白雪姫、今何してるんだろうなー
「ハル。その後、チクラアズサとはどうなの?」
雪姫のその問いかけに、白雪姫は嫌な顔をして振り返った。
「なんで名前知ってんですか。っていうか、なんでいつも着替え中に入ってくるんですか? そういう趣味ですか?」
「まあ私、結構ハルの裸見るの嫌いじゃなくてよ」
「止めてください」
「線が細くて握り締めたらぽきっといっちゃいそうな感じとか」
「言葉を慎んでください」
「今日のパンツはネイビーブルーか……ちょっと派手ね」
「本当に止めてください」
「私思ったんだけど。あんた学校でスカートめくれたらどうする気? トランクスなんて穿いてて」
「……常に下に短パンを着用しています」
「それはさぞかし、見ちゃった人ががっかりするね」
はあ、と白雪姫はため息をついてとりあえず手早く着替えを済ませる。穿き慣れたジーンズと、長袖のシャツに身を包むと、気を使って顔をそらすでもなくまじまじと観察している雪姫を振り返った。
「で? なんで名前知ってるんですか?」
「調べさせたから」
「そうですか」
暇ですね、という言葉は禁句なので飲み込んだ。
「ついでにあんたのクラス写真も見たから顔も確認済み」
「勝手に……」
「デブだったわ」
「……」
「あ。今ちょっとカチンと来た顔した。ホント、気に入ってるんだ。珍しい。……でも、最近彼女痩せたんだって?」
「だからなんで知って」
「調べさせてるんだって。油断してるとがんがん調べるわよ」
(ただ部屋に居て命令出すだけの人は気が楽だなあ)
彼女の無理な命令のせいでこの家に住む強面の男たちがどれだけ困惑して、その身に似合わない仕事に右往左往しているか、考えるとなんだか申し訳なくなってくる。
「別に人を使って調べさせなくても、俺に命令してくれれば知りたい事なんでも調べて来ますよ」
「それじゃ意味ないじゃない。……あんた、なんっにも分かってないわ」
雪姫がすこし不機嫌になったのに微かに首をかしげて、でも彼女の言動が不可思議且つ理解不能なのは昔からだから、白雪姫は気にせず言葉だけは謝っておく。
「それはすいません」
「うわ。むかつく。あんた気づかぬ間に敵作ってるタイプだから注意したほうがいいわよこの天然」
その時、ノックの音がして、次いで「俺だ」と野太い声が聞こえた。
「どうぞ」
白雪姫が言うと、ドアが開いて、寛二の大きな図体がのそりと部屋に入ってきた。
「やっぱりここに居なすったか。お嬢。お頭がお呼びだよ」
「お父さんが? 何だって?」
「それを今お嬢が聞きに行くんでしょう」
「面倒くさいわね」
文句を言いながらも、雪姫は素直に部屋を出て行く。パタンと閉じたドアを確認して、それから寛二はちょっと笑った。
「お守り、ご苦労さん。懐かれてるな」
「外に出れないし、同世代の友達も作れないですからね。ストレスが溜まるんでしょう。いい捌け口にされてしまってます」
「お嬢も学校に行けるといいんだけどなあ」
寛二は弱ったように大きな手で自分の顎の無精髭の辺りを数回撫でた。
「小さい頃に一度拐されかけてるからな。お頭も気が気じゃないんだろ。虎岩のやつらを完全に封じ込めたわけでもないし」
寛二の言うとおり、雪姫は幼い頃に一度誘拐されかけている。離れて見張っていた組の者がすぐに駆けつけたので大事には至らなかったが、雪姫が学校に通えなくなったのはそれが原因だろうと、以前誰かが言っていた。
「お嬢の誘拐未遂事件って、やっぱり虎岩がからんでたんですか?」
「そらあな。あの時お頭はまだ虎岩を見くびってたんだ。江戸時代から脈々と続く敵対勢力だと言われても、その頃には縄張りの棲み分けもきちんとできてたし、組同士での抗争もしばらくなかった。今のお頭の代になってから一度も、な」
よっこいしょ、と言って寛二はフローリングの床に腰掛けた。
「饅頭もってきたんだ。食わないか?」
背中に隠してあったのであろう菓子箱を出して、そう言う。
「……お茶、淹れてきましょうか?」
「頼む」
白雪姫は立ち上がって台所までお茶を沸かしに行く。寛二は茶菓子持参で部屋に来た。つまり、元から話し込むつもりだったのだ。何か、話があるはずなのだ。
お茶を淹れて部屋に戻って、自分も床にあぐらをかいて座ると、寛二は饅頭の包装をぺりぺりと剥き、大口を開けてそれを頬張った。勧められるまま、白雪姫もそれを食べる。男の姿をしているからか、こちらも大口を開けてむしゃむしゃと。
「前も言ったと思うが虎岩の動きが活発化してる。うちのシマで平気で商売始めるし、若いのが何人かそれで小競り合いを起こして怪我して帰ってきた」
「何か目的があるんでしょうかね?」
「わからん。けど俺の受けた感じでは、目的、じゃなくて勢いづいている感じだ。幹部ら連中に何かあったのかもしれん。世代交代か、方針をがらりと変えたか」
「今までは割と平和路線でしたよね」
「平和、って言い方はおかしいが。少なくともここ十年くらいは俺らとは事をおこさないようにしている感じがしたな。上手く相手を潰せればこれ以上の儲けもんはないけど、お互いでっかい組だし、全面戦争はリスキーだ。お互いに損害もでかいしな」
白雪姫はお茶を一口、ごくりと飲み下した。
「……でも、向こうが方針を変えたって事はそうなる可能性が出てきたってことですよね?」
「こっちがうまくかわせなければな。そういうことになる。……今のところ、お頭はかわすつもりだが、いざとなればどうなるか分からない。だからしばらくお嬢には外国に行っててもらう事になるだろうな」
「さっきの呼び出しはそれですか」
「お嬢は嫌がると思うけどな。怒鳴り散らして抵抗してんじゃねえかなあ」
その容易く想像できる言葉に、白雪姫はちょっと呆れたように肩を竦めた。
「なんででしょうね。向こうの方が自由に出歩けるし、学校にだって行けるからいいと思うのに」
「それでも、家族はこっちにいるし……」
「いるし?」
寛二はちらりと、促すように問いかけた白雪姫の顔を見る。
「……ま、色々こだわりがあるんだろ」
「それはそうと、虎岩と争って、勝ち目はあるんですか?」
うーん、と寛二は唸る。
「五分五分だろうな。江戸時代からこっち、ずっと二大勢力としてここいらでやってきたって聞いてる。その間何度か大きなぶつかり合いもあったけど、お互い大損害はあったものの、決着をつけることができなかった。それくらい、互角なんだ」
「そんな状態で、虎岩もよくしかけてくる気になりますね」
「何か、強気に出れる根拠があるかもな。お頭も警戒して、武器を集めてるようだよ」
その現実的な話に、白雪姫は一つ身震いする。
「あちらさんも、最近妙に武器を集めだしてるって話だしな」
白雪姫が真面目な顔で黙りこくってしまったので、寛二は表情を緩める。
「恐いか?」
「多少。……でも、お頭やみなさんのお役に立てると思えば、嬉しいです」
「そうかい」
ぐい、と湯飲みを傾けて中の茶を飲み干してから、寛二は立ち上がる。
「あ、それからな。お前が調べてた同級生なんだが」
「ああ。はい」
言われて慌てて頭を切り替える。切り替えた瞬間、昼休みの不純異性交遊が思い浮かんですこし胸糞悪くなる。その男自体が何をしようが別にどうでも良いけれど、千倉が少なからずショックを受けている様子だったので。
「お前が気になってるようだから、少し調べてみた。黒須家は日本各所にいくつか土地を持ってるらしい大地主だ。数年おきに各地を転々としててな。単なる転勤族かとも思ったけど、そいつの父親に当たる人間は名ばかりのルポライターで、存在するのかしないのかもわからない。実質やつらは家賃収入だけでほぼ暮らしているしな。それでだな、そいつらの所有している土地でこの辺りの物は今住んでいる屋敷だけだが、持ち主がここを訪れた事はほとんどない。記録に残っているだけで65年前に一度と、江戸時代に一度くらいだ。後は人に貸したりしてるらしいな。場所も屋敷も良いから結構借り手がつくらしい」
「へえ。よく調べましたね。江戸時代なんか」
「ウチが江戸時代から続く組だったのが幸いしてな。……ちょっと気になるのは、持ち主が訪れた同時期に、二度とも結構大きな人死にがこの辺りで出ているんだ」
「それは……」
一瞬、昨日起こったばかりの殺人事件を思い浮かべた。今日になってもまだ学校中がそのニュースで騒然としているから噂話に疎い自分でもさすがに知っている。今も黒須家の持ち主があそこに住んでいる。それと関係が?
「もっとも両方、時期が時期だったからな。65年前の方は太平洋戦争だったし、江戸時代の方も全国で人死にが多かった時期らしい」
「そんな時期を選んで何故越して来るんですかね」
「さあな偶然の可能性も大きいよ。だが、ちょっと意外なことがあった。俺も調べた手前、一応お頭に報告しておいた。そしたら、なんて言ったと思う?」
寛二は腑に落ちない顔で、その言葉を復唱する。
『そいつらは関係ない。少なくとも、俺達の敵じゃあない。今後そいつらに下手な手出しはするな。放っておけ。……もし協力を求められたら、手を貸してやれ』
白雪姫も、寛二同様、理解不能という顔をした。
「まあ、そう言うわけだからな。ハル、お前もうそいつの監視はしなくていいぞ」
「でも」
「これは多分、お頭の命令だよ」
寛二の諭すような口調に、白雪姫は鈍く頷いた。
「……はい」




