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8.指針

「……思った以上に派手にやったな、また」


 ダリアは人気のない裏路地で新聞を広げながら言った。

 書かれているのは先日サヤが最初に復讐の相手として選んだ侯爵家の末路であり、その結果街は混乱に陥っていた。

 領主である侯爵家がたった一夜で(みな)死んでしまったのだから当たり前の話である。

 だが、ダリアにしか見えない目の前の亡霊は、その状況を見ても変わらぬ微笑みを浮かべていた。


「あら、まさかリンだけをさっくり殺してはい終わり、なんて思っていたのかしら? だとしたら随分と見くびられたものね。言ったでしょう? 私は呪いをすべての人間に拡げるのだと。そしてその先に、裏切り者共全員を惨たらしい目に合わせてやるんだって」

「まあそこを疑ってたわけじゃないんだが……今はまだ力が弱いんじゃ? よくここまでやれたよな」

「ふふふ、私は老若男女構わずすべての命を呪い、貶め、屠る。その際、今の力でも一人に集中すればそれこそ“派手”にやることだってできる。そして、そのときに生まれる嘆き悲しみ絶望が、より私の魂を豊かにしてくるの」


 サヤの言葉と同時に、戦慄なんて言葉が生温く思える程の負の感情がダリアに伝わってくる。

 到底普通の人間では至る事のない憎悪と悪意が、今自分の事のように彼女には感じられた。

 しかし、ダリアはそれを受けても一瞬怯んだ程度で、すぐさま軽くため息をついてからサヤに改めて視線を向けた。


「……なるほど。大事(おおごと)にすればよりやりたい放題できるようになるって事ね。まったくズルい存在だな。……でも、正直悪くないって思ってるよ」


 ダリアはそういいながら新聞を投げ捨てる。

 サヤを見る彼女の視線もまた、濁り昏かった。


「オレだって憎い。人が、街が、国が、世界が。そしてそんな中ですべてを諦めなければいけなかった自分が。でも、お前がここまでやってくれたおかげで、オレはオレの憎しみが今満たされているのを感じてる。全部ぶっ壊れればいいのにって思ってた絵空事が、今現実になってくれているのを」


 ダリアもまた、笑った。

 静かに、かつ人々に対する侮蔑混じりの敵意に満ちた、疲れた顔で。


「奪われ続けてきたオレが、ただ喋ったりぶつかったりするだけで奪う側になれるんだ。こんなのむしろ愉しくてしょうがないね」


 そう言いながら、ダリアは自らの右手を見つめる。

 ボロボロでとことん荒れていて、到底年頃の少女の手とは思えない右手。

 掛け替えのない“姉”が握ってくれた手の感触が未だ抜けず、そしてそのすべてを手放してしまった手のひらを。


「そう、なら良かったわ。では次の街へと行きましょうか。この街は既に“堕ちた”からね」


 サヤもその心は感じ取れているはずだったろうに、ダリアの気持ちをあえて口にする事はなかった。

 彼女がそうしなかった意図を、ダリアはイマイチ把握しきれていなかったが、そこにダリアへの悪意がないのは把握できていた。


「次、か……。オレはただ首都に向かって旅をすればいい、そういうことだよな?」


 なのでダリアもまた、すぐさま頭を切り替える。


「ええ、その通り。なんならその道程は途中で私が指示するかもだけど基本的にはあなたが好きに選んでいいわ。そこで私が相手を見定めて大きな惨劇を起こす。これにより人々の恐れを集め、力をつけ、そして彼らを誘き出し死が救いになるほどの苦しみを与えてあげるの。そう、リンのようにね」


 サヤは自ら手にかけたかつての義姉の名を穏やかな微笑みを見せながら言った。

 愛らしく美しいその笑みはとても人を呪殺する悪霊には見えない。


「リンは家族を、そして侍女であるシグレをとても愛していたから。だからそんな彼女が愛した人達が死ぬ姿を見せ、最後には共に連れ添ったシグレを自らの手で殺させる。私の姿を見て自分の勘違いを知った彼女の顔と言ったら……ふふふ。だから思い込みが強いところは直したほうがいいよって言ってあげてたのに……」


 復讐を一つ果たした嗤いと、懐かしい思い出を振り返る笑み。

 それを並立させているサヤの姿は、純粋であり痛ましいと、ダリアには見えてしまった。



   ◇◆◇◆◇



「……まったく、何度確認しても信じられん」


 首都ブレアプロにある王城、エルメア城。

 その中でもとりわけ許された者しか入ることの出来ないとある一室で、複数人の人影に囲まれながらリクリーは椅子に座り眉をひそめていた。

 机に肘を置く手の先には王城に早馬で届けられた書簡があり、そこには一週間前(・・・・)に西端の領地を収めていたエンフィールド家が従者含め全員死亡したという報告が書かれていた。


「一家惨殺? 容疑者は侯爵令嬢であるリン・エンフィールド? はっ、悪い冗談だな。だがこれを届けてきたのは我らが王家の秘匿された密偵であり、かつ密偵が届けてきたということは一般の魔法通信回線はどこかで遮られたという事だ。嘘であるわけがない」


 リクリーはそういいながら書簡を目の前の長テーブルに乱暴に置く。横には現地で発行された侯爵家の事件を記す新聞も置いてあった。

 投げ置かれた書簡を、彼の右斜め前に座っていた別の手が取る。サムだった。


「しかし普通に早馬を走らせても時間がかかる最西端の領地の事情をこれほど早く知れるとは、さすがアリア殿の作られた魔法通信の技術は見事ですね」

「ああ、秘匿通信を整えておいて良かった。我が王国の未来を思って敷いたものだったが、まさかこんな早く活用することになるとはな」

「そうですね、備えあれば憂いなしとはこの事です。……ですが、やはり信じられませんね。あのリン公爵令嬢がそんな事をするなんて」


 サムはリクリーと同じくとても訝しんでいる表情で言った。


「あん? お二人共そのご令嬢の事知ってるんですかい?」


 そこで聞いてきたのはサムの正面に座るカゲトラだった。

 彼は両手を頭の後ろに回し、椅子の背もたれに体重を預けてゆらゆらと揺れながら聞いた。


「ふん、白々しい聞き方だな。俺がサヤに爵位を与えるためにやった無茶の事を知らないお前でもあるまい。なんなら俺達より前に情報を手にしていたんじゃないか?」

「ははっ、前者はともかく後者はさすがにないですって。一介の学生が王国の誇る密偵に勝てるわけないじゃないですか……」


 リクリーの視線に軽く汗を垂らしながら苦笑するカゲトラ。リクリーはそんなカゲトラに「ふん、どうだかな」と鼻を鳴らしつつも今度は脇にあった台座の上から、八センチ四方で厚さは二センチ半ないぐらいの中央に白い宝玉が埋め込まれた黒色の石板を片手で持ち上げ、目の前に置く。

 遠くの相手との会話を可能とするアリアの発明の一つ、魔法通信器(まほうつうしんき)だ。


「それで、そっちは何か分かったか?」


 そして、白い宝玉の手前の石板の上に指を置いて言った。


『いや、残念ながら。個人間で連絡を取り次ぎ確認してみたが、エンフィールド家には一切おかしなところはなかったみたいだ。これは私生活だけじゃなく、領地運営でもそうだ』


 すると、宝玉が光り同時に女性――アリアの声が聞こえてきた。

 凛とした彼女の声も、やはり困惑には勝てないと言った様子である。


『なんなら未だに信じられないと言う者も多い。それこそ魔法通信を妨害してきたようなエンフィールド家への敵意を持った諸侯もいるが、基本的には関わった人間からは好かれていたようだな』

「ああ、だろうな。あれは間違いなく忠臣だったし身辺もクリーンだった。俺が侯爵令嬢という箔付けのためにサヤを養子に入れた理由もそこにある。養子に入れるならこの王都に住まう重臣、なんなら宰相の家にでも入れる事ができたが、変な(あか)がついてないとなるとあそこが適任だった」

『なるほど、お前らしい……しかし、サヤか。……本当に、彼女には悪い事をしてしまった』


 明らかに消沈した声が返ってくる。

 アリアの言葉に、リクリー達のいる部屋にも僅かな静寂が生まれた。

 だが、数秒したぐらいでリクリーが「……はぁ」と軽くため息をついて気まずい沈黙を破った。


「俺は母上の判断が間違っていたとは思っていない。あの力は彼女を王妃にした程度では首輪をつける事ができなかった。放っておけばアイツの根っからのお人好しも相まって国家ではなくサヤ・パメラ・カグラバという一人の少女そのものを信奉する人間も出てきただろう。生きているだけで、アイツは騒乱の種となりえた」

「まあねぇ。サヤちゃんは天然の人誑しってやつだったからなあ。本人にその気がなくても悪用しようってやつはいただろうさ。ま、平和な時代に英雄はいらないってやつかな? サヤちゃんは聖女様だったけどね」

『……しかし、(みな)そんな彼女の事が好きだったのではないか?』

「…………」


 宝石越しに聞こえてくるアリアの悲しげな声。

 その言葉に、部屋は沈黙に包まれる。リクリーは僅かに瞼を下げ、サムは僅かに唇を口内へと含み、カゲトラは笑顔のままだが剣呑な気配を漂わせる。

 

「……今更過ぎるな。自ら手を下したというのに泣き言とは」


 静寂を破ったのは、リクリーの冷酷な一言だった。


「覆水盆に返らず。我らは自ら清き水を土に捨てた。そしてもはや濡れた土も乾き跡も残っていない。無を見て、一体どうとなるのか」

「……さすがです、リクリー様。それでこそ次代の王の器です」

「ま、俺は元々メリットを優先する人間なんで。そこんとこはあんま気にしてないっすわ。そこはむしろアリアちゃんやイゴールが気に病み過ぎなんじゃない? イゴールなんてただでさえ陰気だった癖にさらに辛気臭くなってさぁ」

『……そうか、そうだな……分かった』


 彼らの答えを聞いて宝玉から返ってきた言葉のトーンは先程よりもさらに重苦しい。

 見ていないのに表情が手に取るように分かるようだと、リクリーが思う程だった。


『ところで……私は、こういう密偵の真似事などもう嫌なんだが、知りたい事がでないと分かったならもういいか? というか、そっちで情報を集められるならそれでいいだろう』

「公爵令嬢の癖に俺達なんかよりずっと市井に近いお前からも聞いてみたかったんだが……まあいい、好きにしろ。王国(こっち)も新しい領主を早急に手配する必要があるしな。一般回線の連絡が止まったようにあの土地はまあまあ面倒だから、難航するのは免れんが」

『ああ、ありがとう。あとこういうのはもうこれっきりにしてほしいな。私はできるならただ発明と武の鍛錬に専念していたいのでね』

「これから王妃となる女にそれを約束はできんが、約束しよう」

『相変わらずの言い方だな……まあいい、善処してくれ。では』


 アリアが苦笑気味の声でそう言うと、ブォン……という短い低音と共に宝玉は輝きを失う。魔法通信が終わった合図だ。

 リクリーはそこで魔法通信器から指を離し、偉そうに腕を組んで椅子の背もたれに体重を預けた。

 そんな横で、カゲトラは何気なくテーブルにおいてあった新聞を手に取る。そして軽く新聞に目を通していたのだが、そこで彼はふと訝しげな顔になり、ポツリと小声で漏らしたのであった。


「この新聞の書き方、なんか引っかかるな……どーにもなんかリン・エンフィールドの容疑に懐疑的っていうか彼女の評判とは別由来で疑ってる感出てるっていうか……もしかして記者が実際に死体を見て、それを口止めされた? でもなんで……んー分かんねーな……」



   ◇◆◇◆◇



 リクリー達がベルウッドの状況を確認し頭を悩ませていたその頃。

 ダリアは馬車に揺られ、その正面には見えていないサヤも座っていた。

 彼女らが乗っているのは街と街を繋ぐ連絡用の馬車であり、他の乗客はいない。


「……そろそろか。思えば、あの街には思ったより留まらなかったな」

「なんならもっと早く出て欲しかったくらいだけれどね。あの屋敷はもはや『私の領地』と化したのだし、調べに来た衛兵、そして中に入って口止めされた新聞記者にも“私”は拡がれた。もはやあの街そのものが『域』となるのは決まったようなものなのに、あなたがやる事あるって言うから」

「仕方ないだろ。街にある商人組合を通していろいろとやり取りしなきゃならなかったんだから。こっちで自由に移動しようとするとまた面倒なやり取りとかいるんだよアソコは」

「まあ、思ったより大変なのね。……いえ、あなたが弱い立場(・・・・)だから大変になってるだけか」

「……チッ。わざわざ言葉にしなくてもいいだろうが」


 ダリアは商人組合の中でもだいぶ不利な契約を結ばされていた。

 これは彼女が商人となるために組合に入る際に無理を通した事、そしてそうでもしないと入るのが難しかった身元の不確かさがあったからだった。

 商品と金品を扱う商人を管轄するという組合の性質上ある程度の身元の保証が必要であり、そこでダリアは無茶をするしかなかったのだ。


「そうね、前も言ったけど私はあなたの頭を覗いたのだから分かってるわ。あなたがそれでも商人組合を選んだのは、同じ場所にいると人の作っているコミュニティに所属しないといけなくて、それが嫌だったって事もね」

「だからわざわざ言葉にしなくていいっつってるだろうが……なんだ? 嫌がらせか?」


 この前は黙っててくれたのにな、なんて嫌味を言おうともしたがそこはなんとか飲み込んだ。

 例え悪霊相手でもラインというものはあるだろうし、とそんな事をダリアは思ったのだ。


「ええ、ある意味でね。だって今の私は、そういうの(・・・・・)が力になるし、それに愉しいんだから。ふふふ」


 するとサヤから返ってきたのはそれを知ってか、それとも感じているけれど知らないフリをしているのかはともかく少し茶化した感じもある物言いであった。

 ダリアは彼女の返答に軽くため息をつく。


「はぁ……後半は趣味じゃねぇかよ……」

「ごめんなさいね。でも確かめられるのなら言葉にしてはっきりさせたほうがいいでしょう? 本来覗けぬ心が覗け繋がったとしても、真意なんて不確かなものは信用ならないのだから」

「…………」


 急なサヤの言葉に、ダリアは言葉を返せなかった。

 当然サヤが今こうして悪霊となってしまった経緯そして感情を知っているわけだし、なにより、そう語るサヤの表情がこれまでのおぞましさを感じる笑みではなく、僅かながら寂しさを感じるものだったからだ。口元や眉の歪め方はこれまでに見たような他者を馬鹿にするような形をしているのにもかかわらず、である。


「……と、そんな事を言ってる間に、門をくぐったか」


 馬車が石畳に乗り上げた感触がしたので、ダリアはある意味逃げるように馬車の窓から外を見る。

 そこには華やかな街並みが広がっており、そこではギターやトランペット、クラリネットなど様々な楽器を持ち歩いている人の姿が見えた。


「“音楽の園”ウィソング。次のオレ達の獲物」


 ダリアは鋭い目つきで言う。

 サヤの表情は、いつしかいつもと同じく邪な含みを感じる微笑みに戻っていた。


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