかもしれない。絶望するかもしれない。でも、彼女が死ねば彼女の夫である信之助はやはり絶望するかもしれない。信之助は優しい、気さくな青年で、見たくれは幼い陣衛門にもまるで友人に接するような対等さで接してくれた。悲しむ顔は見たくなかった。もちろん、その妻であるこの女、さくらにも死んで欲しくなかった。

 ばりばりと轟音がして、家の梁が焼け落ちた。陣衛門は一瞬身をすくめて静止して、息を止めるようにして、それから決意を決めてさくらの首筋に牙を突き立てた。



 「……自分が慈しんで育てた孤児たちや、大切に看病していた病人たちがみんな目の前で撲殺されて、その死体……もしかしたら、まだ生きていたかもしれないけど、それが炎に焼かれるのを見ているしかなかった先生の無念や絶望は、計り知れなかったんだろう。それまでは好きだった『人』を憎悪するのに充分だった。陣衛門が家からあたしを抱えて脱出した時、家の周りには血をすっかり抜かれたおびただしい数の死体がモノのように一面に転がっていたんだと。死ぬ前に恐怖の幻術でも見せられたか、顔を苦悶と恐怖に引きつらせて、ね。陣衛門は兄貴を探したけど、兄貴の姿はどこにもなかった。そしてその日から、恐怖の殺人者がこの国に出現した」

 さくらは淡々と、特に感情を込めずに語った。千倉は歩きながら、話のヘヴィさに、聞いてしまったことをちょっと後悔した。平和な時代にのほほんと生きている自分には到底想像の及ばない話だ。それを黒須が経験したと思うと、胸が痛む。

 「村中の人の血を吸い尽くしても、彼の怒りは収まらなかった。日がたってもどこぞの村が襲撃されて壊滅、という話を幾度も聞いた。彼は移動しながら、手当たり次第無差別に人間を襲って行った。人が嫌いになってしまったのか、陣衛門が言うように壊れてしまったのか、あたしには分からないけど。あれ以来会ってないしな」

 さくらはちょっと肩を竦めて続ける。

 「混乱した時代だったから、力を欲した悪い人間が、彼の元に集まって悪い組織を作るようになったようだった。それが虎岩組の母体だ。虎岩組の落ち着いた地域には元からその地盤に根をはる龍川組がいた。龍川組にとっても虎岩組は捨て置けない存在だったろうし、もちろん陣衛門たちの一族やこの国土着の神や妖怪たちにとっても彼は捨て置けない存在だった。だから、彼らは協力して虎岩組と彼を倒す事にした。熾烈な戦いになったようだけど、最終的に陣衛門の父親が彼を封じ込めた。代わりに、陣衛門の父親は死んでしまったけどね。……彼を封じ込めた事で事は収まり、虎岩組を解散させるには力が及ばなかったけれど、その戦いは終結したんだ」

 でも、とさくらは続ける。

 「彼は復活した。丁度太平洋戦争のさ中でやはり人々が苦しんでいる時だった。ずっと眠って力を取り戻したのか。その時も、龍川組たちと協力して、今度は陣衛門の母親が封じ込めた。でも、あの人はあたしと同じで元は人間だから、やはり力は弱かったんだな。もう復活してしまった。……そして今回が、三度目の正直だ」

 「三度目は、封印できるんですか?」

 「陣衛門が」

 聞いた時、千倉は首筋がひやりとするのを感じた。

 「黒須君は……封印って……」

 黒須の父親も、母親も、それをするために死んでしまったらしい。それを、でも、口に出して言えなかったら見透かしたようにさくらは言う。

 「陣衛門は力が強いんだ。封印をしたから二人は死んだわけじゃなくて、力が及ばなくて相打ちになってしまっただけだしな」

 「じゃあ……」

 「あ」

 千倉の言葉を遮ってさくらが声を上げたのでその指差す方向を見ると、前方でスキンヘッドで黒スーツの男と学ラン姿の青年に見えるがおそらく女の子、であるはずの人間がマンツーマンで格闘をしていた。

 「おおすごい、格ゲーみたい」

 「千倉、言うは易し行うは難し、だ。……あの子、相当強いな」

 「へえ。そうなんですね」

 言っている間に、雪姫のハイキックが見事に男の顎に決まり、男が地面に倒れる。

 「やるじゃん」

 さくらは言って、ぱちぱちと拍手をするから、雪姫はこちらに気がついて、一瞬嫌あな顔をした。

 「なんだ、脱出できたんだ」

 がっかりしたような口調に、千倉は「えー……」となる。何か他に反省の言葉はないのだろうか? ないのだろう。

 「どうせ君も脱出するんだろ? 一緒に連れてってやるよ」

 さくらが声をかけると、雪姫は疑わしげに眉をひそめた。

 「誰?」

 「私? 私は、この子の先生だよ」

 「先生そのパロ古いです」

 「連れてってやる、って偉そうじゃない? 私にとってあんたたちは足手まといになると思うけど」

 雪姫が肩をそびやかして言うのに、さくらは鼻で笑った。

 「小娘が粋がっちゃってまあ。……出口も知らないから、暴れまわって無駄に体力消費してるみたいだけど。あたしと一緒にいればできるだけ安全な道を、確実に出口に向かって歩いていけるのに」

 「そうなんですか? 先生、道覚えてるの?」

 千倉の問いかけに、さくらはにやりと笑う。

 「あたしが覚えてるわけじゃないけどな。案内してくれてるのにはちゃんと分かってるみたいだよ? もっとも、千倉には見えないだろうけど」

 言われて指差された何もない廊下の空間。

 「え。もしかしてそこにナニカいるんですか? その、お化け的な何かが」

 「どうだろうねえ」

 さくらはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべて、怯える千倉を見ている。

 「まあ、悪さするヤツじゃないからいいだろ」

 「や、人と言うのは本能的にお化け幽霊モンスターを恐がるものですよ」

 「じゃあお前もっと陣衛門恐がれよ」

 「いやあ……」

 緊張感のない会話を交わす二人の事を、雪姫はじっと見つめて、それから言う。

 「じゃあ、二人が前を歩いて。私は人を信用しない」

 「警戒心の強い事だ」

 さくらは「ご自由に」と言ってまた歩き出した。

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