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第四十八話 名を遺さぬ者へ


 晩秋の雨が、杉の梢を素手でさわるように落ちていた。奥州街道の小さな宿場で、矢野蓮は名乗らずに帳場へ印を押した。墨は薄く、朱は冷たい。囲炉裏の火は低く、箒のような炎が灰の底へ行き来している。ほかの旅人は、誰も他人の来し方を問わない。世がひっくり返った後、人は他人の出自より、今夜の米と明朝の天気を気にするようになったのだ。


 薄い板戸の奥の間に通されると、蓮は荷を置き、古い柱の割れ目へ紙片をそっと差し込んだ。いつからの癖か、自身にも分からない。朝にはいつも消えている。誰かが抜くのか、風が連れ去るのか、神仏が読んで火にするのか。どれでもよかった。紙片の端には、墨で細い二行があるだけだ。


 ――名を遺さぬ者へ。

 ――背を預けた記憶だけを風に渡す。


 湯をもらって戻ると、雨脚はさらに細くなっていた。簷の雫を眺めていると、ふと胸の底の古い扉が開く。扉の向こうは、京の湿った夏の夜気だ。畳の縁に血がたまり、油の匂いと蝋燭のすすが腹に差し込んでくる。池田屋。あの時、俺は初めて人の死を「仕事」として見た――と蓮は思い出す。怒号の中、柱を蹴って二階へ跳んだ白い裾。火縄をはたき落とし、倒れた男の喉へ届く刃。背に感じた呼吸は、耳の高さで一定だった。


「静」


 今も、名を呼ぶ時、喉は自然にその高さへ戻る。返事はない。だが返事を要さない距離が、かつて確かにあった。禁門の炎が空の色を変えた日、泥に膝を取られながら、蓮は背にその一定の高さを探して走った。黒煙の向こうで「矢野さん」と低く呼ばれた一回で、視界の揺れは収まり、足は前へ出た。


 江戸へ下る途中、甲州の風は澄み、敗走の列は長かった。銃の音は遠く、空は近い。旗は裂け、言葉は短くなり、約束は刃の重さで量られた。上野の一日、砲声は午後の光を砕き、寛永寺の木肌は焦げた。江戸の町人は、あの日確かに「助かった」と安堵した。だが、その安堵に寄せるべき名の中に、自分たちの名はなかった。蓮はそれを恨みもしなかった。ただ、白い裾が灯のない白であったことだけを、胸の奥の湿った紙に書き付けた。


 北へ。会津へ。雪は静けさの重さを持ち、血はその静けさへ花のように咲いた。局中法度を胸の裡で繰り返すたび、山南の座す背筋が目に浮かぶ。茶屋の一間。短い言葉。短い息。短い刃。蓮はあの夜の畳の目を、指先でなぞる癖をいまだにやめられない。やめられないからこそ、名を紙に書かない。紙に書けば、紐で縛られる。それを知ったのは、土方の横顔が雨の幕の向こうに消えた瞬間だった。


 一本木。馬の嘶き。銃声は空の色をも撃った。泥の跳ねで頬が冷たく、舌に鉄の味が広がる。蓮が駆け寄った時、副長の瞳はまだ風の形を映していた。「……まだ……守れ」――その言葉が、矢のように胸板に刺さった感覚は、今も抜けない。静は隣で膝をつき、「承知」とそれだけ言った。泣きも笑いも、眉の動きひとつのうちに収まっていた。やがて蝦夷で、その眉が震え、声が潰れ、涙が頬を伝うのを、蓮は見た。土方の亡骸を前に、静は初めて「人」として泣いた。その泣き顔を見て、蓮はやっと、自分が今まで預けてきたものの重さを理解したのだ。


 五稜郭。星の角。海霧。鉄の匂い。弁天台場の砲口は潮風を飲み込み、砲耳は火を吐いた。蓮は弾薬の箱を両腕で抱え、凍った土を滑る。肩で息をしながら、背に「矢野さん」と届く声を探す。夜襲の影が誘い道に絡め取られていくのを、何度も見た。段差ひとつ、縄ひと筋、濡れた板一枚。そのすべてが、静の刃の延長だった。見えない刃で、敵の「まだ行ける」を少しずつ削ってゆく。最後の角を曲がるときには、もう勝負はついている――静はそう言った。蓮はうなずくしかなかった。影の仕事は、勝つより先に「延ばす」ことだ。明日を一息、延ばすことだ。


 そして最後の夜。白い裾は雪の白と見分けがつかず、呼吸は風音に紛れ、足跡は途中で消えた。消えるという術は、敗北の中で覚えた唯一の自由だった。蓮はその意味を、あとから知った。影は、消えるときでさえ、影でいられる。


 宿の薄明かりの中で、蓮は膝を抱えた。囲炉裏の火は丸く、灰の丘の向こうに小さく揺れている。ふいに、若い声が耳裏を撫でた。あの軽やかな笑い声。沖田総司。息が漏れるような咳が続いたのち、いつもと変わらぬ明るさで「大丈夫、大丈夫」と笑った人。稽古場の白砂に足跡を重ね、木刀の影で春の匂いを運んだ人。蓮は目を閉じ、総司の肩の軽さを思い出す。影である静が、光である兄を守りきれず、ひとりで泣いたあの夜――静の拳が畳に沈む鈍い音は、今も耳に残っている。


「静」


 名を呼ぶ。返事はない。けれど、背骨の左に確かに手が置かれる。置かれたはずの手に、骨の内側から温度が移る。人は、いなくなってからのほうが、近くにいる――と誰かが言っていた。蓮はそれに頷く。頷いて、笑う。笑いながら、涙が舌に塩を落とす。


 朝、雨は上がり、雲は薄くほどけていた。蓮は代金を枕元に置き、廊下の隅に短く掃き清め、外へ出る。道端の榛の葉は濡れて光り、石地蔵の頬に新しい藻がついている。宿場の外れの田の畦で、子どもが縄を回していた。足はもつれ、縄は靴先に絡む。蓮は立ち止まり、半歩の加減を教えることもできたが、黙って見ていた。やがて子どもは自然に縄と呼吸の高さを合わせ、三度、四度、五度と軽く跳んだ。背筋が伸び、視線がまっすぐ前へ向く。人は誰も、知らずに背を育てる。


 昼過ぎ、古い寺の石段を上った。鐘楼の影は短く、梢の間に青い空がある。寺の裏の土の匂いに、遠い函館の崖の湿りが混じる。碧血碑の土に忍ばせた、あの細い白い繊維――静の白。土はすでにそれを抱き、別のものに変えてしまっただろう。根か、水脈か、誰かの足跡のやわらかさか。どれでもいい。残る形は、名でなくていい。


 堂の縁に腰をおろすと、若い僧が湯を運んできた。顔に薄い翳りを持つ、あの住職によく似ている。僧は湯を置き、蓮の隣に静かに座った。言葉はない。秋の風が二人の膝を巡り、庭の隅で白菊が揺れる。


「名前は」僧がやがて訊いた。


「要らないよ」


「では、願いは」


「背中が、ひとつ分、あたたかければいい」


 僧は笑い、うなずいた。木魚の音が遠くで一度鳴り、犬がどこかで短く吠えた。蓮は湯を口に含む。温度が舌に、喉に、胸に落ちてゆく。温かいものは、音を持たない。音を持たぬものの方が、長く残る。


 夕暮れ、街道へ戻る前に、蓮は橋の欄干に紙片を一枚置いた。墨は乾き、字は小さい。


 ――ここにいた。

 ――矢野蓮。

 ――静。お前の背に、最後まで。


 置いた紙は、間もなく風に攫われ、水面でほどけた。ほどけた文字は、輪郭を失い、水の色になった。名は、やがて水になる。水は、だれかの喉を潤す。だれかの涙に混じる。だれかの鍬の先で泥になる。そう考えれば、名を遺さぬことは、名を広げることでもある。


 夜の手前、峠道の一番高いところで、蓮は立ち止まった。空は深く、星は少ない。風は乾き、頬を行き来する。胸の内で、声がする。


「矢野さん」


「静」


 それだけでよかった。言葉は二つで、世界は足りる。背中を預けるとは、いつでも振り向けるということではない。振り向かずとも、いると知っていること――それがすべてだった。


 冬が来れば、またどこかの宿で紙を差すだろう。春が来れば、どこかの土に白い繊維を混ぜるだろう。夏が来れば、港の杭に一枚挟むだろう。秋が来れば、碑の影に頭を垂れるだろう。そうやって、名の代わりに、世界のいくつかの場所を、わずかにやわらかくして回る。影の歩いた跡は、すこし弾力がある。それだけで、誰かの足首が救われる。


 歩き出しながら、蓮はふと、かつての屯所の薄い笑い声を思い出した。総司の軽口、永倉の悪態、斎藤の沈黙、原田の大声、藤堂の若さ、井上の渋い咳払い、そして近藤の、暖を含んだ叱責。土方の冷たい視線の奥に潜む、かすかな火。山南の静かな眼差し。芹沢の重たい笑い。池田屋の畳、禁門の炎、鳥羽伏見の雨、甲州の埃、上野の煙、会津の雪、蝦夷の霧、一本木の風、五稜郭の堀。どれも同じ高さに並んで、胸の内の棚にしまわれている。その棚は鍵が要らない。持ち主だけが、分かる場所にある。


 名を遺さぬ者へ。名を欲しがった昔日の自分へ。蓮は歩きながら、心の中で短い手紙を書いた。


 ――お前は名を持たずに、背を持った。

 ――名は紙に残り、背は骨に残る。

 ――骨は土へ、土は花へ、花は風へ。

 ――それで十分だ。


 風が追い越し、落葉が足首にまとわり、遠くで水の音が続く。道はどこまでも続くように見えるが、実のところ、道はいつも足元だけにある。足元の半歩、その連なりが人の一生だ。半歩の高さに、かつての声が重なる。


「矢野さん」


「行くぞ、静」


 返事は風の向きで返ってくる。風は背中を押し、影は地面に薄く伸びる。やがて夜が降り、影は闇に溶ける。溶けても、消えない。消えたものが、世界のやさしさになる。そう信じることでしか、蓮はこれからの季節を歩けない。


 峠の向こうに、灯がひとつ見えた。人のいる証だ。蓮は肩の力を抜き、歩幅をそろえ、灯へ向かった。名は呼ばれず、名は呼ばない。呼ぶのは、背中だけだ。背を預ける相手が、たとえ風になっても、雪になっても、土になっても。


 物語はここで薄く、静かに、紙の端のように途切れる。だが、途切れた先にも、白い余白が広がっている。余白は、風の居場所であり、影の寝床だ。余白の真ん中で、蓮は短く息を吐き、前を見た。行く先はどこでもいい。どこでも、背を思い出せるなら。


 ――名を遺さぬ者へ。

 ――名を欲しがった者へ。

 ――ここにいた。背を預けた。

 ――それで、よい。

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付録


軍の記録と年表(要約)


※年代は原則として新暦(グレゴリオ暦)で併記しています。旧暦で伝わる事件名は一般に知られる呼称を用いました。物語上の人物(沖田静・矢野蓮)は創作ですが、配置や命令系統・戦闘経過は史実に準じています。


1. 幕末〜戊辰戦争 主要年表

1863(文久3)


3–4月 壬生浪士組が京都で活動開始。のちに新選組を称す。


8月 八月十八日の政変。会津藩預かりの治安部隊として新選組の地位が固まる。


1864(元治元)


6月5日 池田屋事件(京都・三条小橋)。尊攘派の密議を急襲。


8月20日 禁門の変(蛤御門の変)。長州勢敗退、京都市中に大火。


1865–1866(慶応元〜2)


市中取締の強化、局中法度徹底。内部粛清・離脱が相次ぐ。


1867(慶応3)


6–9月 政情激動。


11月9日 大政奉還(徳川慶喜)。


12月9日 王政復古の大号令。


1868(慶応4/明治元)


1月3–6日 鳥羽・伏見の戦い。旧幕府軍敗退、新政府が錦旗を掲げ主導権確立。


3月6–13日 甲州勝沼の戦い。近藤勇が甲陽鎮撫隊を率いるも敗退。


4月25日(旧4/25→新暦5/17) 近藤勇処刑(板橋)。


5月15日 上野戦争。彰義隊潰滅。旧幕臣は奥羽へ北走。


7月19日 沖田総司死去(労咳、江戸・今戸説が通説)。


9–11月 会津戦争。会津若松城(鶴ヶ城)落城、奥羽越列藩同盟瓦解。


10–11月 榎本武揚が艦隊を率い蝦夷へ脱出。箱館(函館)上陸。


1869(明治2)―箱館(函館)戦争


1月 蝦夷共和国樹立(総裁:榎本武揚、陸軍奉行並:土方歳三、陸軍参謀:大鳥圭介ほか)。


5月6日 宮古湾海戦(旧暦3/25)。新政府の鉄甲艦甲鉄奪取作戦失敗。


4–5月 新政府軍が箱館湾から総攻勢。松前・江差を制圧し、箱館半島へ進撃。


5月11日 一本木関門の戦いで土方歳三戦死。


5月16–17日 弁天台場など相次ぎ陥落。


5月18日 五稜郭降伏。箱館戦争終結。


2. 新選組/旧幕軍(蝦夷地)側 編制と装備(抜粋)

京都期(1863–1867)


指揮:局長近藤勇、副長土方歳三。一番隊長沖田総司、二番永倉新八、三番斎藤一、四番松原忠司、五番武田観柳斎、十番原田左之助ほか。


任務:市中見廻・不逞浪士取締、会津藩与力として御所周辺警備。


装備:主に和式打刀・脇差、のち**銃(ゲベール、ミニエー銃)**の併用が進む。羽織は浅葱色に山形袖章だんだら


戊辰〜蝦夷期(1868–1869)


最高指揮(蝦夷):榎本武揚(総裁)、大鳥圭介(陸軍参謀)、土方歳三(陸軍奉行並)。


陸軍:箱館市中・五稜郭・千代ヶ岱・弁天台場などに砲座。旧幕府歩兵・伝習隊・脱走兵・新選組残存隊が編成混成。


海軍(艦隊):海陽丸(※座礁後喪失)、開陽丸(1868年11月江差沖で沈没)、蟠龍丸、回天、千代田形、咸臨丸(※老朽)など。


主兵装:スナイドル銃・ミニエー銃、山砲・臼砲。工兵が胸壁補修と稜堡(要角)間の連絡壕を整備。


作戦思想(本作での影の補遺):


「誘い道」=敵を“楽”に進ませつつ疲弊・遅滞させる微地形(段差・湿地・遮蔽物)の設計。


「退路遮断」=逃走線を先に潰して戦闘を短期化する戦術。


「噂の利用」=白装束の怪異の流布により敵偵察の心理を攪乱。


3. 新政府軍(官軍)側 主要指揮官と兵力(蝦夷)


総督府(東北鎮撫)からの延長線上で箱館討伐を統括。


陸軍:黒田清隆(開拓使前史での実務指揮・兵站)、永山弥一郎、片岡健吉、伊地知幸介らが実戦面に関与。薩摩・長州・土佐・佐賀など諸藩兵が混成。


海軍:甲鉄(のち東艦)・春日・蟠龍(官軍側編入艦を含む)等の近代艦で制海権を確保。


兵装:エンフィールド銃・スナイドル銃、アームストロング砲など。艦砲射撃で沿岸砲台を制圧、上陸後は迂回機動で五稜郭を包囲。


4. 主な戦闘/作戦の経過(箱館戦争・要点)


宮古湾海戦(1869/5/6)

 榎本・土方方は奇襲で甲鉄鹵獲を狙うも、乗り移り未遂・旗流し等の不運重なり失敗。以後、官軍は制海権を掌握。


松前・江差方面の陸戦(4月下旬〜)

 官軍が南下上陸→沿岸砲台を個別撃破。開陽丸喪失の痛手で防御火力・機動力が低下。


箱館半島への圧迫(5月初旬)

 陸上は挟撃、海上は艦砲で弁天台場・千代ヶ岱を圧殺。一本木関門が陸上防衛の鍵。


一本木関門の戦い(5/11)

 前線指揮に立った土方歳三が被弾・戦死。旧幕軍の統率力に決定的打撃。


弁天台場・千代ヶ岱の陥落(5/16–17)

 兵力・弾薬枯渇、背後からの迂回で持久困難。


五稜郭開城(5/18)

 榎本武揚降伏、箱館戦争終結。戊辰戦争全局の終幕。


5. 主要人物の最終記録(抄)


近藤 勇 1868/5/17(旧4/25)板橋にて斬首。


土方 歳三 1869/5/11 箱館・一本木関門で戦死。


沖田 総司 1868/7/19 江戸にて死去(労咳、今戸・千駄木諸説)。


永倉 新八 戊辰後に蝦夷を離脱・のち帰農、晩年に回想記。


斎藤 一 会津に残留・斗南移住を経て警視庁等に出仕、明治以降も存命。


榎本 武揚 降伏後赦免、のち明治政府で外務卿・逓信卿・開拓使等を歴任。


大鳥 圭介 降伏後赦免、工部省・陸軍省で洋学振興。


原田 左之助 上野戦争で戦死(異説あり)。


※本作の沖田 静/矢野 蓮は創作。行動は「影の任務(退路遮断・偵察・攪乱・夜襲対処)」として史実の戦況に矛盾しないよう配置しています。


6. 五稜郭・防衛線の配置(概略)


五稜郭(星形稜堡):各稜堡先端に砲座/内側に兵営・弾薬庫・病舎。


千代ヶ岱台場:陸上正面の中間拠点。


弁天台場:箱館湾側の海上接近に対する沿岸砲台。


連絡線:五稜郭—千代ヶ岱—弁天を結ぶ夜間信号・走伝。物資細流を確保するも、宮古湾以後の制海権喪失で次第に窒息。


7. 兵站・戦術メモ(蝦夷地)


補給:弾薬(火薬・雷管)と糧秣の欠乏が慢性化。海路遮断により現地調達中心。


気象:海霧・凍土・残雪が視界・足運び・雷管の湿気に影響。


戦術:官軍は艦砲で沿岸砲を黙らせ、上陸後は迂回・背面圧迫で塁線を瓦解。旧幕側は小拠点の持久と夜間反撃で「時間を延ばす」ことに腐心。


8. 物語上の「影の記録」対「公式記録」



影は勝敗の勲功に換算されにくい効果(遅滞・抑止・破壊阻止)を積み重ねた、というのが本作の主眼です。


9. 関連地名・用語メモ


五稜郭:星形稜堡式城郭。箱館奉行所郭内に移築。


一本木関門:箱館市街北西の要地。旧幕軍の防衛線要。


弁天台場:箱館湾口の海上防御拠点。


甲鉄:仏国製装甲艦。宮古湾海戦後も官軍主力として鹵獲されず。


碧血碑:旧幕軍戦没者を弔う碑。箱館市。


局中法度:新選組の内規。離隊・私闘・金銭問題などに厳罰。


10. 最後に(編集後記)


 この付録は、創作の「影」を史実の線上にそっと置き直すための小さな索引です。名を遺すのは公文書であり、名を遺さぬのは人の記憶です。記録と記憶のあいだに、背を預け合った時間だけが静かに横たわり、読むひとの胸で呼吸を続けます。

 ――名は紙へ、背は骨へ、骨は土へ。歴史の余白が、あなたの中の物語をまた一行、延ばしてくれますように。

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