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目標達成まであとマイナスさんじゅ…ムリじゃね?

 本当に、やったことはカロリー計算だった。

 正式に言えば、ここから先一ヶ月の献立表を自分で作らされたのだ。食物ごとのカロリー及び栄養が載っている、家庭科の授業で使うものよりももっと本格的で立派な冊子を見比べ、電卓を叩きながら総カロリーを計算する。それを朝昼晩×一か月分。

 「黒須君、この本私の為にわざわざ買ったの?」

 妙にそこだけ吸血鬼らしく、洋館風の立派な黒須家の、素敵に座り心地の良いリビングのソファに腰掛けて、電卓とにらめっこしながら千倉は尋ねる。黒須は隣でスポーツ誌などを読んで暢気なものだ。手伝うのではなかったのだろうか? と疑問に思わなくもない。

 「己惚れるなよ?」

 「だよね。でもすっごいタイムリーに専門的な本なんだもん」

 「だから、うちの姉ちゃんの専売特許なんだって。姉ちゃん、長く生きてるから、年を取らないとはいえ、気を抜くとすぐ太っちゃうとか言ってそういうこと、めちゃくちゃ詳しいんだ」

 「血以外も食べるんだ」

 「血さえ飲んでれば体は維持できるし、他に食べる必要ないんだけど。食べる事は楽しいから食べたいんだとさ。それでよくダイエットしてる。……まあ、それだけじゃなくて、今はそういう関係の仕事してるし」

 「働いてるの?」

 「ウチの生活費は日本各所にある所有地の家賃収入でまかなってるから働く必要は全くないんだけど。家にずっといるのもつまんないとか言って定期的に働きに出るな。……まあ、今日会えるから詳しい事は本人に聞けよ」

 「へ? なんで?」

 「夕飯、食ってくだろ?」

 「なんでそんな話になってるの!? 流石にいきなりお邪魔して夕飯まで頂いちゃう程図々しくないって」

 「大丈夫大丈夫。もうずっと姉ちゃんと二人暮しなんだ」

 「そうなの? や。でもそのお姉さん的にも」

 「それはもっと大丈夫だって」

 「えー。でも……」

 「まあまあ遠慮せずに食ってけって。千倉の作った献立表に添った絶品料理をお目にかけるから」

 「ん? もしかして作るのって黒須君?」

 尋ねると、いかにも自信満々に腕を組んで頷く。

 「俺の料理の腕前、見せ付けてやるぜ」

 「料理とか、できんの?」

 「姉ちゃん働いてる時は俺が主夫なんだよな」

 まあ見てろって、と自信満々に黒須が言った。

 

 献立表完成後、Tシャツとハーフパンツとタオルを貸し出され、千倉は明るいフローリングのがらんとした部屋に追い立てられた。

 「じゃーん。姉ちゃんの趣味部屋」

 「黒須家、部屋余ってんね」

 「まーな」

 がらんとしたフローリングの部屋には、テレビの通販番組で見かけるウォークマシーンやらバランスボールが端の方に置いてある。また、壁の片側は鏡張りで、その逆サイドには大きな液晶テレビが一台。

 「テレビの下の棚にはダイエット系DVDが並んでるから。軍隊系からベリーダンス系から筋肉系からダンス系まで。やりたいのあったら勝手にかけていいよ。その前に、筋トレしてからな」

 「はあ」

 呆れた思いで突っ立っていたら、じゃあなと言って、黒須は出て行ってしまう。

 (黒須君、金持ちでもあるのか……)

 若干の妬ましさを感じながら千倉はとりあえずダイエット用紙を取り出して、そこに書いてある筋トレを始めた。

 

 「……くじゅうはち。ろくじゅうきゅう」

 はあはあと息をつきながら千倉は腕立て伏せを続けた。3回やってはへばり。10回やってはへたりこみ。全く進まなかったが、ようやく60回代にまで達した。随分時間がかかったのだけど。ちなみにノルマは100回だ。

 借りたシャツもショートパンツも汗でびしょびしょだ。顔中汗をかいて、汗が目に入ってちょっと沁みる。

 「ななじゅう!」

 声を上げて、へたり込む。また少し休憩、と体を起こしたときに部屋の入口に立つ人影を認めた。

 (!? いつから)

 千倉は驚いて声を上げる。

 「さくら先生!?」

 腕組みして千倉を見下ろしているのは、どう見ても千倉の高校の保険医だ。

 「へ? なんで!?」

 「なんでじゃないよ。家主に向かって」

 「は!? 家主?」

 さくらは、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる。

 「おう。いらっしゃい、千倉。まあ、ゆっくりしていけ」

 「は? え?」

 「あ。それから筋トレ終わったらシャワーな。洗面所に替え出しとくから。ウチの愚弟はきっと下着の替えのことまで考えが及んでないだろうからね」

 それだけ言って、手をひらひらとふってさくらは去ってしまう。

 (……もしかして、姉?)

 

 DVDまで手を出す余裕はなく、筋トレだけでふらふらになりながらトレーニングルームを出ると、エプロン姿の黒須が千倉の姿を認めて「お疲れ」と言って、廊下を指差す。

 「シャワー、あっち」

 「何から何まですいませんねえ」

 「いやなに」

 シャワーを浴びて、さくらの用意したと思われる「未使用だ。安心しろ」と書いたメモのあるパンツとフリーサイズのスポーツブラジャーをつけ、制服を身に着けて、濡れた髪を拭きながらシャワーから出てくると黒須がちょっと驚いた顔をした。

 「千倉、いつも髪おだんごにしてるからわかんなかったけど、髪長いんだ」

 言われたとおり、いつもは頭頂部でくるくると一つに巻いているのを、今は下ろしている。下ろすと肩下30cmほどの長さになる。

 「黒須君も普段制服だからわかんなかったけどエプロン結構似合うんだね」

 「なんだそれ」

 黒須が笑っている丁度その時、ダイニングのドアが開いてさくらが入って来た。

 「おー。筋トレ終わったか。どうだった? あたしの作ったメニュー」

 「めっちゃきついです」

 「きつい方が効いてる、って感じしない?」

 「辛いばかりでした」

 正直に言うと、さくらは苦笑する。

 「根性で耐えな。リンゴダイエットより数倍マシだからね」

 そう言って、ダイニングのテーブルに座る。

 (あ。黒須君にバラしたの、さくら先生だな……)

 千倉は内心で合点がいった。

 「さーメシだメシ」

 さくらは言って、テーブルの上におおかた並べられた料理にちょっと嫌な顔をする。

 「はあ。こいつのメシ不味いんだよなあ」

 「え?」

 千倉が意外な思いで聞き返すのと、黒須が不満そうな声を上げるのは同時だった。

 「姉ちゃん!」

 「ほんとの事だろー? 味覚音痴なんだよこいつ。それで、自分では料理の腕は良いつもりでいるんだよ? 笑っちゃうよね」

 「なんかさっき、絶品料理とか言ってたような?」

 「だろ?」

 「なんだよお前ら、グルかよ」

 黒須は悔しそうな声を上げながら、食事を盛り付ける。

 「まあ千倉、とりあえず食ってみろって」

 きちんとそろえられた食器の前に座って、盛り付けられた料理を前にして。

 (見た目は。綺麗だけどな)

 思いながら頂きますと言って口をつける。和風の豆腐ハンバーグにおひたしに玄米に味噌汁のメニュー。

 (うっ、これは……)

 「不味い」

 千倉が何かを言う前に、さくらが一瞬で切って捨てるように言った。

 「馬鹿な!」

 黒須は言って、自分で一口食べてみる。

 「不味……くはないんじゃないかな?」

 自分で自分のフォローを試みているものの、声からは敗北感が滲み出ている。

 「いや不味いよ」

 「姉ちゃんもっと柔らかい言い方を覚えた方がモテるよ。……て痛っ」

 テーブルの下でさくらの足が何かを蹴る音が聞こえた。

 千倉は無言でそれを口に運ぶ。豆腐ハンバーグはパサパサしている上に味が薄すぎる。おひたしはべちゃべちゃしてみずっぽい。味噌汁は出汁が全然効いていないのに変にしょっぱい。玄米は芯がある。

 「ちょっと、台所借りていい?」

 唐突に千倉が立ち上がって言うと、黒須はちょっと意表をつかれたように驚いた顔をした。

 「え? いいけど」

 「ついでに、ちょっと食べるのも待ってもらっていいですか?」

 そう言って、二人の皿も回収する。呆気に取られながらも、二人は大人しくそれに従った。

 台所に入ると、フライパンに火をつけ、多目の水と出汁の元を入れ、醤油やみりん等を加えて軽く味見をする。それからハンバーグを入れて蓋をしてそれはそのまま煮込んでしまう。もうひとつのコンロには炊ききれてない玄米を鍋に投入して、水を足して鰹節を大量投入してお粥をひっかける。その間に、勝手に拝借した大根を切って大根おろしを作る。大根おろしは皿にわけておいて、それとは別に今度はおひたしの水分を切り、冷蔵庫の中から拝借したじゃこと混ぜ合わせて軽く醤油で味をつける。

 ハンバーグが出来たら、皿に盛って大根おろしを乗せ、ゆで汁をその上からかける。お粥もおひたしも盛りなおしてダイニングに運んだ。

 味噌汁は、もうどうしようもないと踏んでそのままだけど……。

 「美味しい!」

 一口食べてさくらが嬉しそうな声を上げる。

 「さすがの料理部! あのクソ不味いご飯がここまで美味しくなるだなんて。千倉、隠れた才能だな」

 「……くっ、完敗だ」

 黒須が半分おどけた調子で、でも半分本当に悔しそうな調子で言った。

 「当たり前だ。お前のご飯は基本的に何にも負けてる」

 さくらが冷たく言う。

 「学校に通うようになってから私の食生活がどんなに貧しかったか……」

 そうだ、とさくらは名案を思いついたかのように声を上げる。

 「千倉、明日から学校帰り家に寄って帰りなさい。あのトレーニングルームは君の好きに使い放題して良いから。代わりに夕飯を作って」

 「は?」

 「やあ、我ながら名案。良いと思わないか?」

 さくらは黒須に嬉々として同意を求める。

 「まあ俺が傷つく以外は名案だと思います」

 「だろう?」

 (傷つくのには気を払わないんだ!)

 千倉の意向も無視して、さくらはその取り決めを決めてしまった。

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