うおぉぉ、勘違い恥ずかしい。超恥ずかしい
翌日、黒須は学校に来なかった。前日に予告されていた事ではあったのに、千倉の心はどんよりと暗くなった。
(や、だって急すぎるでしょ)
昨日の今日で急に転校だなんて、実感が湧かない。実感が湧かなかったのに、学校に行ったらいないから、わざわざ四組まで行ってそれを確認して、更に気持ちが落ち込んだ。
胸の中にぽっかりと穴があいたような気持ちだ。
(そうか。明日からもずっといないのか……)
廊下を歩いて教室に戻る道で、今更そんな事に気づいて、何故か鼻の奥がツーンとした。
(そうか、もう会えないのか)
会えないと思うと、無性に会いたくなった。
(何これ。変なの)
こんなのまるで。
(……まるで、恋してるみたいだ)
あまり授業も友人たちの話にも身が入らないまま、気づいたら放課後になっていた。のろのろと教科書やら筆記用具やらを鞄に詰め込んで、千倉は重い足取りで学校をあとにした。黒須家を去る際、さくらに「ヤツはどこに潜んでるとも限らないから引き続き見知らぬ男には注意しろよ」との通告を受けていたので、一応今日も通学路は駅経由だ。
(今日行ったら、まだ家にいるのかな?)
歩きながら思わずそんな事を考えてしまう。合鍵は持っていていいと言われたし。ダイエットを続けるという名目ならば、行っても全然いいと思う。
(でも、会ったらなんか更に寂しくなる気がする)
どうしようかな、と悩みながら歩いていると、見慣れた姿を見かけて千倉は足を止めた。
(白雪姫だ!)
しかも珍しい事に、白雪姫一人ではなく、誰かと話している。いや、話しているというよりも。
(言い争ってる?)
距離が離れているから会話までは聞こえないけれど、白雪姫は眉根を寄せて嫌そうな顔をしている。
その相手は、楽ランを着た男性高校生のように見えた。
(ってあれ! 噂のイケメンじゃん)
そういえば、貰った電話番号はまだ鞄に入っている。
その姿を見ていたら、ふと千倉は思い出した。
『百合枝、あんた陣じゃなかったの?』
『昨日の子に声かけてたじゃん?』
(や。きっと関係ない。関係ない)
自分に言い聞かせるけれど。
(でも、あの子の噂流れ始めたのって丁度一人目の青山さんが殺されたばっかくらいの頃だし)
しかも、すごく綺麗な子だし。黒須やさくらの例からも考えても綺麗な人=吸血鬼、というのはいかにも考えられる線だ。しかも、その相手は今美少女の白雪姫と言い争っている。黒須が白雪姫に目をつけていた事を考えても、白雪姫が吸血鬼にとっては美味しそうである事はゆるぎない。
(どうしよう……)
ふ、と思いついて、千倉は鞄からいつか貰った電話番号と携帯電話を取り出す。二人に向かって歩き出しながら、携帯電話にその番号を打ち込んで「発信」ボタンを押す。言い争っている片方が自分の鞄で震える携帯電話に気づいたのか、少し言葉を切って、鞄に手を入れたようだった。
(……今だ!)
千倉は勢いをつけて突進して行く。
「白雪姫!」
声をかけると、白雪姫はこちらに気づいて驚いたような顔をした。
「千倉さん。どうしたんですか?」
「行こう!」
有無を言わさずその手を取って、千倉はその場を駆け出した。
「あの、千倉さん。どうしたんですか?」
駅前ロータリーの人ごみに紛れて、ようやく一息をついて、ぜえはあと荒い息をする千倉を驚いた様子で見ながら、白雪姫は一緒に疾走した筈なのに息一つ乱さないで、涼しい顔で尋ねた。
「なんか。言い争ってるみたいだったから。……ナンパされて困ってるのかな? って」
まさか、吸血鬼に絡まれてたから、とは言えずに千倉は言う。白雪姫はちょっときょとんとして、それからちょっと困った顔をした。
「さっきの人、ですよね?」
「うん。さっきの人」
「ごめんなさい。実は知り合いなんです」
「へ!?」
「すいません、目立つ往来で、紛らわしい事してて」
すみません、はこちらの台詞だ。土下座して謝りたい。恥ずかしさで、顔が真っ赤になる。
(私、何やってんだろ。勝手な妄想で突っ走って)
黒須に対してもそうだったし。
「ごめんっ! 本当に。やだ、あの人にも謝った方がいいかな?」
「いえ。大丈夫です。私が事情を説明しておきますし……ちょっと困った人なので、謝って調子に乗らせる事ないです」
白雪姫は千倉には柔らかく言って、それからぺこりとお辞儀する。
「では、失礼します。大丈夫ですよ。私の事を考えてやってくれた事だって、分かってますから」
優しい言葉に感動しているうちに白雪姫は行ってしまって。
(はあ……恥ずかしかった)
それにしても、最近自分は被害妄想野郎になってしまってるのではないかと、自分を戒める。
戒めながら歩いていたら、いつの間にか通いなれた道で、黒須家の目の前に来ていた。結局来てしまった。足は正直だ。
(ダイエットに来てるだけダイエットに来てるだけ)
自分に言い聞かせながら家の中に入る。なんとなく、ひっそりと。足音をたてないように。
既に第二の我が家かのように慣れた廊下を歩いて、ダイニングに通じるドアを静かに開ける。
(いないのかな? もう、行っちゃった? まさかね)
いくら転校するといっても、こちらでやる事があると言っていた。他でもない、大量殺人鬼を止めることだと。それが終わるまではここにいるだろう。
くるりと見渡してみて、人影がないなあ、と思う。電気も消えていて、夕日がカーテンの隙間から薄くダイニングの中に一本差し込んでいた。
(自分の部屋にいるのかも)
そろそろと歩いて行って、いつもの定位置で鞄を下ろして、台所に立とうとしてふとダイニングのソファを見たら、そこに他でもない黒須が横になって眠っていたので、一瞬心臓が止まりそうになった。
(いるならいるって言ってよー)
理不尽な非難を心の中でしながら、なんとなく、その脇に立ち尽くして寝顔を観察する。
(キレエな顔)
それはもう、憎ったらしい程に。せめてもっと平凡の、普通の顔なら、自分にだって望みがあるかもと夢を見ることができたのに。そう考えた自分をすぐに自分で嘲笑う。
(何、私。黒須君が好きなの?)
絶対無理なのに。無理だと分かっているのに?
(そうだ。こんな機会滅多にないから写メール撮っとこ)
しんみりしそうになった気分を盛り上げる為、敢えて自分で自分に阿呆な提案をしてみる。鞄から音を立てないように携帯電話を取り出して、カメラを起動して、忍び足で戻ってピントを合わせる。
チャラリーンという軽快な音と共に、黒須の寝顔が千倉の携帯電話に収まった。
(宝物にしよう)
そんな事を思いながら『保存』ボタンを押した瞬間だった。がし、と携帯電話を持ったその手首を掴まれたのは。
「ひっ」
ホラーっぽいシチュエーションなので、ホラーっぽい声を上げて、千倉は携帯電話を取り落とす。幸いマットの上だったから、携帯電話は鈍い音だけたてて、特にダメージもなさそうにその場に転がった。
「何をやってんだよ、人の睡眠中に」
「え? 盗撮?」
「悪びれもしねえ」
呆れたように言いながら、黒須は「よいしょ」と身を起こした。千倉は握られたままの手首と黒須を交互に見る。
「あの黒須君、手を放してくれませんか」
「盗撮犯は危険なので逮捕したままです」
「いいじゃん写真の一枚や二枚記念にくれたって」
「別にいいけどさ。じゃ、千倉のもくれる?」
「絶対やだ」
「なんで」
「私黒須君みたいにイケメンじゃないし」
「関係ないし」
黒須は言って、一つ大きな欠伸をした。
「ああ眠。徹夜で荷造りしてたら眠いわ」
「じゃあもうちょっと寝てなよ」
「シャッター音で起こしたヤツがそれを言うか」
「……すいませんでした」
言って、台所に行こうとしたのに黒須はまだ手を放してくれない。
「何?」
「千倉も一緒に寝る?」
「は!?」
度肝を抜かれたように千倉が言うと、黒須はにやりと笑う。
「嘘。冗談。でも、寝るまで手握っててよ」
「なんでさ?」
からかわれた事にちょっとむ、っとしながらも、千倉は聞く。
「手、握ってて貰うと安心すんじゃん」
「甘えん坊だなあ」
「何とでも言いやがれ」
言って、黒須は強引に千倉の掌と自分の手を重ねる。
「あ。ちょっと……」
「俺が寝付くまでだから」
言って、寝そべって、元のように目を閉じる。
「俺だって、恐い時は誰かに手ぐらい握ってて欲しいんだ」
呟いて、そのまま寝たフリなのか本当に眠ったのか、静かになった。




