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あれ? 携帯忘れたかな?

 千倉がトレーニングを再開して、夕食を作り終えても、黒須はそこで寝ていた。あまりにもぐっすりと眠っているので、起こすのが忍びなくて、夕飯を温めるだけにしておいて、メモを置いて、自分は早々に黒須家を後にした。

 駅前まで戻ったあたりで、白雪姫との一件を思い出してまた恥ずかしい気持ちになる。

 (ああホント、明日会ったらもっかい謝ろう)

 再度反省しながらなんとなく速足で歩いていると「すいません」と声をかけられた。

 「はい?」といいながら振り向くと、他校の制服を着た男子高校生が立っていた。

 (あれ? この人どこかで)

 そこまで考えてすぐに思い出した。朝のジョギングでよく視線を感じていた青年だ。千倉が気づいた顔をすると、相手はちょっとはにかんだように感じ良く笑った。

 「最近、ジョギングはしてないんですね」

 「あ。ちょっとサボってて」

 「サボったんですか」

 「はあ」

 気まずい沈黙の後、青年はちょっと畏まったように言う。

 「あの、今ちょっと大丈夫ですか?」


 

 目が醒めたら、姉が向かいの席で一人夕食を食していた。

 「は?」

 思わず言ったら睨まれる。

 「何がは? だ」

 「いや。あれ? 千倉は?」

 「あたしが帰って来た時は置手紙だけおいて帰ってたぞ?」

 「……そうなんだ」

 千倉の手を握っていたら、始めは狸寝入りのつもりだったのに、なんだか安心してついつい本気で眠ってしまったらしい。なんとなく、ちょっと勿体ない事をした気分だ。

 「魔守り(まもり)さんたちに、連絡しといた」 

 一つ伸びをしてから気持ちを切り替えてソファに座りなおして言うと、さくらは「そうか」と言っただけだった。

 「見つかり次第、会いに行くよ」

 さくらは黙って、食事を続ける。微かに眉根が寄っている。それが、不機嫌な時の、それを隠す時の仕草だと知っているから黒須は言った。

 「馬鹿な弟ですいませんねえ」

 「ホントだよ。転校する、とか笑っちまった」

 今更昨日の話を蒸し返されて、話を逸らされた。

 「何の事だか」

 「千倉の事だ。告白しないのか?」

 「姉ちゃんの口からそういう言葉出てくると新鮮」

 言ったら足で膝を蹴り飛ばされた。

 「……告白は、できないだろ。これから消えてく人間がそんな事言っても、これからの千倉の人生で負担になるだけだ」

 「どうだかな。……千倉に転校先聞かれたらなんて答えればいい?」

 「ずっと遠くに行ったって。いっそ、海外でいいよ?」

 「本当に馬鹿な弟だ」

 苦々しいさくらの口調に誤魔化す様な苦笑をして立ち上がる。その足に、かつんと何かが当たった。

 「あれ?」

 拾い上げて、ちょっとぎょっとする。

 「どうした?」

 「千倉の携帯。忘れてったらしい」

 「あらまあ」

 「明日から俺もう会わないしな」

 「学校で返しておこうか?」

 黒須は「んー」と唸って。

 「いいや。寝てる間に帰っちまったし。届けてくる」

 言いながら既にずかずかとダイニングを横切ってドアに向かっている弟の姿が部屋から完全に消えた後、さくらはぽつりと呟いた。

 「カッコイイ事言ってた割には、未練たらしいことで」


 「帰ってきてない?」

 千倉家の玄関口で、黒須は驚いたように相手の言った事を反芻した。相手というのは千倉母だ。その母は目の前の美青年が自分の娘とどんな関係なのか目を輝かして推測しているが、構っている場合ではない。

 「一度も?」

 「え? ええ。朝学校に行ったきりだけど。最近あの子、いつも遅いから」

 (それは、ウチに来てたからだ)

 でも、その黒須宅からは大分前に帰っている。まだ家に帰っていないというのはおかしい。

 「分かりました。ありがとうございます」

 挨拶だけして、踵を返す。千倉母の名残惜しそうな様子はこの際黙殺だ。

 (どこかへ行く用事があったとか?)

 でも、こんな時間までどこへ?

 さくらに見せてもらったメモには「今日は帰ります」とあったのに。

 携帯電話も持たないで。

 なんだか嫌な予感がした。背筋が寒くなる。

 (そうだ。携帯)

 何か手がかりがあるかと思って、千倉の携帯電話を開く。開いたらすぐに自分の寝顔が写っていてちょっとぎょっとしたが、それはさっさと脇に追いやって、着信履歴を確認する。最終着信は昨日だし、着信元は「自宅」だからあまりあてにならない。次いで、発信履歴。開いてすぐに元々の登録がなかったであろう番号が表示される。その下は「自宅」「真希子」「小春」等名前が並んでいるのに、そこだけ番号。

 黒須はその番号を選択して「発信」ボタンを押す。コール一回半で相手が出る音がした。

 「もしもし!? お嬢ですか!?」

 「……は?」

 電話の相手は男だった。割と声が高めでちょっと男か女か迷うところだが、多分男だ。相手も黒須の「は?」で黒須が男だと気づいたのか、少し押し黙る。

 黒須はなんとなく、切断ボタンを押して通話を終了した。知らない男と話している暇はない。と、思ったら手の中の携帯電話が震える。画面に先ほどと同じ番号が表示されたので、黒須は「通話」ボタンを押した。

 「もしもし?」

 「誰だ? お前」

 「いや、そっちからかかってきた電話なんだし、そっちから名乗ってよ」

 相手の不機嫌そうな口調に、つられて黒須も不機嫌な口調になる。

 「……この携帯電話の持ち主の守り役だ」

 「残念ながら、俺この携帯の持ち主じゃないからこの電話が誰に繋がってるかわかんないんだわ」

 「では、何のためにこの携帯電話に電話をかけた?」

 「この携帯の持ち主がどこに消えたか、何かしら手がかりがないかと思ってな。あんたも随分焦っているみたいだけど、探し者か?」

 「お前には関係ないだろう」

 はあ、と黒須はため息をつく。お互い伏せすぎていて埒が明かない。黒須としても、余計な時間などかけたくないのだ。

 「この携帯は北高校のチクラアズサの携帯だ。……これで、何かお前の手がかりになったか? なったなら交換条件だ。お前の持ってる携帯の持ち主を……」

 言いかけて黒須が言葉を止めたのは、相手が息を呑むのが分かったからだ。

 「千倉さんの?」

 「……誰だ? お前。千倉と知り合いか?」

 相手は一瞬だけ考え込むような沈黙をおいて、それからきっぱりと答えた。

 「北高校、龍川雪姫の名前で通っている」

 (白雪姫?)

 そうだとしたら、性別を見誤ったか。しかし、なんという予想外の言葉遣い。

 だがしかし、そんな事に今は構っている暇はない。

 「俺は北高校、黒須陣だ」

 「黒須?」

 白雪姫の声が微かに驚いたようだったが、構わず続ける。

 「千倉が行方不明になった。最近例の連続殺人の事もあるから心配して探してる」

 「千倉さんが、行方不明?」

 白雪姫の戸惑う気配が受話器の向こうから伝わってくる。

 「俺の探し人は千倉さんじゃないけれど、もし見つけたら連絡する。その代わり、お前も千倉さんを探す過程で俺の探し人を見つけたら教えてくれ。黒髪でショートヘアで黒い学ランを着ている。目が切れ長で顔が整っている方だから、目立つと思う」

 (『俺』!? しかも、『お前』!?)

 言葉遣いにいちいち反応している場合ではないけれど、違和感を拭い去れない。

 「連絡は今の番号でいいか?」

 白雪姫の問いかけに、黒須は慌てて緊張感を取り戻し、見えもしないのにその場で頷く。

 「ああ。お前もこれでいいんだな?」

 「これでいい。少しでも手がかりがあったら教えてくれ。もし出なかったら、留守番電話に入れてくれれば良い」

 通話を切って、再び捜索を開始しながら、黒須は不安気に周囲を見渡した。

 (千倉、頼むからアイツと接触してくれるなよ……)

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