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装備は完ぺきだ!

 手に持ったビニール袋の中には大量のニンニク。十字架はなかったので、効くかわからなかったけれど針金を十字に組んで作った”簡易十字架”をポケットに入れて、千倉は黒須家の玄関の前に立っていた。鞄の中に以前さくらから渡された合鍵は入っているけれど、屋外の方が安全だし、家の住人と喧嘩している以上無断で入るのも憚られたので、その場で待っていた。チャイムは既に鳴らしたのだけど、反応がない。ということは、家の住人たちはまだ帰宅していないと言うことだろう。

 しばらくは立って待っていたけど、そのうち足が疲れて、門の前の三段くらいしかない石段に腰掛けて膝を抱えて座り込む。ニンニクの袋は地面に置いて。

 (遅いな)

 何もしないで待っているから長く感じるのかもしれない。緊張しているから長く感じるのかもしれない。携帯電話機でゲームしても、鞄の中の携帯音楽プレイヤーで何か聴いても良かったのだけど、それをする気にもなれなかった。立てた膝の上に右耳を下に顔を乗せ、目を閉じる。風が木を揺らす音がどこからか聞こえてきた。


 学校帰りに「しかるべき機関」に寄って話をしてきたので帰るのはいつもより遅くなった。だけど別に急ぐでもなしに黒須はゆっくりと夕暮れの道を歩いていた。

 (どうせもう、来ないとか言ってたし)

 ならば別に急いで家に帰る理由もない。いや、逆にだったら夕食の用意は自分が早く帰ってしなければいけないのかもしれない。そう思っても、急ぐ気にはなれなかった。

 夕焼けの太陽は真っ赤だ。まるで、血の色のようだ。こんな夕日を見ると、どこか不吉な気がして、背中の真ん中辺りがざわざわとする。

 足取りは重かった。

 (また前みたいにがらんとした部屋に帰るのかあ)

 別に、それはいつものことなのだけど。なのだけど。

 通いなれた道を歩いて、曲がり角を曲がって、懐かしき我が家が見えてきた時、玄関先になにかの影を見つけて黒須は目を凝らす。

 (人だ)

 黄昏時の逆光で、影になってよく見えない。でも、無意識に足を速めていた。あと一歩で駆け出しそうなくらいの早足で。

 たどり着いたその前に立ってそれを見下ろす。黒須家の石段に座り込んでいるのは紛れもない女子高生。

 黒須は一瞬息を止めて、それから大きく吐き出した。

 「よく、こんなところで寝れるよなあ」

 思わず小さく呟いてしまう。

それはもう、気持ち良さそうに寝息を立てて寝ているものだから。

 その長閑のどかさに、ちょっとだけ笑みが漏れる。それに自分で気づいて、慌てて顔を引き締めた。

 「おい、千倉。パンツ見えんぞ」

 かがんで肩を揺さぶって言う。なかなか睡眠は深いようで、目を醒ます様子はなかった。

 「こんなところで寝てると風邪ひくぞー」

 どれだけ熟睡しているんだ、と呆れてしまう。

 「こんなところで寝てると襲っちまうぞー」

 起こす為に言ったのだし。ずっと肩を揺さぶり続けていたのだから起きるのが当然なのに、丁度その時パチリと目を開けるものだから、黒須は少し動揺して、拍子に両手を放した。

 千倉は二度三度、まだ醒め切ってない朦朧とした目で周囲を見渡して。右、左、と風景を確認して。それから正面の黒須を認めるにあたり、ようやく目を見開いて正気を取り戻したようだった。

 「うわっ」

 本当に、驚いたように言って、反射的に仰け反って黒須から距離を置く。

 それで、黒須は昼間の喧嘩を思い出した。

 (そういえば、非難されてたんだった)

 ならばどうしてのこのこ黒須家まで足を運び、あまつさえ自宅の前で無防備に眠りこけているのかと問いたい。

 腹が立ってきて、乱暴に立ち上がるとまだ座り込んでこちらを見上げている千倉に冷たい視線を投げかける。

 「もう、来ないんじゃなかったっけ?」

 一瞬千倉の目が傷ついたように揺れたのも、自業自得だと思った。


 (ぎゃーなにやってんのー!? 私)

 警戒して装備を万全にしてきたにもかかわらず敵前で眠りこけるとは何事かと自分を叱咤したい。本来ならば今の間に血を吸い殺されていた可能性だってあるのに。いくらここ二日、千倉の人生で稀に見る睡眠不足だったとしても、だ。

 そう自分を内心で罵りながらも、激しく動悸を刻む心臓の要因は、恐怖ではなかった。

 (だって、目が醒めてあんなドアップとか)

 目が醒めたら、黒須が間近で真っ直ぐに千倉の事を覗き込んでいた。血を吸われる、とかそういう事は考える余裕もなく、動揺して飛びのいてしまった。今もまだその動悸はおさまらない。

 混乱している千倉の前で、黒須はかがんでいた体を起こして立ち上がった。その見下ろす目がいつになく冷たくて、千倉はひやりとする。

 「もう、来ないんじゃなかったっけ?」

 言った声も、取り付く島がないと思えるくらい冷たくて、厳しいものだった。

 (うっ……なんかすごく怒ってるし)

 まさか足元に転がっているニンニクがバレたのではないだろうか。自分が退治しに来たと思われていたらどうしよう。考えていたら、黒須はわざとらしく問いかける。

 「あ。合鍵返しに来た?」

 意地の悪い、嫌味な口調。

 「だったら、俺じゃなくて姉ちゃんに渡しといて」

 素っ気なく言って、千倉の脇をすり抜けて家の中に入ろうとする。

 (やばい)

 何のためにここまで来たのか。でも、黒須は触っただけでキレそうな空気を発しているし。いやいやでもここまで来て何もしないで帰ったらまたあの地獄のようなもやもやイライラだ。

 (根性見せろ! 私)

 根性ないと思ってたけど、あの筋トレを乗り切ってたんだから、あるはずだ!

 「黒須君に、確認したいことがあって」

 自分を奮い立たせて、既に背中を見せていた黒須の背に声をかける。

 黒須の足がぴたりと止まった。でも、振り返ってはくれない。ただ止まったから、聞く気はあるんだ、と思った。だから、更に勇気を奮い立たせる。それでも、声が震えた。

 「中村百合枝さんを殺したのは、黒須君?」

 「はあ!?」

 質問が意外すぎたのか、黒須がくるりと振り返る。

 「なんで俺が!?」

 「じゃ、違うの?」

 「違うに決まってるだろ」

 「だって。あの日、中村さんと二人っきりで昼休みに」

 「確かにちょっと味見はさして貰ったけど。血ぃ貰った後は元気に帰ってったよ。記憶は少しいじらせてもらったけど、あのあと授業にも部活にも出てたみたいだし問題ねーだろ」

 「授業!? そ、そうなの!?」

 「……ちゃんとニュース見ろよ。百合枝が殺されたのって、学校帰りの夜7時ごろって散々テレビで言ってんじゃん」

 ニュースなんてまるで頭に入ってこなかった。それどころじゃなかった。

 「じゃあ、黒須君じゃないんだね?」

 「当たり前に」

 腹立たしそうに言う黒須とは対照的に、千倉ははあ、と大きく息を吐いてその場にへたり込んだ。

 「え? おい、どうしたんだよ」

 黒須は慌てて駆け戻って千倉を覗き込む。覗き込んだら、千倉が気の抜けた顔で笑っていた。

 「なんだー。良かった」

 「……なにが?」

 「私、黒須君が中村さん殺しちゃったのかと思って。そんで口封じの為に私も殺そうとしたのかと思っちゃった」

 「なんだその妄想物語っ!」

 「いやいやなかなか信憑性あったんだよ。孝行のお兄ちゃんがマスコミの人とかで、被害者は全身の血を抜き取られて失血死、とか吸血鬼事件とか言ってるし。その日ちょうど二人がいちゃついてるトコ目撃しちゃうし。黒須君は変な事するし」

 「変な事って……いや、それはすんませんねえ」

 心のこもっていない言い方をして、それから大きくため息をつく。

 「で? 俺が百合枝を殺したかもしれないから、俺を避けてた?」

 「うん。そしてショックで自棄食いアンドダイエット中止」

 ぱしん、と頭が軽く叩かれる。

 「そんなことする前に一度連絡しろっつーの」

 「いやだって、連絡したら殺されるかなって」

 「なのになんで今日はまたのこのこと来たんだよ?」

 言われて千倉は足元を指差す。黒須は怪訝な顔でその指先を追って、中身が分かるにあたって、顔を引きつらせた。

 「……千倉、お前なかなかえげつないな」

 黒須の非難するような視線に千倉はあはは、と笑う。

 「やっぱ確認しとこうかなって。もやもやするし。やっぱ黒須君がそんなことする人だって思いたくなくって」

 「警戒しつつも?」

 「そう。警戒しつつも」

 「しっかりなさってるんですね、千倉さん」

 「そうかな? 照れるな」

 「……で、俺に対する疑いはもう晴れたわけ? もう俺と一緒にいてもいいの?」

 「うん」

 (もし黒須君がそうだったら、寝てる間に殺されてたもんねえ)

 千倉が頷くと、黒須は「じゃあ」と言って、黒須家のドアを顎でしゃくる。

 「寄ってく? 今日ここに来たのもなんかの縁だろ。せっかくだから説明してやるよ」

 「説明?」

 怪訝な顔で首をかしげた千倉に、黒須は真面目な顔で頷いた。

 「百合枝を殺したのは俺じゃないけど、犯人には心当たりがあるんだ。そういう説明」

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