はいここで二人で最初の共同作業です…ってアホか!
黒塗りの高級車に乗って、黒須は虎岩組の屋敷に向かっていた。隣の席には、真面目な顔で前を見据える白雪姫が座っている。髪をまとめて、男っぽい格好をすると割と男に見えるから面白いものだ。少なくとも、今の彼には普段の美少女然としたところはない。
「拳銃は、使った事ある?」
「あるわけない」
「じゃあ、ナイフでいい? 日本刀とか、ヌンチャク、鉄パイプなんかも一応用意してるけど。でも、リスクから言っても殺傷率の高さから言っても拳銃が一番だと思うよ?」
「いや、いらないから」
言うと、白雪姫、もとい春樹は不思議そうな顔をした。
「襲い掛かられたらどうするんだ?」
「素手」
「……素人がナメてると痛い目見るよ」
「凄むな。恐いわ。俺は大丈夫だよ。にしてもお前、拳銃持ち慣れてる感あるな」
「実際人に向けて撃つのは初めてになるけど」
「じゃあもっとビビれよ」
暢気にそんな雑談をしている間も、車は流れるように進んでいく。高級車の故か、運転手の腕がいいのか、結構な速度を出しているはずなのに、振動すら感じさせない。
「黒須君に頼みがあるんだ。もしお嬢を見つけたら保護しておいてくれないか? 勿論、千倉さんを見つけたらこちらで保護するし、そうするように他の者にも通達を出してある。一般人を巻き込むのはお頭の本意ではないからね」
「それはいいけど、『黒須君』もいいや」
「は?」
「呼ぶの長ったらしいだろ。緊迫した中で。陣でいいよ」
「それが、黒須君の名前?」
「そう」
春樹は僅かに困惑したような顔をして、それから少し目を泳がせた。
「分かった。呼ぶ機会があればそうする」
「おう。その代わり俺も春樹って呼ぶよ」
「ご随意に」
春樹は硬い声で返事をする。車の前の席、助手席に座っていた寛二が聞こえてきた会話に思わずにやりと笑いそうになる。同性の、同世代の友人なんてできたためしがない春樹が戸惑っているのが感じられて、長い付き合いでないと分からないくらいの動揺だけど、それでもあの落ち着いた春樹が動揺しているというのがこんな緊迫した場面においても微笑ましかった。
「そうだ。お嬢にやられそうになった時の為に弱点を教えとく」
「え? ヤルって殺すって書いて殺る?」
「うん」
「結構バイオレンスな感じ? おたくのお嬢様」
「残念ながら。近所のヤンキーと喧嘩してアバラ三本もってくような感じ」
「うわあ」
「そこで、敵と間違えられて攻撃された場合には、とりあえずネズミ」
言って、春樹はポケットからゴムでできたネズミのおもちゃを取り出して、黒須に渡す。
「持ち歩いてるんだ……」
「万が一の為のお嬢捕獲用だよ」
「お嬢と言われつつ、あまり敬われてないな」
「そうだね。……お嬢はネズミが嫌いだ。なんでも、昔耳を齧られたとかで。だから、危機に陥ったらこれをお嬢に投げればいい。でも、きっと速攻で逃げてくからすぐ捕獲して欲しいけど」
「お前んとこのお嬢様はどこぞのネコ型ロボットかなんか?」
「ネコ型ロボットの方が可愛げがあるよ」
春樹が真顔で言うので、黒須は小さく呟く。
「おお……黒雪姫」
丁度その時、車が音もなく止まった。
「出るぞ」
寛二の指示に、黒須と春樹は後に従って車を降りる。広い虎岩組の屋敷には既に龍川組の先鋒が到着しているようで、騒がしい物音が聞こえてきた。
屋敷の中に足を踏み入れて数歩で、並んで歩く春樹と黒須の脇から男が一人飛び出してきた。春樹は懐で銃を握った右手は動かしもせず、左手に持った鉄パイプを跳ね除けるようにして一振りする。それは、男の額に綺麗に決まり、男はその場に倒れた。
「流石」
黒須が言うと、春樹はちらりと黒須を見て、素っ気なく言う。
「やだなあ。俺、暴力嫌いなんだよね」
その口角が僅かに楽しげに上に向いているのを見て、黒須は思わず言った。
「嘘つけ!!」
口の周りをガムテープだらけにしながら、口の中もゴム臭くなりながら、しかも前歯に粘着状のものをこびりつけながら、最終的に雪姫をしばりつけていたガムテープを切り離した自分を、千倉は誉めてあげたいと思う。
「ふう、きつかった」
雪姫はのびのびと手を伸ばして言う。自由になった手で手早く自分の足のガムテープも解いて、立ち上がった。
「じゃ」
「え……」
次は当然自分の番だと待ち構えていた千倉を、雪姫は上からにやりと見下ろす。
「ご苦労様」
ひらひらと手を振って、長い足でスタスタと障子に近づいて。
パタン、と障子が閉まるのを、千倉は呆然とした顔でみつめていた。
(うそー!?)
目の前が真っ暗になった気分だ。裏切られた、とい感じで落ち込む。確かに知り合って間もない人だし、信じる根拠だなんて何一つなかった。でも、何一つ疑うことなく自分は信じてしまった。
(やだ、しかも誰か見張りの人とか戻ってきたら、私一人ピンチじゃない!?)
もう一人はどこへ行った、とか言われて拷問とかされるのだろうか? 会話を聞いた限り自分よりも彼女の方が重要人物そうだったし。逆ギレされて殺されるかもしれない。何せ彼女の話を信じるならば、虎岩組というのは一般人とは別の世界に住む人たちなのだ。
恐怖で血の気が引く。
(とりあえず、脱出しなきゃ)
この部屋に居るのは非常に拙い。行動の方法がそれしかないので、お嬢が消えたふすまに向かって、体を倒してごろごろと転がる。尺取虫のように体を縦に屈伸させて位置を補正し、口を使って器用にふすまを開ける。3センチほどの細い隙間を空けてみて、特に人影が見えないので、舌と顎を使ってその隙間をこじ開ける。出られるくらいそれが広がったら、またごろごろと転がった。
どこからか、遠くの方から騒がしい物音が聞こえる気がする。周囲は驚くくらい静まり返っている。その中を、千倉はひたすら猛スピードでごろごろと転がる。突然、体が何かにぶつかった思ったら頭上から声がした。
「うわっ!」
びくりと体を震わせて動きを止める。そんなことをしても意味がないけれど、とりあえず地面に顔を伏せておく。ちゃりん、と床に硬貨が落ちたような音が一つ聞こえた。
「何やってんだ? 千倉。妖怪かと思った」
呆れた声は聞き覚えのあるもので、千倉はオットセイのように背を仰け反らせて顔を上げる。腕を組んで、千倉を見下ろすその姿ももちろん見覚えがあるもので。
「さくら先生!」
「おう。陣衛門でなくて悪かったな。ひっひっひ」
「なんですかその笑い」
「がっかりしたかな? って思って」
言いながら、さくらはよいしょとしゃがみこんで千倉の手足のガムテープを剥がし始める。
「……助けてくれるんならこの際誰でもいいです」
「殊勝だな」
「ここ、先生のお知り合いの家ですか?」
「なんで?」
「だってこんなどうどうと先生いるし」
「これは不法侵入だ」
さくらは実に堂々と、ふんぞりかえって宣言した。
「え!? そうなんですか!? でも、さっき黒須君そっくりの男の人見たんで、親戚かなって」
随分不穏な親戚だけども、と心の中で付け加える。
さくらはちょっと真面目な顔になった。
「会ったのか? そいつと」
「え? なんか一瞬だけ。陣衛門がどうの、とか言ってましたよ」
「ふうん」
ガムテープを全部剥がし終わって、さくらは千倉の手を引いて立ち上がらせながら、顔をしかめた。
「相変わらず、イカれてた?」
「さあ? 恐い感じはしましたけど。やっぱりお知り合いですか」
「陣衛門の兄貴だ」
「ってことは、先生の弟さん……かお兄さん?」
弟、といおうとしたけれど万が一を考えてそう言ったら、さくらはちょっとにやりとした。
「言葉を選んで感心だな千倉」
さくらはゆっくりと歩き出す。
「脱出しながら話そう。どうせ屋敷の人間はみんな大仕事中だから奥は落ち着いてる」
「っていうか先生。どうやってここまで来たんですか?」
「妖怪の知り合い多いんだ。案内させた」
なんでもないことのように言って、ちょっと肩を竦める。
「アレはあたしの兄貴じゃないよ。知り合いではあるけどな。……あたしと陣衛門も、血はつながってないんだ。あたしは陣衛門に血を貰ったから、無駄に長生きだし血を飲まなきゃいけないけど、元は人間だ。陣衛門みたいに人の記憶ちょっと消せたり、催眠術かけたりはできない。操れる蝙蝠だってたったの三羽だ」
「え。黒須君そんな事できるんですか」
「そうだよ。だからアイツは捕食が楽なんだ。あたしは捕食は難しいから、今の献血を貰う制度は楽で助かってるよ」
長い廊下はところどころに高価そうな壺が置いてあったり、嵌め込みの窓と障子があったりで目に飽きが来ない。でも、そんなものめずらしい高級邸宅よりも、今の千倉にはさくらの話の方が興味があった。耳を凝らして続きを待つ。
「陣衛門の兄貴は陣衛門と血が繋がってる。ホンモノの吸血鬼だよ。力も強いし、恐い人だ。……でも、とても優しい人だったんだ」
遠い目をして、さくらはそう言った。




