婚約破棄されたけど、中身は80歳のおばあちゃんなので「飴ちゃん食べる?」と返したら、なぜか冷血王子に懐かれました
「リーゼロッテ! 貴様のような冷酷で傲慢な女との婚約は、今日この場をもって破棄させてもらう!」
王立学園の卒業パーティー。
豪奢なシャンデリアが照らす大広間で、第一王子であるユリアン殿下が声高に宣言した。
彼の腕の中には、涙ぐんで震える男爵令嬢クロエの姿がある。
周囲の貴族たちはざわめき、「氷の王子」と呼ばれる殿下の激怒に恐れおののき、私——公爵令嬢リーゼロッテ——を遠巻きに見つめていた。
(……おお、元気ええなあ、若い衆は)
私は密かに、ほっこりとしたため息をついた。
私、公爵令嬢リーゼロッテ(18歳)には、前世の記憶がある。
前世の私は、日本の大阪という商人の町で、小さな定食屋を営みながら五人の子供を育て上げた、御年80歳の筋金入りのおばあちゃんであった。
戦後の焼け野原を生き抜き、高度経済成長を駆け抜け、バブル崩壊もリーマンショックも「しゃあないなあ」で乗り越えてきた。最後は孫やひ孫に囲まれながら、大往生を遂げたのである。
そんな酸いも甘いも噛み分けた「人生80年の知恵と図太さ」を持つ私にとって、貴族のドロドロの愛憎劇など、近所の寄り合いの痴話喧嘩か、朝の連続テレビ小説以下の刺激でしかない。
「おい、聞いているのかリーゼロッテ! お前はクロエに醜い嫉妬をし、教科書を隠し、階段から突き落とそうとしたらしいな!」
「はあ……」
私はのんびりと相槌を打った。
嫉妬も何も、私は学園の図書室で編み物をしたり、美味しいお茶を飲んだりするのに忙しく、そんな昼ドラみたいな嫌がらせをする暇など1秒もなかったのだが。
それにしても、目の前で怒鳴っているユリアン殿下の顔色が気になった。
「氷の王子」と呼ばれる彼は、王太子としての重圧からか、常に眉間に深いシワを寄せ、目の下にはうっすらとクマができている。
線も細く、あきらかに働きすぎの栄養失調だ。
(あかんあかん。育ち盛りの男の子が、あんな青白い顔してたらあかんわ。ちゃんとご飯食べとるんやろか)
すっかり「孫を心配するおばあちゃん」の思考回路になった私は、扇を静かに閉じ、持参していた小さな刺繍入りの巾着袋をゴソゴソと探った。
「なんだ、今さら弁解でもするつもりか! お前のような血も涙もない女の言うことなど——」
「殿下。ちょっとお疲れんとちゃいますか?」
「……は?」
私は巾着の中から、コロンとした丸いものを取り出し、ユリアン殿下の目の前に差し出した。
「ほれ、飴ちゃん食べる?」
「……あ、め……?」
王太子の口から、間の抜けた声が漏れた。
広間が、先ほどとは全く違う意味で静まり返る。
「最近、夜もちゃんと寝てへんのでしょう。眉間にそんなシワ寄せてたら、せっかくのべっぴんさんが台無しですわ。これは蜂蜜とカリンで作った特製の飴ちゃんです。喉にもええし、頭もスッキリしますよ。ほれ、あーん」
「あ、あーん……?」
毒気を完全に抜かれたユリアン殿下は、ぽかんと口を開けた。
私はすかさず、その口に蜂蜜カリン飴を放り込んだ。
「ん……甘っ……」
「そうでしょうそうでしょう。疲れた時には甘いもんが一番です。殿下は真面目すぎるんやから、もうちょっと肩の力抜かんと、倒れてしまいますよ」
私はぽんぽんと、王太子殿下の肩を優しく叩いた。
「な、何をふざけたことを! 私は婚約破棄を……!」
「はいはい、わかってますよ。婚約破棄でもなんでも、好きにしなはれ。若いんやから、いっぱい失敗して学んだらええんです。それより殿下、ちゃんとお野菜食べてますか? お肉ばっかりやったらお腹壊しますよ?」
「や、野菜は……嫌いじゃないが……いや、そうではなくて!」
「よろしい。ほんなら今度、うちの厨房で栄養満点のポトフ作ってあげますさかいな。いっぱいおあがり」
完全に孫をあしらうおばあちゃんのペースである。
王太子の威厳も、氷の王子の冷徹さも、私の「圧倒的なおばあちゃん力(包容力)」の前では手も足も出ないらしい。
「あ、あの……ユリアン様?」
背後で蚊帳の外になっていた男爵令嬢クロエが、不安そうに殿下の袖を引いた。
私は彼女にも、優しく微笑みかけた。
「お嬢ちゃんも、そんな薄着してたら冷えまっせ。女の子はお腹冷やしたらあかん。ほれ、あんたにも飴ちゃんあげよ。イチゴ味やで」
「えっ、あ、ありがとうございます……じゃなくて!」
私は二人の手に飴ちゃんを握らせると、「ほんなら、私はこれで失礼しますわ。夜更かしせんと、はよ寝なさいよ」と、朗らかな笑顔で卒業パーティーの会場を後にした。
修羅場になるはずだった会場は、ぽつんと取り残されて飴を舐める王太子と男爵令嬢を囲んだまま、不思議なほのぼの空間へと変貌していた。
***
それから、一ヶ月後。
「リーゼ。あー」
「はいはい、あーん。……殿下、いくらお野菜が美味しいからいうて、あんまり急いで食べたら喉詰まらせますよ。よく噛んで」
私の実家である公爵邸のサンルーム。
なぜかそこには、休日のたびに入り浸り、私の膝枕でくつろぎながら手作り野菜クッキーを口に運ばれる第一王子ユリアン殿下の姿があった。
あの卒業パーティーの翌日。
殿下は「昨日の非礼を詫びたい」と言って、公爵邸に一人でやってきた。
どうやら、あの蜂蜜カリン飴の味と、誰も自分を「王太子」として特別扱いせず、ただの「疲れた孫(子供)」として心配してくれた私の図太さに、強烈なカルチャーショックと安心感を覚えてしまったらしい。
「氷の王子」として、幼い頃から厳しい教育とプレッシャーに晒され、周囲からは政争の道具としてしか見られていなかった彼にとって、無償の愛(というか、おばあちゃんの世話焼き)は、砂漠のオアシスのようなものだったのだ。
「……リーゼの膝は、温かいな。落ち着く」
「おやおや、甘えん坊さんやねえ。ええよええよ、ゆっくりしなさい」
私は殿下のサラサラの金髪を撫でながら、もう片方の手で編み物を進める。
ちなみに婚約破棄の件は、「あれは疲労による一時的な錯乱だった。撤回する」と、殿下本人が猛スピードで各所に根回しをして握り潰してしまった。
男爵令嬢クロエとはどうなったのかと尋ねると、「彼女はただの友人だ。それより、あのカリン飴の作り方を教えてほしい」と完全に興味が私(のご飯)に移ってしまっていた。
「殿下、今日は少しお肉も多めに焼いておきましたからね。いっぱい食べて、大きくなりなさい」
「……うん。リーゼのご飯が、世界で一番美味しい。私は君を手放す気は永遠にないからな」
「はいはい、おおきにおおきに」
冷血王子と呼ばれていた彼は、今やすっかり私の飼い犬……いや、可愛い孫のように懐き、公爵邸でだらけるのが日課となっている。
周囲の貴族たちは「あの氷の王子を融かすなんて、公爵令嬢はどれほどの傾国の美女(魔性の女)なのか」と戦々恐々としているらしいが、ただお腹いっぱい食べさせて、飴ちゃんをあげているだけである。
「リーゼ、次はあのイチゴ味の飴が欲しい」
「はいはい、飴ちゃんね。ちょっと待ってや」
私は巾着袋を開けながら、のんびりと笑った。
前世では定食屋のおばちゃん、今世では次期王妃。
やることは変わらない。目の前の子供を、お腹いっぱいにして甘やかしてやるだけだ。
私の異世界スローライフ(おばあちゃん編)は、どうやら最高にハッピーエンドのようである。




