バシルーラ
その日も私はいつものように起きて、布団を畳みました。
布団は畳んだ後、押入れに仕舞います。
押入れの襖を開けると、五月の風に雪が混じってびゅうびゅうと吹いていました。
「うわあ、これは傘を持って行かなくちゃ」
私は折り畳みでは間に合わないだろうと、お父さんが使っている大きな傘を借りていくことにしました。
お父さんは私が五歳のとき、交通事故で亡くなっています。七年前から重い病気にかかっていて、いつも病院のベッドにいました。お父さんと遊びに行ったりした記憶は無いけど、私はお父さんが大好きです。
「お父さん、傘借りていくからね」
「ああ、わかった。気をつけるんだよ、道が凍ってたら大変だからね」
「うん、行ってきます」
私は部屋のドアを開けました。
「ただいま」
「おかえり。今日は早かったね」
普段、姉さんは仕事で夜遅くまで帰ってきません。でも今日は五時に帰ってきました。すごく早いです。
「ん、まあね。夕ご飯は? 」
「私の特製ビーフストロガノフ」
「へえ、また凄いの作ったね」
「自信作だよ」
私は姉さんと私の分をお皿に盛りながら言いました。
「先に食べててもよかったのに」
「電子レンジで卵を温めちゃうような人には任せられません」
姉さんは、でも十時まで待つことないでしょ、と言ってくれました。私は、そんな優しい姉さんが大好きです。
「いただきます」
「頂きまーす」
二人で手を合わせます。
「どう? 」
「うん、旨い旨い。あんたは本当に料理が好きだねえ」
「お褒め戴き光栄です」
いつもなら私は学校、姉さんは会社で忙しいのですが、この日だけは二人とも早く起きてしまったので、ゆっくり朝ご飯を食べています。
今日は少し張り切ってホットケーキをたくさん焼きました。
私も姉さんも甘いものには目がありません。
朝ご飯を食べた後、私達は支度を終えて家を出ました。
外では五月の風に雪が混じってびゅうびゅうと吹いていました。
「うわあ、これは傘を持って行かなくちゃ」
私は折り畳みでは間に合わないだろうと、普通の大きな傘を持っていくことにしました。
「行ってきます」
家を出て歩いていると、ケイタイが鳴りました。お母さんから着信です。
お母さんは私が五歳のとき、交通事故で亡くなっています。七年前から重い病気にかかっていて、いつも病院のベッドにいました。お母さんと遊びに行ったりした記憶は無いけど、私はお母さんが大好きです。
「もしもし? 」
「ねえ、ちょっと頼みがあるんだけど」
電話をかけてきたのは、私の小学校からの親友のA子(仮)でした。
「どうしたの? 」
「今度の選挙のことなんだけど……」
「ああ、応援演説ね? 私に任せなさい! 」
「本当に? ……良かった! 」
「当たり前だよ! A子の為だもん! 」
「じゃあ、宜しくね! 」
「了解。じゃあね」
「うん、またね」
私は電話を切りました。
A子(仮)の為にも、素晴らしい応援演説を作ってあげなくちゃなりません。
私は電車の中で内容を考えることにしました。
「A子さんの応援演説をさせて戴きます。まず、A子さんはとても誠実で、思いやりのある人です。約束は絶対に破りません。彼女なら必ず公約を実行してくれるでしょう。次に、A子さんは……」
「ちょっと君、何をしているんだ? 」
「応援演説です」
「応援演説? ここがどこか分かっているのか? 」
「駅です」
「他のお客さんに迷惑だろう。今すぐ止めなさい」
「何でですか? 私はA子の為に応援演説をしているんです。何がいけないんですか? 」
「だから、他のお客さんに……」
「人の話は静かに聞きなさいって、教わりませんでしたか? 何で静かにできないのですか? 」
幼稚園の子だって先生の話は静かに聞いています。この人は何でそれができないのでしょうか。
私が丁寧にお説教をしてあげていると、姉さんがやってきました。
姉さんに叱ってもらって、その人は帰って行きました。これで一件落着です。
私達は駅の近くのレストランで夕飯を食べていくことにしました。
「何でも好きなもの頼んでいいよ」
「いいの? じゃあ、サバの味噌煮定食にしようかな」
ちょうどご飯が炊けたので、私はお茶碗を二つ用意して、それにご飯を盛りました。
ついでにお味噌汁も用意します。
ちゃんといただきますをして、私達はご飯を食べ始めました。
「今日はどうだった? 」
「A子が生徒会長になりました」
「A子って、あんたが応援演説した子? 」
「はい」
「そうか、良かったね」
「先生はどうですか」
「別に、いつも通りよ」
「そうですか」
「ご飯食べたら薬飲むんだよ」
「はい」
「ん。サバいる? 」
「いりません」
「つれないねえ」
「ひどいと思いませんか? 」
「何が? 」
「みんな私のこと[検閲済]、[検閲済]ってまるで[検閲済]みたいに言ってくるんですよ。あいつらの方が[検閲済]なのに。アタシは何もやってない! 本当だよ! 人のこと[検閲済][検閲済]って[検閲済]扱いする奴等の方が[検閲済]なんだ! いいか、俺は本当に何もやってないからな! 俺は無罪だ! 」
私はそう吐き捨てると、部屋を後にした。そして誰もいなくなった。
暗い夜道を私が歩いて行く。手には[検閲済]。夜風の冷たさに眉を顰めつつ、私はそれでも歩いていた。
何のために歩いているのか、それは私本人にも分からない。ただ一つだけ断言できるのは、私がこれから[検閲済]を実行しようとしているということだった。何故そうしようとしたのかは不明である。しかし、私はこの日の為に実に周到な用意をしていた。
数十分ほど歩いて、私は公園のベンチに腰掛けた。手持無沙汰といったふうに[検閲済]を弄び、嘆息して夜空を見上げる。そこには煌々と輝く太陽があり、抜けるような青空が広がっていた。
「太陽は、嫌いじゃないなぁ……」
私はうわ言の様にぽつりと呟くと、またふらふらと歩きだした。
俺はその足で近所のコンビニに向かい、適当に雑誌を立ち読みしながらパンを頬張っていた。新作と大々的に売り出されていたものだった。
「ごちそーさま」
俺はパンの袋をゴミ箱に放り、雑誌を置いて立ち上がった。
「ちょっと君、何をしているんだ? 」
「コンビニ行ってくる」
そう言うと私は早々と布団に潜り、寝息を立ててしまった。
全く、いつもこいつは寝るのが早い。
「お前は一体どんな夢を見てるんだろうな」
「………………」
返事なんか来るはずもない。ただ、こいつの幸せそうな寝顔が答えだった。
「おやすみ」
僕は隣で雑誌を読む彼女に声をかけた。
「あら、もう寝るの? 」
「うん、明日早いからね」
「そう、おやすみ」
「また明日」
僕はA子(仮)との電話を切ると、早々と布団に潜った。寒かった。
「うぅ、こりゃあ明日は雪が降るかもな。傘を持って行かなくちゃ」
きれいな蝶になりました。