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6.エンフィールド家の惨劇 PART Ⅱ

「ごめんなさいお嬢様! 心配させちゃいましたよね……!」


 シグレが倒れてから三日後。

 昼下がりの庭で椅子に座りお茶を飲んでくつろいでいるリンに、シグレはまるで何事もなかったかのようにぎゅっと目を瞑りながら両手を合わせてきた。

 倒れた彼女は何か良くない病になったのではと大急ぎで街の診療所に運ばれた。領主であるエンフィールド家からの依頼なのもあって入念な検査がされたが、結果として彼女に何の異常も見つからなかった。

 それどころか、翌日には彼女はすっかり元気になっていたらしく、念の為の経過観察で二日間診療所に寝泊まりすることになったがここでもやはり異常なし。

 故に「きっと疲れが溜まっていたんだろう」というとりあえずの診断が下され、彼女は屋敷に戻ってきたのだ。

 リンの父である侯爵はもうしばらく休んではどうかと提案したが「いいえ! 私は働いていたほうがむしろ落ち着くので!」と返されたと彼女は聞いた。

 そうした経緯で、シグレは今リンの目の前でとても申し訳無さそうに謝っている。


「い、いえ……元気なら、それでいいんですよ」


 リンは、そんな彼女の言葉に素直に喜べずに、つい作り笑いで答えてしまった。

 ただ倒れただけなら何も気にせずに笑って返せただろう。

 だが、リンは見てしまったのだ。


 ――やまのうみ。


 そう引き攣った声で呻く、シグレの姿を。

 さらその後、喉から声ではなく音と言いたくなるような異音を流し、最後にはこちらに向けてきたあの目。

 シグレから向けられていたはずなのに、明らかに別の誰かの視線だったとなってしまうような、そんな凍えるような瞳。

 あれはどういう意味の言葉だったのか。あの声ではなく音と形容するしかないモノはなんだったのか。

 今、目の前で心から謝っているシグレからはまったく想像もつかないあれは、一体なんだったのだろうか?

 あのときの様子が欠片も見えないのが、むしろリンには不気味に思えた。


「シグレ……その、あのとき……いえ、なんでもないです」


 聞こうとして、結局リンは諦めた。

 きっと確かな答えが返ってこないのは分かっていたし、むしろ返ってきた方が嫌だとそう思ったからだ。

 もし返ってきたのなら、それはシグレじゃない何かが目の前にいるのだという事になってしまうから。


「そ、それよりも帰ってきてさっそくなのだけれど、お菓子がなくなってしまいまして……よければもって来てくださいますか?」


 リンはそんな不安をかき消すようにあえて明るく大きめな声量で言った。

 あんな事はなかったのだと、あれはただの悪い夢なのだと思いたくて。

 だからいつもの日常に戻るためにリンはあえてそういう素振りを取った。


「……分かりました! すぐ取ってきますね!」


 そしてそれは、自らの行いの自覚がまったくないシグレにも彼女の意図するところは伝わったようで、わずかに間を置いてリンが知っているいつも通りのシグレの様子で答えた。

 いつも通りの、明るく元気で、誰よりもリンの事を慮ってくれる、そんなシグレだった。

 彼女はぎゅっと両手を握って満面の笑みでリンに言った後、くるっと回って背中を見せ、ぴゅーっという擬音が似合う勢いで走っていった。

 そんな彼女の後ろ姿を、リンは苦笑して見つめ――困惑の表情に変わった。


「え……?」


 シグレが、急に立ち止まったのだ。

 両腕をだらりと下げて、首が座っていないかのように左側にたらりと傾く。ピタリと止まったにしては、まるで両足が地面についているから辛うじて立っていられているかのようにゆらゆらと体を揺らしている。

 

「シ、グレ……?」


 また、だった。

 シグレが、シグレではなくなった。

 そう、リンは感じた。


「…………っ」


 ぼうっと立っているシグレに、リンはゆっくりと近づいていく。

 恐る恐る、一歩一歩刺激をしないようにとゆっくり足を動かす。

 側に寄っていけば寄っていくほど、シグレからは生気というものを感じなかった。

 だが同時に、シグレはただ頭を垂らしているわけではなく、どうやら上の方を向いているらしい事が分かった。

 リンは彼女の斜めすぐ後ろに立ち、シグレが顔を向けている方をいる。

 そこにあったのは三階建てのエンフィールド家の屋敷にある庭に面した最上階バルコニーで、よく見るとそこには人影が立っていた。

 黒いドレスに白いエプロン、それは今シグレが着ているのと同じ一般的なメイドの服装で――


 ――ドサアッ! っと、リンがその姿が誰かと確認する前に、そのメイドが地面に頭から落ちた。


「…………きゃっ、きゃああああああああああああああああああっ!?!?」


 起きた出来事を認識するのに少し時間を置いた後、リンは大声で悲鳴を上げた。


「……え? お嬢様……? え……えっ……!?」


 リンの悲鳴を聞いてすぐ、目の前のシグレが我に返りリンの方を向く。そしてリンの目線を追い、庭に落ちて首と手足があらぬ方向に曲がったメイドの姿を見て、驚愕の表情を向けた。


「そ、そんな……!? ファナ!? ファナっ!! 嘘……あ、あああっ……!?」


 もはや人としてのマトモな形を失った彼女の名前を叫びながらシグレが近づいて言った。

 そこでリンは気付いた。

 落ちてきた彼女は、シグレが倒れたとき、運んでいたワゴンを倒された、あのメイドだという事に。



   ◇◆◇◆◇



 さすがに屋敷のバルコニーからメイドが落ちて亡くなったとなると、屋敷内のトラブルとして済まされる訳もない。

 いわゆる悪徳領主ならともかく、エンフィールド家は領民からも従者達からも愛される真っ当な領主であり、それゆえに亡くなったメイドの葬儀、遺族への報告は速やかに行われた。

 シグレを始めとした彼女の同僚一同、そしてリンの家族達も(みな)一様に悲しんだ。

 だが唯一リンだけは葬儀の最中(さなか)ですら悲しみに浸る事はできず、ただ困惑と恐怖に支配されていた。

 あのとき、まるで偶然立つ事のできたぬいぐるみのように力なく立ちバルコニーを見上げていたシグレ。そして、そのシグレに答えるかのように落ちてきたメイド。

 それが偶然だと思い込むほど、リンは間抜けではないつもりだった。

 喪服が並び立ち、棺桶が墓場に埋葬される中でリンは近くにいるシグレを見る。

 涙を流し棺桶を眺める彼女の姿はやはりいつものシグレだ。物心ついた頃からリンと一緒にいてくれて、喜怒哀楽を共にした侍女の変わらぬ姿だ。

 それゆえに、彼女が豹変したときの光景がリンの中で恐ろしいものとして膨れ上がっていった。

 葬儀を終えたエンフィールド家とその従者一行が屋敷に戻った頃には既に夕暮れだった。

 最近なんだか日が落ちるのが早い、まだまだ暑いのにまるで季節が移ろったようだ、と市井で噂されているのをリンはよく聞いていたし、彼女自身もそうだと思っていた。

 しかし今はそんなことを考える暇もなくただ思い詰め続け、恐れていた。


「……お嬢様。大丈夫ですか?」


 夕食の時間。

 家族揃って食事をするため食堂のテーブルに座っていたリンのそんな様子を見て、シグレが心配そうに声をかける。

 その顔色と声は間違いなく自分を心配しているものだとリンには理解できた。

 長い付き合いの中でその態度に嘘がないことはよく分かっているし、シグレ自体も未だ悲しみの中にいるというのにリンを心配してくれるその心はとても嬉しいものだ。

 だが、同時にリンの頭にはあの意味不明な言葉を口から吐いていたあの姿で――


「――だ、大丈夫ですよ……ちょっと疲れているだけです」


 この恐れの感情を気付かれたくない。

 リンはそう思い無理に笑顔を作った。

 別になんら根拠はないのだが、今彼女がシグレに抱いている複雑な感情を悟られるとなんだか恐ろしい事になりそうだと、そんな不安があったのだ。


「そうですか……分かりました」


 ただ、感情の正体はともかくとしてリンが嘘をついたことは察知されたようで、シグレは一瞬悲しそうな顔になり、苦笑で答えた。

 シグレの表情に、リンの胸は痛む。

 やはり今までのすべてはリンの見た白昼夢で、すべては偶然なのではという思いが湧いてくる程だった。


「……それにしてもお父様達、遅いですわね」


 未だ整理できぬ自らの感情を一旦棚に上げ、リンは言った。

 いつもなら家族全員が揃っている時間だ。今日は葬儀があったとはいえ、集まらないにも程があるぐらいには誰も来ていなかった。

 食堂にはただ、リンとシグレ、そして他に何人かの従者がいるのみだった。


「そうですね……私、少し様子を――」

「――きゃあああああああああああああああっ!?!?」


 シグレがリンの言葉に応えるように食堂から出ていこうとした、そんなときだった。

 食堂の扉の外から、大きな悲鳴が聞こえてきたのだ。

 それは誰でもない、リンの母親であるステラの声だった。


「おっ、お母様……!? 一体何が……!」


 驚いて立ち上がるリン。

 すると、直後に食堂を照らしていた魔法灯の灯りが明滅を始める。

 カチ、カチカチッ、カチッ、と不規則なリズムを刻むように窓のない食堂を光と闇に切り替えていく。

 やがて明滅はどんどんと激しくなり、ついには闇が食堂を包む。

 と言っても、およそ数秒の暗黒。だが、何も見えないその数秒の間に聞こえてきたのは、バァン!! という食堂と廊下を繋ぐ大扉が乱暴に開かれる音。

 直後、光が戻る食堂。

 当然リンは音のした扉方向に目を向ける。

 すると、そこにいたのはナイフを片手に持ち、返り血に染まった年老いた家令の姿。

 そしてその足元には、リンの二人の兄が床に膝をついて屈んでいた。

 否、ただ屈んでいるのではなくふたりとも虚ろな顔になって不自然な動きで片手を振り上げては下ろしている。その手に握られているのは食事用のフォークとナイフで、兄達共々真っ赤に染まるその銀の食器が落とされる先には、目をひん剥き口を大きく開け、体中を穴だらけにして絶命している、父コルトの亡骸があった。


「あ……え……? ……あ、あああ……い、嫌あああああああああああああああっ!?!?」

「ひっ……!? ……あっ!? おっ、お嬢様っ!」


 食堂に響く、リンの絶叫。

 震えながらも、椅子から乱暴に立ち上がり後ずさるリンを見た後すぐに我に返りリンを抱きかかえるシグレ。

 だが、反応したのは彼女ら二人だけ(・・・・・・・)だった。

 周囲にいたメイドも執事も、誰も反応しない。

 それどころか、(みな)あんぐりと口を開き、眼球をギリギリ虹彩が見える程に上にあげている。

 まるで生まれつきの病を抱えているかのような姿になっていた彼らだったが、ふと懐からそれぞれナイフ、包丁、アイスピックにハサミと、鋭いモノを取り出し始める。

 続いて、先程まで自らの父親を滅多刺しにしていた兄二人もそれを止める。

 困惑するリンとシグレをよそに訪れる僅かな静寂。そして、次の瞬間……全員、その凶器を自らの喉に突き刺した!


「ひっ……!?」「いっ……!?」


 あまりの光景に、リンもシグレも悲鳴を通り越して同時に息を飲み込んだ。

 家令も兄二人もメイドも執事も、みんな無表情で自らの喉に穴を開ける。しかも、一度では終わらず何度も何度も、それで既に絶命しているはずなのに、まるでそういう機械になったかのように、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。


「お……お嬢様っ!!」


 と、そんな光景の中でシグレがふと我に返りリンの手を引いて走り出した。


「あっ、うっ、ああっ……!?」


 リンは茫然自失としていたが、なんとかシグレに連れられながら食堂を出る事ができた。

 彼女らが去る中でも、そして去った後でも、彼ら彼女らは、自らの喉を耕すのを止めなかった。


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